[江戸前の海十六万坪(有明)を守る会]
情報、其之四拾 2001.7/25
酸欠の稚魚たちが警告する東京湾の現実
つり人9月号より全文掲載

ー酸欠の稚魚たちが警告するー
東京湾の現実 
      
浦 壮一郎 写真・文

稚魚が大量死する東京湾の現実

「アナゴ釣りは去年の半分くらいの釣果しかないし、フグも不漁。今年の東京湾は何かおかしいよね」こう咳くのは『都漁連内湾釣漁協議会』会長の平井護さんだ。釣果が上がらない原因が、これまでの度重なる開発のツケなのか、単なる気象によるものなのかは定かでないが、東京湾が瀕死の状況に向かっていることは、船宿をはじめ釣り人など、海を知る多くの人々が感じている。
 
今年、東京湾では例年より約2ヵ月ほど早く青潮が発生した。またこの5月には、東京湾に流入する河川で稚魚が浮くという現象が確認されている。
「稚魚が浮く現象は、これまでも何度も確認されていました。でも、だからといって放っておく気にはなれないからね、捕獲して別の水域に放流したんです。その後は何とか持ち直しているようですが、心配ですね」(前出・平井さん)
 都漁連のメンバーは、この現象が発生した5月22日から数日間、稚魚が酸素を求め水面に浮上している状況を見かね、捕獲したのちに十六万坪に放流するという行動に出た。いくらかでも助かって欲しいとの思いから、約30名以上の船宿関係者が参加したのである。
 稚魚が酸欠状態に陥るのは雨後、東京湾に流入する河川の多くが貧酸素水域になるためである(詳しくは後述する)。この状態が続けば稚魚たちが大量死する可能性も高く、当然、東京湾の漁獲高、釣果にも影響を及ぼす。この日、都漁連のメンバーが捕獲を行なったのは隅田川であったが、おそらくは荒川や江戸川など、東京湾に注ぐ大半の河川で同様の現象が見られたはずである。
 現場は隅田川の支流にあたる水路で、海水と淡水が混ざり合う汽水域にあたる。筆者が足を運んだのはその2日目で、水面に浮く稚魚の数は初日ほどではないという。しかしそれでも無数の稚魚が苦しそうに、そして弱々しく水面に漂っている。稚魚の大半はハゼ類であり、またカレイやボラ、スズキの稚魚なども確認できる。
 そのすべてが、潮流に乗って河川に入ってきた魚であり、川と海が正常な状態にありさえすれば、本来、立派な「東京湾の魚」へと成長するはずの魚である。今回捕獲されたのはほんの一部にすぎないが、都漁連のメンバーに発見された稚魚たちは運がよかった。大半の稚魚たちは人知れず無酸素の海を漂い、あるいはその存在を知られることもなく大量死していたに違いない。
 
取材の折、ふと目を陸上に向けると、稚魚の苦悩、そして必死な思いで稚魚の捕獲にあたる都漁連関係者を横目に、水路に架かる橋では通勤のサラリーマンやOLたちが足早に通り過ぎてゆく。彼らは東京湾で何が起こっているか知る由もなく、また知ろうという意識も希薄なのだろう。海と一般市民との乖離(かいり)が、東京湾を瀕死の状況へ導いだといえるかもしれない。

 捕獲した稚魚は、助かる可能性が高い水域、すなりち十六万坪に再放流された,もちろん、それで助かる魚は大量死する魚の中のほんの微々たる数にすぎないが、行動せざるを得なかった心優しき東京湾の海人だちの気持ちを察してほしい  酸欠に陥っていたのはハゼをはじめカレイ、ボラなどの稚魚たら。降雨のあと、下水道から雨水と混ざって汚水が流れ込んだことが、遊泳能力の低い稚魚たちに影響したと考えられる。  都漁連内海釣漁協議会会長
平井護さん。都漁連では現在、河川上流部の森林整備を検討中だという。また、今年は野鳥の会など市民グ,一プとの協力を得て、東京湾のゴミ拾いも実施している..すでに2回行なわれ3月にはIt・5月には3tものゴミを回収したと言う。今後は9月11日に多摩川河口で、10月29日に葛西臨海公園での実施が予定されている


