風紋








 星見の塔−−−−−
 ウィンダスの象徴であり指導者、星の神子が鎮座する場所。

 塔の最上階。
 満点の星空を模した天井の下に、その居室へと向かう道がある。白い衣を纏った守護戦士たちが護るゲートを、彼女は。
 こともなげに。
 優雅とも言える足取りで歩く。
 誰一人として彼女に振り向く者はない。
 謁見室を越え、星の神子の私室にそれが及んでも、誰何する者は誰も。
 高位の魔導師の印、白地に禍々しい模様を張り付けたローブの裾を揺らし、彼女はその部屋へと向かう。白い髪が揺れて、音もたてずに扉を開いた。

 星の神子は、タルタルの女性だ。豊かな長い黒髪をまとめた、肌の浅黒い、エキゾチックな容貌をしている。神子はくつろいだ姿で振り向いた。休息を取るところだったのか、目覚めたところだったのか。普段まとめてある黒髪は下ろされ、それは床に述べられた絨毯の上にまで拡がっていた。

「………あなたがたはNPCなのに」
 白い髪の魔女はそう、つぶやいた。
「『生活』があるなんて不思議」
「ようこそいらっしゃいました。星よりも遠く、今よりも近い場所よりおいでのお方」
 神子はそうつぶやいて微笑んだ。
 白い魔女、ソルシエラは青い鉱石の眸を見開き、小さなウィンダスの珠玉たる彼女を見つめる。
「決められた台詞以外の事も言えるのね」
「あなたの紡ぐ言葉は私の耳には難しく聞こえますが、おそらくは何か誤解があるのではないでしょうか」
「誤解なんてないはずよ」
 ソルシエラは歩み寄ると、神子の使用しているのであろう、ソファーに触れて。そして座った。
「ここはデータの海。命なんてない。有機物は存在しないはず。あなたがたはここに配置されたノンプレイヤーキャラクターに過ぎないでしょう。そうよ……このワールドの創造主が作った御人形。魂を持つ者がやってきたら、決められた台詞を語るだけの存在……フラグを立てるロボット……」
「命は、あります」
 神子はソファーに座ったソルシエラを見上げ、つぶやいた。
「魂を持つ者が創造したものには、すべからく心が宿るのです。私達を生み出した創造主に魂があるのなら、私達もまた、魂を持つ者なのですよ」
「そう−−−おかしいわ。おかしいのよ」
 美しい睫を伏せて、ソルシエラは首を横に振った。
「時の流れのない世界のはずなのに、時は流れている。ものが腐ることもなく、人が死を迎えることもないはずなのにね……」
「この世界の死は消滅であり再生です。形は二度と復活しませんが、魂は同じものを宿すことができる」
「……わからないことがあるの。あなたにはわかるかしら。シヴィルちゃん」
 スター・シヴィルこと星の神子は、小さく小首を傾げた。
「私に答えられることならばなんなりと。白い美しい、恐ろしいお方」
「私はね。異端なのよ。この世界にとって排除されるべき存在なの。だから……誰も。誰も私の事を覚えていられない。この世界には私を排除するだけの力はないようなの。だけど、介入できない最低限の自衛システムが私を拒んでいる。私を覚えている人間なんて、人間として力のない生き物ばかりなのよ。……あなたの言うように、この世界には命が満ちているのかしら……異端者を排除したいと思うほどの、自衛能力の残った世界なのかしら……膨大なデータの大海の、ほんの小島のような世界だというのに……」
「その通りなのではありませんか」
 星の神子は微笑んだ。
「ですが、あなたの疑問はそのことではないのでしょう?」
 ソルシエラは白い睫の奥から、愛らしい神子を見つめる。
「どうしてわかるの?」
 黒髪を揺らして、神子は笑った。
「女の勘。です」
 ふっと、ソルシエラも笑った。
「あなたはソラス・イシラスという頭の悪い高慢な魔導師をご存知?」
「ソラス・イシラスは優秀な魔導師です。今はミエル・ドゥエルというのでしょう?」
 こくりと神子は頷く。
「ミエルちゃんはどうして私の事を覚えているのかしら。人間として力のない生き物とはとても思えないのに」
「はちみつ……決闘?」
「そう。可愛らしいでしょう。蜂蜜という名前をあげたのは私よ。『はちみつ・決闘』。ふふふ。でも、私に名前をくれたのも彼よ。私には名前もなかった」
「名前を交わすことは、重大な契約にあたります」
 ととと、と小さな身体ながらも優雅な動きで、星の神子はソルシエラの隣に腰掛けた。
「あなたとソラス・イシラスはお互いに名前を贈りあったのでしょう」
「そういうことに、なるわね」
「それは魂の契約。結婚に匹敵する契約ですわ」
「…………結婚? 私がミエルちゃんと……?」
 青い鉱石の眸が見開かれ、次にぱあっと、ソルシエラは白い頬を染めた。
「あなたがたは特別な契約を交わしあった。だから。ソラス・イシラスはあなたを忘れないのです」
「………………」
 星の神子は軽く、ソルシエラに会釈すると言った。
「祝福を。魂の夫を得たあなたに」
「私はこの世界から排除されるべき異端者なのに」
「世界は」


「あなたを受け入れようと思ったのかもしれません」


 厳粛とも言える言葉が、星の神子の唇から愛らしい声音でもたらされた。
 ソルシエラは黙って聞いていたが。
 ややあって、首を横に振る。
「でも、次に会う時は忘れているかも知れないわ。そんなことを信じて排除されてしまうのはいやよ」
「そうでしょうか」
 次に優しい声音で、神子は言った。
「この世界は無機物の世界ではありえません。魂と心があれば、哀しみを理解することも、受け入れることもできるのです」
「………………」
 ソルシエラは沈黙し。
 長く、神子の言葉を反芻しているようだった。
「わかったわ。少なくとも、ただのNPCだと思っていたあなたと、こんな話ができるくらいなのだから。頭から否定するのは愚かしいことね」
「いつかあなたにも、わかる日がくるでしょう」
「私が何者かも、わかるのかしら?」
 そのときだけふと、不安げに陰ったソルシエラの眸を。小柄な神子は首を延ばして見上げた。
「おそらくは」
 そう答えて、神子は微笑んだ。












「風紋というのですってね」
 バルクルム砂丘の白い砂を眺めながら、ソルシエラはそう、つぶやいた。
 傍らに立つ、白い髪のガルカは、立派な甲冑を揺らすと小柄な彼女を見下ろした。
「風で形が変わる紋様、ですな。ソルシィお嬢様」
「ねえディート。砂の上にいくら絵を描いても、風で消されてしまう。私はそんな存在だわ」
「ここでお別れしたら、私はとてもお嬢様を覚えていられないでしょうが」
 こくりと、ソルシエラは頷く。
「ドゥエル殿は違うでしょう」
「わからない……ミエルちゃんは、私を忘れているかもしれない」
「そうおっしゃって、何度マウラへ向かわれたでしょう?」
「…………そうね。でも。それでも。離れていたら忘れただろうかと、思うのよ」
 日射しが強く、砂に反射して目を灼く。
「参りましょうか」
「………ええ」





 彼女の名前は、ソルシエラ。だが他の人間は彼女の事を「ソルシィ・エ・ラ」と呼ぶ。
 ただひとり、ミエル・ドゥエルを除いては。

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