第6章
暫くは、二人とも黙ったままであったが突然、義輝がその沈黙を破った。
困った顔をしている健光をみつめると、優しく微笑んだ。
「私は…私には今心に決めた人がいる。」
余りにも意外な答えであったので、健光は答えを見つけることが出来ず黙ったまま
義輝を見つめ返した。義輝はゆっくりとひとつ瞬きをすると話を続けた。
「だから、これだけは、いくらお前の頼みであってもその女と結婚するつもりはない。」
その答えに健光は満足したかのようにくすりと笑い、それから無邪気に尋ねた。
「なんだ、そういう事だったのですか。で、誰なのですか。
その義輝様が愛されているという方は。」
健光は少し考えるような顔をして、続けて
「しかし…妻を二人や三人、娶られてもよろしいではないですか。それは当たり前の事です。
何故その方にこだわるのですか?」
不思議そうに尋ねる健光に、義輝は悲しそうな瞳を向けると半ば投げやりに、しかし
覚悟を決めたように言葉を吐き捨てた。
「それが…お前だからだ。健光。他でもないお前だからだ!あの初陣の日、
いや、もっと前から、私はお前しか見ていない。いとおしくて、苦しくて、お前を困らせることと
知りながら、幾度お前をこの胸に抱こうと思ったことか。お前を私一人のものにしてしまおうと
何度思ったことか!」
健光は目を見開き、その言葉の意味を理解しようとした。
しかし、すぐにはその言葉の意味を理解することが出来ずただ、呆然と義輝を見つめている。
暫くして、やっと義輝の言葉を理解したとき健光の中で何かが音もなく、足元から崩れていく
のがわかった。
何と言うことだろう。義輝が縁談を断るのも、今まで苦しんでいたのも全てが自分の責任で
あったのだ。そして、義輝の自分に対する優しさも、それは主人が家臣に対するものとは
違ったのだ。
「…義輝様…ご冗談を…」
力なく健光がつぶやくと、今まで抑えていた義輝の激情が一気に溢れ出した。
「愛している。…健光。この世の中で誰よりも…お前さえいれば、私は…何も要らない。」
そういうと、混乱して黙って座っている健光に近づき、蝋燭の明かりだけの薄明るい部屋で
義輝は健光に口付けた。義輝の長い指が健光の着物の裾を掬い上げる。
健光のしなやかな足が顕になる。滑るように義輝の指は健光の着物を一つずつ奪い取ってゆく。
その指は、優しく健光の首筋から胸元へ。
「義輝様…いけません。」
眉をひそめて、健光があがらう。
「何も案ずることは無い。」
逃げそうになる健光の体を引き寄せると、義輝はその首筋に唇を寄せる。
「…はぁっ…」
健光の唇から熱い吐息がこぼれた。
そして、音も無く夜のヴェールは全てを覆い尽くしていった。
つづく
20000730UP