稚魚たちの死が教えてくれるもの

 稚魚が酸欠に陥るという現象は今に始まったわけではない。これまでも気温の上昇と降雨が重なった際、度々発生していたといわれ、これは東京の都市化と関連が強い。もちろん気象条件が発端になってはいるが、直接的な原因は下水道設備にあると考えられている。
 一般に下水道は処理場の能力にあわせて下水管が整備されており、処理能力を超えないよう設計されている。そのカギになるのが、下水管のバイパス部分に設けられた余水バケ(雨水バケ)と呼ばれる堰で、この堰をオーバーフローする分の水は、川へ直接流れ込む仕組みになっているのだ。
 よって予想以上の雨量が降った場合、処理されていない下水管の水が大量に川へ流れ込む。この汚水の中には、下水管の中に溜まっているさまざまなゴミ、これも含まれることになる。
 また時折、下水処理場の強制排水が問題視されることもある。これは下水処理場がやむなく処理を行なわずに排水してしまう行為のことで、余水バケで余分な雨水を川へ流してもなお、下水処理場に多量な雨水が運ばれてしまう際に行なわれる。当然、河川と湾内に多大な影響を及ぼすことは明らかなのだが、むしろ注目すべきことは、強制排水が行なわれない程度の雨量でも、東京の川と海は余水バケによって汚水が流れ込んでいるという事実である。
 現に今年5月の降雨も、強制排水が行なわれるほどの雨量ではなかったと思われるが、それでも稚魚の生息環境を脅かすになった。雨水が地中に浸透しない東京、その現状は東京湾の魚類にとっていかに深刻であるか、稚魚たちの死がそれを教えてくれているといえるだろう。

下水流入対策をどうするか

 では次に、下水が河川に流れ込むとなぜ貧酸素になるかだが、それは汚水が酸素を消費してしまうからだという。しかし仮に汚水が流れ込んでも、河川が海に向かって流れている場合はさほど問題にならない。ところがそれは下げ潮時の場合で、上げ潮時は河川上流に向かう海水と下流へ流れる河川水とがぶつかり、河口部で水が停滞してしまう。つまり河川はせき止められた状態になり、汚水は撹拝(かくはん)されずに何時間も汚れたまま経過してしまうのだ。その間、水中に含まれる酸素は消費され続け、魚にとっては致命的な状態になり、特に移動能力の低い稚魚は影響を受けやすい。
 稚魚の大量死。この現象の構造はこれまで述べたとおりだが、次に関心を持たざるを得ないのが、その対策である。かいつまんでいえぱ3とおりの対策が考えられているが、それらの対策が現実味を持っているかどうかは、疑問符を付けざるを得ない。
 まず1つ目は、東京湾に流入している河川、その大半の水が下水処理水であることから、現在の二次処理式の下水処理から、より高度な三次処理に転換しようという動きがあること。しかし仮にこれが実現したとしても、東京湾の水がきれいになるとはかぎらないと専門家は指摘している。いくらかは改善されるかもしれないが、東京湾そのものにも問題があるからである(後に述べる)。
 2つ目は、分流式の下水道を整備することである。東京都は比較的早い時期から下水道が整備された。このため現在は古いタイプの合流式が一般的で、この方法はこれまで述べてきた余水バケを使用する下水管のことである。下水と雨水をひとつの下水管で合流させてしまうため、処理されない汚水が、雨水と一緒になって川に流れ込んでしまうのだ。
 しかし分流式の場合、雨水用にもうひとつの管が設けられている。よって下水と混ざることはないことから、雨水はそのまま川へと流れ込むことになる。
 ただ分流式への転換で問題になるのが、想像しえないほど莫大な予算が必要になることであろう。このため「とても現実的とはいえない」というのが大方の見方である。
 3つ目は、雨水を地中に浸透させる施策である。今年5月、『日本水大賞顕彰制度』の第3回受賞者が発表されたが、その大賞に輝いたのが、小金井市の「雨水浸透事業」だった。これは各住宅に雨水の浸透しやすい「雨水浸透ます」を設置する試みで、地下水の枯渇や河川の増水を防ぐ効果があるという。そしてこれが、東京湾にとっても救世主になるかもしれないのだ。雨水が地下に浸透すれば下水に流入する分も減少することにつながる。よって合流式下水処理のままでも効果を発揮できる可能性があるというわけだ。もちろん東京都全体にこれを普及させることは容易ではない。また「雨水浸透ます」は各家庭で負担することになるため、都民の同意が必要となることも課題といえる。
 さらに、この施策は下水道事業と比較すれば、ごく小さな工務店レベルで設置が可能であること。これが逆に障害となる場合すらある。というのも、前者2つはいずれも大規模な建設業者が潤う事業であり、建設族議員や大手ゼネコンにとっては好都合だからだ。もちろん現在の我が国は予算の獲得が難しい状況にあるが、既得権益を頑なに固持したい官僚や族議員によって、下水道事業という大規模公共事業が選択されることは充分に考えられる。それがいかに長い年月がかかろうとも、またいかに莫大な予算が必要になろうとも、彼らにとってそれはこの上ないことだからだ。

