2001年1月11日(木曜日)


 今朝、YAHOO天気予報をみたら夜に雨が降るとあったので、わざわざ長傘を持って仕事に行ったのですが、帰りに持って帰るのを忘れて、秋葉原でめちゃめちゃ降られてしまいました。やりきれない怒りというのはこういうときに自分のふがいなさから勝手に沸いてくるものなのです。そう思うと、近頃新聞を賑わす不愉快な犯罪者たちに同情の余地などもってのほか。
 あ、新聞と言えば、今年に入って何故か読売と朝日の両方が私のポストに投函されるようになりました。どうやら私が読売の契約期間がてっきり昨年いっぱいで終わりなのかと思っていたのが原因のようです(^_^;)。とりあえず今月いっぱいは倍の量の新聞紙が舞い込んでくることになるのかな。
 で、せっかくいい機会なので読み比べとかしてみたりするのですが、意外と読売では社会面に載っているような記事が、朝日では一面を飾っていたりします。読売の一面は政治的なニュースや学術的なニュースが多いですが、朝日は国内世間で起こった事件を重視している感があります。個人的には、読売の一面を眺めていると「へ〜、こんなことがあったんだぁ」と無害に感心することが多いのですが、朝日の一面を眺めていると、ついつい「今日の奥様方の話題はこいつに集中するんだろうなぁ」などとほくそ笑んでしまいます(笑)。
 ついでにいうと事件のニュースに関しては読売の方が文章のまとめ方がうまいような気もしました。が、まとめ方がうま過ぎて微妙な部分もうまく包み隠してしまっている気もします。逆に朝日の記事は鵜呑みにするととんでもない勘違いをしてしまいそうなちぐはぐな文章が目立つのですが、冷静に事実だけをかいつまむと読売より情報量は多いような気もしました。ただ朝日は事の経緯をぐだぐだと並べるばかりで、いちいち最後まで目を通してると時間の無駄になるような記事が多すぎる気がします。

 ハァ。。。虚しい評論を書いてしまった(;_;)/


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 透明

ジャンル:詩
危険度:小

初春の第二月曜日 町はそれなりに賑わっていた
新年初仕事を控え 考えることは皆同じと思った
昼間に散髪を済ますことを諦めて

万券一枚で買った ひも付きの黒いホーキンス
革靴の並ぶ棚を見るといつも感じるこの違和感は何?
ガキの頃はキめていたような顔した奴が
こんな靴はいて背広着てネクタイ締めて
楽しそうに仕事の話をしている

祭日は町を賑わせる
平日は誰もが蚊帳の中
子供は校舎に収容されて
公務員は施設に収容されて
会社員は都心に立ち並ぶビルに隙間なく収容されて

繰り返す 透明な時間をただ 生息している


 散髪

ジャンル:実話
危険度:小

 私の床屋での散髪風景は、とても味気ない。
 まず、待合室で漫画を読みふける。これは誰でも同じだと思う。で、自分の順番が来て、シートに腰掛ける。タオルや前掛けをせわしなく私に装着しながら、店員が「今日はどのくらい切ります」とか、「どんな風にしましょう」とか聞いてくる。すると私は決まって、「前髪を眉毛にかかるぐらい、横と後ろは普通に刈り上げて、上は前髪にあわせる程度に切っちゃってください」と答えるのだ。確か、中学に上がる頃、初めて床屋に行ったときから同じように注文しているような気がする。
 だから当然、その時代その時代で流行になるような、名前のついた髪形、いわゆるデザインカットなどというものに挑戦したことは一度もない。よく、急に髪型を変えるとそれだけでずいぶん気分転換になる、などと言ったりするが、私の場合、大体平均して3ヶ月ぐらい十分延ばしだめしてから切りに行くことが多いので、普通に散髪するだけで十分すぎるくらいイメチェンになって気分もスパッと変わるのだ。
 そのうえ私は散髪して洗髪した後、髪型をセットする際に整髪料を使ってもらったことがただの一度もない。もともと髪をセットする際に整髪料を使う人ではないし、それ以前に化粧品の臭いに対してはアレルギーと言っても過言ではないくらいだめな人なので当然と言えば当然なのだが、床屋の人間側としての反応は多種多様で、まぁこの人はそうだろうなと妙に納得してしまう人もいれば、整髪料を使わないで髪型セットなんてどうすればいいの?というような明らかに戸惑いの反応を示してくれる人もいたりする。
 そういう意味合いで言えば、あの味気ない注文を各自の美的センスに応じてどのように解釈するかによって、実際に出来上がる髪形もずいぶん違ったりするのはなかなかに楽しい。人によってはずいぶん前髪が短かったり、もみ上げが長めに残されていたり、刈り上げが中途半端で横と後ろがいまいちさっぱりしていなかったり、逆にしっかり刈り上げすぎて触ると妙に気持ちよかったりするのだ。

 ところで私が高校にあがった頃ぐらいから、床屋の印象というのはずいぶん変わったような気がする。高校に上がった年の夏ぐらいまで私は千葉市の真砂というところに住んでいたのだが、当時の地元のスーパーに入っていた床屋は店員の誰もがフレンドリーで、散髪されながら店員にいろいろ聞かれたり、世間話で盛り上がったりしたものだ。今そのスーパーは潰れてしまって、あの建物すらどうなったのか、実は今私はよく知らなかったりする(…どうなってるんでしょ?>えぬじさ、他、未だ真砂に住んでいらっしゃる友人各位)
 冬に市原に越してきて、新しい住まいから歩いて一番近い場所にある床屋に通うようになったのだが、あそこの床屋の店員は誰一人として散髪中に言葉を交わそうという人間はいなかった。ひどい時にはまだ高校生なのにそれを聞かず、大人料金で会計しようとする店員もいた。値段が高すぎるという理由で大学3年ぐらいのときから八幡宿の駅前にある床屋に乗り換えたのだが、あそこもやはり会話をしながら散髪するという店員は一人もいなかった。
 津田沼に越してきてからは、駅までの道で一番目立つ看板を出している床屋に安易に行くようになった。あそこはそれなりに安いのだが、入り口に券売機があって、たくさんの職員が量産体勢でと言わんばかりにジョキジョキやってるソープランドみたいな床屋で(ソープランドに行ったことがある訳ではないのでよくは知りませんが^_^;、本当にいろんな店員さんがいて人間ウォッチングには最適だったりする(大陸からお越しの店員さんもいらっしゃったりします*^-^*。そこではお年を召された店員さんと一度だけ雑談らしい会話を交わしたことがあるだけで、やはりほとんどの店員が必要最小限の事務的な言葉を発するだけだったりします。
 そういえば市原に越す直前に、千葉のセンプラに当時入っていた床屋で学校帰りに散髪を済ませたことがあるのですが、あそこの店員のオジサンも普通に会話を交わす人でした。やはり床屋が客と会話を交わすか交わさないかの境目は、時代や世代の問題なのでしょうか? 昔ながらの感覚で仕事をする年配の店員さんが経営するお店なら、今でもそういう雰囲気を保っている床屋さんもあるのかもしれません。

 ところでどうでも良いことなのですが、いつも床屋で散髪を済ますと髪が長かったときよりも太った顔が目立ってしまって、まるでナスのような顔になってしまう私ですが(ナスって言っても日陰なすのことじゃないぞ)、先日散髪を済ませた私は比較的すっきりした顔になっている気がする。やっぱり仕事をするようになって、顔もコケたのだろうか。。。