2001年8月9日(木曜日)
酒が入ると誰でも自分の中のリミッターというものが緩んでしまうものだ。
実際私もここの文章は大抵酒が入った状態で書いているし、今日だって例外ではない。ここの文章がリミッターはずれ気味の危険なものばかりなのはその70%ぐらいが酒のせいではないかと思う。
今日は1時間半ぐらいしか残業していないのに、いつもの3倍ぐらい疲れている気がする。あまり自分で疲れた疲れた言うのは好きではないのだが、とにかく目の奥は痛むわ背中は痛いわ体ふらつくわ歩きゃよろめくわで帰路は大変だった。それというのも今やってる仕事が自分にとってものすごく充実しているのに終わりが見えないからなのであって、思った以上に前に進まない焦燥感とやってることの難しさで精神的にかなり参ってしまったんだと思う。なんせ自分が趣味で作るのなんかより全然凄いプログラムを一人で組まされてるからな(笑)。しかもプロジェクトとは直接関係のないプログラムだから、出来上がったらお持ち帰りしてアレンジしたものをvectorにでも投稿しようかともくろんでいたりもする。つっても大して役に立つツールじゃないんだが( ̄▽ ̄;)。
なんだか話が飛んでしまったな。何が言いたいって、よーするにさっき買って来たマカダミアナッツ入りのチョコレートを3個ほどブランデーで流し込んだら背中の痛みが引いてきたことが嬉しかったというただそれだけのことなんだけどな(笑)。
そんなわけで、今日は酒が入ったときの人間の行動についてでも語らせていただこうかと思う(嘘)。
ジャンル:実話
危険度:大
本場、韓国の喧嘩はやっぱり凄まじいものがあった。
先日、職場でとある協力会社の方の任期が終了するということで、その方のお別れ会を開く予定だったのだが、ご本人の体調不良などが重なった末に結局任期終了までに時間が取れず、お別れ会も中止になってしまった。で、せっかくなのでプロジェクトのチームの皆さんで焼き肉でも行きません? という話になり(何がせっかくなんだかよくわからないがまぁそれが日本の社会人的連帯感とか言うヤツなのだろう)、それなら私もせっかくだからということでいっしょに焼き肉喰いにいくことにした。
そこは地下鉄春日町駅徒歩0分の場所にある「りーでん」というお店で、焼き肉の本場・韓国人の方が経営しているお店だ。品数はそれほど豊富ではないが悪くない肉を出し、また結構本格的な韓国料理が楽しめるなかなか良心的なお店だと思う。興味のある方は探してみるとよいと思う。ちなみに私が今行っている職場も通りこそ違うがあの近くだったりする。
2階の座敷席に通された私たち若干6人は、和やかな雰囲気でお酒を飲み交わしながら、肉を喰いながら談笑を始めた。その日に去っていくことになる、本来今日の主役であったはずの人の話。彼は台湾出身の方で、片言の日本語で一生懸命業務を遂行する方なのだが、日本語があまり上手ではないからなのか、それともそもそもコミュニケーションということになれていないのか、話しても反応の仕方がいまいちあいまいなところがあって、相談を持ちかけても話が大幅に食い違ってしまったり、ミーティングのときに質問してもちゃんと名前を呼ばないと返事すらしなかったりと結構やりにくいところもある方ではあった。…なんてなことを、本人が居ないのを良いことに愚痴りあってはげらげら笑ったりした。それから毎度のオタク話や、会社の裏話など、結構当り障りのありそうな会話は白熱し、おかげでお酒のピッチも結構回っていたんじゃないかと思う。
店に入ってからおおよそ2時間ぐらいが回り、皆さんの箸の回りも緩やかになってきた。またーりムードがしっとりと一団にまとわり付き始め、そろそろいい感じに出来上がってきたかなーなどと思い始めている自分がいた。
事件は、突然起こった。
下の階から男の怒鳴り声が聞こえてきた。同時に何かがぶつかる音がした。そのすぐ後で皿が割れる音がし、そして女性の悲鳴のような叫び声が聞こえた。
私たちはそれまでしていた会話を止め、みんなして一瞬階段のある方に顔を向けた。恐らく他の座敷に座っていた客もみんなそうしたと思う。1階から聞こえる騒動とは対照的に、一瞬だけ2階の座敷は静かになった。
1階から聞こえてくる騒動は、そのまま止まる気配はないようだった。男の罵倒の叫び声、そして異常なほどスリリングでヒステリックな女性の喚き声は、そのまま延々と続いている。
しかし2階の沈黙はそう長くは続かない。やがて周囲の席からは談笑のざわめきが再び聞こえ始め、そして私のいる席でも、再び会話が起こり始めた。しかし話題は完全に今の騒動に持っていかれ、「何、喧嘩?」「凄い声あげてるね」「外でやれってんだよなぁ」「まぁ(自分たちが)1階でなくて良かったよ」「1階にいる人たちどうしてるんでしょうね?」「1階にいる客なんてもうみんな帰ったんじゃない?」などという会話が飛び交っていた。
