丸帆亭 萬釣報 #39 2000.4/21 更新                   
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隔絶から親水へと生まれ変わる京浜工業地帯ー工藤孝浩ー
つり人 `99 9月号より
 今でも人気のあるハゼ釣りだが、昔の江戸前のハゼ
 の多さは現在の比ではない
 今いるハゼを、今あるハゼ釣り場を守ることも大切
 だが、本気で江戸前ハゼ釣りの彼活を目指すのであ
 れば、環境復元がカギを握る。
  その具体的なビッグプロジェクトとして浮上して
 きたのが、市民と海との隔絶の象徴ともいえる京浜
 工業地帯の再開発である.
 すぐそこに海がありながら、市民が海辺に立つこともできないという矛盾。工業地帯としての役割を否定する
ものではないが、21世紀、東京湾の活用法は変るはずだ。
  京浜工業地帯をハゼのパラダイスに
 前ぺージでは、現在、東京湾が市民の憩いの場として熱い注目を浴びていること、さらに
住民と海をつなぐ架け橋になるのがハゼの存在であることを説明した。江戸前ハゼ釣りの復
活を、理想ではなく、本気で実現させるのだ。そのためには、今いるハゼやハゼ釣り場を守
るだけではなく、積極的な環境復元の手段を講じなければ、真のハゼ釣りの復活は望めない。
 私がハゼ釣り場の復元プランを描いているのが、川崎・横浜両市にまたがる京浜工業地帯、
行政では京浜臨海部と呼ばれる地区である。
 長らく日本の重化学工業の中枢を担ってきた京浜工業地帯は現在、工場の海外転出などの
産業構造の空洞化により、続々と遊休地が生まれ、土地利用の見直しを軸とする再活性化が
緊急に求められている。京浜臨海部の再編計画は、神奈川県が地元2市とともに最優先で取
り組む21世紀のビッグプロジェクトとして位置づけられたのである。
 対象地域6000ヘクタール、予算規模1兆円にのぼる、空前の.巨大再開発だ。ご存じのと
おり、京浜臨海部の水際線は、これまで市民のアクセスを阻んできた。それが、再開発によ
って大規模な親水空間が創出される可能性が出てきたのだから、釣り人ならその素晴らしさ
がお分かりいただけるであろう。市民の側からも、アメニティーゾーンとしての水際線の利
活用を望む声が高まっている。どうせやるなら、市民のアクセス確保だけの施設整備にとど
まらず、海の生物たちがにぎわい暮らす本物のビオトープ(生物の生息場所)も創造したい
ではないか。
 もとはといえば、京浜臨海部が埋め立てられる前、付近一帯は広大な干潟だったのである。
そこがハゼたちのパラダイスであったことは想像に難くない。京浜臨海部を縦横にめぐる運
河や水路は、埋め残されたハゼたちのふるさとだ。
 環境を改善してやれば、ハゼは必ず戻ってくる。ハゼ釣り場は復元できるのである。しか
し、その環境改善の具体的なノウハウは、現在のところ誰も持ち合わせてはいない。そこで
私は、市民、行政、そして企業と、広くパートナーシップを組み、ハゼ釣り場の復元を口指
したマハゼの生態研究に取り組んでいる。
     ハゼ釣り場の環境と特性
 マハゼが増え一釣りが楽しめる水際線の構造と、その維持
管理の手法が求められている。その答えは、現在東京湾に残
されているハゼ釣り場から学ぶことによって導き出されると
確信している。 
 私は、自分の目で長年の環境変化を見続けてきた横浜の金沢八最周辺を軸に、江戸川放水
路と多摩川河口でデータを収集し、各地のハゼと環境の特性を調べている。そのなかで判明
した興味深い知見を一例紹介しよう。
 98年の金沢八景・平潟湾周辺と江戸川放水路におけるマハゼの平均体長の変化を図に示し
た(図1)。両地域の体長は、6月には同じだったのに、7月になると大きく異なった。平潟
湾脚辺では順調な成長ぶりを示したのに対し、江戸川放水路では成長が停滞しているように
見える。しかしこれは、おそらく見かけ上の現象と思われる。というのは、平潟湾では生育
場と産卵場が狭いエリア内に隣接し、11月にはほとんどが成熟したのに対し、江戸川放水路
からは成熟個体が見られず、もつぱら成育場として利用されていたと思われるからである。
 つまり、江戸川放水路からは成熟したハゼが順次海へ出て行き、見かけの成長は頭打ちに
なると考えられるのだ。この推論を実証するため、ハゼの頭部から耳石を摘出し、電子顕微
鏡を用いて日齢組成を調査中である。

