風紋



 セルビナで、ヴェントスは用事をすませた。
 ややあっさりと、その用事は済んでしまった。
 彼の目指したエルヴァーンの老人は、何度も頷いたあと、満足そうな笑みを返した。
「お前さんの今後の冒険に、幸多からんことを」
 そう呟くと、彼はふとヴェントスの背後を見た。
 ヴェントスが振り向くと、だいぶ離れた場所であったが、ソルシィがこちらを見ていた。だが、老人が見ていたのはソルシィではなかった。ディートだ。
 ディートは僅かに会釈を返す。
 老人は、満足げに頷き返した。




「私もあの老人の世話になった。ヴァナ・ディールにいる冒険者の半数はそうだろう」
 ディートは荷物を整理しながらそんなふうにつぶやいた。
「じゃあ、あんたもあの爺さんからサポートジョブを授かったのかい」
「ああ。私はバストゥーク国民だからな」
「へえ……、でもそうか。ガルカだもんな」
 ディートは炎のクリスタルと食材を並べはじめる。ここは宿屋の調理場の片隅だ。ディートにくっついてやってきたヴェントスは、ただ彼からいろいろ話を聞きたいと思って彼の側にいるだけだが。
「調理合成かい?」
「そうだ。お嬢様は食後にデザートを召し上がる。が、スィーツだけはクリスタルで作ったものしか口になさらないのでな」
 瑞々しいロランベリーを、袋から取り出してみせて、ディートは微笑んだ。
「あんた、あの女のなんなわけ?」
 単刀直入に尋ねたヴェントスに、ディートもシンプルに返した。
「私は、執事さ。ソルシィ・エ・ラさま専属のね」
「………ふうん」
 正直、ヴェントスには良くわからなかった。彼に構わず合成をはじめながら、まるで片手間でディートは言った。
「何故冒険者に?」
「俺、ガルカに育てられたんだよ」
 彼の言葉に、ディートはおやと白い眉を上げた。
 さほど時間もかからずに、テーブルの上には見事なロランベリーパイが出来上がっていた。
「それは珍しい話だな」
「ああ。親父は鉱山夫で、……家はスラムにあった。貧乏でどうしようもなかったけど、親父は俺を可愛がってくれたよ。今でも、本当の親父だと思ってる」
「お父君は?」
「病気で死んだ」
「そうか………」
 スラムにはヒュームはいない。そこでヒュームの子供を育てることがどういうことか……ディートはそれを想像し、首を横に振った。
「君の父上は偉大な人だ」
「俺もそう思う」
 満足そうに、ヴェントスは頷いて、笑った。





 調理場から戻って、食事まで時間を潰そうと思ったヴェントスは、宿の部屋のソファーに座って熱心に冊子を読んでいるソルシィに気づいた。
 青い鉱石の眸に眼鏡をかけて、一心にその冊子を読みふけっている。
 と。
 突然彼女は静止した。
「?」
 ヴェントスが不思議に思って観察していると、
 彼女はおもむろに眼鏡を置き、そして。
 ぽろぽろと……涙を零した。
 まるで鉱山から滴り落ちる清水のような涙を。
「……お、おい。どうかしたのかよ……」
 面喰らって、ヴェントスがそう話し掛けたとき、背後にディートが現れた。彼はいつもと変わらぬ様子でこう尋ねる。
「お嬢様、どうかなさいましたか。何か悪い知らせでも?」
「カルバトウさんがご結婚なさったのよ」
 そう答えて、ソルシィはさめざめと泣いた。
 唖然として見つめるヴェントスに、ディートの苦笑が届いた。
「何?」
「お嬢様が定期購読なさっている、冒険記を書いておられる御仁だ」
「はあ?」
「どうやら、細君を迎えられたようだな」
「ああ、また私の想う殿方が遠くに行ってしまわれたわ」
 冊子を置いてそう、ため息をつくソルシィに、ディートが言った。
「別に近くにおられたわけでもないでしょう」
「親しかったのか?」
 ヴェントスの問いにディートは首を横に振る。
「お嬢様は愛読者だった。それだけだ」
「……………」
 要するに、ファン心理、というやつだろうか。
 ヴェントスは自分の想像力を駆使してそう解釈した。
「そりゃあ、ま……御愁傷さまだったな」
 彼がそうつぶやくと、突然ソルシィは立ち上がった。
「散歩に行くわ。つきあいなさいヴェントス。ディート、食事までには戻るから」
「はいお嬢様。お気をつけて」
 恭しくディートはお辞儀をする。ヴェントスはソルシィに腕を捕まれ、宿から引っ張り出された。





