2000年12月21日(木曜日)


 私がソフト会社の仕事をやっていて一番恐いと思うのは視力の低下です。すでに眼鏡の方々は別にどうでもよいことだと思うかもしれませんが、パソコンを集中的に使うようになった中学生の頃から、星座も知らないくせに夜は星を眺めながらフラフラ歩く夢見がち少年だった私には、眼鏡やコンタクトレンズの事を気にしながら生きる生活なんて考えられないのです。
 私が冬という季節をかろうじて好きでいられたのは、夜は他の季節よりもとにかく星がきれいに見えるからに他なりません。だから残業帰りに眺める都心の曇りがかってネオンの光をうっすらと照り返す空は私をますます寒々しい気持ちにさせるのです。


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 ご機嫌な人々

ジャンル:実話
危険度:中

 納品が明日に迫っていた。やはり体調が振るわなくて先週ほとんど仕事が進まなかったことがかなり響いていた。月曜日も風邪を理由に1時間半ぐらいしか残業できないまま帰宅してしまったが、その翌日から幸運にも体の調子がよく、昨日今日と帰宅時間のブービー賞を獲得するほどに残業した。おかげで何とか納品までに必要な出荷作業は目処がつきそうな雰囲気だ。そういう意味ではほっとしている。
 もっとも今日、いや、日付け的にはすでに昨日なのだが、こんなに帰りが遅くなったのは決して仕事をはかどらせていたからではない。出荷するプログラムがぎりぎりの、今日の午後4時半過ぎの段階でやっと確定し、出荷作業のGOサインが出されたので、2台のマシンを使って片やインストーラーを構築しがてら、出荷前最終テストのつもりで2時間半以上かかるバッチファイル群を流したのだ。ところがそのバッチファイルも流し終わり、メニューの動作テスト(これもまじめにやると2時間以上かかる)もそろそろ終わらせられそうという午後8時過ぎの段になって、実はこのぎりぎりの時間になってソースファイルが更新されていたことが発覚。更新時間を見る限り、恐らく口頭で伝えられていたにしても見落としてしまいそうな、私の脳味噌も恐らくテンパっていたであろう時間帯で、どうしてこんな大切なことをメールで送らないかなぁと悪態をつきつつ、そこから更にテストのやり直しという作業が入ってしまった。結局2台のマシンを使ってバッチファイルを流すテストとメニューの動作テストを同時進行で進め、インストーラーを作りなおし、ということをやっていたらあっという間に夜も11時になろうという時間になってしまった。
 私は派遣社員という身分なので、最後に残った正社員よりも後に帰る事は出来ない。幸い同じグループの人が一人たくさん作業を残していたおかげで今日は結構遅くまで残っていることも出来たわけだが、それでもその人が「そろそろ帰ろうと思うのですが…」と話し掛けてきた頃にはまだ全てのバッチファイルが流し終わらないままプログラムは回っていて、結局無理言って数分ほど待たせてしまうことになってしまった。

 フロアの閉じまりを付き合ってオフィスを出た私とその正社員の人は、使っている交通機関からして帰る方向がまったく逆だったので、ビルの勝手口を出るとすぐ別れの挨拶を交わした。星の見えない夜空の下で、独りとぼとぼと小石川の通りを歩いた。ドームも遊園地もさすがにこの時間はなんだかひっそりとしていて妙に寂しい。水道橋は、東京の中でも比較的夜の早い街なのだと思う。
 水道橋の駅のホームに上がる。下りの電車はもう東京行きしかなくなっている。人はまばらだったが、突っ立って待っているうちに、陽気な酔っ払いの叫び声が聞こえてくる。こんな時間でも電車が来る頃には、わらわらとバカみたいにたくさんの人間でホームは充満していた。
 こんな時間に職場からまっすぐ家に帰る人間というのは自分ぐらいのもので、周りにいる人間のほとんどが酔っ払いか、どこかで遊んできた帰りの集団、と言った感じのようだ。今日みたいに仕事で遅くなった日はそういうご機嫌な人々の陽気な笑い声や話し声がどうしても耳につく。彼らの、あかの他人に対する心無い態度に胸を痛めてしまう。
 入り口付近でかたまるな。もう電車が発車する寸前のメロディーが流れ終わって「ドアが閉まります」の放送が流れているのに入り口の手前で足踏みするな。頼むから、つり革に手をかける俺の右肩に肘を乗せてもたれかからないでくれ。

 少し迷ったがやっぱり錦糸町で快速に乗り換えることにした。
 快速のホームに上がると、グリーン車両より1つ手前の車両が止まる辺りに立った。この位置が津田沼駅では一番階段に近くなるからだ。
 私がその場所に立って一番に目に付いてしまったのは、鉄柱の脇にべっとりと降り注がれた酔っ払いのゲロだ。不思議と臭いは感じなかったが、目に入っただけで陰鬱な気持ちが加速度的に倍増してしまった。
 明日の早朝、寝ぼけ眼でこれを掃除する人がいる。私はその人こそこの国においてもっとも尊敬されるべき存在だと思う。その人はきっと私なんかよりずっと豊かな人生経験を持っていて、私なんかよりずっと豊かな心をもっているのだろうと思う。その人の前では、辺りにうろつくご機嫌などの酔っ払いも、絶対に幸せな存在であるはずだ。

 電車が船橋を出た頃、ズボンの左ポケットで携帯電話が駄々をこねていた。気が付いて私は慌ててそれを取り出して手にとって見たがすでにそいつはおとなしく眠りについてしまった後だった。画面に不在着信のメッセージを残して。
 津田沼駅について私は電話の主にこっちからかけなおした。電話の用事はとりとめもないことで、とりとめのない話題で会話が進もうとしたけど、なぜか私の声は上ずってどこかイライラしていたのは、電波の届きが悪くてほとんど会話が成立しなかったせいなのだろうか? それとも、仕事の余韻がまだ体から離れてくれていなかったからなのだろうか?

 自分が一番なりたくないと思っていたタイプの人間に、自分はなろうとしていた。
 要するに私は、そこら辺に転がっているご機嫌な人々が羨ましいだけなのだ。

 牛丼屋のバイト君たちは今日も複雑な表情を顔に浮かべたまま必死に自分たちの仕事をこなしていた。店が繁盛していることはよいことだが、繁盛していることの恩恵に大して与れない彼らの心境を私はよく知っている。
 理不尽なほど当たり前にやってくる毎日に、いちいち理由を求めて納得しながら生きている。多分、この国で生きているほとんどの人間が、そういう生き方をしている。間違いなく、私もその一人だ。酒に呑まれてご機嫌な気分にでも浸らなきゃやっていけないって気持ちもうなずける。自分ひとりで生きている訳じゃあないことも、忘れてしまいたくなるということも。
 せめて、何か自分に、もっと明確に、目指すものがあれば。もっと自分に、素直に生きていけそうな気がするのに。