まだ生きている・・十六万坪

 河川の水質が仮に改善されたとしても、それでもまだ東京湾は回復するとはかぎらないといわれる。それはいうまでもなく、現在の東京湾に浅瀬や干潟がわずかしか残されていないからである。特に東京港は皆無に等しく、十六万坪の埋立工事が進む現在、明るい材料を見つけることはできない。
 都漁連の面々は捕獲した稚魚を放流する際、その放流場所にやむなく十六万坪を選んだ。ほかに放流する場所がないのだから、やむを得ない判断だったといえるだろう。ところがこの日、稚魚が浮いていた河川内とは対照的に、工事中であるにもかかわらず、十六万坪ではそのような現象はまったく見られなかった。かねてから処理場の強制排水や大雨の影響を受けない水域といわれていたが、それを証明して見せたといっていい。浅場であると同時に閉鎖水域である十六万坪は、まだ生きているのである。
 この十六万坪という水域について、東京都環境局の中には「東京港は大半が航路であり浅場はほとんどない。十六万坪の埋め立ては、そのほとんどない中のほとんどの部分を消してしまうのだから、とんでもない行為。現在残っているというのは、それだけで貴重だ」と語るものもいるが、一方で都環境局は正式なコメントを避けており、港湾局と石原都知事に頭が上がらない現状を露呈してしまっている。
 そして、この貴重な浅場、十六万坪の埋立工事は着々と進んでおり、浅場が皆無になることで赤潮の発生が今以上に増加することが危倶されている。
 赤潮とは植物プランクトンが異常発生する状態のことをいうが、これはいわゆる富栄養化現象である。栄養が豊富であることは生産性が高い水域ともいえるのだが、東京湾の場合、植物プランクトンの存在が食物連鎖の上で役立っていないため、このような現象が発生することになる。
 本来なら、浅場や干潟などに生息する底生生物、ゴカイやアサリなどが植物プランクトンをエサとして消化することで、食物連鎖が成り立ってきた。これが浅場の浄化作用であり、海はこれら底生生物の存在が大きなカギを握っているともいえる。
 ところが十六万坪の埋め立てをはじめ、羽田空港の拡張、中ノ瀬の浚渫など、東京湾の浅場という浅場はすべて、開発によって消えゆく運命にある。しかも今年6月、東京都民の多くはそれらの行為を支持してしまった。

東京湾に流れ込む河川で稚魚への被害が確認された日、十六万坪では稚魚が浮くという現象は見られなかった。浅場であることと同時に、閉鎖水域であることが、河川からの汚濁水流入を防いているといえる。しかし、工事は現在も着々と進み、水の流れていた所がせき止められ、確実に水質は悪化の方向に進んでいる。 捕獲した稚魚を放流する都漁連のメンバーだち。放流場所は、やはり十六万坪しか見あたらない。


都民が十六万坪の埋立を支持?

 都民はこの6月、十六万坪の埋め立てをはじめ、東京都の事業でムダの典型といわれる「臨海副都心開発」、さらに福祉予算「約900億円の削減」など、これらすべての政策を支持する決断を下した。
 このように書くと、都民の中には「何のこと?」「そんな政策、支持してないよ」と思う方もいるかもしれない。しかし少なくとも、先だっての都議会選挙で自民党と公明党に投票した人々は、これらの政策を支持したことになる。それが民主主義のルールというものだ。
 厳しいいい方になるが、今後これら人々は、無料だったシルバーパスが今以上に値上げされても、または建設業者が都民の税金を浪費したとしても、文句をいえる立場にはない。無論、先に述べた政策を支持しているのなら、それはそれで個人の自由であるが。
 あの都議会選の結果を見るに、次の選挙までの4年間、東京湾はかなり苦しい立場に追いやられたことは間違いない。今思えば政策論議がまったく行なわれない異質な選挙であり、単に小泉人気が東京湾を死の淵に追いやったといっていいだろう。
 しかしそれも、都民の関心が東京湾に向いてさえいれば、もう少し違った結果になっていた可能性はあった。水辺に近づけない東京湾の不運とでもいおうか、この反省は次につなげてゆく必要があるだろう。
 その試みは、都漁連のメンバーらによってすでに動き始めている。東京湾の海人たちが、上流部の森に関心を持ち始めているのである。前出の平井さんは言う。「海をきれいにするには森が恵まれていないといけない。そこで最近は林業関係者の方とお会いしたりしてるんです。うちらが林業に首を突っ込んでも、そうすぐ結果は出ないでしょう。ですが長い目で見ればやらないよりはいいですからね。たとえば多摩川なら、青梅の人たちと我々が交流を深めていった時、その中間にいる人たち(一般の市民)が川をきれいにしようという気持ちになってくれれば・・。そう願っているんです」
 森に目を向け始めた東京湾の海人たち。その動きは必ずや、都民が東京湾に関心を寄せるきっかけ作りになることだろう。



2001.7.27校了