歌舞伎座の怪人

雁金 伸次


 あれは大学2回生の6月の事であった。
 その頃僕は非常に「ご立腹」だった。
 なぜなら「ケニア」(当時僕がバイトしていた喫茶店)のアイドル、ウエートレスの陽子ちゃんが、同僚のウエイターとくっつきそうになっていたからであった。
 陽子ちゃんは本当に可愛かった。
 当時売れていたアイドルデュオ ウインクの右側(相田翔子?間違っていたらごめんなさい)が更に都会的に洗練された様な容姿をしていた。
 あまりに可愛過ぎて、僕なんかは近寄りがたい存在であったが、遠まきにその姿を見ているだけですごく幸せだった。
 いつまでも皆のアイドルでいて欲しかった。
 ああ、それなのに・・・・。
 「くそー。俺らの陽子ちゃんが・・・・・。こんなんやってられへんわ!」
 今回紹介する酒に関する大失敗話にはこのようなバックグラウンドが導火線として存在していたのだった。
 この物語は、一人の酔っ払いの汚らしくもばかばかしいドキュメントである・・・・。

 6月のある晩、高校時代からの友人で今は公務員をしている せっきんから電話がかかってきた。
 「なあ。伸ちゃん、飲みに行こうや」飲みの誘いであった。
   僕とせっきんとは高校時代同じバレー部に所属しており、2年生の時には二人で副キャプテンをしていた。
 せっきんには妙な必殺技があった。
 それは、「いい事を言った次の日には必ず練習を休む」攻撃であった。
 例えば、これは僕達のバレー部が4部リーグに転落した(※大阪の高校バレーの組織は1部リーグから4部リーグまでの4つのリーグによって構成されていた。言うまでもないと思うが1部が最も強いリーグで4部が最も弱いリーグだった・・・とにかくうちのチームはメチャメチャ弱かったんです)翌日の話なのだが、突然せっきんが筋トレの最中にこう宣言した。
 「目指すのは3部リーグ復帰やないぞ!もうひとつ上の2部リーグや!そういう気持ちで練習せなあかんねや!!」
 ・・・・・そう言った次の日、彼は練習を休んだ。
 中学生と練習試合をして負けた(・・・どこまで弱いんや・・・)翌日もそうだった。
 「中学生に負けてる場合やないで!恥ずかしい!」
 ・・・・次の日彼は練習に来なかった。
 そんな事がたびたび続くうち、せっきんがいい事を言う=翌日休みたい宣言と受け取られるようになり、その公式はほとんどの場合、外れる事はなかった。
 「せっきん、今日来てないぞ」「ああそういえば昨日、何かの本読んでめっちゃ燃えてるっていうてたわ。今日休みたかったんやろう」
 そんな会話が僕らバレー部の中では真顔で交わされていたくらいであった。
 また彼は屁が臭い事でも堺東高校の中では非常に有名であった。
 何しろせっきんの事を知らない「せっきん?誰それ?」って言う奴でも「あの屁の臭い奴やんけ!」といえば「ああ、あいつの事か!」と分かるくらいであった。
 せっきんから誘いを受けた時、僕も冒頭に書いた陽子ちゃんの一件で、何かぶちかましたい気持ちでいっぱいだったので二つ返事で了承した。
 「行こう、行こう!俺もちょうど飲みたかったんや!」
 次の日曜日の6時にミナミのロケット広場で待ち合わせる事にして電話を切った。

