美しい夜。



 ラテーヌ高原を抜けて西ロンフォールへ。
 道なりに歩く一人の男がいた。
 チュニックのフードを目深にかぶり、大きなアンクを腰に帯びた姿は魔導師を示しており、すらりとした長身は彼がエルヴァーン族であることを示していた。

「………たああっ!」

 やや、かん高い声に彼はふと顔を上げた。
 ロンフォールの森の鬱蒼とした木々の狭間で、一人の冒険者らしき影が猫背のオークを相手に剣を振るっている……それは、よく見かける風景でもあったが。
 甲冑の尻から伸びた長い尻尾が、ふるふると空を切っていた。ミスラだ。
 魔導師エルヴァーンはしばし脚を止めてその様子を見ていた。彼女は随分深手を追っている。甲冑の隙間から血が滴っているのが、魔導師の目にも見て取れた。相手はオーキッシュ・グラップラー。獣人のモンクだ。
 戦闘が長引くと、獣人共も彼等の技を放ってくる。
 男はフードの下で低く詠唱を始めた。
 防御魔法の白い光がミスラを包み、次に回復魔法が彼女の傷を一瞬にして、癒した。
 それをきっかけにしたかのように、彼女は片手剣を振り上げると、溜めた力を叩き付けるように剣技を放った。同時に、オーキッシュ・グラップラーは低い地響きを立てて、倒れた。

「ありがとう!」

 随分小柄なミスラは、獣を思わせる動作ですばやく男の元へ走り寄ると、深々と頭を垂れた。
「無茶をしますね」
 男はフードの下からそう、呟いた。
「でも、勝算はあったし。無茶……じゃ、ありません」
 顔を上げた彼女は澄んだ茶色のアーモンド型の瞳でじっと彼を見上げ、淀みなくそう答えた。茶色の髪を顎の辺りで切りそろえ、民族風の髪飾りでまとめている。魔導師がフードの下で表情を和らげた気配がした。察したミスラはふにゃ、と愛らしい笑みを見せた。
「私、ヨル・カロスといいます。冒険者の戦士です。あなたは?」
 臆せずそう彼女は言った。エルヴァーンは軽く頷くと、チュニックのフードを下ろし、会釈をした。きっちりと後ろで束ねられた黒髪と、聡明そうな白皙の整った面が現われた。
「私は、スライアーといいます。白魔導師です」
「スライアー、さん」
 エルヴァーンは頷いた。
「助けてくれて、ありがとうございました」
 ヨルは娘らしい動作でお辞儀をしてみせた。スライアーはしばし、考えた後言った。
「これも御縁ですから、もし何か、困ったことがあったらいつでも言ってください。私は暫くサンドリアに滞在する予定です」
 そう言って、微笑んだ。
「親切なんですね」
 もう一度、ヨルはふにゃと笑うと、小さく頷いた。
「スライアーさん、ありがとう」