 もうすぐ日没だ。
 夕暮れの海岸は美しいが、プギルや蟹がうろうろしているし、それに夜になるとボギーが……
 そう思っていると、傍らのソルシィが言った。
「………。私が好きな人は私を愛してくれない」
 ぽつりと、そう呟く。
 夕日を浴びる彼女は確かに際立った美貌の持ち主と言えた。
 ヴェントスは感心してそれを見つめた。
 だが……
「あんた、美人だと思うぜ」
 ヴェントスがそう言うと、彼女は振り向いた。
「けどさ、」
「何?」
 白い長髪がなたびく。
「それだけなんだよな」
 おかしな話だと、ヴェントスはこの類い稀な美貌を持つ女の傍らに立ちながら思う。
 確かに彼女は美しい。ヴェントスが知るどの女よりも整った容貌を持っている。
 なのだが。
「どういう意味?」
「うーん……俺は学がないから、品のいい言い回しができないんだ。それでもいいなら言うけど」
「構わないわ」
「あんた、色気ないよな」
「………………」
 罵倒されるかと思ったのだが。
 ソルシィは何故かそのとき、薄い微笑みを白い面に張り付かせた。
「でしょうね」
 そう、答えた。

 ヴェントスがかける言葉を探していると、二人の側へ、一匹のチョコボが砂を蹴り立ててやってきた。
「ソルシィ!」
 良く通る声がヴェントスの頭の上から落ちてくる。
 ひらりと、その男はチョコボから降りた。
 驚くような長身と、長い首と、手足。白銀の髪を揺らし、彼はすらりとソルシィの傍らに立った、と思うとおもむろに彼女の前に跪いた。
 白い装備が夕日を反射して赤く染まっている。長い腕を差し伸べて彼はソルシィの人形のような手を取って、その甲に唇を寄せた。
 ヴェントスが唖然としていると、視界にも入っていないのだろう、男はまたすらりと立ち上がる。
「何かご用? ラスフォンド」
 ひどくそっけなく。ソルシィはそのエルヴァーンに言った。
「何かご用、はないよ。ソルシィ。今日は私のために空けておいてくれと頼んでおいた」
「忘れたわ」
 彼女はそう短く答えると、彼の長い指が取っていたおのれの手を奪い返す。
「港町なんかに何の用が? ジュノに戻ろう」
「私が戻る場所はジュノではないの。あの街は私にとっては通過点でしかないのよ」
 ラスフォンドと呼ばれたエルヴァーンはため息をつくと、お手上げだ、というふうに腕を広げた。
「わかった。お姫さま。私も同行させてもらっていいだろうか?」
「あなたの行きたいところへ行けばいい。私は私の行きたい場所へ行くだけよ」
「君の行くところが私の行くところだよ」
 彼女はまったくラスフォンドを無視して、ヴェントスへ腕を延ばした。
「帰るわ。ヴェントス」
 来たときのように手を取って歩きなさいと、彼女はヴェントスに求めているようだ。ヴェントスは見るからに立派な白銀の鎧を身に付けたこのエルヴァーンを、ちらりと見た。
 彼は無表情にヴェントスを見下ろしている。
 ため息をそっと逃がすと、ヴェントスはソルシィの手を取って歩き始めた。
 ややあって、かん高い女の声がそこへ届いた。
「ラスフォンド! 待ってって言ったのにどうして聞いてくれないのよ……!」
「チアキ」
 気位の高そうなエルヴァーンの眉の辺りに、僅かな不快感が流れたのを、ヴェントスは見た。
 ほどなくチョコボにまたがった、ヒュームの娘が辿り着く。青いローブの裾をはためかせている。
 冒険者の女か。
 ヴェントスはそれだけ確認すると、いっさい関知していないらしいソルシィの手を引いてセルビナへ向かった。