 当日、奴はめずらしく約束の時間ぴったりに現われた。
 「何や?せっきん、珍しいやんけ!時間ぴったりに来るやなんて!」
 「当たり前やんけ!今日は俺、めっちゃ気合い入ってるんや!」
 公務員をしているせっきんに何があったのか知らないが、とにかくものすごく気合いが入っている様子であった。
 「せっきん、どこ行こうか?」
 「そうやなあ。『いろはにほへと』にしようや!」
 まだ20才の僕らは気のきいた飲み屋をあまり知らなかったので、「飲み会」といえば「いろはにほへと」か「百番」か「村さ来」というのが定番パターンであった。
 時間がちょっと早い事もあって、日曜日にもかかわらず客席には空席が目立った。
 難なく席についた僕らは二人でメニューを覗き込んだ。
 「何飲む?」「うーん・・・今日はやっぱり冷酒やろ!」
 この日の僕らはどうやら本当に徹底的にぶっ飛びたかったみたいだ。
 いきなり冷酒からスタートしたのであった。
 当時僕は正直、酒を飲んで「ああ、おいしいなあ」と思った事がなかった。
 今でこそビールなしでは生きていけない体に改造されてしまったが、この当時はビールですら味が分からなかった。
 ただ、ハイになる即効薬みたいな感覚で無理やり体に注入する、そんな感じの酒の飲み方であった。
 そして更に、まだ酒に対して自分の限界すら分かっていなかった。
 酒の味が分からず、自分がどこまで飲めばどんな状態になるかも分からない、なのにやたらとやる気だけ満々の人間二人がいきなり冷酒からスタートしてしまったのだから、この飲み会は最初からKO以外の決着は考えられない状況だったのである。
 冷酒はすぐに僕らのテーブルに届けられた。
 お互いのガラス盃にあふれんばかりに冷酒を注いだ僕らは「よっしゃ!ほんなら行くぞ!」の掛け声と同時に盃どうしを軽くぶつけあった。
 「カチーン」ガラス盃が軽くぶつかり合うその澄み渡った音は、実は壮絶な戦いの始まりを告げるゴングであったのだった。
 時刻は6時半をすこし回ったところであった。
 そこからはまさに死闘であった。
 お互い、会話らしい会話はほとんど交わさなかった。
 僕らの口から発せられる言葉といえば「おかわりください!!」「行ったれや!」「ええから飲めや!!」「よっしゃ!!」「うわあ、なんかめっちゃ回ってきたわ!!」のいずれかであった様な気がする。
 追加注文→乾杯→一気飲み このパターンをただひたすら何度も何度も繰り返していた。
 もう楽しい飲み会という感じとは程遠く、なんだか酒という液体でお互いの顔面を殴り合ってるとか、至近距離で全力投球のキャッチボールを続けているとかそんな感じの飲み会だった。
 上記のパターンを6回くらい繰り返した頃から、僕の意識がフェイドアウトし始めた。
 そして最後に覚えているのは腕時計の針が7時を指そうとしていた事と「なんや、まだ飲み始めて30分しか経ってないんか」と思った事だった・・・・。
 僕の意識は完全にそこで寸断されてしまったのであった。

 僕の意識が再び甦ったのは日付が変わった午前1時の事であった。
 僕の意識が甦った時、僕は眠りから覚めて覚醒した訳ではなく、なんと御堂筋を敗残兵のようにとぼとぼ歩いている途中に覚醒したのだった。
 暗やみの中でなんだか薄ぼんやりと緑の円がボウっと浮かんできて、それが心斎橋の百貨店「大丸」のマークである事に気が付いた時、僕は意識を取り戻した。
 「あれ?『大丸』やんけ!あれ??俺、今、何してるんや?? せっきん、どこへ行ったんやろう?・・・・あれ?ポーチがないぞ!」
 時計は午前1時を指しており、どうやら自分は午後7時くらいから現在までの記憶を完全に失っており、その間にせっきんともはぐれ、財布の入ったポーチも紛失してしまっているのだと、ようやく把握できた。
 意識を取り戻すと同時に猛烈な頭痛と吐き気がもよおし、僕は橋の上で激しく嘔吐した。
 とにかく大変な事になってしまった。
 この一文無しの状態でいったいどうすればいいのだろう?
 家にも帰れないし、どこかに泊まろうにも泊まれない・・・・。
 深夜営業の喫茶店すら入れないのである。
 「待てよ・・・。喫茶店?そうや。ケニアや!ケニアの前で寝ていよう。朝6時半くらいには誰か出てくるし、その人に金借りて家へ帰ろう」
 相変わらず続く激しい頭痛と吐き気の中、僕は一応結論を出し、心斎橋からケニアに向かうべく御堂筋をトボトボ歩き出した。
 途中何度も何度も嘔吐を繰り返し、御堂筋のそこら中に大阪名物のお好焼きを撒き散らして大ひんしゅくをかいながら、僕はトボトボトボトボ歩みを続けた。
 歩きながら改めて自分の姿を見てみると、今の自分はまさに「ボロ雑巾」という表現がピッタリあてはまっていた。
 服の部分部分が破れており、特に胸から膝のところにかけてはヘッドスライディングの跡の様に汚れていた。
 何しろ7時から1時までの記憶が全くないのだから、どこかでヘッドスライディングをしていたとしてもおかしくはなかった。
 それにしてもケニアまでの道程は遠かった。
 普通の状態の時でも心斎橋からケニアまで歩こうと思えば20分程度かかるのである。
 その道程をこんなボロ雑巾状態で歩かなければならないとは、まさに拷問に等しか  った。
 フラフラゲロゲロの状態でようやくケニアに到着した僕は、冷たく閉められているシャッターに背中をもたれかけて地べたに座り込んだ。
 目の前の今は暗くひっそりとしているパチンコ屋「ナンバ一番」の看板をぼんやり眺めながら、僕は相変わらず続く激しい頭痛と吐き気の中で呟いた。
 「俺・・・なんで今日こんなになるまで飲みたかったんやったっけ?」
 そうだ。陽子ちゃんだ。陽子ちゃんが同僚ウエイターとくっつきそうだという事にやりきれなさを感じて、その気持ちが僕を「ブッ飛び」に走らせたのだった。
 その事を思い出すと、僕の中に頭痛、吐き気以外に胸がキューンとなる様な切なさもこみあげてきた。
 「陽子ちゃん・・・。」恥ずかしげもなく僕はそう呟いていた。
 こんなゲロゲロボロボロの状態の僕を陽子ちゃんの笑顔で救ってほしかった。
 今の僕を救えるのは陽子ちゃんしかいない様にも思えた。
 あー・・・・陽子ちゃん・・・。
 そんな事をぼんやり考えているうちに、再び僕の意識はフェードアウトしていった・・・・。

