第1部:資本の生産過程
第7篇:資本の蓄積過程
第24章:いわゆる本源的蓄積
産業資本家の創生記は、借地農場経営者のそれのように漸次的な仕方で進行したのではなかった。[777]
「漸次的」でなかったとすれば、急激なものだったということだろう。なにが、その急激な“創生”の契機となったのか。「賃労働の搾取の漸次的な拡大とそれに照応する蓄積」の進展にともなって、チャンスにめぐまれた“同職組合親方”“独立手工業者”“賃労働者”などから、早い者勝ちで資本家が生まれていったのか。あるいは、中世にすでに発生していた貨幣資本――高利資本と商人資本の産業資本への転化が契機となったのか。
マルクスの叙述によれば、いずれも、主要な契機ではなかったようである。なによりも、産業資本の本源的蓄積の主要な契機は、殺戮と略奪、奴隷化とそれらにつづく世界戦争であった。国家制度のありようとしては、「植民制度、国債制度、近代的租税制度、および保護貿易制度」として現われた。
植民制度の実態のおぞましさは、たとえば、東インド会社の米の買い占めによる100万人以上のインド人の餓死、あるいは、アメリカ北東部に入植した清教徒らによる、原住民の無差別殺戮と死体の一部の売買などに典型例があるが、なによりも、他国の商品や資源の強奪によって、元手をかけずに“原初の”富の蓄積をはたしたという事実は、資本主義的生産社会を「自由主義社会」と言い換えている現代の“有識者”の不見識さ加減を理解するのに役立つ。
植民制度は商業と航海とを温室的に育成した。「独占商会」(ルター)は資本集積の強力な槓杆であった。成長するマニュファクチュアにたいし、植民地は販売市場と、市場独占によって強化された蓄積とを保障した。ヨーロッパの外で直接に略奪、奴隷化、強盗殺人によって獲得された財宝は、本国に還流し、そこで資本に転化した。[781]
公債は本源的蓄積のもっとも強力な槓杆の一つとなる。それは、魔法の杖を振るかのように、不妊の貨幣に生殖力を与えてそれを資本に転化させ、そのために貨幣は、産業的投資や高利貸的投資にさえつきものの骨折りや危険を犯す必要はない。国家にたいする債権者は現実にはなにも与えはしない。というのは、貸し付けた金額は、容易に譲渡されうる公債証書に転化され、それは、ちょうどそれと同じ額の現金であるかのように、彼らの手中で機能し続けるからである。しかも、……国債は、株式会社やあらゆる種類の有価証券の取り引きや株式売買を、ひとことで言えば、取引所投機と近代的銀行支配とを、勃興させたのである。[782-3]
国債にかんする考察のなかで、マルクスは、貨幣鋳造権をもつ銀行と、国際信用制度について言及している。
国家的という肩書きで飾られた大銀行は、その出生の当初から政府を援助して与えられた特権のおかげで政府に貨幣を前貸しすることができた私的投機業者たちの会社にすぎなかった。……これらの銀行の十分な発展はイングランド銀行の創立(1694年)に始まる。イングランド銀行は、最初にまず自分の貨幣を8%の利率で政府に貸し付けることから始めた。同時に、この銀行は、この資本をさらに銀行券という形態でもう一度公衆に貸し付けることにより、同じ資本から貨幣を鋳造する権限を議会によって与えられた。……まもなく、この銀行自身によって製造されたこの信用貨幣が鋳貨となり、この鋳貨をもってイングランド銀行は国家へ貸し付けをし、国家の計算で公債の利子を支払った。……この銀行は、……与えた最後の一銭にいたるまで依然として国民の永遠の債権者であった。それは、しだいに国内の蓄蔵金属の不可避的な貯蔵所になり、商業信用全体の重心になった。[783]
国債とともに国際的信用制度が発生したが、それはしばしば、あれこれの国民のもとでの本源的蓄積の隠れた源泉の一つをなしている。たとえば、ヴェネツィアの強奪制度のさまざまの卑劣行為は、衰退していくヴェネツィアから多額の貨幣を借りていたオランダにとっては、その資本的富のこうした隠れた基礎をなしている。同じような関係はオランダとイギリスとのあいだにもある。……同様なことは、こんにちではイギリスと合衆国とのあいだにおいても妥当する。こんにち合衆国で出生証書なしに現われる多くの資本は、きのうイギリスでやっと資本化されたばかりの子供の血液である。[784]