「おや、ラスフォンド。久しぶりだな」
 宿に現れたヴェントスとソルシィ、そして、眉を寄せながら彼等の後ろから入って来たエルヴァーンを見て、ディートはそう声をかけた。ラスフォンドの後ろからチアキと呼ばれたヒュームの娘も入ってくる。
「ディート。ごぶさたしています」
 ラスフォンドはディートに対しては驚く程低姿勢で挨拶を返した。
 まあ俺は駆け出しだしな。ヴェントスはそう思い肩を竦める。
「なんだ、その娘は新しい恋人か」
 ディートの台詞にラスフォンドは首を横に振る。
「友人です。相変わらず冗談がお好きなんですね。彼女に失礼ですよ、ディート」
 彼の返事をチアキは気に食わなかった様子だ。みるみるうちに眉が吊り上がり、可愛らしい頬が僅かに膨らんだ。
「私はもうずっとソルシィに誓いを」
「そんなものは時間の無駄だよ、ラスフォンド。そんなヒマがあるのなら普通の娘さんを口説いた方がいい。君のためだ。相変わらずもてはやされているんだろう。ジュノ辺りでは」
「……よしてください」
 エルヴァーンは眉を上げて、ディートを睨んだ。
「女性に優しく接するのは紳士の礼儀です。それ以上の事は何もありはしないのですから」
「ラスフォンドは優しすぎるのよ。レディファーストなんて言ったって、優しさの大安売りよね」
 彼の長身の背後で、チアキがそうつぶやく。ラスフォンドが振り向くと彼女はぷいと明後日の方向を向き、ずかずかと部屋に入り、ソファーに座った。
 向いのソファーでは、ソルシィが優雅に腰掛けて、読み物を再開している。
 その彼女を、値踏みするようにチアキはじろじろと見つめた。ソルシィはちらりと彼女を一瞥する。
 青い鉱石の眸で見つめられ、チアキの表情が一瞬、固まった。
 ソルシィの方はすぐに関心をなくした様子で、もう熱心に読書を続けている。
「エラント………、ね。その装備。ふうん。レベル72は余裕で越えてるってわけ」
 チアキの声が僅かに震えている。
「チアキ!」
 ラスフォンドが彼女に言う。チアキは顔をあげる。
「なによ。この人あなたのなんなの?」
「私の大切な人だ」
 がたん。
 ソファーを蹴る勢いでチアキは立ち上がった。
「そんな話、私は初耳よ」
「……………」
 ため息を吐き出すと、ラスフォンドは言った。
「チアキ。少し外で話をしよう」
「何よ、ここですればいいでしょう。他の人に聞かれたくないってわけ? あなたはいつもそうよ! 建前ばっかり………」
 ラスフォンドは初めてその整った面に怒りを滲ませた。
「君は少し感情的になり過ぎている。私の話が聞きたくないというのなら仕方がないな」
 驚く程冷淡な口調だ。途端にチアキは眉を下げた。
「……わかったわよ………。だから、怒らないで……」
 それが答えだったのか、ラスフォンドが扉を開けて外へ出ると。ややあってチアキも彼の後に続いた。

 二人が姿を消して、静かになった部屋で、ふと、ソルシィが顔をあげる。
 ヴェントスを見てくすりと笑ってみせた。
「あの二人はお似合いよ」
 言葉は普通だが、口調は辛らつな言い草だった。ヴェントスは腕を広げて肩を竦める。
「俺はあんたより」
 そのまま腕を組むと、彼は壁にもたれて窓の外を見た。
 港で、二人は話をしている。チアキは長身のラスフォンドを、細い首を一生懸命延ばして見上げていた。
「あの娘の方が、可愛いと思うけどな」
 ヴェントスの言葉にソルシィは目を丸くした。硬質な容貌が一瞬ひどく幼くなる。
 そして、次にころころと笑い始めた。
「……あなたのそういうところが、私の心に止まったのよ。ねえディート? ヴェントスはなんて私好みの男かしら」
「さようで」
 苦笑を滲ませてディートは頷く。
「わけがわからんね」
 ヴェントスはそう答えるしかない。
「かけ出しのぼろぼろの俺の方が、あの御立派なエルヴァーンの騎士よりいいなんてな。あのピカピカの白い鎧……」
「白騎士パラディンのアーティファクトだな」
 ディートが答えた。だが、ソルシィは一向に興味がないようだ。
「アーティファクトなんて、普通に経験を積んで、協力者となる人脈を構築していければ誰にだって袖を通せるものよ」
「俺には人脈も経験もないよ。あいつにはそれがあるんだろ。凄いことだと思うがね」
 読み物を閉じると、ソルシィは笑った。
「あなただって、あと1年余りもすれば着れるでしょうよ。もっと早いかもしれないわね。どう思う? ディート」
 ガルカは視線をヴェントスに転じた。
「強くなりたいか?」
「そりゃあ………」
「他人を利用しても、押し退けても?」
「そんなことしなくたって、強くなることはできるだろ」
「ふむ」
 彼は口元に手をやると、答えた。
「ま、長くかかるかもしれませんが。本人が望まなくても周りが手をかしてくれるかもしれません」
「それこそが大切なことでしょう。ラスフォンドみたいに、私欲のためならいくらでも笑顔と親切を振りまける人間もいる。彼はそうやって経験とアーティファクトを手に入れたのよ。……私を好きになる男って、そんな人間ばかり。彼等は私を愛しているわけじゃないの。彼等にとって一番大事なのは自分だけなのよ」
 ソルシィの口調は苛立たしさに染まっていた。
「私の容姿は珍しいでしょう? 私のような者もね」
「ああ。そりゃ確かにその通りだ」
 ヴェントスは頷いた。ソルシィのような女は確かに見ない。
「私もアーティファクトと同じよ。彼等にとっては」
 吐き捨てるように、彼女はつぶやいた。

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