美しい夜。



「見つけましたよ」
 兵舎に帰る気になれず、西ロンフォールの辺りで松明の灯り等をぼんやりと見つめていたドゥエルは、背後からかけられた声に肩を揺らした。
「な、なんだ………。お前か、スライアー」
 チュニックから、白魔導師のアーティファクトに着替えた彼は、はるか上からドゥエルを見下ろしていた。
「探しました。師団長殿」
 エルヴァーンは眉一つ動かさずそう、言った。ドゥエルは嫌な顔をすると、首を横に振る。
「嫌味かよ」
「明日からまたあなたの下で働かせていただくわけですが、」
「うるせえなあ……」
 ぴくりと、スライアーの形のよい眉が動く。ドゥエルは大きな頭を竦めた。
「納得のいく御説明をしていただきましょうか。師団長。何故、あなたは。あんなに突然役職を辞してしまったのです。あなたの持つ魔導師団は戦績を上げて、部下達も順当に出世していた。なのに、あなたが辞してしまったせいであの師団は解体されてしまったのですよ。あなたを信じてついて来た部下達を何故突然裏切るような真似をなさったんですか。ソラス・イシラス殿!」
 松明の灯りを受けて、スライアーより随分目下にあるタルタルは、緑色の帽子が影になって表情はわからない。
「お前はさー」
 ぼりぼり、と、ドゥエルは帽子の下に手を突っ込んで頭を掻いた。
「昔っから、そういう奴だな」
 はあ、とため息をついて、彼は肩を落とした。
「わかったよ。ちっと散歩でもするか」
 オークがうろつく夜の森をものともせず、ドゥエルはそう呟くと歩き始めた。スライアーは頷くと、彼に続いた。
「まさかとは思うが、それが聞きたくてこんな僻地に来たんじゃねえだろうな?」
「調べましたよ。ミエル・ドゥエルなんてふざけた名前のシーフが、辺境の小隊に配属されたと聞いた時から。−−辺境警備隊は全体で15の小隊です。17なんて数はそもそもおかしい」
「ああやだやだ、中央にいる連中なんて。物好きな野郎だよお前も」
「説明してくださるんでしょうね」
「納得いったら帰るとか言うんじゃねえだろうな」
「そんな無責任なことはしません! 配属された以上は一兵卒の気持ちで勤めさせていただきますとも」
 ひどく心外だという表情を露にして、スライアーは答えた。
「お前は馬鹿か」
 ドゥエルは頭を抱える。
「魔導師団の軍師なんて、なりたくてなれるもんでもないのに。ああもう俺は頭が痛いよ」





 あの日。
 サルタバルタを越えてタロンギに差し掛かったところだった。
 ソラス・イシラスは勝ち戦から帰ってきたばかりで、久しぶりに故郷の土を踏み、軽い散歩のつもりで夜の道を歩いていたのだ。
 人気のない深い谷底を抜けて、巨大なサボテンの花が立ち並ぶタロンギ大峡谷へ抜けようと思っていた。
 途中で見かける大きな骨のような遺跡の側に、アンデッド族が浮かんでいる。
 片付けておくかと見かけると、白く発光するような人影が目に入った。

 女だった。巨大な骨の側に佇んでいる。

 彼女は、ソラス・イシラスの目から見てヒュームの女の背格好に見えた。だが、その髪は月光を浴びて真っ白に浮かび上がる、長い白髪だった。
 彼女は闇色の衣を纏い−−それはローブに形が似ていた−−こちらをふいに見た。
 白い面が浮かび上がり、なによりも、夜目にもそのとき彼に禍々しく映ったのは、
 燃えるように赤く浮かび上がる双眸だった。

 とっさに彼は、これは敵だと−−直感で思った。
 あれは、異質なものだと。
 それは、今戦っている獣人どもとも明らかに違う。何か−−何かそう、本能的な恐怖にも似た………
 ソラス・イシラスはウィンダスでは秀才と唄われた魔導師だ。彼の魔法が遮られたことはない。彼はとっさに彼女に魔法を仕掛けた。
 得意の古代魔法−−レジストされず、常に人よりも大きなダメージを与えられるのが彼の自慢でもあった−−極めた技は、詠唱の時間すら見る者を待たせない。
 先手必勝。
 明るい魔導の光が夜を照らした。
 その美しさとは裏腹に、轟音を上げて目前のたおやかな人影に、そのエネルギーの奔流は傾れ込んだ。

