風紋


 明日の予定を確認したあと、ヴェントスは自分に割り当てられた部屋へ向かった。
 今日はさまざまなことがあったから早めに寝床に入ろうと思ったのだ。
 寝酒でも分けてもらおうかと、部屋へ向かう前に方向転換して、食堂兼酒場となっている場所へ脚を向ける。
 人の姿はまばらで、粗末な港町の酒場のテーブルにひとり、場違いに浮き上がった白銀の鎧の騎士が座って飲んでいた。
「よう。あんたみたいな人でもこんな場所の安酒を飲むんだな」
 ヴェントスはラスフォンドのテーブルに声をかけると、カウンターで麦酒を貰い、戻ってそのテーブルについた。ラスフォンドはちらりと彼を一瞥した後、は、とため息をついた。
「君はソルシィに気に入られているようだな」
「おおかたあの女は、頭のネジが外れてるんだろうよ」
 肩を竦めてヴェントスはぬるい酒場の麦酒を口に含んだ。
「君は何とも思わないのか……。彼女に想われているんだぞ」
「別に。俺はもっと普通の女の方が好きだ」
 それは本音だった。ソルシィという女は面白いとは思うが、とてもそんな対象で考えられない。ヴェントスの女性というものの理解の範疇を越えた所にソルシィはいる。
 ラスフォンドは理解できないという顔で彼を見た。
「普通の女なんて、どこにでもいる」
 彼の言葉に、ヴェントスはジョッキを傾ける手を止めて、彼を見た。
「みんな、同じだ」
「そうかい」
「そうだ。私がエルヴァーンで、ナイトのAFを着て、たくさんの経験を積んでいる……だから寄ってくるだけなのさ。実際ジュノへ行って、呆れる程の戦闘をこなして、多くのことを身に付けたら……それまで見向きもしなかった連中が、猫撫で声で寄って来たよ」
「そりゃあ、頑張った甲斐があってよかったな」
 後味にほんのりと蜂蜜のようなこくのある麦酒は、安宿の酒にしてはかなり旨いとヴェントスは満足していた。そして色男のエルヴァーンの話は、自分のいた世界とは全く違う世界だと思えて、面白かった。
「別に……そんなことを望んでたわけじゃない」
「だがあんたは女に優しいんだろう。女どもがうざったいなら優しくしなきゃいい」
「女性は大事にするものだ。そんなことは当たり前のことだろう?」
「つまり誤解する女の方が馬鹿だって言いたいわけだな」
「ソルシィは違う。彼女は、……彼女は本質で相手を選ぶ人だ。私は彼女に認められたい」
「あの女ならあんたの気持ちを理解してくれるって思うわけだ」
「そうだ」
 ラスフォンドは頷くと手に持っていたグラスを空けた。
「あのチアキって子も可哀想にな。そんなあんたにああも惚れてるんじゃ、さぞかし辛いだろうよ」
「私は迷惑している」
「ならそう伝えてやれよ」
 ジョッキを空けたヴェントスは頬杖をついていたが、そのままの顔を向けてラスフォンドを睨み付けた。
「言ったのかよ。一言でも。そっちは惚れてるかもしれないがこっちはいい迷惑だ。二度と目の前に現われるんじゃねえって」
「……彼女を傷つけたく無い。できるだけ傷つけずに伝える方法を考えているんだ」
 何を言っているんだと言わんばかりの顔で、ラスフォンドはヴェントスを見つめる。
「自分が悪者になりたくないだけだろ」
 ヴェントスは立ち上がると、ジョッキをかかえてカウンターに戻した。
「ソルシィの言う通りだぜ。あんたはまったく、やな野郎だ」
「………………」
 ラスフォンドはその言葉に形の良い唇をつぐんだあと、ぽつりと呟いた。
「ああ。そうだ。彼女の言う通りさ」





 俺には理解できん。
 ヴェントスは若く優秀なエルヴァーンの冒険者の苦悩はさっぱりわからなかった。
 彼が自分の現状をよくないと思っていて、それなのにどうすることもできず苦しんでいるのはわかったのだが。
