[江戸前の海十六万坪(有明)を守る会]
情報、其之四拾弐 2001.9/25
 東京湾湾奥の価値 
下町ヘチ釣り三人衆が語る

文・写真 浦 壮一郎 つり人11月号より全文掲載

 

湾奥の水路でハゼ釣りに興じる親子連れ。それが街の風物詩でもあった。しかしそんな手軽な釣りですら楽しめる場所はほとんどなく、昔を知る人は「釣り人の数は激減した」と口を揃える。ハゼを釣る子供たちの姿は、かって江戸前の風景に溶け込んでいた。地図上から風景さえも次々に消し去る開発はいかがなものか?

 干潟や浅瀬の重要性が語られるなか、東京湾では現在も埋立工事が進行中である。
一方で、埋め立てに伴う岸壁や護岸の出現によって、湾奥はクロダイの生息に適した海域になる傾向も指摘されている。では、ヘチ釣りファンは、埋立工事に対して無関心あるいは肯定的なのかといえばそんなことはない。彼らの口から出た言葉の多くは、干潟の保全・再生を重要視するものだった。ハゼとクロダイ、釣りのカテゴリーに関係なく、釣り人は共闘して発言してゆく時代に入ったといえる。

正念場を迎える十六万坪埋立問題
 東京都ならびに、石原慎太郎都知事が十六万坪の埋立事業を強行してから、すでに1年が経過しようとしている。すでに、工事が着工されているからと、反対派住民や船宿関係者の活動とは裏腹に、釣り人の中にはあきらめともとれる落胆の声が聞かれるようになった。  しかしこのような開発行為に対する、反対運動、その歴史に目を向けてみれば、工事着工後、住民運動によってストップした例があることを忘れてはならない。  
 たとえば林道建設問題。白神山地では90年、現在の世界遺産地域を貫く青秋林道が地元、反対運動によって中止になり、また98年には、山形県でも大規模林道・朝日〜小国区間の中止が決定している。これら林道建設に対する反対運動は、むしろ工事が着工されてから活発になり、また当時は環境への意識が現在ほど高くない時代だったはずだ。にもかかわらず、人々は周辺住民に自然の大切さを訴え、根負けすることなく闘い続けた。そして付帯工事が着々と進むあの川辺川でも、干拓工事が進む諌早でも、住民運動の火は消えるどころかしだいに拡大しつつある。  
 
湾奥に残された浅場、貴重な生物のゆりかご「十六万坪」も、これからが正念場である。反対運動の中心を担ってきた「江戸前の海(有明)十六万坪を守る会」も、今後を見据えた動きを見せつつある。現在は付帯工事の段階であり、実際に埋め立ては始まってはいないのだから、当然といえば当然であろう。そして釣り人をはじめ.一般市民の動きいかんによっては、工事を中止させることは可能なはずである。  
 
 
十六万坪埋立に対する反対連動では、その海域が「ハゼの聖地」と呼ばれるように、マハゼが湧くほどに生息していることがクローズアップされた。ところが視点を十六万坪という一部の海域だけでなく、江戸前と呼ばれる海域、湾奥に広げた時、魚種別に見る環境変化文化、その変遷が釣り人の間で取り沙汰されている。十六万坪をはじめとする度重なる埋立工事、護岸工事の影響によって、ハゼなどのいわゆる底ものに代わって、本来磯に生息する魚類が目立つようになったというのだ。  元来、東京湾は広大な浅瀬と干潟が広がる海域であったが、それが消滅するに従い、魚類の生活環境に大きな変化が見られるようになった。特にカレイのような底ものは激減したが、逆にクロダイの成魚といった磯魚が姿をみせるようになっている。
  
とはいえ数が増えているかといえば、必ずしもそうではないらしい。そのあたりの現状そして変遷を、ハゼ釣り愛好家ではなく、あえてへチ釣りに精通する『東京湾黒鯛研究会』に属する下町の御三方に聞いてみたところ、興味深い話が飛び出した。