平潟湾のハゼ釣り復活劇からの考察

 調査対象の3地域は、それぞれ環境改変の履歴が異なっている。なかでも金沢八景周辺は、
近年に大きな人為的環境改変とハゼの増減があり、現存も変化が進行中の興味深いエリアで
ある。現在の地形は図2のとおりで、東京湾に開リする金沢湾と、その背後に位置する、平
潟湾が、野島を挟んだ2本の水路で連結されている。戦後20年間にわたり、基本的に現在の
ような地形が保たれ、昭和30年代を中心にハゼ釣りの名所として太いににぎわった。
 ところが、昭和30年代後半、夏島町から野島水路に流された工場排水により海苔養殖に
被害が出始めた。昭和41年には、地元漁協は海苔の被害防止のため、土砂で野島水路を封鎖
してしまった。閉鎖された平潟湾は、都市化に伴う工場・家庭排水の流入増加により急速に
水質が悪化。昭和40年代前半には「お化けハゼ」騒動が起き、ハゼ釣りそのものが廃れてし
まった。特に、野島水路では泥の堆積が進み、夏期には悪臭が発生し、ゴカイ掘り以外の人
は近づかない場所になってしまった。昭和60年になって、ようやく平潟湾全域の大規模浚渫
が始まり、水質は徐々に改善されていった。平成6年に野島水路が開放されるに至り、水路
と湾の水質は急速に改善され、マハゼも増えてきた。現在はまた、夏から秋になると、多く
のハゼ釣りファンが集まるようになったのである。
 平潟湾周辺の浚渫と水路開放によるハゼ釣り場の復活劇は、京浜臨海部の閉鎖性が強い水
路や運河にハゼ釣り場を復活する際に、重要な示唆を与えるものである。

    地元密着型のユニークな調査

 野島水路の開放により、金沢八景周辺のマハゼ資源量は、具体的にどう変化したのだろう
か。神奈川県下では、マハゼの漁獲データは整備されておらず、資源量を検討できる資料は
ない。
 そこで、鹿島建設技術研究所を中心にした、県.市.大学といった広範なボランティアの
運営によって、ハゼ釣り大会の形式をとった住民参加型の魚類資源量調査を試みた。金沢区
の広報により、事前に参加者を募集し、当日は現地に設けた受け付けでエサとアンケート用
紙を配付した。参加者は、釣りをした時刻、釣り場を記し、アンケート用紙備え付けのメ
ジャーを使って魚種別に釣れた魚の大きさを測り、その数も記入した。釣りが終わり、受け
付けにアンケート用紙を提出すると、参加賞のテレホンカードがもらえるというシステム。
 もちろん、参加費は無料である。5回の開催概要は図3のとおり。1000人を超える延べ参
加者のうち、95%は地元の金沢区住民が占めた。また、98年はアンケートの回収率も90%
台と極めて高く、調査が地元に定着したことを示している。気になるのは、主対象であるマ
ハゼの釣果が減少傾向にあることだ。この間に環境改変はないため、スズキに食われたので
あろうと思っているのだが、現時点では情報不足である。この調査から、ほかにも有益な情
報が数々得られており、今後も継続することによって、どんな研究機関も持ちえない貴重な
データベースになると確信している。
96年 97年9月 97年10月 98年9月 98年10月
参加者 243人 214人 266人 206人 215人
回収数 207人 142人 153人 189人 211人
回収率 85.2% 66.4% 57.5% 91.7% 98.1%
全体釣果 1,038尾 616尾 685尾 758尾 1,366尾
ハゼ釣果 874尾 408尾 390尾 289尾 293尾
その他釣果 164尾 208尾 295尾 469尾 1,073尾
江戸前ハゼ釣りの復活に向けた研究者・企業、市民・行政のパートナーシップに基づくユ
ニークな活動をご理解いただけたであろうか。企業などの独占により、せっかくの水際が閉
ざされている現在。そして、水際が開放されるだけではなく、そこに市長と生物の交流が行
なわれる未来。夢だけは大きくふくらむのだが、悲しいかな筆者には金も権力もない。我々
が蓄積中のノウハウが、具体的な事業に生かされ、東京湾に新たなハゼ釣り場が創造される
か否かは、多くの方々の協力にかかっているのである。どうか応援のほど、よろしくお願い
いたします。



2000.4.21 校了
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