2001年7月19日(木曜日)
キーボードの足が片方折れてしまった。。。ここまでなるほどにキーボードをぶん殴って興奮するゲームは久しぶり、っていうかむしろ初めてだ。うぐぅ。
まぁそのゲームは恐らく来週辺りに紹介することとして。
先日、某@DRK氏と某holstein氏とで(つまり、近頃の定番メンバー)、ついに以前から気になっていた近所の高級マンション隣接レストランに行って来ました。今度の土曜日に開かれる電撃総出の就職&内定お祝いパーティーがネタになるほど盛況なものになるとも保証できないのでこいつもゴミ出しのために取っておこうと思うのだが、個人的な感想を一言述べるなら、予想以上に案の定だったな、って感じで( ̄▽ ̄ )。表向きパン屋さんで、パスタの値段とか出てるからってだまされちゃあいけません(笑)。まぁ私はかなり気に入ったけどねあのお店。
で、今度はゴミ出しじゃあもう遅いので今のうちになネタ。
みなさん参院選はどこの誰に一票を入れるかもうお決まりになりましたか?
え? 小泉さんにがんばって欲しいから自民党? 馬鹿言っちゃあいけません。自民党から出馬する議員のほとんどが橋本派、しかも既得権益にお世話になってる族議員サマばっかりですよ。
悪いことは言いません。もっともっと、オモシロイ選択があるんです。
今回の参院選は。
白川勝彦率いる、「新党・自由と希望」に、熱い一票を!!
。。。いや、まぢで。
だってねぇ。なんてったって、この党からはあのキツネ目の男、宮崎学氏が出馬するんですよ。
これで応援しない方がおかしいじゃあないですか(ヲレ的にな)。
《参考リンク》 | 電脳キツネ目組 |
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宮崎学勝手連・がんばれまなぶちゃん |
先日京都で小泉首相が応援演説中に突破乱入演説を行ったそうですが。。。見に行きたかったなぁ。。。
ジャンル:実話
危険度:大
とても感動する作品に出会うと、似たような作品を作りたいという衝動に駆られることがある。
テトリスが流行した頃、多くのソフトハウスやらアマチュアプログラマーやらが猫も杓子もってな勢いで落ち物パズルばかりを作り続け、それは作り手の間にも別なブームを呼んだ。「作り手のブーム」というのはゲームに限らず音楽であろうとマンガであろうと小説であろうと媒体を問わずあるもので、最近でいうならば音楽は都会的ブラックとフォークであふれ、マンガは何かとキャラを売り物にする少女漫画風か激しいデフォルメを織り交ぜた謎な笑いをやたら誘いたがるギャグマンガであふれ、もっとも典型的な物を挙げるならホームページは自分をピエロにした自虐ネタを、やたらと派手な装飾文字で軽快に綴る「痛い系日記サイト」であふれ返っている。
こういう、同じような作品であふれ返る状況というのは決して万人に好まれる状況ではないが、他人に「私も作ってみたい」と思わせる、影響力ある作品を作れる人間がいたからこそこういう状況は生まれる訳で、そういう意味ではこれもこれでまた好ましい状況と言えるのかもしれない、と最近私は思うのだ。
かく言う私も、フリコレの影響で3連符記号ばっかりのやたらと跳ねる軽快な曲ばかり書いていた時期があったり、すまっぴぃずやまいく・まいにぇりの影響で激しいんだけどどこか前衛的なビブラ・ソロばかりを使おうとしたり、某氏が教えてくれた「JOE」というシュールでステキなゲームに感化されて、あんなふうに片手で手軽に遊べてジクジクはまってしまうシュールなゲームが作りたいという思いがそのまま「ぼえぼえ〜」という作品になって昇華されたりと結構つまらないことをやっていたりする。悪いことではないのだがこればかりではイカンのぅとつくづく思うのだが、最近はそんな感じですら作品作りが出来ていないのだからむしろますます持っていかんともしがたい訳で。
ところで話は突然同人の世界へと移ろうのだが、同人作品というのは既成のキャラを扱う作品が大半を占めるという事情も確かにあるとはいえ、それにしたってあまりに盛ってくらいに激しくこの「作り手のブーム」というやつに左右されまくっている。セラムンが出てきた頃は右も左もセラムン一色、それがやがてはエヴァになり、CCさくらになり、そいでもって最近ではでじこにえここに偽春奈ですか。まぁここまではあくまでメジャーなマンガやアニメ、それから草の根から広がったネットアイドル(最近はこっちの方が面白い広がりを見せてる気がする…やっぱり使用制限が無いも同然だったりして扱いやすいってのもあるのか?)だったりするのだが(先行者を扱う同人も結構出てきているらしい。。。こいつもネットアイドルなのかね、中国湖南省発の)、同じような流行と言うのがエロゲー業界からも提供されたりする訳で、最近ではもっぱらカノンや東鳩に毒された男たちが、こぞって癒し系の白いぼんやりとした学園モノ恋愛エロアドベンチャーばかりを作っているんだそうだ(そういうのはあんま買わないからよー知らんのやけどな)。