 二人はその場で手を振って別れた。






 東ロンフォール。

 アルタナ連合軍辺境警備隊第17小隊仮兵舎。

「驚いたのなんのって」
 会議室の椅子に座って、ダルファーは両手を広げた。明るい髪の、整った顔だちをした美青年なのだが、本人のキャラクターが少々それを損なっている。
「見た? 送られて来た戦績表と給料明細」
「ええ。今までの倍以上はありましたね」
 静かにローエンが頷く。
「お前等」
 会議室の扉が開くと、この小隊の小さな隊長、ミエル・ドゥエルがとことこと入って来た。
「ミッションがなくて暇なときは、鍛練に行けって言っただろうが。いい若いもんが昼間っからたむろってるんじゃねえよ」
「私は午前中に目標に到達してしまいました」
 微笑んで、ローエンは隊長にそう報告した。
「これから、素材を集めに行きます」
「お前は生産もやってるのか。感心だな。ダルファー、お前も少しは見習え」
「そうおっしゃいますけど、隊長ー。つるんで出かけられそうなめぼしい冒険者がいないんですよ。この辺りじゃ。それに明日には新しく配属になった白魔導師殿が来られるんでしょう。遠出してもすぐ戻るはめになるんだし………」
「だーかーら。なんで昨日のうちに出かけてなかったんだよ馬鹿。ユーリッドもゼロスもそうしてただろうが」
「ダルファー殿は先日までかなり頑張ってらしたから」
 ローエンはそう言うと、立ち上がった。
「そうですよ。こないだは休日返上で遠出して。だからちょっと余裕があるんです」
「…………」
 ドゥエルは肩を竦めて首を横に振った。
 出かけようとしたローエンの目の前で、扉が開いた。
「ただいま戻りました」
 ユーリッドとゼロスが並んで入ってくる。
「おう。お疲れさん」
「隊長、次のミッションまで間があるなら、装備を揃えに出たいんですが」
 ゼロスが装備も解かずにそう、ドゥエルに言った。
「おう。アーティファクトか?」
「ええ」
「なんなら俺が付き合ってやるぜ?」
 シーフのアーティファクトである緑色の衣装を着たドゥエルは、そう言って胸を張った。ゼロスはそれを見下ろしたあと、苦笑する。
「いや、俺もシーフは………」

「17小隊の兵舎はこちらですか?」

 会話を遮るように、よく通る声が皆の耳に届いた。
「ああ」
 ドゥエルが振り向く。
 開いたままの会議室の扉から、入り口の扉が開いて、そこに長身の男が立っているのが見えた。長い手足。男はチュニックを着たエルヴァーンだった。目深にかぶったフードで顔はわからない。
「誰だ」
 ドゥエルがいぶかし気に問い返すと、彼は軽く会釈をして言った。
「明日正式にこちらに配属になる、白魔導師です」
「おっ」
 とことことドゥエルは歩み寄ると、頷く。
「前日に挨拶に来るとは感心だな。俺がここの隊長の、ミエル・ドゥエル………」
「ごぶさたしています。アルタナ連合軍旧第11魔導師団、ソラス・イシラス師団長殿」
 そう言って、男はフードを落とした。ドゥエルが驚いてその顔を見上げる。
 男は、タルタルのドゥエルにわかるように腰を落とすと、言った。
「私の顔を覚えておいでですか。師団長」
「スライアー……。お前か」
「志願したのですよ」
 短く答えると、彼は立ち上がる。
 呆然と彼を見守る同僚に対して、彼は深々とお辞儀をしてみせた。

「明日からよろしく頼む。白魔導師のスライアーだ」







「………あの人。正規軍のえらい人なんじゃないの? 俺、聞いたことあるよあの名前」
 スライアーが兵舎を後にしてから、内緒話でもするように声を潜めて、ダルファーはドゥエルに言った。
「ウィンダスにいたはずなんだがな。風の噂では魔導師団の軍師の一人を勤めていたと聞いてたが」
「そんな人がなんでまたこんな僻地に?」
「ソラス・イシラス師団長」
 ゼロスが脇から言った。
「……って、なんのことですか、隊長?」
 尖った頭を振って、ドゥエルはため息を吐き出した。
「何って、名前だろ」
「隊長の御名前ですか?」
 ユーリッドが言う。
 ドゥエルは部下を見上げると、ばたばたと手足を動かした。
「お前等! 上司を囲んで見下ろすんじゃねえ!」





 隊長はテーブルの上によじ登ると、ぐるりと部下を見渡した。
「スライアーは、昔俺が中央で一個師団をまとめてたときの、部下だ」
「ソラス・イシラスってのは?」
 ゼロスの問いに、しぶしぶ、という顔でドゥエルは言った。
「………俺の本名だ……」
「頭良さそうな名前ですよね」
 ダルファーがぼそっと言った。
「……カラハバルハを超える魔導師はいません。ですが、ソラス・イシラスという秀才の名前は聞いた覚えがありますよ」
 ローエンの言葉に、ユーリッドが振り向いた。
「そうだ。俺も今思い出した。過去の資料にその名は。……しかし何故そのような方がここへ?」
「うるせえなあ」
 ドゥエルは両手を広げて伸びをすると、横を向いて答えた。
「俺も飛ばされ組ってやつさ」








