2001年3月22日(木曜日)


 季節変わりはやっぱりだめです。花粉症も多少はあるのだと思うのですが、それ以上に慢性的に風邪引き状態になってしまう。夕べから寒気がして頭がボーっとして背中から首にかけての髄が痛くて、そいでもってとにかく鼻水、くしゃみが出まくる。くしゃみが出るものだから周りは花粉症だと思うわけですが。
 先週の今ごろも体調不良で、実ははらぺこをお休みしてしまった一番の原因がそれだったりします。先週は月・火・水と体調不良で仕事に手がつかず、木・金と帰りが遅かったのも実はそれが一番の原因だったりもするのですが。。。いや、それは違うな(爆)。

 それでは眠いので、BOOM BOOM SATELLITESのニューアルバムUMBRAでも聴きながら、さくっとでっち上げてしまいましょうか。


日付け別indexに戻る

最初のページに戻る

まるのみに戻る



 ティッシュ

ジャンル:フィクション
危険度:小

 ぎりぎり間に合う電車にぎりぎり間に合わない時間に飛び出して無理やり間に合わせた関係で、津田沼駅の入り口ではひとつも手にいれることが出来なかった。もっとも知事選挙が近い関係で駅の入り口に立っていたのは金貸し屋のティッシュ配りではなく政治屋のビラ配り手下兵だったが。
 毎日飽きずに満員やってる鉄の塊に乗り込むと走ってきたおかげで鼻の通りも良くなっていたが、息切れすればするほどむせ返りそうな人ごみの中で汗は止まる気配を一向に見せなかった。ハンカチを常備していて良かった、と左のポケットに手を入れたそのとき、俺は重大なことを忘れていたことにやっと気が付いた。
 使いかけのポケットティッシュが一袋。それが俺の、今の戦闘力だ。中には、恐らく3枚程度。果たしてこれで今日一日持つんだろうか。
 そしてさらに具合の悪いことに汗をかいて電車に乗り込んだ俺は、ハンカチ一枚きりでは対応し切れなかったためか、新小岩を抜けた辺りで派手にくしゃみをしてしまった。そのとき手にはハンカチをもっていたため、周囲に多大な迷惑をかけるような被害には至らなかったものの、これで確実に懐の戦闘力のうちの2枚を犠牲にすることとなる。そしてこのとき、残りの戦闘力がわずかたった1枚であることを確認した。

