2001年8月23日(木曜日)


 前回酒の勢いで喧嘩を止めに入った話を書きましたが、今度は先日あんまり酒が回ってない状態で喧嘩を吹っかけると言う大失態をしてしまいました。。。
 このことについては来週のネタ帳に書くかもしれないし、でも多分書かないんじゃないかなぁとも思います。何でかって言うと、書き出してしまうと自分に有利なことばかり書いてしまって、公正でない文章になってしまいそうな気がするからです。
 先日のことについては私が全面的に悪かったと思っていますし、私があのような行動に出た原因が、特定の誰かにあると言うことは絶対にありません。それだけはここに明記しておくことにします。

 しかしまぁ。それはそれとして、なんて鬱なる自分であろうか。
 夏休みが終わって、仕事が始まって、実は仕事の方は結構好調だったりするんだけど、それは抜きにしてなんだか鬱なのだ。朝は凄く職場に行きたくないし、定時をすぎていることにひとたび気付いてしまうとものすごく帰りたい衝動に駆られる。かといって一旦帰路についたところでまっすぐ家に帰る気も起きず、なんとなーくアキバで無駄遣いしてみたり、とんかつ屋に入ってご飯3杯ぐらいおかわりしてみたりしている自分がいる。
 今年の夏休みは、去年の寝たきりに比べれば全然快適なものではあったけど、やっぱり結局夏らしいことは何一つ出来なかった。海にも行けなかったし、旅行にも行かなかったし。多分、夏休みが終わってしまったことに鬱になっているんじゃなくて、夏らしいことが何一つ出来ないまま夏が過ぎていこうとしていることに鬱になっているんだと思う。

 人は、季節を感じなくても生きてゆくことは出来る。何も私は、夏だから泳がなきゃとか、体焼かなきゃとか、冬だからスキーやらスノボーやらやらなきゃとか、そういう風に考えるような人間ではないことは確かだ。
 でも、季節が存在する土地に生きていながら、季節を感じることもなく、淡々とした日々を過ごして行くことに、生きている意味が欠片ほどにもあるのだろうかと考えると、ものすごく視界が暗くなってきて、ものすごく耳鳴りが響いてきて、ものすごく口の中が乾いてきて、もう、どうしようもない憂鬱に、駆られてしまうのだ。


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 蝉の亡骸

ジャンル:フィクション
危険度:小

 長い間ずっと降り続いていた雨降りの日々も過ぎ去って、夕方のだいぶ遅い時間まで日が出ているような季節になって、油蝉が大合唱を始めても、私は仕事に追われていた。
 研修を終えた新人が、ここにも何人か配属され、この糞暑い季節になると、彼らのために祝杯をあげる。大体いつも似たような店で、似たような料理らしきものをつまんで、吐かない程度に酒を飲んで、普段あまりしゃべらない仕事仲間らしき人間と会話らしきことの真似事をする。
 それが終わると夏はさらに盛りを見せて、蝉の合唱は大スペクタクルに突入する。世間の子供たちはそろそろ夏休みだ。行きも帰りも電車の中には、町に繰り出して遊園地にでも遊びに行こうという子供たちがちらほらと見かけられるようになる。彼らの楽しそうにはしゃぐ姿が微笑ましい。微笑ましい、と思う半面、気持ちの隅に、暗い影を落としている自分がいる。

 定時で帰ると家につくのは7時ごろで、この季節だとまだ結構明るかったりする。町のどこかでお祭りをやっているようだった。私はこの町に一人で暮らしている。この近くに知り合いはいない。だから祭りにも行く気は起きなかった。
 お祭りの、お囃子が遠くで聞こえる中で、それに対抗するかのように、油蝉の鳴き声が混じっていた。こんな時間でも蝉は鳴くのかと感心しながら、今日もそうめんを茹でる。

 カレンダーをめくる頃、あちらこちらの町で盛大な花火大会が行われるようになって、そのたびに電車が混雑した。この季節はプロ野球の借り入れ時でもあって、ドームに近い会社の最寄り駅は毎日のように混雑していた。
 自分と同じように仕事をして生きているはずの人間たちが、自分が仕事帰りで疲れきった顔をしている周りで、遊び帰りの満足げな顔で談笑している。何でなんだろう、と思う。余計なことばかり考えてしまう。
 忙しくて帰りが遅くなると、今度は平日だと言うのにご機嫌に酔っ払ったおじさんばかりで電車は混雑する。一人、シラフで考える。余計なことばかり考える。耐えられなくなって、歌とか口ずさんでいる自分がそこにいたりする。

 気が付けば、大合唱の歌い手の中に、つくつく法師が混じるようになっていた。オペラも佳境に近づいてきていることが、否応無しに分かった。
 お盆と言われる日が含まれる週になって、やっと一週間だけの夏休みをもらった。
 残業ばかり続いていたおかげで、旅行の手配などする暇の無かった私は、予定の無い宙ぶらりんな身分になってしまっていた。私の数少ない友達は、片や論文や就職活動に終われる卒業目前の学生だったり、片や販売員で夏休みなんてモノが存在しなかったり、片やフリーターで借金に追われる生活を営んでいたり、片や私とは違う週に夏休みをもらっていたりで、一緒にどこかへ遊びに行こう、と誘える人間もいなかったのだ。