一応念のために書いておくが、同席している方々は皆、私より年上ばかりである。まぁ私が23歳なのであたりまえといえば当たり前なのだが、5人いるうちの2人が20代後半、あとの3人は30代から40前後といった面子で、何か大事があったとしても別に大して驚くこともなく落ち着いていられる大人たちばかりなのである。
ましてや騒ぎは下の階、視界の外で繰り広げられている。だから時々不自然なほどものすごい打撃音とヒステリックな女性の悲鳴が聞こえてきても、「まだやってるよ…」と漏らす程度でいられるのだ。
そんな中で、私一人がまったく違う心境に包まれていた。恐らく傍から見ても分かってしまうくらい、その席で私は一人だけ「落ち着かない」しぐさを見せていたに違いない。音だけ聞いていてもその尋常ではない雰囲気は否応無しに感じ取れたし、何しろなまじ想像力はあるものだから、考えうる限りの最悪の事態がちらほらと脳裏に浮かんでは、下の階で繰り広げられている騒動の真相が気になって気になって仕方がなくなってゆくばかりだったのだ。
果たして私は、一人ふらりと席を立ち上がると、無言のまま歩き出した。同席の方々は今、まったく別の話題に話の花を咲かせていて、私の行動などまったく気にかけていない様子だ。そして私は座敷を降り、サンダルを履いて、何気なしに階段を下りていった。
聞こえてくるのは、男の激しい罵声と、ヒステリックな、女性の叫び声。何かを叩いたりぶつけたりする音、必死でそれらを止めに入ろうとする、少しお歳を召した男女の声。私はそれらの現場を目で見るまでは、罵声は一人の男によるものだと思っていたので、もしこれが男女の痴話げんかだったりしたら、それこそ男性が女性に対して残虐極まりない犯罪行為を犯しているんでもない限り、あまりお関わり合いにはなりたくないなぁとも思った。そんな訳で、あくまで慎重に、心の準備を整えつつ、ゆっくりと階段を下りて行った。
下の階に下りて見たものは、意外にも男同士の喧嘩だった。
後で聞いた話では、喧嘩していた二人はこの店の息子兄弟なのだそうだ。道理で声が似ていたわけである。似たような声で罵倒しあうものだから、上にいた私には一人が喚いているように聞こえたのだ。
つまり繰り広げられていたのは兄弟げんかだった。それもただの喧嘩ではない、それこそ隙あらば取っ組み合い、掴み合いの激しい喧嘩だった。ヒステリックな叫び声をあげて止めに入っていたのは兄弟の兄のほうの嫁さんで、興奮した兄がビール瓶を振り上げて飛びかかろうとするのを必死になって制止している。一方の弟の方を制止しようとしているのはこの店の主人と女将さんで、恐らくこの兄弟の両親ということになるのだろう(別に取材した訳ではないので詳しい家族関係まで把握している訳ではない)。しかしそんな外野の努力も虚しく、二人はお互いの矛を収める様子はなく、一旦引き離してみてもお互いに激しく罵りあうことをやめず、そしてお互いにまたすぐ掴みかかっては殴りあったり、近くにある武器になりそうなものを振り上げたりということをやめようとしない。
それはまるで、子供が泣き喚きながらする喧嘩に似ていた。嫁さんもらうようなイイ年こいた青年がするような喧嘩ではなかった。
私はその、現場に繰り広げられていたあまりの事態に言葉を失い、しばらく呆然とその様子を階段の入り口に立ったまま眺めていた。
そのとき、上の階ではいつのまにか私が居なくなっていることに気付いた客先の社員の方が一人、階段を下りてきた。私の後ろにたったところで彼の視界にもその光景が目に移り、やはり私と同じように、唖然とした表情で事態を見守るしかない、という感じで突っ立ってしまっていた。
しかし丁度そのとき、弟の方の頭から血が滴り落ちていることに気付いた私は、さすがにこれはこのまま放っておいたらやばいことになるんではないかと思うようになった。そしてそう思うと同時に二人はまた掴みかかりあい、揉み合いになっていた。親父さんがどうにか二人の間に割り入ろうと試みるが、どうにも止めきれないという様子だった。
私は黙って、今二人がつかみ合っているテーブルの方へと歩いていった。この騒ぎに乱入しようとする私を見て、女将さんや、私の後ろに立っていた連れの人は、あるいはギョッとしていたかもしれない。またさらにとんでもなくややこしいことになると思ったかもしれない。
私は、例えばボクシングやK1なんかのレフェリーが、クリンチに入ったまま動きを止めてしまった選手を引き離すときのように、今喧嘩を繰り広げている二人の間に体を押し入れ、両腕で双方の胸をぐいっと押し離した。
