『ポケモン』紀行

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ゲームフリークの代表作〜『ポケモン』と『パルスマン』
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「『ポケモン』は、僕が子供の頃に虫が好きだったという体験がベースになっている」(1)
これは作者の田尻智氏が語っておられた言葉だが、
ポケモンのコンセプトには、田尻氏の少年時代の体験が、多分に盛り込まれているようだ。
ということは、『ポケットモンスター』の舞台は、
「カントー地方」という名前こそついているが、関東地方の中でも、
田尻氏の出身地・東京都町田市を中心とした地域なのではないだろうか?
そう仮定して私は、カントー地方の各都市のモデルを想定してみた。
もっとも「想定」というより、私の「勝手な想像」に近い。田尻氏やゲームフリークが
各都市のモデルについて明示した資料はないので、誤解のなきように。

マサラタウン〜トキワシティ
小田急線とJR横浜線がクロスする町田駅。
町田市の南端、神奈川県相模原市との
市境(県境)にあるこの駅の周辺が、
町田でいちばん大きな繁華街といえる。
小田急、丸井、大丸、長崎屋など、
大きな百貨店がいくつも立ち並んでいる。
繁華街には新しい建物が多く
(最近もJRの駅前にルミネがオープンしたばかり)、
また建設中の建物も多い。
道が坂だらけということもあり、町並みは渋谷にたいへん似ている。
風景が刻一刻と変化していく、“生きている街”なのである。

そんな町並みの中、シティゲート(1983年建造、黒川紀章作)の片隅に、
「町田インベーダーハウス」という看板があった。
確証は持てないが、こここそが田尻氏のインタビューによく出てくる、
「駅前のインベーダーハウス」ではないだろうか。
中に入ることはできなかった。工事用のフェンスに囲まれていたのだ。
(平成12年、明るい白壁の、5階建てのパチンコ屋が完成した)
取り壊される前に、写真を撮っておいた。

周囲は工事用の塀に囲まれていた。 写真左下がインベーダーハウス。
右側にはシティゲート越しに、
メディアガレージの看板が見える。

シティゲートのわきにある「メディアバレー」では、
2階でパソコンを、1階で家庭用ゲーム機を扱っていた。
田尻氏の地元だからというわけでもないだろうが、ポケモン関係は充実していた。
ほかにも町田駅の周辺には、ヨドバシカメラ「メディアステーション」もあるし、
J&Pもある。このように、なぜかパソコンやゲーム機を扱う店が多いのも町田の特徴か。

駅から1キロほど歩くと、芹ヶ谷公園という大きな公園がある。
小田急線の車窓から見ると、この辺りはほとんど森。
ピカチュウの出るトキワの森は、この近辺がモデルかもしれない。

町田市の人口は現在、約36万人。
だが市制施行当時の昭和33年には、まだ6万人しかいなかった。
つまりこの40年ほどの間に、30万人も増えた計算になる。
郊外は急速に宅地化が進んだ。今ではすっかり住宅街になったが、
田尻氏の生まれた1965年当時は、今より田んぼや畑が多かったようだ。
急激な人口増加に対応するため、このあたりの学校はどこも大きい。
田尻氏が通っていたという小学校・中学校も然り。千何百人規模といったところか。

山の上には、オーキド博士の研究所をイメージさせる、三菱化学の研究所がある。
裏手に流れる小川は、今でこそコンクリートの高い堤防に覆われているが、
昭和40年代には川辺が草原で、野鳥が多かったという。
まさに『ポケモン』の世界そのものではないか。
当時ほどではないかもしれないが、現在でも大きな道から外れると草木は多く、
コラッタの一匹や二匹出てきてもおかしくはない。

この辺から市街地までは、バスで20〜30分かかる。
しかも道路が渋滞しやすい上、バス路線は市街地を前に大きく曲がりくねっている。
自転車を使えば、多分もっと早く市街地まで行けるだろう。
そういえば、子供たちが自転車に乗っている姿を目にすることが多かった。
『ポケモン』に登場する乗り物は極めて少ないが、その少ない乗り物の一つが
自転車というのも、これで納得がいく。
ただしこの土地は線路のすぐ近くで、しょっちゅう電車が通るし、
ちょくちょく飛行機が飛んでいるのも見かける。前述のとおりバスもある。
そうした乗り物が『ポケモン』に出てこないのは、不思議といえば不思議である。