左から
・湯浅尅悟さん、東京湾黒鯛研究会所属の大ベテラン、月に20回前後は釣行するという。川崎新堤の 主的存在。現在はヘチ釣り一辺倒だが、以前は房総方面でウキフカセ釣りも行っていた。
中央区在住。
・田村信彦さん。東京湾黒鯛研究会所属。一本釣り漁とともに、今年からチャーター船「福の神丸」開始。 葛飾区在住。
TEL  03-3609-8540   URL http://sky.zero.ad.jp/tokyokou.hukunokami/
・佐藤達夫さん、東京湾黒鯛研究会幹事長、中央防波堤、野島防波堤をホームグラウンドにヘチ釣りを楽しむほかアナゴやカレイな江戸前の小もの釣り全般を得意にする。田村さんのクロダイ釣りの師匠、江東区在住。


ヘチ釣りファンから見た干潟の価値

 東京湾の変遷を語る時、よく比較に出されるのが高度成長期の公害である。その時代に比べると、東京湾は「きれいになった」というのがすべての人の総意ではないだろうか。だからといって、開発行為に目をつむることはあってはならない.。また、かつての公害時代と比較することにどれだけ意味があるのか、それもまた大きな疑問のひとつである。きれいにな.ったといわれる東京湾が、その後、好転し続けているのかにこそ注目すべきではないだろうか。
 へチ釣り歴36年という大ベテランの湯浅尅悟さんは、川崎周辺や湾奥での釣りに親しみながら東京湾を、その変化を見続けてきた。
 「当時(高度成長期)はとにかくひどい状況でした。水の色も、そして臭いもね。それから比べれば確かにきれいにはなったんだけど、高度成長期はあまりにもひどすぎただけだと思うんです。その後、それ以上はよくなっていない。隅田川なんかも今以上よくなる気配は感じられないですよ」
 肝心の魚についても、増えたという印象は持てないと湯浅さんは話す。
 「昔、といっても10年くらい前まではマコガレイもよく釣れた。けど今はダメ。それに原因はよく分からないけど、アイナメが全然いなくなってしまった。根があったところは砂で埋まり、泥地だったところは逆にコンクリートで固められている、東京湾自体もいわれてるほどきれいになったとは思えない」
 同会幹事長の佐藤達夫さんも、湯浅さんと同意見である。佐藤さんはへチ釣り歴も30年とさることながら、ハゼなど江戸前を代表する釣りについても幼少の頃から親しんできた。
 「確かにアイナメとカレイは激減していますね。湾奥に関しては中央防波堤の理め立てを始めてから、数がだいぶ減りました。とはいってもクロダイはいます、今のところ。よそに比べればいるけど、以前に比べると釣れる尾数はだいぶ減りました」
 アイナメやカレイの減少は、干潟など浅場が消滅しつつあり、宅地造成のために大規模な浚渫を繰り返した湾奥では当然の結果といえなくもない。その代わりに、かつて干潟が広がっていた湾奥にクロダイの成魚が生息するようになった。しかしそれも、「増えている」といえるほどではなさそうである。
 漁業とともに、クロダイやシーバスねらいのチャーター船「福の神丸」を経営する田村信彦さんの意見はどうだろうか。湾奥にクロダイが生息するとなれば、商売上は「大歓迎」となるのだろうが、現実は素直には喜べないというのが本音のようだ。 「埋め立てによって岸壁ができ、魚が付く場所ができたのは事実でしょうね。ですからベチ釣りファンの中にはそれを歓迎する声もあるかもしれない。ただ、稚魚が生息できる場所、または魚たちが産卵できる場所が減少していることも事実。これでは魚が増えるわけがありませんよね」
 クロダイが付きやすい岸壁や護岸が増える一方、稚魚が生息できる場所、干潟や浅瀬は激減した。成魚が生息しやすいポイントが増えたとしても、稚魚の住めない海では、どんな魚であっても増えることは、不可能だということだ。