 白い魔女が、赤い瞳を細めて笑った。
「くだらないわ。魔法なんて、所詮戦闘の手段に過ぎないものよ。そう魔法に限ったことじゃない」
 あなたは魔法しか使えないの? それならもっと強くてもいいんじゃなくて? 今のあなたでは、私には勝てないわよ?






 ドゥエルは、とぼとぼと、南サンドリアを歩いた。酒場へ向かうつもりだった。
「え、えと。でもあの、今日は、困ってないので」
 小娘の困惑した声が、彼の小さな長い耳に届いた。
「でも明日困るかもしれないだろう? 一晩で結構なギルが稼げるんだから、悪い話じゃないって」
「でも……でも……」
 冒険者らしきヒュームの男にそう迫られて、若いミスラが明らかに困惑しているように俯いていた。
 街角でときおり見る風景−−若い冒険者の女が、手っ取り早く明日の糧を得る手段……。
「おいおい。その娘は俺が先約だぜ。それともお前は、一晩に1万ギルも彼女に払えるのか?」
 ヒュームの男は、足下でそう言われて面喰らったように下を見下ろした。
 小さなタルタル、だが明らかに自分より多くの戦闘経験を物語る、アーティファクトを身に付けたシーフ。
 男はやや、怯んだあと。
「そりゃ大した相場だな。そんな御立派な女なのかよ」
 と、鼻で笑ったが。ドゥエルははは、と胸を張り。
「価値観は人それぞれさ。だが誰が見たって俺の方が上客だ。もっと手ごろな女を探すんだな」
 ちっ、と、舌打ちをして男は去った。
 ミスラは大きな眸を瞬くと、しゃがんでドゥエルを見た。
「あの……でも……」
「奢ってやるから一緒に飯でも食おう。1万ギルのディナーをな。俺は一人で飯を食うのが嫌なんだ。つきあってくれないかい? お嬢さん」
 そう言って彼が深々と頭を下げると、ミスラはくすっと笑った。
「それなら、はい。オーケーです」
 首を傾けて笑うのが愛らしい。ドゥエルは頷くと、
「それじゃあ酒場に行こうぜ」
 と、彼女を誘った。






 ミスラは旺盛な食欲を見せた。ドゥエルはそれを見て笑う。冒険者の携帯食に「ミスラ風山の串焼き」という料理がある。剣を持って戦う者は−−盾となる役割のナイトは別にして−−ほぼ常食している肉料理だ。彼女も例にもれず、香草で香ばしく焼いたコカトリスの肉を旨そうに切っては口に運んでいる。ミスラは本来は魚を好む種族だと思っていたが、剣を持って戦うのであればそうも言ってはいられないだろう。肉は、剣士の振るう剣に力を与えてくれる。
「だいぶ食ってなかったみたいだな?」
「え、あ!」
 はっと我に返ったように、彼女はフォークとナイフを止めて、ドゥエルを見た。
 ミスラの名前は、ヨル・カロス………
「美しい夜、か」
 麦酒をあおったあと、ふと漏らした言葉に、彼女は首を傾げた。
「なんですか? ドゥエルさん」
「外国の言葉で、お前の名前は美しい夜っていう意味にもとれる。ヨルってのは夜のことを指す。カロスは、美しい、だ」
「美しい、夜?」
「そうだ。悪くない名だな。美しい夜」
 そう、ドゥエルが言うと、彼女はとても嬉しそうにアーモンド型の眸を細めた。
「ありがとうございます」
 そして、えへへ。と笑った。
「隊長?」
 ふと、呼ばれた声にドゥエルは振り向いた。
 ユーリッドがこちらを見ており、それから向いに座っているミスラを認めて、おやという顔をした。
「申し訳ありません。お邪魔でしたか」
 そう声をかける彼に、ドゥエルは苦笑した。
「お前も夕飯か? こんなところで食わなくてもいいだろう」
「食べても構わないでしょう」
 そう答えて微笑むユーリッドの方を、ヨルがじっと見ていた。
「なんだ、ヨル。こいつが何か珍しいか?」
 ドゥエルに問われて、彼女はぴくりと耳を揺らしたあと、答えた。
「いえ、初めて見る、装備だったから……。あの、職業はなんですか?」
「これは、カーディナルベストですよ。私は戦士です」
 エルヴァーンが微笑んで答える。ヨルは目を輝かせた。
「それはどういう装備なんですか?」
 立ったまま答えようとする彼を制して、ドゥエルは苦笑した。
「わかったわかった。ユーリッド。お前も座れ。ここで一緒に食べながら話をすればいいだろう」