 魔法の名残りの美しい光が、ホタルのように夜に舞い上がる。

 だが。
 そこには、先ほどから髪の一筋すら損なわぬ美しい姿で、佇む彼女があった。

「!?」

 彼女はわずかに苦笑を浮かべたようだった。浮かび上がる赤い眸が細められたのだ。
 驚愕するソラス・イシラスは建て直しにやや手間取った。だが、それも僅かな間だったはずだ。
 彼の知るどんな魔導師であろうとも−−そうだ。あのカラハバルハでさえ、
 そんなに素速く古代魔法を唱えることは…………

 気がつけば己の姿が業火に焼かれているのだった。
 魔法攻撃に対する耐性はかなり強い方だと自負していた。
 だが彼は焼かれた。
 しかもそれは古代魔法ですらなかった。

「あらあら、ファイアもかわせないの?」

 初めて、彼女が口を利いた。

「フ……ファイア!? フレアの間違いじゃ……」

 炎の熱さに閉口して、ソラス・イシラスは口を噤んだ。現実の炎に焼かれるのと、魔法の炎に焼かれるのは微妙に違う。文学的に表現すれば、魔法の炎の方が残酷だ−−−

「頭でっかちの、タルタル。技に溺れているようね」

 熱で息ができない。身体は灼熱の炎に包まれて身動きも取れないのに、死ぬわけでも窒息するわけでもない……。どうやら自慢の魔法耐性が徒になっているようだ。

「苦しい? 可哀想にね。助けて欲しいのならそう、言いなさい」

 彼女はすぐ側までやってくると、地面に這いつくばったまま、ただ魔法の炎にからめ取られまさに地獄の業火に永劫灼かれる罪人のようなソラス・イシラスを見下ろした。

「死ぬか生きるか、どちらかよ。このまま殺して欲しいのならそう言いなさい。生きたいのなら生かしてあげましょう」

 どちらか楽な方を選べばいいわ。
 彼女は屈み込んで、ソラス・イシラスを覗き込んだ。炎に照らされた美しい顔が見える。そのときふいに、赤い眸の色が変わった。赤く照らされた白い睫の奥には………
 青い。
 内にたくさんのヒビを抱えて複雑な色彩でそのもの自体の色を深めている、青い鉱石のような眸だ。それは妙に懐かしさを覚えさせた。何か、とても懐かしい風景を思い出しそうになって、彼は思わずつぶやいた。

「綺麗な色だな」

 この局面でソラス・イシラスは彼女の眸に魅せられた。生死をわかつ問いに答える前に彼が虫の息でそう答えた時、彼女は意外そうに眸を開き、そして、
 淡く、笑った。

 白い光がソラス・イシラスを包む。回復魔法のやわらかな力が彼を癒す。
 魔法の炎は去り、彼の小さな身体だけが冷たい地面に取り残された。

「随分腕に覚えがあるようね? くだらないわ。魔法なんて、所詮戦闘の手段に過ぎないものよ。そう、魔法に限ったことではないわね。あなたは魔法しか使えないの? それならもっと強くてもいいんじゃなくて? 今のあなたでは、私には勝てないわよ?」

 立ち上がった彼を、彼女は見下ろしてそう言った。

「それしかできないのに、弱いこと」

 婉然と彼女は笑う。ソラス・イシラスは呆然としていたが、我に返って叫んだ。

「何者だ、お前!」






「……つまり」
 薄ぐらい木々の間をぬけながら、傍らのエルヴァーンが言った。
「負けたわけですか。師団長殿は」
「そうだよ」
 この暗さと身長差でわからないが、さぞかし我が隊長は悔しそうな顔をしているだろう−−スライアーは想像して、やや表情を緩めた。このソラス・イシラス殿ときたら、それはもうおのれの魔導自慢は誰にもひけを取らぬと、その自負心の強さを副官の彼はよく心得ていた。カラハバルハは天才。だが、それより他のただの魔導師の中では、誰よりも抜きん出ていたいという強烈な自尊心。
「まあ、負けただけなら良かったんだがな。それ以来さっぱりいけなくなっちまって」
「何がですか」
「魔力が落ちちまったんだよ。すっかりな」
「!?」
「お前もよく覚えておけよ。魔導の力ってのは自分自身の内なる力だ。自己不信に陥った奴には、魔法に限らずどんな技だって使えやしない」

