弓道への入り口(1)

 弓道を始める。いろいろな取りかかり方があると思います。手近なところでは高校・大学で弓道部に入る、ということでしょうか。(まれには中学)
 大学によっては授業でやるところもあります。
 始める理由はいろいろでしょう。袴姿がかっこよかったからとかね。(来年は紀香がかっこよかったからなんてね。)
 そして社会人になってからと言うと、地元で開かれる弓道教室があります。
 不思議なことに私の身近なところでは、学生時代にやってきた人より、弓道教室などで始めた人の方が続けている人が多いような気がします。 
 たまたま私は、近所の高校で縁あって、もう何年も技術指導員という形のボランティアでコーチをしています。都合100人近くは見てきたと思いますが、今も続けている子は1人だけ。
 別に試合で勝つための教え方はしていません。というか、もう出来ない・・。
 いつの日か大人になって、弓を引きたいと思った時に、どこででも最低限の事が出来るように、ということを思ってやってきました。おかげさまで審査(昇段試験)の時などに、まずまずの評価を頂いています。
(本当かな?と思いますが。)
 では、高校時代にやったから、もう良いや、なのでしょうか。もっとも今の時代、やる事や覚えなければならないことがいっぱいありますので、いろいろな遊びを経験することも逆に良いのかなと思う反面、鮭が生まれ故郷の川に戻って来た時に、その川が無くなっていた、と言うことと同じように、いつの日か、弓を引きたくなったけど、誰に相談したらいいか分からないと言うことが無いように、今度は自分がやめる訳には、いかなくなってしまってもいるかな、などと思います。(考えすぎ?)
 社会人になってから始めた人は、ある程度経済的にも、地域的にも基盤を持っています。道具をそろえるにしても自分の懐と相談して、用意することも可能ですが、学生・新米社会人時代にはなかなか、それも難しいということもネックなのかも知れません。また昔やりたかったけど、出来なかったという思いが、希望の実現に向けた情熱になっているのかも知れません。
 ただこの場合もいろいろな考え方があるという事を、理解するようにしなければならない時があります。
 それは学生時代の勝つための弓道とか、流派でやってきた人たちのような、修行的弓道ではなく、サークルとしての楽しみを探しているということも考えなければならないのではないでしょうか。
 ともすれば自分自身のやってきたことを誰もが出来るはず→いや!やらないのはやる気がないのだ、などと一方的に思いこんでしまう例も多いかな?と思います。(10年やればそれだけの、1年しかやっていないならそれなりの理解の仕方と、応用力しかないのだから。)
 高校生などの場合は、指導者がこうだ!と決めつけ、出来ないものは落ちこぼれ→やめて結構→付いてこれないものはは不必要でも成り立ちますが、個人の趣味で始めたいという人には最初から無理があるのではないかと思います。ですから木戸番は
(1)競技弓道 (2)修行的弓道 (3)お楽しみ弓道 おまけとして(4)木戸番的良い加減弓道(イントネーションにご注意ください。)
 上の4種類くらいに分けて、その人がどんなイメージで弓道に臨んでいるのかを大切にと言うか、見ながら、「弓道のアリ地獄」に引きずり込んでやろうかなどとも考えたりしています。(上の3種類の分け方はまた、日を改めて書きたいと思います。4はまあいい加減なものですので・・)
 なにはともあれそれぞれのレベルで求められること、それを高望みせず、気長におつきあいする、これが良い加減弓道のポリシーかな。
 
 しかし、高校のコーチも、専従できる先生が来れば手を引くことになりますが、たとえ、へなちょこであっても、教えた子達に対して、生きている限りは、責任をもって、相手してあげたいと思っています。
(私が教えていた間に卒業した子は相談相手を自分で見つけてくれれば問題がないのですが・・・)
 いつか聞いた話では、子供の数が少なくなり、学校では部活の減少が伝えられている中、弓道部だけは微増しているとか。しっかりアフターフォローをしてあげられれば、一生涯つきあえる弓道仲間として迎えられるのではないかと、心密かに思っています。

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