 まずい。。。これでは今日を無事に生き延びることなど、到底不可能だ。。。

 そう悟った俺は、勤務地である水道橋駅にすべてを託すこととなる。
 不幸中の幸いと言うべきか。こういうのを悪運などといったりするのだろう。東口周辺から交差点の向こう側にかけて、ピンクの服を身にまとった、おしゃれな金貸し屋のティッシュ配りが数えて5人。中にはティッシュの袋を2つ持って差し出してくれる素敵なお姉さまもいらっしゃる。まさに天使、ミカエルの群れ。金貸し屋にこういった形であやかる人間もそうはいないだろう。
 ごく平静を装いながらも、俺は歩くコースを絞り込んだ。一番手前の方に立っている第1号はまず接触すべきだろう。2号、3号はおよそ平行な位置関係を保っており、両方に接触するのはちょっと難しい。右手側の2号のほうが手は出しやすそうだし、何より彼女は常にティッシュを2袋同時に差し出してくれているようだ。ここは2号の手前を横切るコースが捨てがたい。歩道の手前にいる4号から確実に受け取るには信号が赤になっている今のタイミングを逃がす手はない。人の流れは比較的速く流れている、この流れにあわせて動けばまず問題ないだろう。そして交差点の向こう側、地下鉄の入り口付近に立つ第5号、彼女は要チェックだ。何しろ地下鉄から出てくる人間相手にもティッシュを差し出している。こちら側を振り向いてくれるタイミングにうまく合わせて歩幅を調節しなければならない。これは高い技術力が必要だ。
 データを分析しながらも、俺は交差点の向こう側に至るまでのシナリオを頭の中ですばやく組み立てていった。よし。筋書きは整った。アクション開始だ。
 そうつぶやくと俺は、出口の右端付近から一旦駅舎の中へと戻り、人ごみの流れの中に紛れ、出口の左端にいる第1号への接触を試みた。そう、敵地の状況を把握するために一旦駅から外に顔を覗かせていたのだ。一流のポケットティッシュキラーともなるとこの程度の用意周到さは至極当たり前のことなのである。
 第1号からのティッシュ受け渡しは難なく成功した。まずは手堅く1袋目をGet。残るポイントは3つ、現在の戦闘力は1袋と1枚、ノルマは最低でもあと2袋だ。
 次はこの人の流れに逆らわぬよう、2号との接触を試みる。ここで重要なのは前にいる人間との距離の取り方、そして鞄を右手から左手に持ち替えるタイミングだ。鞄はすばやく持ち替えられるに越したことはない。そして前にいる人間との距離。何しろこのすばやい流れ、いくら2号が有能なティッシュ配りとはいえ、このすばやい人の流れに対応し、確実に目の前をとおるすべての人間にティッシュを手渡せるとは限らない。彼女は手に籠を抱え、その中にしっかり敷き詰められたポケットティッシュを手にとって差し出すスピードはなかなかのものだが、それでも一旦ポケットティッシュを失った彼女の右手が籠の中にもぐりこみ、そして新たなティッシュをつかんで前方に差し出されるまでにはどうしてもタイムラグが生じてしまう。この腕が延びた瞬間に俺は彼女にとってベストポジションと言える位置を歩いている必要があり、それが成立しえた場合にのみ、俺は勝利の美酒に酔いしれることが出来るのだ。
 果たしてその瞬間はやってきた。俺の前を歩いていた小柄なおじいさんがティッシュを受け取る。俺はその瞬間、微妙に歩幅を狭めた。彼女は、…2号は、ごくごく自然且つ機敏な動作でティッシュを籠から掴み取り、そしてその腕を前方に差し出そうとする。その瞬間、俺の右足の一歩が踏み出されようとした。よし。タイミングはバッチリだ。
 しかし次の瞬間、事態は急変した。左後方の死角より、不意に突発的な速度でおばちゃんが割り込み、まだ伸ばしきれていない彼女の腕から強引に、その手にもっていた宝物を奪い取っていってしまったのである…!! 俺の先ほどの狭めた歩幅は単純に速度を一時的に緩めるためだけのものではない。一瞬前に出ようとする力を押さえ込むことによって、次の一歩に当てる瞬発力を蓄えるばねの働きもあったのだ。それは無事ティッシュを受け取れることを前提とし、次の目的ポイントへすばやく対応できるための伏線を張るためでもある。しかしそれはおばちゃんの突然の割り込み攻撃のために、2号の前に白々しく立ち止まって無理やりにもティッシュを受け取るチャンスさえ逃がすのに十分な推進力となって前進を続けてしまった。必ずティッシュを2袋ずつ配っていた2号からティッシュを受け取れなかったのはかなり手痛い損失である。