なお、町田といえば、ファミ通のMIDIはらふじ氏が町田在住らしいし、
タイトーが経営するホットドッグ屋「マンハッタンドッグ」の1号店も町田にあった。
『バーチャファイター』のアテナ杯(2)も町田発祥と聞く。
とかくテレビゲームに縁のある町のようだ。


『ポケットモンスター』について
『ポケットモンスター』(略称『ポケモン』)は、1996年に発売された、
ゲームボーイ用のRPG。ポケモントレーナーとなってポケモンを集め、育てていく。
ほかのポケモントレーナーや各地のジムリーダーたちが持つポケモンと戦い、
ポケモンチャンピオンになることが目的だ。
1996年2月発売時点での初版は、『赤』『緑』合わせて13万本。
今から見れば見劣りする数字だが、当時としては
むしろこれでも多いくらいだったかもしれない。
それだけゲームボーイが、半ば“昔の機種”扱いされていたのだ。
あるいは「モンスターを仲間にする」というコンセプトが、
『女神転生』や『ドラゴンクエスト5』に似ているような印象を、
ゲームファンに与えてしまったのかもしれない。

ファミ通のクロスレビュー(1996年3月8日号)では、なかなか評価が高かった。
いいゲームなのだ。それでも知名度は高くなかったのだから、
いかにこの時期のゲームボーイが、苦境に立たされていたかがうかがえる。
しかしそんな状況にもめげず、『ポケモン』の熱狂的なファンになった人物が、
ファミ通編集部にいた。“忍者増田”こと増田厚氏である。
増田氏は無類の『ウィザードリィ』フリークとして知られており、
“忍者”のペンネームも同ゲームに由来する。
氏は『ポケモン』というゲームに、
『ウィザードリィ』と共通する魅力を感じていたようだ。
同誌の「ソフトウエアインプレッション」でも、
増田氏は『ポケモン』について熱く語っている。
ただしその記事が載ったのは、何と6月28日号。
発売後3か月以上も経ったゲームが、このコーナーで紹介されること自体珍しい。

もっとも、紹介されてしかるべき理由はあった。
『ポケモン』は発売後ここまで一度も、同誌の調査した売り上げランキング「TOP30」で、
30位を下回ったことがないのだ。新作ゲームは毎週20〜30本出ているというのにである。
発売当初はゲームファンの間でも、さほど話題になっていなかった『ポケモン』。
だが、ひそかに子供たちの心を捕らえていたようで、口コミでじわじわと売れていたのだ。
1997年4月にアニメが始まると、ピカチュウを始めとするポケモンたちの
愛くるしさにひきつけられたファンも加わって、『ポケモン』の人気はさらに高まる。
ついには『赤』『緑』と、後に発売された『青』を合わせて、
900万本を超える売り上げを記録するまでに至ったのだ。
このような売れかたをしたゲームは、ほかに『ぷよぷよ』くらいしか見当たらない。
だが『ぷよぷよ』は、落ち目のゲーム機から新しいゲーム機に移植されてヒットした形。
これに対して『ポケモン』は、落ち目のゲーム機を再び表舞台に引っ張り上げたのだ。


ニビシティ・お月見山
田尻氏の出身校は、八王子市椚田(くぬぎだ)町にある、東京工業高等専門学校である。
最寄り駅は京王線の狭間駅だが、町田から行こうとすると
電車を3本乗り継がなければならず、少々不便。
多分田尻氏は、八王子駅から約30分かけて、バスで来ていたのではないか。
1980年、田尻氏はこの学校の電気工学科に入学した。
東京工業高専の前の道路は、椚田遺跡公園通りというが、
現在はこの道路沿いに、団地や工場、スーパーマーケットなどが立ち並んでいる。
正門の真向かいに、ゲームソフトを扱う電器屋さんがあったのは偶然か。
この店舗は平成7年(1995年)にできたので、
田尻氏が通っていたころはもちろんなかったが。
横浜線の終点でもあるこの八王子が、ニビシティのモデルではないかと、私は考えている。

ニビと八王子の共通点は、山があることだ。
ニビのお月見山に相当するのが、八王子の高尾山である。
標高599メートル。山伏の修行の場である一方、
新宿から京王線で一時間弱というアクセスの良さもあって、
現在ではハイキングコースとしても知られている。

山のふもとに、ニビの科学博物館に雰囲気の似た博物館がある。
高尾自然科学博物館だ。
ここには昆虫や鳥、獣、草木など、高尾山で見られる動植物が展示されている。
化石もあった。しかも貝の化石だ(ただし日の出町や板橋区からの出土品だが)。
復元すればオムナイトになるかもしれない。
ほかにも象やメタセコイアの巨大な化石もあった。
ただし、ニビ科学博物館の「月の石」については、
アポロが持ち帰った月の石がヒントになっているものと思われる(3)