そこでお互いの隙を得た親父さんが弟の体を抱きおさえ、兄から引き離した。女将さんとその他何人かの関係者がすぐさま親父さんの加勢に加わり、そして兄の嫁さんと、さっきまで私の後ろに立っていた連れの方も素早く私の加勢に入ってくれた。二人は相変わらず罵りあい、そしてまたすぐにも掴みかかろうとするが、兄のほうがビール瓶を手にとって振り上げようとする度に私や彼の嫁さんがその腕を必至で制止し、連れの方は必死に「とにかく、とにかく落ち着きましょう」と兄の方をなだめ、そしてその一方で弟の方はその周りで彼を制止する人たちに「今日はもう帰れ、あんたはもう帰った方がいい」となだめ(?)られながら、結局外に連れ出されて行ってしまった。
そんなこんなで結局騒ぎは一段落した。
私が止めに入ってから、旦那を正気に戻らせるため、私を引き合いに出して「この人、お客さんなんだよ」と必死になだめていた兄の嫁さんが、騒ぎが終わったあとで私や連れの方に感謝とお詫びの言葉で何度も何度も頭を下げた。そのとき嫁さんが指摘してくれるまで、そのとき着ていた半そでの白シャツに、恐らく弟のものと思われる鮮血が結構いくつも飛び散っていたことに気付かなかった。なんだかんだで私もかなりに必死になって喧嘩の仲裁に尽くしていたんだと思う。さすがに興奮していた兄の人も落ち着きを取り戻すと、私に謝罪の言葉をかけてくれるようになった。
間もなくして女将さんらが戻ってきて、もういい、今日はもう来てるお客さんみんなタダにしちゃうよ、などと言ってくれた。私はその言葉だけはしっかり覚えておくことにして(笑)、連れの方と一緒に再び2階に上がることにした。階段を上がる途中でまた兄の人が女将さんに対して罵倒し始めるのが聞こえたが、さすがにもう先ほどのような激しい喧嘩はないだろう、と彼らを信じることにして、黙って階段を上りつづけることにした。
なんだかんだ年を喰っているとはいえ、やはり下での騒動が相当に気にはなっていたようで、座敷の席に戻ると一連の騒ぎに関する事情聴取が実に和やかに展開された。同席の方々は私の取った行動について皆一様に驚きを示し、口を揃えて「よく止めに入ろうなんて思ったね」などと言っていたが、実際一番驚いたのは多分私自身なんじゃないかと思う。
もともと私は喧嘩をするような人ではないし、喧嘩があってもわざわざ止めに入るような人間でもなかったはずなのだ。否、あるいは小学生ぐらいの頃までは持っていたような泣き虫気質の異様な正義感も、中学に上がったぐらいからはだんだんと薄れていっていたはずで、高校に上がった頃にはそんな元気の欠片も残っていないような、かなりテキトーな性格に変わっていた記憶しかないのである。
しかしこのときだけは、周囲のどことなく冷めた風を装っているような雰囲気の中で、いっしょになって合わせて自分を押し流してしまいたくない、という感情が、自分の中で沸き起こってしまったのは確かなのである。そういう意味ではやはり私は酔っていたんだと思うし、シラフだったらむしろそんな行動には至らなかったんじゃないかとも思うのだ。
かといって、今回のことで後悔した事といえば、強いて言えば下ろしたての renoma の白シャツを他人の血で汚してしまったことぐらいで、もしあの時私が止めに入っていなかったら、ということを想像してしまうと、むしろ止めに入ったことは正解だったのだという気持ちのほうがずっと強い。そして、こういう言い方は不謹慎かとは思うが、何より今回のことは、自分自身の自信向上にも繋がるような貴重な経験だったとも思うのだ。
結局私たち一行はその後も1時間半ぐらい居座って飲み食いを続けた。私は既にかなり腹が膨れていて、肉は食わずにウーロンハイ1杯で粘っていたので、おかげでさらにもう少しだけ酔っ払うことが出来た。そろそろお開きに、ということになって下に下りると、女将さんが出てきて「今日はお代はいいよ。ほんとに」と言ってくれた。まともに飲み食いすれば一人4、5千円ぐらいかかるお店だ。私は「本当にいいの?」と一応念を押してみたが、でも結局はありがたくそのご恩にあやかることにした。
店を出ると、さっきの騒ぎで結局加勢する形になってしまった人が、「これ、村山さんの分のクリーニング代」と言って、漱石を2枚ばかり手渡してきた。クリーニング代でこんなにもらえるの? と少し驚いたが、ありがたく受け取ることにした。
そんな訳でいろいろと書いてしまったが、お店としてはとても良心的でいいお店だと思うので、これを読んだ方はぜひとも足を運んでみて欲しいと思う。
ただ、万が一にも行った日にたまたま同じような騒ぎが起こってしまったら、ほんの少しの勇気を酔いの勢いに乗せて、どうか止めに入ってあげて欲しい。せっかくの食事も酒も、後味の悪いものにしないためにも。
…それにしても、結局喧嘩していたあの二人も、それからあの場にいて必死に止めに入っていた人たちもみんな、始終日本語使っていたなぁ。よっぽどこの家族は日本での生活が長いのだろうか。それにしてはカタコトな発音ではあったが。。。