 ヨルは戦士としての腕を磨いているのだと言う。彼女にとって戦士を極めているユーリッドは尊敬と興味の対象だ。
 戦士として。いかに戦うか。
 食事を摂りながら、戦士の技について話を弾ませる二人を眺めながら、ドゥエルはおのれの思考にふけっていた。





 魔法とは。魔力とは。

「俺は召喚には興味はないんだよ」
 ソラス・イシラスがそう言うと、副官だったスライアーは眉を上げて問うたものだ。
「何故ですか師団長殿」
「カラハバルハは偉大さ。だが、俺は精霊と古代の魔法の方が好きなんでね。自分の力で戦ってるって気になれるだろう。召喚獣はどうもな」
 あなたらしいお言葉ですね。
 そう言って彼は苦笑した。




 くだらないわ。




 白い魔女はそう言って嘲笑った。

 なあ、『ソルシエラ』。
 俺はまだあんたを覚えているぜ。


 私を覚えている男なんて、ろくでもない男ばかり。


 彼女はそう言って、苦笑した。






「……隊長?」
 ユーリッドに呼ばれて、ハッと我に返る。
「おう、なんだ」
「ドゥエルさんは、隊長さんだったんですね。知りませんでした」
「ああ。左遷されてきたんだよ。隊長なんて言ったって、肩書きだけ」
 小さな手をひらひらさせてドゥエルが笑うと、ユーリッドが真面目な顔で言った。
「そんなことはありません。隊長は素晴らしい指揮官です」
「そうなんですね。隊長さん、すごい」
 すっかりユーリッドと打ち解けたらしいヨルが、彼の言葉を鵜呑みにして頷く。
 ……なんか、悪酔いしそうだな。
 ドゥエルは椅子からぴょいと飛び下りると、言った。
「勘定はしておくから。お前等ゆっくりしていけ。ユーリッド、ヨルをちゃんと送っていくんだぞ」
「あ、はい。隊長。お疲れさまでした」
 律儀に立って挨拶をする彼に、軽く片手を上げてドゥエルは店を後にした。




 この世にあんな魔法使いがいるなんてな。
 ドゥエルは石造りの建物の間から見える、美しい星空を見上げて思った。
 カラハバルハはまだ、ソラス・イシラスの理解の及ぶ存在だった−−巷でどんなに英雄と讃えられていようとも−−ソラス・イシラスにとって彼は人間だった。
 彼はウィンダスのために、それ以上に、今上の星の神子のために、禁忌の召喚魔法を手に入れた男だ。
 だが。彼女は。




 私の名前!?
 そんなものはないわ。
 創造主がもしいるのなら、私のことをこう、呼ぶでしょうね。

『バグ・ウィルス』って。


 だから、ソラス・イシラスは彼女に名前を送った。
『魔女』という意味の名前。
『ソルシエラ』という名前を。

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