さて、お月見山の山道にはいろんなポケモントレーナーがいるが、
高尾山にも小さな子供からお年寄りまで、大勢の人が訪れる。
動植物の採取が禁止されているので、虫捕り少年の姿はさすがに見られない。
だが、なぜかミニスカートの姿は見かける。
しかも山頂で。
この格好で登ってきたのだろうか?
『ポケモン』のミニスカートより数段タフな女性かもしれない。

もう一つ、「お月見山=高尾山」説を裏付ける決定的な証拠。
高尾山にはピカチュウがいるのだ!
先日私が調査した限り、ピカチュウのすみかは、すそ野のケーブルカー清滝駅付近と、
中腹のかすみ台周辺。清滝駅付近にはまばらに二、三匹ほど、
かすみ台には集団で生息しているのを、この目で確認した。
・・・えー、勘のいい人ならもう想像がついているかもしれないが、
トミーの「くるりんピカチュウ」のことである。
なお、私が訪れた2日後、高尾山に遠足に来ていた子供たちが、
草むらをつついてスズメバチに襲われるという事件があった。
草むらが危険だという点まで似てなくてもいいのに。(4)


ポケモンが売れた理由
初代ファミコンの時代には、テレビゲームは小学生のためのものだった。
しかしゲームファンが成長するにつれ、ファンの年齢層が上がっていった。
一方、ゲーム機の機能が上がることで、大人の鑑賞にも堪えられるゲームが多くなった。
特にPCエンジンでは、アニメファンをターゲットにしたゲームが、
雨後の竹の子のごとく噴出し、
ゲーム機そのものが“オタク向け”のレッテルをはられる羽目になった。

いわゆる次世代機(サターン、プレイステーション、ニンテンドウ64など)が
登場すると、この流れは一層加速する。
『ファイナルファンタジー7』の成功もあって、
「映画のようなゲーム」を目指す動きが強まっていった。 しかしこうした流れは、ゲームに関心のなかった人々に対するアピールにはなったが、
肝心の子供たちからは、かい離しつつあったのだ。
そうしたいわば“空き家”になっていた
子供たちの心を捕らえたのが『ポケモン』だった。

学校や公園、だれかの家などに集まって、
それぞれが持っているポケモンを交換したり、対戦したりする。
ゲームボーイを介してデジタルデータの形でこれを行っているから、
はたから見ると一見奇妙な図に映るが、
実は、ダブった仮面ライダーカードを交換し合ったり、
砂場でメンコを打ち合ったりするのと、感覚的には何ら変わりない。
つまり『ポケモン』は、伝統的な遊びの延長なのだ。

対戦のときに使うポケモンの選びかたも、選んだポケモンの育てかたも、
プレーヤー一人一人で違ってくる。
忍者増田氏はポケモン集めが『ウィザードリィ』の
アイテム集めに似ていると指摘していたが、
ポケモンの育成も、『ウィザードリィ』で冒険者たちを育てる行為に共通する魅力がある。
しかもポケモンの使う技をプレーヤーがセレクトできるので、
育てかたの多彩さ、カスタム性は『ウィザードリィ』以上。
ストーリーは『ウィザードリィ』と違って一本道だが、
『ポケモン』はストーリーがメーンのゲームではないから、問題はない。
「RPGモードで育てたキャラを使える対戦ゲーム」の一種ともいえる。

他人とのポケモンの交換や対戦をメーンにしたゲームだから、
ある程度数が出ないと意味がない。だから逆に、ある程度数が出たことで、
売れ行きにさらなる拍車がかかったのではないだろうか。


ハナダシティ
初めは、「花いっぱいの遊園地」をうたい文句にしている、
小田急線の向ヶ丘遊園かな? と思ったが、
どうも国立こどもの国のほうが、近い雰囲気を持っているようだ。
こどもの国は1965年、
皇太子殿下(現在の天皇陛下)の御成婚を記念して作られた国立の遊園地。
町田市と横浜市青葉区にまたがる広大な敷地は、自然の丘陵を生かした、
アップダウンの大きい地形となっている。
さまざまな遊具あり、動物園あり。中央広場に咲く花々もきれい。
牧場ではソフトクリームも味わえる。変わり種の自転車も置いてある。
ここは町田からわずか4駅。バスもある。
田尻氏も幼少のころ、何度か訪れていたことだろう。
戦前には陸軍の弾薬庫があったそうで、その一部は今も倉庫として残っている。
まるで、にぎやかな遊園地の一角にひっそりとたたずむ、洞くつのようでもある。