 自分も、あれくらいのレベルになったらああいう悩みが出てくるものなのだろうか。その程度しか想像できなかった。
 寝酒にしようと思ったのにすっかり抜けてしまった。
 夜の港でも見物するかとふらりと外へ出る。門の外へ出なければ、港の中にまで危険なモンスターたちは入ってこない。
 チアキが、膝を抱えて真っ暗な海を見つめていた。
「物騒だな。落ちて溺れたらこの暗さだ、助からないぞ」
 後ろから声をかけると、チアキは振り向いてヴェントスを見た。
「……みっともない所見せてしまって、ごめんなさい」
 随分消沈しているらしい。夕刻に見た激昂とは裏腹に、チアキの声に力はなかった。
「いいんじゃないのか? あんたがあいつを好きなことだけはよくわかったよ」
「自分でも馬鹿だって思う」
「ふうん」
 ヴェントスはチアキの隣に腰掛けた。
「ねえ、あなたはまだジュノへ行ったことがないんでしょ。サポートジョブ、取ったばかりだもんね」
「ああ」
 そう。だからジュノがどうとか言われても、ヴェントスにはさっぱりピンとこないのだが。
「ジュノはね、凄いところよ。本当にたくさんの冒険者達が集まってくるの。私なんか、田舎娘まるだしでね。見たことも無い装備を着た綺麗で強そうな人達が、綺麗な街の大通りを忙しそうに走り回っているのを、しばらくぼんやり眺めちゃった。目の前を、エルヴァーンの、とても背の高い素敵な女の人が、こう、真っ白なローブを着て、優雅に歩いて行くのよ」
「真っ白なローブ……ソルシィが着てたみたいなあれか」
 ソルシィの名前が出た時、チアキの顔は少し歪んだ。
「ええ、そう。あれよ。エラントウプラントって言うのよ。なんて綺麗なローブだろうって、憧れたわ。私も絶対にあれを着るんだ。そして、ジュノの大通りをあんな風にして歩くんだって思った。そしたら、突然パーティに誘われたの。ラスフォンドに会ったのはそのときよ。そのときはナイトじゃなかったけど……彼、すごく親切で、とても面倒見が良くて。そのあとナイトの彼にまた会って、それで……なんて素敵な人なんだろうて思って、それで」
「惚れた、と」
「…………………」
 膝に顔を埋めるようにして、チアキは俯いていた。
「同じように思う女の子は他にもたくさんいたみたい。私、他の子に負けたくなかった。頑張って、あの人に追い付こうと思ったの。そうしたらいつだって…ナイトのあの人と、一緒にパーティを組むことだって、できるし。そう言ったら、ラスフォンドは楽しみにしてるって、言ってくれたの。今度はメインで、君のサポートを受けられたらいいだろうな、って」
 そうしたら…………
 チアキはもう俯いたまま、くぐもった声で言った。
「私は君を護ってあげよう、って」
 暫く、彼女は沈黙していた。
 やがて、ぽつりと言った。
「勝ち目、ないね」
「何が?」
「私。あんな人のことを、ラスフォンドが想っていたなんて知らなかった。ううん、好きな人がいるのはなんとなく知っていたけど、あんな……あんな綺麗な人だと思ってなくて、それに、魔導師として凄い腕を持ってるのも、わかったわ。せっかく頑張ってきたのに……私、ラスフォンドの背中だけ追い掛けて来たのに……こんなところで……。ラスフォンドに相応しい人間に、なりたかったのに……」
「そういうもんかね」
 行儀悪く脚を延ばしてヴェントスは言った。
『あの二人は、お似合いよ』
 辛らつな口調でそう言ったソルシィをヴェントスは思い出した。
 確かにな。ヴェントスは内心で頷く。
「俺にはよくわかんらんけど」
 チアキが顔を上げる。
「誰かを好きになるってのは、そういうことなのかねえ」
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