 素顧が消えていく湾奥の海

 湾奥の一部の沖堤がクロダイの付き場になっている一方で、「湾口では釣れなくなった」という声があがった。その原因について佐藤さんが興味深い発言をした。
 「以前は湾口でもクロダイがずいぶん釣れたけど、最近は少なくなっています。その原因はエサにあるんじゃないかと考えています。湾奥に行けば行くほどカラスガイの付きはいい。クロダイにとってはエサが豊富になっているはずなんです。単に湾口の魚が減っただけかもしれないけど、エサの豊富な湾奥に行ってるんじゃないかとも思いますね」
 皮肉にも、埋め立てによる護岸工事によって、カラスガイが湾奥の護岸に付着するようになった。そのエサを目当てにクロダイが湾奥に移動したとも考えられるというのだ。

そして現実に、湾口と比較して「湾奥の方がクロダイは絶対に多いという。ところがそのクロダイ釣りも、すべての人が楽しめるのかといえば、必ずしもそうではない。

会社帰りに釣りイトを垂らすサラリーマン。いつでも気軽に釣りができる、それが湾奥の魅力のはず。

 というのも、東京港の水際は企業が占有してしまっており、大半は立入禁止になっている。魚はいても、釣れる場所は皆無にひとしいのが現実だ。それを無視して、東京部(港湾局)は「若洲や大井に海釣り用の海浜公園がある。釣り場はたくさんありますよ」と主張する。当然、反論は絶えない。
 「若洲とか、大井とか、海釣り用の施設を作っても、安全を意識しすぎて本当の釣り味が楽しめる釣り場ではないですよね。あんなものを作るんであれば、それなりに釣りに精通している人に意見を聞くべきだと思うんです。それをせずに『釣り場は作ってありますよ』と言われてもね……。あれじゃ本当に釣りをしたいという人には満足なんかできやしません。いま満足できるのは立入禁止の護岸くらいしかなくなってしまった。関西ではけっこう開放されているんですが、東京はダメですね。まったく理解がない」(佐藤さん)
 ハゼ釣りに関しても同じことがいえる。釣りに理解のない行政、東京都は「ハゼはどこにでもいる」と力説するが、海に近寄ることのできない湾奥は、純粋にハゼ釣りを楽しめる場所はごく限られている。この現実については、クロダイやシーバスを専門にする田村さんからも、ハゼ釣りファンに同情する発言を聞くことができた。
 「ハゼ釣りやる人もほんと釣る場所がないから可哀想だよね。もう昔みたいに立ち込んで釣れるところがなくなっちゃったから」(田村さん)
 「子供の頃、半ズボンで立ち込んでさ、暑いなか釣りをする。そういう場所がないんだもん。半ズボンで膝まで立ち込むという釣り、それが昔ながらのハゼ釣りのはずでしょ。役人にはそこまで分からないんだろうね。釣りのことを知らない人は、魚が生息してればそれでいいと思ってしまう。釣りをする環境というところまで考えてくれないからね」(佐藤さん)
 ノベザオで届く至近距離を立ち込んで釣る…-。これこそがハゼ釣り本来の愉しみであった。ところがそれが可能な場所はほとんどない。重たい仕掛けをリールで遠投してハゼが釣れたとしても、そこはハゼ釣り場とはいえないのだが、当然、そんな違いなど役人に分かるはずもなくハゼはどこにでもいる」の一点張りだ。