クチバシティとサント・アンヌ号
JR横浜線は東神奈川から先で、根岸線と合流する。
そのまま大船まで直通する電車もあるのだが、横浜から先の、桜木町、関内、石川町の
辺りには、横浜の観光スポットが集中している。
地上70階のランドマークタワーに、大観覧車でおなじみコスモワールド。
1998年にはベイスターズ優勝に湧いた横浜スタジアム。
数々の中華料理店が立ち並ぶ横浜中華街。
世界一の高さを誇る灯台、マリンタワー。
そして、海を一望できる山下公園。ここは、いつ行っても
カップルが大勢たむろしていることで知られており、
ペパーミントゲームブック『彼のハートにおまじない』(樹かりん著/双葉社)に
登場する
ことでも知られて……ないか、あんまり。

さて、その山下公園に係留されている客船が、ご存じ氷川丸。
内部が博物館になっているというのは、私、こないだ行ってみて初めて知った。
1930年にシアトル航路の貨客船として就航し、戦時中は海軍の病院船、
戦後は引揚者の輸送に使われた後、再開されたシアトル航路に復帰。
1960年に引退したが、翌年、横浜港開港100周年を記念して、
山下公園にいかりを下ろし、現在に至っている。
つまり田尻氏が生まれる前から、氷川丸は今の場所にあるわけで、
田尻氏が幼少のころ、ここを訪れていたとしても不思議はない。

私はこの氷川丸こそが、クチバシティに停泊する
サント・アンヌ号のモデルではないかと推測する。
ずらりと並ぶ客室も、氷川丸で見ることのできる一等船室に似ているし、
通路を回ると最後に船長室に行き着くところも同じである。デッキにも行ける。

ちなみに氷川丸では現在、デッキでの“タイタニックごっこ”がはやっているとか。
『ポケットモンスターピカチュウ』をプレーしている人は、サント・アンヌ号のデッキで、
ピカチュウと“タイタニックごっこ”をやってみるのも、また一興ではないだろうか。


イワヤマ
小田急線は小田原を過ぎると、箱根登山鉄道との併用区間に入る。
小田急線と箱根登山鉄道は、レールの幅が違うので、
この区間は2本ではなく3本のレールが敷かれている。
箱根湯本駅(小田急線の乗り入れはここまで)を過ぎて、
3度のスイッチバックを経て強羅へ。
さらにケーブルカーとロープウエーを乗り継いで、
大涌谷へ向かうのが、箱根旅行の基本的なルート。

大涌谷は、三千年前に噴火した火口の跡で、
今ももくもくと蒸気を立ち上らせている。
高温の蒸気と硫黄のために草木は枯れ、黄色い岩肌が顔を見せている。
町田からアクセスの良い“イワヤマ”は、この大涌谷以外に考えられない。
イワヤマがトキワシティの北東にあるのに対して、
箱根が町田の南西にあるという違いはあるが。
ちなみに大涌谷を過ぎたら、再びロープウエーで芦ノ湖へ行き、
海賊船の形をした遊覧船で元箱根へ。そこからバスで箱根湯本へ戻ってくる。
箱根の鉄道、バス、観光船などに三日間乗り放題のフリーパスがあって便利。


シオンタウン・ポケモンタワー
タワーといえば、やはり横浜・桜木町のランドマークタワーか。
でも、ポケモンの霊を弔うには、ランドマークタワーはあまりにきれい過ぎる。
そこでちょっと無理があるかもしれないが、
根岸線の終点・大船の、大船観音をモデルと考えたい。

大船観音は、国家隆盛と国民の幸福を願って造られた、高さ25メートルの大観音像。
1929年より建造が進められたが、戦争で中断を余儀なくされ、
1960年にようやく完成した。
胎内には原型像と、十一面観音がまつられている。
ただし、大船観音は胸像である。
たどりつくまでに急な坂道と急な階段を上ることになるが、
胎内に入ってしまえばもう階段はない。
したがって、7階建てのポケモンタワーのモデルと断定するには、
無理があるかもしれない。

同じ巨大観音像でも、千葉県富津市にある東京湾観音のほうが、
ポケモンタワーのイメージに近い。
ここは観音像の足元から入って、階段でてっぺんまで上れるのだ。
東京湾観音は1961年、戦没者慰霊と世界平和を願って作られた、
高さ56メートルの観音像。
胎内は20階に分かれ、314段のらせん階段でつながっている。