 彼はその夜に辞表を提出した。魔力を失った彼を上層部は惜しんだ。

「アルタナ連合サンドリア軍の上の方に古い知り合いがいてな。しばらく休んだらどうかと。口添えをしてくれた。……で、魔法の使えなくなった俺は、タルタルの器用さを活かして、シーフの修行なんかしてな。己を建て直していたってわけさ。まあ、戦闘経験だけは豊富だから、いろいろ影で相談事に乗ったりしながらな」
「………そんな話は、噂にも聞いていませんでした」
「はは。そうか。随分気を使わせたもんだ。俺は本当にどうしようもない奴だったみたいだな。まあその過程で……後始末やら面倒な仕事を請け負わせていた、特殊任務専門の小隊が壊滅して、新しく設置する必要があるって、件の知り合いに持ちかけられてな」
「それが17小隊ですか」
「そういうこった。どっちみちもう今更表舞台に返り咲く気もなかったし−−人生観も大分変わっちまったことだし−−、それでもなんか役に立てるならいいか、とな」
「あの、師団長の口からそんなお言葉がきける日がくるとは……」
 素直に感心したらしいスライアーの台詞に、ドゥエルはきっと上を見上げた。
「なんだと」
「魔力の方は」
 すらりとかわして問い返すと、ドゥエルは肩を竦めた。
「皮肉なもんで、シーフの修行に没頭してたら、気がつくと元通りになってたよ。ま、今じゃどうでもいいこったけどな」
 スライアーは苦笑した。
「なるほど。納得がいきました。あなたも随分人生の辛酸を舐められたわけですな」
「ちっ」
 舌打ちをして、ドゥエルはぷいと背中を向けた。











 何者かって?

「知らないわ」
 彼女はそう答えた。
「あなたが知っているのなら教えてほしいくらいね?」
 そう、自嘲を浮かべた。
「私はこの世界の根源的なことを知っているけれど、だからって自分が何のためにここにいるのかはさっぱりわからないの」
「あんたの名前は?」
「私の名前!?」
 女は白髪を揺らして笑った。
「そんなものはないわ」
 そして、ふと。夜のさらに奥を見透かすような目で天空を見上げると、つぶやいた。
「創造主がもしいるのなら、私のことをこう、呼ぶでしょうね」

「バグ……ウィルスって」

「バグ・ウィルス?」
「創造主っていったって、アルタナやプロマシアではないわよ」
 彼女はそんな謎めいたことを口にした。
「その、バグなんとかってのは女の名前にはふさわしくないな」
 タルタルがそう言うと、彼女は小首を傾げて見下ろした。
「あんたは魔女だ。女魔導師なんかより、おとぎ話に出てくる恐ろしい魔女が似合ってる。『ソルシエラ』。魔女って、いう意味の言葉だ」
「ソルシエラ、……?」

 彼女は青い鉱石の眸を細めて微笑む。

「あらそう。悪くないわ。では私はこれからそう名乗るとしましょうか。ああそうね。あなたにもお名前をあげる」
「!?」
「たぶん今までのようにはあなたはもう生きられないわ。別の名前が必要になる。必ずね。あなたの舌に毒ではなく蜜を。心には決闘を。ミエル・ドゥエル」
「なんだそのふざけた名前は。俺の名前はソラス・イシラス………」
「ウィンダスの高慢な頭の悪い魔導師の名前だわ、それは」
 ソルシエラはころころと笑い転げると、彼に向かって手を振った。

「また会いましょう、ミエルちゃん。あなたが私を覚えていられたらね」

 そう呟いて、彼女は暗紫色の光に包まれていずこへかと去ってしまった。








「何者ですか。その女は」
「魔女としか言い様がないな」
「それで、その後も会ったんですか」
「会った。何度か、思い掛けない場所で、な」
 こっくりと、ドゥエルは首を縦に振った。
 スライアーは沈思する。ドゥエルは苦笑した。
「上に報告するか? 誰が信じるだろうなそんな話」
「何故ですか」
「何故なら……」

 ドゥエルは中空に差し掛かった爪のような月を見て言った。

「明日にはお前も、その女の話はきれいに忘れてしまっているからさ」

オリジナル設定をばりばり入れております。ご了承ください。アーティファクトを出そうかどうしようか悩んだわけです。なんせこれ書いてる時点で作者白26歳ですから(笑)。AFにまつわる様々なイベントなんか見れるわけもございませんし、とはいえそのためだけにレベル上げなんかやってたら、いつまでたっても作品完成しないし、だいたい全種類見るなんて、無理。とはいえ、作中ではこれが実に手っ取り早い高レベルの証で便利なんでございますよ。で、ヴァナ・ディール・トリビューンの連載(実は愛読)「修道士ジョゼ」でもジョゼアーノくん白AF着てるし……ま、いっか。ってことで。

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