2001年3月8日(木曜日)


 ここ2、3日、帰りの電車を途中下車して意味なく街を練り歩くということをしたりしています。最近面白いことがめっきりなくなってしまったような気がして、せめて退屈な帰り道を潤してくれるお店でもないものかと探し回っているわけなのですが、歩けば歩くほど、引っ越したい願望は募る一方。しばらく運動不足だったのでいい運動ではあるのですが、この努力も虚しく徒労に終わるのかと思うと疲労感は拭いきれず。。。
 私の仕事というのは体力的な疲れはほとんど発生しないのですが、精神的な疲労はものすごく発生します。精神的な疲れには軽い運動をして体を動かすのがもっとも有効で、特に散歩はもっとも効果的な気晴らし方法なのです。でもアスファルトの固い道、車通りの多い車道、人ごみの中をいくら歩いたところで、気晴らしになるわけもなく。

 今日は結局そんなこんなで晩飯も食ってないのに帰りは結構遅くなってしまって、歩き疲れて料理する気にもなれなかったので、ふと冷蔵庫に買ったまま未開封のキムチがあったのを思い出してそれでご飯を食べたのですが、そのキムチがやけにおいしく感じてしまい、400g入りのビンの3分の2ぐらいを空けてしまいました。。。欲しかったのは、刺激だったのね>ヲレの胃袋。キムチの辛さよりもご飯の熱さのほうが舌には辛くて、ついつい冷たく冷えたキムチばかりを頬張ってしまっただけのことなのではありますが。