 次に意識を取り戻した時、僕の目に飛び込んできたのは陽子ちゃん・・・だったら良かったのだが、陽子ちゃんではなくなんと杉 良太郎だった。
 杉 良太郎は「遠山の金さん」の格好をして、威勢よくさくら吹雪をこちらに見せていた。
 「あれ・・・杉良やんけ・・・・なんでこんな所に杉良がおるんや・・・・?」
 僕はやおら起き上がりきょろきょろあたりを見回してみた。そして驚いた。
 そこはなんと御堂筋沿いにある、おばちゃん達の夢の殿堂「新歌舞伎座」の真ん前だったのである。
 そして僕の目に飛び込んできた杉良は新歌舞伎座の巨大看板だったのである!
 僕はいつのまにか「ケニア」の店の前から新歌舞伎座の前まで移動し、路上で大の字になって倒れていたのであった。
 あたりはもう夜が明けており、まばらではあるが人も行き交っていた。
 どうやら路上で大の字になって倒れている僕を、誰もが見て見ぬふりで通り過ぎていた様子だった。
 「冷たいもんやなあ・・・。人間なんて・・・。」
 一瞬そうも思ったが、逆の立場になって考えてみると、こんな道のど真ん中で大の字になって倒れているややこしい人間なんて、関わり合いになりたくないと思うほうが正常な感覚だろうとも、その時はなぜか冷静に判断でき、そんなに腹は立たなかった。
 腕時計の針は午前6時を指していた。
 「・・・・なんでもええけど、とりあえず家に帰らなあかんな・・・。」
 僕は一文無しであるにも関わらず、新歌舞伎座とはもう目と鼻の先である「南海なんば駅」にフラフラと向かった。
 きっぷ売場の販売機のところで僕は一部始終をそこに居合わせた駅員に打ち明けた。
 駅員はゲロゲロドロドロの僕の姿を見てあからさまにいやそうな顔をしていたが、とりあえず駅長室に案内してくれた。
 駅長室で僕は一枚の用紙を差し出された。
 その用紙の正式な名称は忘れたが、「運賃後払い承諾書」の様なものだったのだろうか、それに署名と拇印を押す事を促された。
 そこには「私は旅先で不慮の事態に巻き込まれ所持金を全額紛失してしまいました。運賃は必ず後程お支払いいたしますので、どうか乗車させてください」みたいな事が書かれていた。
 (不慮の事態か・・・・。みっともないなあ・・・・)
 なんだかすごく情けない気持ちに見舞われたが、そんな事を気にしている場合ではないと思いなおし、そこに署名と拇印を施した。
 駅長室を出ると、僕は改札口でその「運賃後払い承諾書」を見せ、改札を通過して「林間田園都市」行きの区間急行に乗り込んだ。
 その日は月曜日で、朝の6時半だったがなんば→和歌山方面は通勤・通学ラッシュには巻き込まれないので、座席にゆったりと座る事ができ、僕は一旦そこでホッと胸を撫で下ろした。
 「ああ。これで家へ帰れる・・・。」
 家へ帰った後の事も心配でない訳では決してなかったが(おかんにどう申し開きをすれば良いのか等)「家へ帰れる」という安堵感からか僕は眠りに誘われた。
 どれくらい眠ったのだろう、目を覚ました僕の耳に車掌の車内アナウンスが聞こえてきた。
 「次は三日市町 三日市町ー。」
 (三日市町? しまった!! 寝過ごしてしまった!!)
 そう気付いた時にはもう後のまつりだった。
 やむなく三日市町で下車した僕は、愕然としてしまった。
 (うわあ!! ラッシュに巻き込まれてしまうやんけ!!)
 三日市町→なんば行きのこの時間帯は通勤・通学ラッシュで激しく込みあうのである。
 電車を待つ列に加わった僕は、その時点でもう僕という存在自体が罪悪だった。
 ゲロゲロドロドロの僕に否応なしにまわりの冷たい視線がブスブス突き刺さって、痛いくらいであった。
 電車に乗り込んだ僕のまわりは満員電車であるにも関わらず、半径1メーター以内に誰も近寄ろうとはしなかった。
 僕は終始うつむいたままで誰とも顔を合わせることができなかった。
 三日市町から僕の下車する駅である狭山まではものの10分程度の所要時間なのであるが、この時ばかりはすごく長い時間のように感じられた。
 ようやく狭山駅に着いた僕は、改札口でさっきの「運賃後払い承諾書」を見せ、そこでも駅員の蔑んだ視線を体いっぱいに浴びた。
 「すぐに運賃は払いに来ますから」
 そう寂しく言い残して僕は改札を抜けて家へと向かった。