ここには「ワンダースワンの旅」で上ったことがあるのだが、
とにかくつらかった。
エレベーターなんていう文明の利器はない。
コンバトラーVとほぼ同じ高さ(5)まで、
ひたすら階段だけを使って、上っていくというわけだ。
内部の構造といい、建てられた理由といい、
東京湾観音はポケモンタワーによく似ている。
・・・でも、田尻氏が上ったことは多分ないだろう。

“霊”といえば、あの織田無道氏が住職を務める円光禅寺が、
小田急線沿線(厚木市内)にあるのだが・・・。
さすがに田尻氏も、ここには訪れていないと思う。
私は一度行ったことがある。山奥にあるのではないかと想像していたが、
意外にも住宅街のど真ん中にあった。
えらくでかい門が目を引いたが、中は良い意味で、ごく普通のお寺だった。


タマムシシティ・ゲームコーナー
デパートといえばやはり新宿か。
駅の西口には小田急と京王のデパートが仲良く(?)並んでおり、
東口にはマイシティーと三越、伊勢丹。南口にはルミネと高島屋タイムズスクエア。
もっとも町田駅前も前述のとおり、新宿や渋谷並みにデパートが多い。
田尻氏は中学生のころ、長崎屋の屋上でアレンジボールをやっていたという(6)

『ポケモン』というゲームは一見、
自然の中を駆け回ることのすばらしさを描いているように見える。
野を越え山越えポケモン探し。
虫捕りがヒントになっていることだし、そうとらえても間違いではないだろう。
しかし、タマムシやヤマブキといった都会が存在することや、
ポリゴンのような人工的なポケモンが存在することを合わせて考えると、
必ずしも『ポケモン』は、単純に自然礼賛ゲームであるとも言い切れない。
むしろ1970年代、田尻氏が子供だったころの風景を、
ありのまま呈示しているように、私には思える。
都市部に超高層ビルが次々と建ち、
SF小説やマンガに出てくるような未来都市が、現実に姿を見せた時代。
一方郊外では手つかずの自然が、今よりも多く残っていた。
「じつは小学生に向けてつくったという意識はまったくないんです。
僕と同じくらい、だから三十歳前後の大人に『僕ら、子どもの頃に
こんなことして遊んだじゃないか、おもしろかったよなぁ、あの頃は』
というメッセージを伝えたかった」(7)


セキチクシティ・サファリゾーン
横浜線の沿線に、まさにサファリゾーンそのものという場所がある。
中山駅からバスに乗っていくと、そこは「よこはま動物園ズーラシア」。
「アマゾンの密林」「オセアニアの草原」など八つのゾーンに分かれていて、
それぞれの自然を再現した風景の中に、
動物たちがオリのない、自然に近い状態で飼われている。
しかし残念! この動物園ができたのは1999年。もちろん『ポケモン』の発売後。
当然セキチクシティのモデルではあり得ない。となると話は厄介になる。

「モデルは富士サファリパーク!」と言い切ってしまえばいちばん早い。
しかし町田からはどうにも遠い。
町田から近い地域で、サファリゾーンっぽい所を探してみても、今一つ見当たらない。
前述のこどもの国の動物園(牛や鹿に触れたりできる)や、
小田原城の動物園(面積は小さいが、何と! 何気に象がいたりする)などの
動物園がモデルなのだろうか?
いっそのこと、多摩センターのサンリオピューロランド
モデルということにするのはどうだろう?
動物はいっぱいいるぞ。キティちゃんとか、ポムポムプリンとか・・・。


ヤマブキシティ・シルフカンパニー
シルフカンパニーは、多分ゲームフリークのことだろう。
となるとヤマブキシティは下北沢。うむ、小田急線沿線だし、条件に合っている。
格闘技の興行もよく行われるし。
(タマムシシティにそのものずばりゲームフリークがあるが、
大きなデパートのあるこの町が、下北沢とは考えにくい)

下北沢は演劇の町だ。ゲームフリークのあるすぐそばに、
有名な小劇場「ザ・スズナリ」と、鈴なり横丁があったりする
(ちなみにファミ通の“鈴エリ横丁”さんのペンネームはここから来ている)。
またゲームフリークの向かいには、北沢タウンホールがあるし、
ほかにも駅前劇場に本多劇場と、数々の俳優や芸人を、世に送り出してきた舞台がある。
いわば下北沢は、新しい文化を作り続けてきた町。
常にざん新な作品を作り続けてきたゲームフリークにふさわしい町といえよう。