市民が提示したハゼ釣り公園案
 干潟が消え、護岸の海になった湾奥。環境が変化したその海では、ハゼやカレイやシロギスなど本来いた魚が激減し、代わって一部の沖堤などでクロダイの成魚に代表される磯の魚が顔をみせるようになった。このため釣り人は、落胆と喜悦、または黙認と、それぞれに止場を変えるのではないか……と感じていたが、必ずしもそうではないらしい。最終的には生産性の高い海を念頭に、稚魚が生息できる海、干潟や浅瀬がキーワードとなってくる。
 「護岸は魚にとって一種の磯になってしまう。人工磯の名目でゴロタ石などを置けばなおさらのこと。そのおかげでクロダイやメバルなどの魚が釣れるともいえるけど、本来、湾奥に磯はないんだからやっぱり不自然。干潟はあったけど」(佐藤さん)
 「磯は作れるけど.干潟は作れない.、そこが問題なんです」(湯浅さん)
 「今後、東京湾の環境を真剣に考えるんであれば、役所の人に実際そこの場所に行って、その自然を目で見てもらうことが必要ですよね。石をめくればカニはいるし、小魚はいるし、ヤドカリもいる。そういう、一生懸命きてる生きものを目で見てもらいたい」(川村さん)  
 「三番瀬も貴重な干潟だということでマスコミが騒ぎ、堂本知事の当選で白紙になった。われわれ釣り人側も、もっと声を上げてゆく必要があるでしょう」(佐藤さん)
 釣り人側から声を上げる……、それは環境を保全していく上で今や不可欠であり、むしろ遅きに失した感すらある。特に海釣りファンは遠慮しすぎだったのではないか。おそらく、そう感じるのは筆者だけではないだろう。  
 ひとつの対比として河川に目を向けてみると、釣り人の声によって砂防ダムや河川改修の計画に変更が加えられる例もあり、また大規模な多目的ダムなどについても行政はその声を無視できなくなってきている。しかし海の場合、利害関係のある漁業組合の声は聞きつつも、一般の釣り人はまだまだ彼らにとって"無視できる存在”でしかない。確かに個々に、要求を突きつけてきた人々もいるにはいるが、現に水辺の大半は企業に独占され、いまだ埋め立てがまかりとおっている。この現状を見たとき、釣り人側の発言が充分だったと言い切ることは困難である。
 
 そんな折、十六万坪では新たな動きが見られようとしている。守る会が、十六万坪を”ハゼ釣り公園にしよう"という構想を打ち出したのだ

 もちろん現状では、この案を東京都が受け入れる可能性は低い。しかし埋立事業の目的に「うるおい豊かな」という語句を用いているならば、ハゼ釣り公園案は決しって的はずれなものではなく、市民や釣り人側から要求を提示する意義は大きいといえる、また、近年に建設された臨海部の高層住宅を見た場合にも、ただ東京湾が臨めるというほか、人々が生活に「うるおい」を感じることはできない。十六万坪での現計画もその延長にあるが、「うるおい」というのであれば、この海域をより有効に活用すべきなのである。
 行政主導ではなく市民から打ち出されたハゼ釣り公園案。当面の障害は"カネ"ということになるだろう。東京都では臨海新交通「ゆりかもめ」や環状2号線などの建設費を、埋立地(十六万坪を埋め立てた後の更地)を処分して賄うとしているからだ。
 ただいうまでもなく、臨海部には売れるとされたはずの土地が、今も広大な空き地として広がっている。仮に十六万坪を埋め立てたとしても、その地の処分が不可能であることは誰の目からも明らかだ(最終的には都民負担になると予想されている)。そんな安易な皮算用で.十六万坪の埋め立ては強行されてしまっているのである。
 よってカネ勘定しかできない、いや、ろくにカネ勘定もできない役人たちを説得するのは至難の業だが、今後の展開は、守る会の取り組みのみならず、釣り人ひとりひとりの行動にかかっているといえる。

 湾奥本来の生態系を考えれば、マハゼは江戸前の顔ともいえる。ちなみに「ハゼはどこでもいる」という姿勢を崩さない東京都が昨年突如として主催した親子ハゼ釣り大会はオデコ続出という貧果におわった。

 
 9月3日、イギリスBBCラジオが十六万坪での埋立工事を取材した。公共事業という概念を持たないイギリスでは(こうした事業はすべて民間)、市民の声を無視し、公共の海を、政・官・財の癒着によって埋め立てることはありえないという。
 彼ら取材陣の疑問は、先進国であるはずの日本でなぜ、このような行為がまかりとおっているかにある。
その疑問は日本の民主主義、そのありかたを問うているといえるかもしれない。


※ 注釈
ヘチ釣り:
主にクロダイをターゲットとして堤防などの垂直護岸に付いている魚を釣る釣法、
短竿で足元を探りながら岸壁沿いに探り釣り歩くのが基本、技術と体力で釣果に差が出ます。

ハゼ釣り公園案:
2001.9/25 現在時点では当会の中での一試案です。会としての公式発表をお待ち下さい。

※ おまけに、湾奥ハゼ釣り情報”萬釣報、湾奥のデキハゼ釣り”も見てね。


2001.9.25 校了