かく言う私もかつてタヌメディアというゲーム作りのためのサークルをやっていた頃があった。他のトピックでも度々書いているがこいつはおいらが中学のときから大学2年のおしまいまで続けていた非営利団体ってやつで、まぁ言ってしまえば、ゲーム作りたい7人組がそのまんま腐れ縁になった、ってとこだ。
私はここではプログラマー兼音楽担当で、ここから世に送り出される作品が、自分が頭ひねって作ったロジックで動き、自分がノリノリで書いた曲がBGMとして流れる光景を夢見ていた訳だ。いわゆる作り手的「純粋なシタゴコロ」というやつである。
ところがこのメンバーの中に若干数名のエルフ信者がまぎれていたのだ。エルフといっても神話に登場する、森に永く住む耳長のヒューマノイドのことではない。最近カノンやAIRなんかがそっち業界で信者を作りまくったように、私が高校生やっていた頃にやはり信者を作りまくったエロゲーで「同級生」という作品があった。これを作ったのがエルフというメーカーなのだが、ゲーム自体はいわゆる恋愛シミュレーションの走りで、ときメモ(これも懐かしい名前だなや)みたいな感じの、シミュレーションとは名ばかりのマルチエンディングシナリオADVというやつだ。
私は個人的には、この手のゲームをやった人が、まるで現実で激しい恋をしたかのようにキャラ達への熱い想いを語る姿があまりにも滑稽で、それだけでも嫌気が差していたものだ。そして反面、多くのレビュー系雑誌やなんかが「すべてのCGを攻略するロードマップ」みたいな記事を掲載していたりするのを目にしてますますうんざりしたりもした。私の中のクリエーターズ・ソウルは今でも「マルチエンディング」を禁句にしているし、この考え方は恐らく生涯変わらんのじゃないかと思う。
んでまぁ要は何があったのかと言えばつまりそんなエルフ信者な方々が、「同級生みたいなゲームを作りたい」などとのたまい始めたということがあった訳だ。当時から同人業界とパソコン通信は密接なつながりがあった。そしてそれを言い出した若干名のうちの何人かは大手商業ネットNiftyに繋いでいた。多分そういうことなんだと思う。
現実問題として。メンバーの開発環境はばらばらだったという問題も確かにあった。7人のうち、3人がニチデンもしくはその互換機ユーザー、2人がMSXユーザー、おいら1人がうんずユーザー、若干1名パソコンすら持ってないという状況で、プログラミングスキルに左右されるようなゲームの開発は難しいという判断があった。当時は本格的な開発言語が非常に高価だったという問題もあった(高校生は貧乏じゃけんのぉ)。Cをやりたくても手が出ない、LSI-C86試食版なんてぇのもあったけど主力のおいらがうんずユーザーではグラフィックを扱うライブラリすら使えない(98用は出回っていたけどうんずにはなかったのよね)。BASICから離脱したいという欲求もあった。幸い、アドベンチャーゲームならアスキーがステキな開発用ツールを安価で販売していた。画像やテキストのレベルなら異機種間でもデータの互換が可能である。アドベンチャーなら作れる。アドベンチャーなら行ける!!
アスキーのツールとは言わずと知れた「アドベンチャーゲーム・ツクール」というやつで、ニチデンマシン用とうんず用が発売されていた。今考えると「ホントにこんなので作るの?」って言いたくなるくらい実に陳腐なツールなのだが(テキストはオートスクロールじゃないし画面切り替え時のビデオ効果とかぜんぜん無いし最も重要なフラグ処理もあんまり複雑な分岐は出来なかったりするし)、当時はこれさえあれば自分たちは何かしらの作品が残せるという期待がこのツールには一心に注がれたのだ。
で、ツールは手に入った。それじゃあ作ろう、といって簡単に作り出せるものかというとそんなことはぜんぜんなかった。まずまともにCGらしいCGをかける人間がいなかった(紫進が結構描ける人だったが。。。当時えぬじはまだまだお絵かきは得意ではなかったし)。まぁ絵に関しては実践を積んでいけばどうにかなるとして(いや、知らんけどな^_^;)、一番の問題はシナリオだった。
そこで、当時サークル内で毎月製作していた「タヌメディア新聞」内で、我こそはと盛んに小説(?)を書くようになった。シナリオとして使えそうな物語がひとつでも出来上がれば、それを題材にゲームに使用、というのがそもそもの狙い、だった気がする(…だよねぇ?>関係者)。
こうして当時を振り返って綴ってみると、それなりに結構いろいろ試行錯誤していたんだなぁと感心すること至りなのだが、結果的にじゃあ何か作れたのかというと、実際はそんなことは全然なかった。