国債は、その年々の利子などの支払いに充当すべき国家の収入を支柱とするものであるから、近代的租税制度は国債制度の必然的な補足物になった。国債によって、政府はただちに納税者にそれと感じさせることなしに、臨時の費用を支出することができるのであるが、しかしその結果はやはり増税が必要となる。他方、つぎつぎに契約される負債の累積によって引き起こされる増税のために、政府は新たな臨時支出をするときにはいつでも新たに起債することを余儀なくされる。それゆえ、生活最必需品にたいする課税(したがってその騰貴)を回転軸とする近代的国家財政は、それ自身のうちに自動的累進の萌芽をはらんでいる。過重課税は偶発事ではなく、むしろ原則である。……ここでわれわれに関係があるのは、この制度が賃労働者の状態におよぼす破壊的な影響よりも、むしろこの制度によって引き起こされる農民や手工業者の、要するに下層中産階級のすべての構成部分の暴力的収奪である。……富の資本化と大衆の収奪とにおいて、公債やそれに照応する財政制度が果たす大きな役割は、コベット、ダブルデイ、その他のような多数の著者たちに、近代諸国民の窮乏の根本原因をここに求めるという誤りを犯させることになった。[784]
保護貿易制度は、製造業者を製造し、独立した労働者を収奪し、国民の生産手段および生活手段を資本化し、古い生産様式から近代的生産様式への移行を強制的に短縮するための人工的な手段であった。ヨーロッパ諸国は……間接には保護関税によって、直接には輸出奨励金〔や国内の独占販売――フランス語版〕などによって、この目的達成のために自国民を誅求しただけではなかった。属領ではあらゆる産業が強制的に根こそぎにされた……。……産業家の本源的資本の一部分はここでは国庫から直接に流れ出てくる。〔フランス語版――「本源的資本は前貸金や無償の贈与という形式のもとで、いかさま師のところへまっすぐ流れていったが、その魔法のような財源はしばしば国庫からきたものであった」〕[785]
植民制度、国債、重税、保護貿易、商業戦争など、本来のマニュファクチュア時代のこれらの若芽は、大工業の幼年期中に巨大に繁茂する。[785]
国家制度によって資本蓄積が推進されつつあったこの時期、賃労働者の確保が、どのように行なわれたかの典型例が二つ、あげられている。
一つは、「児童略奪や児童奴隷化」であり、もう一つは、国策としての「黒人奴隷化」である。
マニュファクチュア経営を工場経営に転化させて資本と労働力との真の諸関係をつくり出すための児童略奪や児童奴隷化……。[785]
イギリスがそれまではアフリカと英領西インドとのあいだだけで営んでいた黒人貿易を、今後はアフリカとスペイン領アメリカとのあいだでも営むことができる特権を、ユトレヒトの講和でアシエント協約によってスペイン人から無理取りしたこと……。イギリスは、1743年まで年々4800人の黒人をスペイン領アメリカに供給する権利を得た。……リヴァプールは奴隷貿易を基盤に大きく成長した。奴隷貿易はリヴァプールにおける本源的蓄積の方法である。[787]
綿工業はイギリスに児童奴隷制を導入したが、それは同時に、合衆国の従来の多かれ少なかれ家父長的であった奴隷経営を商業的搾取制度に転化させるための刺激をも与えた。一般に、ヨーロッパでの賃労働者の隠蔽された奴隷制は、その台座として、新世界での“露骨な”奴隷制を必要とした。[787]
なんの躊躇もなく、むしろ、利潤のために積極的に行なわれた、これらの“野蛮な”行為。この資本の傾向を、当時、ある一記者が、ものの見事に述べている。
『クォータリー・レヴュー』の記者は次のように言う――「資本は騒乱と紛争とを避けるものであり、臆病な性質のものである。これは非常に真理に近いが、しかし完全な真理ではない。自然が真空を恐れるように、資本は利潤のないことを、または利潤が非常に少ないことを恐れる。相当の利潤があれば資本は勇敢になる。10%の利潤が確実であるならば、資本はどこにでも使われる。20%であれば、資本は活発になる。50%であれば、積極的に冒険的になる。100%であれば、人間の定めたあらゆる法律を踏みにじる。300%であれば、断頭台の危険をおかしてでも資本が冒険しないような犯罪はない。騒乱と紛争とが利潤をもたらすならば、資本はその両方を鼓舞するであろう。その証拠は――密貿易と奴隷貿易である」(J.ダニング『労働組合とストライキ』、35、36ページ)注(250)[788]
現代世界にあてはめて、引用文のさいご部分に付け加えるとすれば、「その証拠は、また、侵略戦争による他国民からの収奪と、戦争態勢づくりのための税制改編による自国民からの収奪である」。この記者の論評は、現代の国際社会にも、そのまま通用する内容ではないだろうか。