サイクリングロード
町田市内を流れる恩田川の川岸は、そのものずばり「サイクリングロード」になっている。
私はここを歩いてみた。
途中、鉄塔に張られた高圧線と交差していた。
この付近の畑の中では、高圧線の鉄塔が立ち並ぶ光景がよく見られる。
これが無人発電所のモデルかもしれない。

さらに先まで歩いてみた。
日が暮れた。
何とかバス停にたどり着いたものの、いつまで待ってもバスが来ない。
ふと、時刻表に書かれた文字に気づく。
“夏休み期間中はダイヤ通りに運行されないことがあります”
住宅街のバス停で独り置いてけぼり。
本当にバスが来るのかどうか、不安で不安でしようがなかった。
ので、次のバス停まで歩いてみた。
後ろからバスが追い越しやがった。
次の停留所で何とかバスに乗れたから良かったものの、
危うく路上で夜明かしする羽目になるところだった。
結論・サイクリングロードを、自転車に乗らずにずんずん進んではいけない。


ふたご島・グレン島
ここがいちばん、モデルの特定に苦労した。
伊豆大島、八景島、猿島、江の島、烏帽子岩・・・。

江の島はモデルになっていると思う。小田急線が通っていて、
田尻氏が幼少時代に行ったことのある可能性が高いからだ。
では、ふたご島とグレン島、どちらのモデルか?
私はふたご島のほうだと考える。理由は洞くつがあるから。
江の島観光ルートの終点、“釣りの名所”稚児ヶ淵のさらに奥にあるこの洞くつ。
正しくは「岩屋」というが、これがまさにRPGに出てきそうな洞くつそのもの。
ろうそくを手に持って進まなくてはならない所もあるくらいだ。
またここは竜神信仰の地でもあり、洞くつのどん詰まりにはギャラドスが・・・
(これはウソ。でも、似たようなものにお目にかかれる)。
江の島自体は、ふたご島と違って二つはないが、二つの山から成り立っており、
鵠沼(くげぬま)海岸の
聶耳(ニエ・アール、中華人民共和国の国歌を作った人)記念碑の辺りから見ると、
島が二つあるように見えないこともない。

ではグレン島のモデルは?
「ポケモン研究所ができてから、人がたくさん来るようになった」(8)
という状況から考えると、
「シーパラダイスができてから……」の八景島か、
「フジテレビができてから……」のお台場のような気がする。
ただ、シーパラダイスもフジテレビの新社屋も、
『ポケモン』の開発期間中にはまだなかったはず。
山がないという点でも条件に合わない。
お台場はイメージぴったりなのだが。
東京ビッグサイトなんて、内部構造がポケモン屋敷並みに複雑だし。

八景島お台場


セキエイ高原
さて、セキエイ高原といえば、“最強のトレーナーたちが集まるポケモンリーグがある”、
いわばポケモントレーナーにとっての聖地である。
そんなセキエイ高原のモデルとなり得る場所を、町田の周辺から探してみた。

トキワシティであるところの町田駅前から、北北西の方角に、その“聖地”は見つかった。
多摩センターだ。
多摩センター駅から南東に延びるパルテノン大通りは、
幅10メートルを優に超える、歩行者専用道路。
約300メートルにわたって、なだらかな上り坂がまっすぐ続く。
延びる方角こそ違うが、セキエイ高原に続く23番道路は、こんな感じではないだろうか?
その先のパルテノン多摩がチャンピオンロードである。
1階から入って2階に抜けるという構造がそっくりだ
(パルテノン多摩は2階から入って5階に抜けるが)。

となるとポケモンリーグは多摩中央公園・・・
いやいや、この公園は市民の憩いの場。戦いの場としてはふさわしくない。
ポケモンリーグにはまた別のモデルがあるのだ。
推察するに、ポケモンリーグのモデルは、
格闘技でもおなじみの横浜アリーナではなかろうか。
ゲームの中というより、
アニメやニンテンドウ64用ゲーム『ポケモンスタジアム』での印象なのだが。
ただしアニメでも『ポケモンスタジアム』でも、
ポケモンたちは屋根のないオープンフィールドで戦っている。
したがって、アリーナ内こそ横浜アリーナだが、
スタンド席から外の部分は、横浜スタジアムを意識しているのではないかと思われる。
問題は、パルテノン多摩も含め、
三つとも田尻氏の生まれたころにはなかったということだ(9)