 仕方が無くて、なんとなく町をふらふらと歩いてみる。
 暑くって、蒸し暑くって、倒れそうになる。
 とおりは走り行く車の巻き上げる排ガスでさらに糞暑くなっている。眩暈がしてくる。
 我慢が出来なくて、どこか適当なデパートに逃げ込んだりする。
 喉が乾いていることに気付いて、地下の飲食コーナーでクリームメロンソーダフロートとかいうなんだかお洒落でとにかく涼しげな飲み物を注文する。
 ふと、辺りを見渡すと、近くの大学に通ってそうな年代の、若い女性のグループばかり。2人用のテーブルに座って、一人寂しくフロートを啜る男がいる。私のことだ。
 なんとなくTシャツとか買い物したくなって、逃げるように上の階へ移動する。
 割と気に入った感じのシャツが3枚ばっかり見つかって、レジでお金を払う。
 そのままフラフラ歩いていると、水着売り場に突き当たった。
 そこで私は、飾られている海パンをなんとなく手にとって見たりする。

 タメイキを、一つ。

 そういえば私は、去年も海に行っていない。
 その前の年は、行くに入ったが確か9月になってからで、それでも無理して海に入ってくらげに刺されて溺れかけて酷い目にあった。
 そのさらに前の年のことはあまり覚えていない。ただ、私がまだ子供だった頃は、毎年必ず家族に連れられて、海に行ったり、山を上ったりしていた。

 会社員になってからまだまだ日が浅いのに、仕事をせずに親のスネをかじっていた頃の自分がやけに懐かしい。

 どうしてこの国では、仕事をしている人間は8月になってから夏休みを取るのだろうか?
 何も必ずしも盆に休みを取らなきゃならない理由なんてないんじゃないのか? わざわざ海にくらげが出る季節になってから遊ぶ時間を用意することに何か意味があるのだろうか?
 子供の頃はお盆の日に、必ず田舎へ遊びに行っていた。だから今年のお盆も、一応自分の田舎である実家に帰ってみることにした。
 帰ってみたところで特にやることも無かった。あれだけ親しかった家族とは思えないくらい社交辞令的な挨拶を、親に交わしている自分がいた。おまけに実家の人間は誰一人死んでいなかったから、お参りする墓も無いまま時間だけがすぎて行った。私は本当に日本人なのかと疑いたくなるくらい、有り難味の無いお盆だった。
 そんな自分とは対照的に、マスコミは今年も政治家が靖国神社を公式参拝するだのどうだので騒ぎ立てていた。実にどうでもいいことだ。

 そうだ。だんだん思い出してきた。
 お盆と言えば田舎。田舎は地方の山の中。墓はその山のいくらか登ったところにちょこっと集まっていて、そのうちの一つ、確か白い囲いのある、それなりにちょっとした綺麗なお墓だ。そして、そいつに水をやって、花を添えて、閃光をあげて、手を合わせてお祈りをするおばちゃんの丸い背中だったんだ。
 そして幼い自分にとってはそれ以上に虫篭で、虫取り網で、大きなブナやヒノキを思いっきり蹴っ飛ばす、強い父さんの足だった。そして、幸運にも落ちて着た大きなミヤマクワガタと、それを拾おうとして駆け寄った自分の背中に落っこちてきた大きなナメクジ、そしてそのナメクジの感触に、涙をあふれさせながら慌てふためく、そんな自分だった。

 蝉の抜け殻を初めて見たのも、そのときだった。
 蝉の抜け殻はその頃の自分にとって驚きだった。こんな立派な、硬い殻を全身にまとっていて、しかもそれを一気に全部脱ぎ捨てると言う蝉の荒業に、ただただ舌を巻いた。
 あとで蝉の一生について書かれた図鑑を読んで、ますますビックリした記憶もある。蝉は何年もの間、幼虫として土の中で生活し、成虫になる直前に、土から這い出して木に登る。そして脱皮、羽化し、成虫となった蝉は、2週間ぐらい散々泣き喚いたあと、あっという間に死んでしまうのだ。

 そう、今そこら辺に転がっている、お腹を真っ白にしてぴくりともしない、こいつらのように。

 ここ最近、蝉の抜け殻なんて見た記憶が無い。
 蝉の抜け殻が見られる時期に、蝉の抜け殻を見つけられるような場所に自分が行かないからだ。
 でも不思議なことに、こんな町でも蝉の死骸は簡単に見つけることが出来る。
 あれだけ鳴いてあれだけ存在をアピールしている訳だから、死骸の1つや2つぐらい見つけられないほうがむしろ不自然だと言えば確かにその通りだ。
 そして、蝉の死骸が見られるようになったということは、そろそろ夏も終わりに近づいていると言うことでもあった。

 夕方がだいぶ早くやってくるように感じ始めた頃、私は仕事に復帰した。
 季節がすぎるのは本当に早いと思う。まだ下ろしたての、カラーの半そでYシャツが妙に肌寒く感じた。
 そう思っていたら台風がきた。台風一過で空は綺麗になったが、風にさらされて通りの並木からはいろんなものが落っこちてきて道を汚していた。もちろん、蝉の死骸もその中にいくつか混じっていた。
 残暑は厳しいが、この暑さも時期に過ぎ去ってしまうのだろう。そろそろ寝冷えが恐くて、毛布もかぶらずに眠ってしまうと言うことは出来なくなってしまった。

 このまま、夏は終わり、秋は過ぎて、やがて冬が来るだろう。
 その冬もあっという間に通り過ぎて、春がきて、そしてまた夏はやってくる。

 でも、いくら季節が巡っても、自分が土から這い出て、木によじ登り、脱皮して、羽化するタイミングは巡って来ないんじゃないかって、そんな気がしてならないのだ。

 定時帰りの道端に、点々と転がる蝉の亡骸を横目にしながら、私は憂鬱にも、そんなどうでもいいことばかりを考えてしまうのだ。