 もちろんその足取りは重たかった。
 そういえば所持金が全く無かった事もあって、家へは一切連絡してなかったことを思い出した。
 きっと家では大騒ぎになっているはずであった。
 家の前までたどりついた僕は一瞬とまどったが、意を決して玄関のドアを開けた。
 「ただいま。」
 ゲロゲロボロボロの僕を真っ先に出迎えてくれたのは、予想通りおかんの怒鳴り声であった。
 「電話もせんとどこへ行ってたんや!!」
 そう言いながら玄関まで出てきたおかんは僕の姿を見て卒倒しそうになっていた。
 「うわあああ。何、その格好! うわあ。くっさああー。」
 僕はとりあえず「面倒くさいなあ」と思いながらも一部始終を説明した。
 所持金も学生証もすべて紛失してしまった事を告げた時母親は一際大きな声でこう言った。
 「学生証なんか悪用されたらどないするんや!今から探しておいで!!」
 「アホか!こんな格好で行けるかい!」
 僕は全然関係ないけど、昔 中学の野球部時代にグローブをなくしてしまった時、夜中に「見つかるまで帰ってくるな!」とグローブを探しに行かされた事をなぜか思い出して、思わず苦笑しそうになった。
 (おかんの言いそうなフレーズやなあ)とっさにそう思った。
 「それであんた、お金もないのにどうやって電車に乗ったんや!タダ乗りしてきたんちゃうやろなあ!」
 そこでも僕は「ああほんまに面倒くさいなあ」と思いながらも「運賃後払い承諾書」の話を聞かせた。
 するとおかんは今度はこう言った。
 「恥ずかしいなあ! 私、もう恥ずかしいて南海電車乗られへんわ!!」
 「なんでやねん!!」
 おかんも相当興奮しているようで訳の分からない事まで口走っていた。
 「とにかくその服、はよ脱ぎなさい!汚い!臭い!」
 言われるままに服を脱いだ僕はその服をおかんに渡した。
 おかんはその服を、本当にこの世で一番汚くて臭い物を持つ様に両手の親指と人指し指だけで僅かにつまんで洗濯機の方へと向かった。
 とりあえず一旦おかんの攻撃から免れた僕はシャワーを浴びた。
 ちょっと熱めのシャワーはこの一晩の悪夢をすべて洗い流してくれるようでとても心地よかった。
 風呂場から出て、体を拭いている最中にせっきんの事を思い出した。