(補足)
上の文章を書いた後、向ヶ丘遊園入口の階段を見て、
「もしかしたらここが23番道路のモデルかもしれない」と思った。
途中いくつか踊り場もあるし、田尻氏が子供のころからあるはずだし。


マサラタウン

上の写真は、『遠野物語』の舞台、遠野市郊外の風景だ。
『遠野物語』は当地に伝わる民話や伝承をまとめたもので、はっきりいって暗い話が多い。
だが現在の遠野は、この物語の舞台であることが観光の目玉。
駅には大きく「Folkloro TONO」と書かれている
(「Folkloro」は「民俗学」を意味するエスペラント語)。(10)

『遠野物語』にも登場するカッパが町のマスコット。
土産物屋には、カッパの笑顔がデザインされた
キーホルダーやボールペン、耳かきなどが並んでいる。
さすがにカッパ笛(11)はなかったが、あっても全然不思議ではない。

重たい話の多い『遠野物語』だが、その中でカッパはユーモラスな役回りを演じている。
水浴びに来ていた馬を淵の中に引きずり込もうとして、反対に馬に引きずられ、
厩で人間に見つかって、こっぴどくしかられてしまうのだ。
イタズラ好きだが、間が抜けている。カッパはどこか憎めないキャラクターだ。
アニメ版『ポケモン』のニャースが、これに近い性格ではないかと思う。
今の遠野を歩いていると、どこからか気のいいカッパやザシキワラシが
ひょっこりと現れて、一緒に遊ぼうと誘ってくれそうな気がする。

そういえば『遠野物語』にも、子供たちと一緒に遊ぶのが好きな神様の話が随分あった。
ここは「人間と人間でない生物が、仲良く手を取り合う世界」。
つまり『オバケのQ太郎』や『快獣ブースカ』、『となりのトトロ』のような世界である。
『ポケモン』もまたそんなタイプの世界だ。遠野の町外れに
ゴルダックやキュウコンが出てくることを想像するだけで、楽しいではないか。

『トトロ』といえば、この映画の舞台、七国山のモデルといわれているのが、
東村山市の八国山。「山」といっても標高は百メートルほどだ。
この地方では高さがなくても、深い森があれば「山」という言葉を使うらしい。
小ぢんまりとした緑地で、最寄りの西武園駅からも案内板のようなものはなく、
しかもすぐ近くに西武園遊園地があるため目立たない。
だがそのためにかえって、ポケモンが潜んでいそうな、ひっそりとした気配が残っている。
人っ子一人いないというほどではないが、とにかく静かだ。
高尾山にしても、この八国山にしても、東京都内、しかも駅のすぐそば。
都会の子供たちにとっても、
ポケモンたちの潜んでいそうな森の風景は、決して縁遠いものではない。

もう一か所、“人間でない生物”ゆかりの地の名前を挙げておこう。
英国ヨークシャー州コティングリー村。1917年に妖精の写真が撮られた場所だ。
あのコナン・ドイルがこの写真を本物と主張したことで話題になった。
さすがにここには行かなかったが、テレビで見たところでは、
清らかな小川のほとりに広がる美しい森であった。
『妖精の出現』という本の中で井村君江氏も書いていたが、
妖精が出てきても何ら不思議はない場所だ。
そして、妖精の代わりにポケモンが出てきても何ら不思議はない。

これまで散々、ポケモンの町のモデルを検証してきたが、
田尻氏にまるで関係のない、遠野や八国山、あるいはコティングリーを舞台と考えても、
まったく違和感がないことに気づく。
プレイステーションやドリームキャストと比べれば、
ゲームボーイのグラフィック機能は貧弱である。
だから『ポケモン』に出てくる町やフィールドのグラフィックは、
かなり省略されたものになる。
でもそのおかげで、それぞれの道路が、アスファルトの舗装道路にも見えるし、
土の道にも見えるし、また雪道と思って見ればそうも見える。
だからどんな土地に住むプレーヤーでも、マサラタウンやトキワシティを見て、
自分の故郷や、よく知っている町に置き換えて、感情移入することができるのだ。
普通のRPGによくある“雪国”がないことや、徒歩と自転車以外に移動手段がないことも、
プレーヤーに特定の地域を連想させない役目を果たしている。
「カントー」は「関東」にあらず。
プレーヤーそれぞれにとっての身近な土地が、
そのプレーヤーにとっての「カントー地方」なのである。