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 徒労

ジャンル:フィクション
危険度:中

 偏頭痛は朝からだったが、モニターに向かって仕事をしているうちにそいつはますますひどくなっていった。だから昼飯後はほとんど仕事などする気になれず、頬杖をついてなにげにマウスをくるくるといじって無駄な時間を過ごしてみたが、このままでは今週やるべき仕事が終わらなさそうなことに気づき、重い頭を持ち上げなおしてモニターに向きなおしたがそれでもやはりキーボードを打つ手は滑らかに動いてくれない。もう本当に嫌気が差してきて、頭痛がする辺りの頭の皮をぐりぐり指で押し付けてみると意外と気持ちが良い。そのまま頭のいろんな部分を指でまさぐっているうちに、頭蓋骨にも壺らしいものがあることに気づき、一番頭痛に効く部分を見つけてそこをぐりぐり指で押していたら、夢中になっているうちにだんだん指が頭にめり込んでいってしまい、気がついたら親指の第一関節が丸まる頭にめり込んでしまっていた。鏡もないのに何でそんなことに気が付いたのかというと、指の周囲に不自然なぬくもりを感じたから、と言うのもあるにはあるのだが、それ以前に鼻から鼻水ではない得体の知れないものがぶらぶらぶら下がっているのが視界の下の隅っこに見えたからで、あれ、なんだろうこれ、と思ってそのぶら下がっているものをつまんで引っこ抜くべく右手を動かそうとしたら親指が頭に出来た穴に引っかかって抜けなくなってしまっていて右手が動かせなかったからなのだ。
 で、仕方がないので余っているもう一本の手、すなわち左手を使ってこの視界の隅っこにある気になる物体を思いっきり引っこ抜くべくつまもうとしたんだけれど、触れた瞬間にひょこっと縮んで鼻の穴の中に逃げてしまい、それをなんとしてでも取り出すべく左手の人差し指と親指を一生懸命左の鼻の穴の中にねじ入れたら今度は左手の人差し指と親指が左の鼻の奥に第二関節まで勢いよくめり込んでしまい、こっちもやっぱり抜けなくなってしまって、でもさすがにこのまま両手ふさがっていたのでは進む仕事も進められない、それはいくらなんでもまずい、それどころか今でこそ周囲にいるべき人間はレビューに行ってくれているおかげで誰もいないからいいものの戻ってきた先輩上司連中にこの光景を見られるのは非常にまずい。なんとしてでもこの状況から奪回しなければと一生懸命右手の親指と左手の親指人差し指を頭やら鼻の穴やらから抜き取ろうと奮闘するのだが時間は無常にも刻一刻と過ぎてゆくばかり。結局先輩上司連中は戻ってきてしまって冷たい視線は一手に自分の方に向けられることとなる。
 ところがそれで物語はおしまいおしまいと幕を閉じてくれるわけもなく、この上なく親切な先輩上司諸氏は私のこの世紀末的状況からの打破を手伝ってくださることとなり、一生懸命私の頭にめり込んだ右手親指や鼻の穴にめり込んだ左手親指人差し指を抜き取るべくまるで昔話の「大きなかぶ」のような状況で一生懸命私の右ひじ左ひじを引っ張ってくださるのだがそれでもこの険悪無慈悲な頭蓋骨と鼻の穴は私の両の手の親指やら人差し指やらを開放してはくれず、結局先輩上司諸氏もあきらめてしまい時間も時間なのでと言うことでみんなとっとと帰ってしまったのだが、両手がふさがった私はかばんを拾い上げることも出来ず、扉もあけることも出来ない。それでもなんとかびるから出ることには成功したが、人ごみの中を歩くにつけ右手親指が第一関節まで頭にめり込んで左手親指人差し指が左鼻の穴に第二関節まで潜り込んでいるというこのポーズはすれ違う人という人の視線を見事に奪い、非常に恥ずかしいことこの上なく、赤面した自分は悔しくて涙を流しながら帰路を走り出したのだ。
 そして屈辱の満員電車を経てようやく家に帰ってきたはいいのだが、何しろ一人暮らしで出迎えてくれる人もいない。防犯のためというかむしろ最低限の常識ではあるのだが当然部屋の鍵は閉まっている。背広の右ポケットに鍵は入っているのに両手がふさがっているものだからそれを取り出すことが出来ない。部屋に入れないという事実に気が付くととたんに悲しくなってまた涙があふれてきた。しかし簡単に諦めるわけには行かない。こういう時こそ冷静になるべきだ。何しろここはアパートだ。集合住宅だ。他にも住人はいるだろう。そして呼び鈴ぐらいは肘を使えば押すことは出来る。後は運良く協力者が見つかることを祈るだけだ。そしてその試みは隣離れること4件目にしてようやく成功することとなる。果たして何とか自分の部屋にたどり着くことは出来たのであった。
 そこで早速給湯ガスのスイッチを入れ、根性で風呂場の蛇口をひねり、右手の親指がめり込んでいる頭に思いっきりシャワーを浴びせてみた。もちろんこのポーズのままでは服を脱ぐことは出来ない。背広がシャワーで濡れてびしょびしょになるのは承知の上での行為である。しかしその勇気も虚しくやはり右手は頭から抜けてくれないし、当然左手も鼻の穴に咥えられたままびくともしない。結局その試みは徒労に終わり、濡れた背広を脱ぐことも出来ないまま、飯も食えず、寒さに震えながら一夜を過ごさなければならなくなった。夜は春先とはいえまだまだ寒く、特に濡れたこの格好では非常に堪える。たまらずくしゃみを何度もしたが、それでも左手は鼻の穴を離れることは出来なかった。
 翌朝は最悪の目覚めだった。案の定風邪を引き、偏頭痛は昨日の比ではないほどにひどくなっていた。箸を咥えて電話機のボタンを押し、何とか会社に休暇の連絡を入れることに成功した。風邪と疲労で体のあちこちが痛かった。俺は体に鞭打って、地元の外科医院に脚を運んだ。病院で自分の順番が回ってきて、医者に自分の姿を見せると、説明を聞くまでもなく医師は状況を把握し、すぐさま看護婦たちに器具の準備を指示した。「最近は貴方のような症例の方も増えてきましてねぇ、まぁそういうことをしたくなるのは恐らくストレスからくるある種のノイローゼのようなものだと思うんですけどねぇそうでしょう凄く精神的に辛い仕事なんでしょう少しは休暇を取って気晴らしにどこか行くとかそういうこともしたほうがよろしいかと思いますよぶつぶつぶつぶつ」と小言のような説教のようなことを聞かされているうちに治療の準備は出来たらしく、「それじゃあ治療をはじめますが痛くなるんでとりあえず麻酔打っちゃいますね」といきなり脳天にでっかい注射針を突き立てられ、次の瞬間意識を失ったかと思うと目覚めたときにはすっかり右手の親指も左手の親指人差し指も頭やら鼻の穴やらから開放されていた。私は嬉しくて嬉しくて本当に嬉しくて涙を流して医師に礼を言いまくったがレジで治療代を言い渡された瞬間意識が朦朧とし、そういえば風邪を引いていたのもあいまって(そういえば風邪を引いていたのに脳天に麻酔を打たれてなぜ生きているんだろう)気を失ってその場でばったりと倒れてしまったら打ち所がどうにも悪かったようでそのまま帰らぬ人となってしまった。
 人はどんなに最悪な状況から打破できるのだとして、それでも結局は別の不幸がすぐに上から覆い被さってきたりいつかは死んでしまう生き物であるならば、無理にその最悪から逃れるための徒労に躍起になるよりかはその状況を楽しみつつもへばりつくように生き続けたほうがもう少し人生ましになるんじゃないの?というただそれだけのお話。