 「そうや!せっきんや!あいつ家へ帰れたんかなあ?」
 僕はせっきんの家へ電話をかけることにした。
 せっきんはいた。
 最初におばちゃんが出た後、せっきんが電話口へ出てきた。
 「おーーーしんちゃん!!どこ行ってたんや!!」
 「せっきんこそ、どこ行ってたんや!!」
 どうやらせっきんは、無事夜のうちに家へ帰れたらしかった。
 お互いの無事を確認し合った後、僕はせっきんに聞いた。
 「せっきん。俺、飲み始めて30分くらいの事しか覚えてないねんけど、俺等あの後どないなったんや?」
 「お前、ほんまに覚えてないんか?」
 せっきんの話によると、こうだった。
 9時頃まで飲み続けた僕らは店を出た後、次の店を探すべく心斎橋方面へ向かっていた。
 すると突然、歩いている最中に僕が吐き気をもよおし、歩道の真ん中で吐いてしまい、間が悪いことにその嘔吐した物が通りがかったサラリーマンにひっかかってしまったというのである。
 僕らは一目散に逃げ、激怒したサラリーマンは僕らを執拗に追い掛けてきたらしい。
 なんとかサラリーマンの追撃から逃れた僕らはアメリカ村の三角公園で大の字になって眠ってしまい、せっきんが気付いた時にはもうすでに僕の姿がなかったというのである。
 受話器を置いた後、僕は戦慄をおぼえた。
 (覚えてない・・・。全く覚えてない・・・・。)
 本当に飲み始めて30分くらいから心斎橋「大丸」付近で覚醒するまでの記憶が、まるでハサミで切り取ったかのように欠落しているのである。
 もし仮に、その間に人を殺したという疑いをかけられても僕には否定できる材料が全く無いのである。こんな恐い事があるだろうか・・・・。
 酒はなんて恐ろしいんだろう。
 「もうこんな飲み方は2度とせんとこう」
 正直、その時はそう思った。
 僕はそれまでにも酒で正体をなくし潰れてしまった事は何度かあった。
 でも今回のように記憶をなくしてその間に自分が何がしかをしでかしてしまっているといった経験は無かった。
 だいたい「酒で記憶をなくす」なんて事は酔った奴の都合のいい言い訳だとずっと思っていた。
 酔ってる間にどんな無茶苦茶をやっても「ごめん。俺、そんな事やった記憶ないんや。堪忍して。」と言ったら、誰も文句は言えないと思うからだ。
 まさか自分がそのような状態になろうとは夢想だにしなかった・・・。
 酒の恐ろしさをまざまざと見せつけられてるうちに、洗濯機のほうから「すすり泣き」の様な声が聞こえてきた。
 おかんだった。
 僕が脱いだゲロゲロボロボロの服を洗いながら、おかんが泣いているのであった。
 「ああほんまに情けない。こんな事させる為に大学まで行かしたんとちゃうのに・・・・。」
 僕はその様子を見ながら、「何も泣く事はないやろう」とも正直思ったが、おかんに対していたたまれない気持ちになった。
 それはそうだろう。
 息子を予備校に行かせる為にパートにまで出てやっと大学生にまで育てあげたのに、その息子に勉強ほったらかしで酒で潰れてゲロゲロボロボロで朝帰りされるとは・・・・。
 おかんの涙はポロポロこぼれてバカ息子の服がくるくる回る洗濯機へと何粒も何粒も落ちていった。

 あれから早いもので10年近い月日が流れた。
 あの時「もうこんな無茶な飲み方はせんとこう」と心に誓った僕だったが、「もちろん」そんな誓いはすぐに2万光年の彼方に消し飛んでしまい、この10年の間に両手でも数えきれない程の失態を演じてしまっている。
 ほんと、懲りない奴である。
 もう来年30になろうとしていているにも関わらず、今だに実家のおかんから度々「お願いやから無茶な飲み方せんといてや」と電話で懇願されている始末である。
 結局あの時僕をあんな「無茶飲み」に走らせた陽子ちゃんは、同僚のウエイターとはくっつかなかった。
 誰のものでもない「ケニアのアイドル」として君臨しつづけてくれた。
 今はどこで何をして暮らしているんだろう・・・・。
 きっともうどこかで「可愛い奥さん」してるんだろうなあ。(うらやましいぞご主人)
 僕には今10ヶ月になる息子がいる。
 もし息子が将来酒で僕と同じような失態を演じ、渋谷のセンター街あたりの路上で  大の字になって倒れていたらなんて考えると、やはりゾッとする。

 でも命を落とさず、法にも触れない程度なら、「ちょっとくらいはそんなエピソードがあったほうが男としては人生の肥やしになるかな」、なんて無責任にも思ったりなんかもするが、嫁さんにはうちのおかんのように洗濯機の前で涙を流すような悲しい思いはさせたくないので、やはり「ほどほどにして欲しいな」と思っている・・・・という事でこの場は円くおさめたい。


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