 そしてさらに悪いことに、ここで一瞬戸惑ってしまったためにせっかくの推進力も緩まってしまい、4号の元へたどり着くのにも手間取ることになってしまう。4号は交差点の手前、やや左よりの位置に立っており、立ち止まっている人間相手に効率よくティッシュを配布している。その立ち止まっている人ごみの一員として紛れ込むことが出来れば何とかティッシュを受け取ることが出来るのだが、そのためにはまずこの流れを左に横切り、そして信号が赤になっているうちにその場にたどり着く必要があるのだ。
 しかし俺が何とか苦心して彼女のいる付近にたどり着いたかと思うと、その瞬間に信号は青に。再び流れ出す人ごみの群れ。押し出されるようにして俺も動き出す。ティッシュ配りの4号は人の流れが動き出すとさっさと交差点からはなれてたこ焼き屋がある角の隅っこに逃れてしまう。この流れを書き分けて彼女の元へ赴き、ティッシュくれと手を差し出すのはあまりにも不自然だし、何より俺のプライドが許さない。泣く泣くその場を後にして人ごみの中、横断歩道を渡る。
 残るポイントは5号のみ。手元の戦闘力は相変わらず、一袋と一枚のみ。何としても最後のミッションを失敗に終わらせるわけには行かない。
 おさらいしよう。
 5号が立つポイントは地下鉄都営三田線の水道橋駅出入り口付近。つまり反対側、地下鉄の出入り口から出てくる人間にもティッシュを配らなければならないわけだ。つまり彼女は同時に2方向からくる人の流れに対して、公正に、且つ効率的にティッシュを配っていかなければならない運命なのである。このようなポジションに立つティッシュ配りは大抵道の端に立ち、背中を車道に向け、右手からくる人間にティッシュを渡し、次に左手からくる人間にティッシュを渡す。これを交互に繰り返すのだ。しかし実際には彼女の目の前の人の流れの向きによって、どちらからくる人間に最終的に多く渡るかが左右する。
 そしてさらに悪いことに、彼女からティッシュを受け取るこちら側の人間は、大抵そのまま地下鉄の駅へと潜っていく。俺は地下鉄には用はないので、もし彼女からティッシュを無事受け取れたとして、そのまま地下鉄の駅へと引き込まれないよう退路を常に確保しておかなければならない。
 人の流れは地下鉄入り口の右側と、地下鉄ではない別のルートとの二手に大きく分かれていた。地下鉄入り口の右側という流れは5号に接触するには好都合の流れだ。これは悪くない。しかし同時に地下鉄入り口の左側からは対抗して地下鉄から出てくる人間の流れが脈々と這い上がってきている。ティッシュを受け取ったら俺は地下鉄に流れ込む流れを押しのけ、さらに地下鉄から這い上がってくる人ごみを掻き分けて脱出しなければならない。
 少々気の遠くなる話だが、、、やらなければ今日一日仕事にならないのは確実だ。
 俺は覚悟を決め、5号への接触を試みることにした。
 流れの一番右端ではなく、人一人分だけ左側に入るポジションを取った。右隣には人がいない状態。右手をさっと伸ばすことによって、5号が差し出すティッシュを奪取できる間合いを保った。さっきおばちゃんが俺にしたことと似たような作戦だ。
 そしていよいよ5号の間近まできた。右後ろのサングラスをした男が、腕時計をふと見やった。5号がちょうど籠から新たなティッシュを取り出し、その腕を前に突き出そうとした瞬間だった。絶好のタイミング。俺はすかさず右手を彼女の手元、宝のありかへと伸ばした。その瞬間。
 今しがた腕時計を見やったサングラスのおとこが、突然、「やべっ!」と叫んだ。俺は心臓が喉から飛び出そうなほど仰天し、体を瞬間的に萎縮させてしまった。しかしその瞬間、サングラスのおとこは突然前方に走り出した。俺のさりげなく差し出していた右手を払いのけて。払いのけられて俺はよろけてその場を回転し、すぐ左後ろにいた女子大生風にしがみつくような体制で倒れこんだ。それであたりは大騒ぎとなり、ひどく恥ずかしい思いをしたまま、俺は逃げるようにその場を後にし、職場へと急いだ。

 結局勢い余って職場までの道のりを走ってきてしまったため、ビルに入るとまた大汗かいてひいひい言っている自分に気が付いた。ハンカチで額をぬぐうが、すでに大量の汗を吸い込んでびしょびしょのハンカチに俺の額をぬぐうだけの力は残されていなかった。仕事が始まればこの汗がくしゃみになるのだと思うとひどく憂鬱になった。ポケットティッシュ1袋と1枚だけでどうやって乗り切ろうか。乗り切れなかったら。恐らくこの汗まみれのハンカチが犠牲となるのだろう。そして鼻水と鼻くそにまみれてガビガビになったハンカチを背広のポケットに突っ込み、くしゃみで頭を朦朧とさせ、大して仕事も進まないまま、今日の一日は過ぎてゆくのだ。