私は思う。名作といわれるRPGやアドベンチャーゲームが世に送り出されるたび、それを作っている製作スタッフたちの、血の努力を。
ロジックとステージマップをでっち上げればゲームとして成立してしまうアクションゲームやパズルゲームと違い、アドベンチャーゲーム(ここではRPGも含めることにする)の製作というのは作業内容的には映画作りに近いんじゃないかと思う。ほとんどの映画がたった1人で作ることが非常に困難であるのと同様に、ほとんどのアドベンチャーゲームはたった1人で作れるような代物ではない。
物語とシナリオは、同義ではないのだ。
物語とは綴られるもの、語られるものである。
シナリオとは綴られ、あるいは語られる中で、いくつかの「場面」で立ち止まり、いくつかの「選択」を求められ、場合によってはいくつかの「結末」が用意される。プレーヤー側から見ればそれらは物語の中で自分が演じるキャラクターを自由に生かすことである。キャラを演じる遊びをするための玩具が、少なくとも私の中の「アドベンチャーゲーム」の定義だ。
しかしそれを実現するためには、さまざまな場面で仕掛けを用意しなければならない。仕掛けとはつまり「演出」であり、あるいは物語を壊さない程度の「分岐」である。これらの一つ一つを順序だてて組み立ててゆき、そしてクライマックスを盛り上げるべく演出の度合いをうまく調整してゆく作業。こういったことの一つ一つが、名作と呼ばれるアドベンチャーゲームを作り上げるのだ。
考えてみれば、初めてまともに作るゲームがアドベンチャーというのは非常に無理のある話であり、それこそまさに「アドベンチャー(冒険)」なのである。
それでもタヌメディアがやろうとしていたことは、既成のシステムを利用して目的のアドベンチャーゲームを作ることであり、救いはあった。当時私はプログラマーとしての自分の仕事がないことをつまらなく思っていて、それもアドベンチャーゲーム作りが一向に始まらない原因の一つだったともおもうのだが(何よりおいらが一番乗り気じゃなかった)、もしもこれがシステムも1から作って、という話だったとしたらどうだろうか?
アドベンチャーゲームは基本的に選択肢用意してテキスト流すだけだからプログラミングも楽なんじゃないか、と思う人も少なくないようだ。むしろ細かいアニメーションを加えたりビデオ効果を加える作業が一番難しい部分だと思っている人も多いんじゃないかと思う。
私はそんな風に思っている方々に、逆に質問を投げかけてみたい。
アドベンチャーゲームにおけるシナリオの流れ、すなわち、特定の選択肢を選んだり、何かしらのアイテムを手に入れたりすることで、物語が進んだり、分岐したりする仕組みを、プログラムという手法を用いてシステムという形で表現するとしたら、あなたならどんな構造を考えますか?
次に、ゲームの最中にそれまでの経過をセーブしてゲームを一時中断できるようにするとしましょう。その、セーブデータ。あなたならどんな風に表現しますか?
前者はデータの流れと処理の流れの設計であり、後者はファイル仕様の設計である。どちらもどちらかというとプログラマーの仕事というよりは、むしろSEの仕事だ。そしてそれは、私にとってみれば一番やりたくない類の仕事なのだ。どう考えたって、アクションゲームでキャラが飛び跳ねる慣性や、パズルゲームのルールなんかをロジックとしてしこしこ作る作業の方がオモシロイじゃあないですか。自分が頭の中で想定しながら作ったプログラムが、想定したとおりに動いてくれたときの喜びを実感できるのは明らかに後者のほうなのだ。
そしてアドベンチャーゲームのようなシステムの構築は、そういったつまらないばかりの要素で充満している事実とは裏腹に、実に根のいる、地道で気が遠くなるような先の長い作業である。どんなに柔軟な基礎システムを構築したところで、そこに出来上がった素材、つまりシナリオを主幹として、BGMや、CGや、効果音や、テキストや、そういったものをシステムの中に格納してゆく作業も、やはりプログラマーの仕事。ここではこのフラグを立てて、あそこを通ったらこっちの方に分岐し、といった流れを、一つの間違いもなく的確に当てはめ、そしてそれらが正しい道筋どおりにシナリオを流してくれるか一つ一つテストする。。。考えただけで気が遠くなりそうな作業なのである。
そんな訳で、もしもあなたがゲーム作りに興味があり、自分でゲームを作ってみたいと思っているのならば、とりあえず真っ先に「アドベンチャーゲームはやめとけ」と言いたい。もちろんRPGも含めて。
ただそうは言ったものの、あの頃のリベンジの意味も込めて、一度は挑戦してみたい、と願うのもやはり、アドベンチャーゲームなのです。もちろん、私にはエゴコロがないし、そんなに立派なシナリオも書けないと思う。
もしもまた、私にアドベンチャーゲームを作る機会が与えられるのだとすれば、それはまさしく、共同制作の再開なのであります。