ゲームボーイの貧弱な機能が、ここではプラスに作用している。
ゲーム機の世界にも、“老人力”はあったのだ。

鬼や天狗のような「超自然的存在」は、子供たちが悪いことをすると現れた。
少なくとも子供たちは、親や大人たちにそう教えられてきた。
しかし宅地開発が進み、
人々を遠ざけてきた深い森や大きな沼、真っ暗な夜が減ってきたことで、
妖精やカッパや鬼や幽霊やザシキワラシのすみかも消えていった。
禁忌のなくなった世の中で子供たちは、
悪いことをしても怖いものは出てこないと思い込むようになった。
逆に、超自然的存在がいなくなったことで、心の拠り所を失った人も多い。
それこそ“神も仏もない”わけだ。
そんな当世においては、電脳空間が唯一のミステリーゾーンなのかもしれない。

電脳空間に出現し、デジタルデータになって移動するポケモンたちが、
やがて妖精や妖怪のような役割を、果たすことになるのかもしれない。
現代の子供たちには、「夜遊びするとゲンガーに襲われますよ」とか、
「悪いことをするとアーボに食べられますよ」とか言って戒めるのが、
効果的ではないだろうか。
……逆効果か。


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注釈

(1)『ポケモンの魔力』(大月隆寛+ポケモン事件緊急取材班編著、毎日新聞社)内の
「『ポケモン』誕生物語」(佐藤哲朖)から引用。なお、この部分は
『ゲーム批評』vol.12からの引用である。

(2)アテナ杯――町田のゲームセンター・アテナ(下北沢、高円寺にも店舗あり)で
開催された『バーチャファイター』のゲーム大会。
3人ひと組のチーム単位で争われるのが特徴。回を重ねるごとに規模が拡大し、
『バーチャファイター2』のころには全国レベルの大会になっていた。

(3)アポロが持ち帰った月の石――アポロ宇宙船が地球に持ち帰った月の石が、
大阪の万国博覧会(1970年)で公開され、話題になった。
また1978年、東京・船の科学館で開催された「宇宙博」でも、
アポロ16号の持ち帰った月の石が展示されており、
田尻氏が見に行っていた可能性は十分ある。

(4)八王子といえば、市のほぼ中央に位置する富士森公園は、
1986年に開催された「第1回ミニ独立国オリンピック」の会場である。
日本各地の自治体などが作ったミニ独立国50か国から代表選手が集まり、
「水中重量挙げ」「粘着相撲」「四面バレーボール」
「ミス・ミニ独立国競艶ゴム縄とび」など、ユニークな競技を繰り広げた。
お祭りとパロディーが好きな土地柄なのかもしれない。
この模様は日本テレビ『木曜スペシャル』で全国中継されている。
かくいう私も「明るくやろうよ共和国」の代表として出場したが、成績はさっぱり。
もちろんテレビにもほとんど映らなかった。
ちなみにこのころ田尻氏は、既に『ファミコン通信』(現『ファミ通』)などの
ライターとして活躍していた。

(5)『コンバトラーV』は1976〜1977年、
NET(後のテレビ朝日)系で放送されたロボットアニメ。
5人の少年少女が操縦するバトルマシンが、合体してコンバトラーVとなり、
地球征服を狙うキャンベル星人と戦う。
エンディングテーマ曲でも歌われていたが、身長57メートル、体重550トンである。

(6)『帰ってきた名作ゲーム』(ゲーム遊編集部、リイド社)、
『デジタル業界当たり屋伝』(吉田直子、アスペクト)より。

(7)『ポケモンの魔力』(大月隆寛+ポケモン事件緊急取材班編著、毎日新聞社)内の
「『ポケモン』誕生物語」(佐藤哲朖)より。

(8)『ポケットモンスター図鑑』(アスペクト)より。

(9)横浜スタジアムは1978年にオープン。
パルテノン多摩は1987年、横浜アリーナは1989年。

(10)Folkloro TONO――遠野に限らずJR釜石線の各駅には、
エスペラント語の愛称がついている。
例えば遠野駅の隣、青笹駅の愛称は、そのものずばり「Kapao」(カッパ)である。
ちなみに「Folkloro TONO」は、遠野駅に作られたホテルの名前にもなっている。

(11)カッパ笛――マンガ『まいったカッパは目でわかる』(桐島いつみ著・集英社)に
登場するアイテム。ピンチに陥った時にこの笛を吹くと、カッパを呼ぶことができる。
しかしこのマンガに出てくるカッパは、泳ぐ以外の特殊能力を持たないため、
ほとんどの場合役には立たない。