丸帆亭 萬釣報 #51 2000.9/24更新                    
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江戸前てんぷら寂しい舟歌
(東京新聞9/24朝刊)
 
 
東京都が今月着工に踏み切った江戸前の海
十六万坪(江東区の有明旧貯木場)の埋め立て事業。この問題を再三追いつつ、何か釈然としないものを感じていたが、それは事業者の顔が見えてこないことだ。貴重な海を食いつぷす事業の是非論争にもかかわらず、当の石原慎太郎知事は現場を視察していない。公共事業の着工を知らせる起工式も行わず、声明も出さず、何やら都職員の陰に隠れたままなのである
 その江戸前の秋の風物詩といえば、ハゼのてんぷら船が有名だ。船上でハゼを釣る合間に、江戸前で捕れた旬の魚をてんぷらにして楽しむ庶民のいきな遊び。
 秋の好日、船を仕立てたのは「東京ばせ釣り研究会」メンバーら14人。船宿「富士見」の釣り船=石嶋茂船頭(60)=に乗せてもらい、東京港内の運河の浅瀬で釣り糸を垂れた。
 ハゼ釣り歴五十年余の名人、樋口正恭さん(71)は「高度成長期に比べて東京湾の水はきれいになったけど、相次ぐ埋め立てで釣り場がなくなっちゃったね、運河にこなければ釣りができないのさ」と嘆いた。
 借りた江戸和ざおにエサのイソメを付けて振り込冊む。指南通りおもりで底をトントンと小突くと早速「ブルッ、ブルッ」とあたりがきた。竹製の和ざおならではの手ごたえで8cm弱のマハゼが釣れた.その後もあたりに呼吸を合わせてさおを上げるのだが.一瞬のタイミングを外すとぼうずに終わる。
 「惜しい!」と侮しさを感じたころ、すっかりハゼ約りのとりこになっていた。
結局、3時間で釣果は13匹程度。さすがに名人は50匹を越えていた。
 「でも、10月半ばにハゼが深場に落ち出すと、やはり十六万坪」と樋口さん。釣り船はその十六万坪へ。
 ここの七割に及ぶ35haが埋め立てられ、住宅用地や交通網が整備される。
「静かな海でしょ。台風の大水や波風の影響も受けないところなんです。」昼になると、釣りはひと休みし、ビールで乾杯。釣り談義に食が進む中、樋口さんは"奪われし江戸前"に顔を曇らせた。
「江戸前の海にとって不幸なのは石原知事に自然環境への見識がないこと。なんでもお金で計算することに江戸の情緒やいきもありゃしません。これじゃ、お役人の言いなりです」
 そしてこうも続けた。「生き物の揺りかごで、水質を浄化する浅瀬は東京湾の再生に不可欠なんです。どうしてもつぶすならば、それ以上の浅瀬を東京港にこしらえてみてください。知事がもし本当の文化人ならばわかるでしょうに」
てんぷら船を初めて味わった女性も「東京にこんな美しい自然があったとは」と複雑な表情。バケツでは十六万坪に落ちていくかもしれない多くのハゼが踊る。ハゼも釣り人もどこへ行くのか。これが十六万坪最後のてんぷら船と考えるには、あまりにも悲しい。
(野呂法夫)