2000年12月14日(木曜日)


 。。。すみません。さっきまでファミコンやってました(;_;)/
 ね、眠い。。。もう寝たい(;_;)/

 今回は、たいしたネタが思い浮かばんのです。
 仕方がないので苦し紛れの宗教チラシネタです。


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 神の王国

ジャンル:実話
危険度:大

 エホバが新興宗教なのかどうかはよく知りませんが、彼ら曰く処では一応キリストの一派なのだそうです。カルト教団と呼べるかどうかもわかりません。公明党、じゃなかった、創価学会ほどではありませんが、エホバは比較的身近に広く広まっている存在です。
 彼らはよく自分の子供をつれて勧誘の訪問に来ることで知られています。そういうしきたりなのかどうかはよく知りませんが、彼らが家族の絆を重要視していることは確かです。
 中学校時代、私の把握していた限りにおいて、同級生に家庭がエホバに入信(?)していた人間は2人ほどいました。そのうちの一人は、本当にエホバだったのかちょっと自信がないのですが、私が片思いを寄せていた女の子です。クリスマスの時期が違う、戦争を模したゲームや格闘技を禁じられていたことなど、それと思われる要素は多かったのでほぼ間違いないのではないかと思います。
 もう一人は男子で、それなりにというか、普通に友だちでした。彼とは話す機会が多かったので、エホバに付いてもよく話を聞かせてもらったりもしました。彼自身は、決して熱心なエホバ信者ではなく、家庭がエホバに入っているおかげで面倒なことが多いということをよく私に愚痴としてもらしてくれていたのです。

 エホバ教団が配布する読み物というのはなかなか道徳的で、筋が通っているかどうかはよくわかりません(恐らく通っていないのでしょう)が、決して悪いことは書いていないな、という気はしました。実は後者の男子に教団が刊行したと思われる、思春期の少年少女向けの本を、参考資料としてもらったことがあるのです(エホバ信者は経典の内容を広めることに積極的ですから、どのような理由であれ何も咎められずに持ち出すことは簡単だったのでしょう)。彼らの読み物は基本的に聖書に基づいているらしく、文中の至るところに聖書からの一部引用と引用した部分が掲載されている書物名及びその場所が散りばめられています。つまり、聖書に精通していないと読めないものがほとんどなのです。
 私が中学の頃にもらったその本は今はもう手元にありません。実は高校を上がってからもしばらく本棚の中で埃に埋もれさせたままにしていたのですが、確か大学に上がってから間もなくぐらいに、部屋を整理したついでに資源ごみに出してしまったと記憶しています。
 その本の内容はもうほとんど覚えていないのですが、確か思春期の少年少女が抱えがちな多くの悩みを解決する、という趣旨のものであったと思います。この、「解決」という単語も彼らの中においては一つのキーワードです。かなりどうでもよいことですが、マスターベーションを悪として、しかしマスターベーションの誘惑に勝てない少年の憂鬱を「解決」させよう、というような内容の文章もあったような気がします。本当にどうでもよいことなのですが(っていうかもうそれぐらいしか印象に残ってない)

 エホバの勧誘チラシが私の寮の郵便受けに入れられていたのは忘れもしない10月27日の金曜日。何でこんなにはっきり日にちまで覚えているかというと、その日は大学時代の友達の就職祝いにほぼ飛び入りで参加させてもらった日で、そのお誘いのメールがまだメールボックスに残っていたからだったりするのですが(笑)。
 「新たな千年紀」と題されたそのチラシは、文中のやはり至るところにルカだのマタイだのといった聞き慣れない名前が散りばめられていて、微妙にその文章の真意が汲み取れないようにされていました。真意が汲み取れないという状態が意図したものなのか、それとも彼らがこういう風にしか人に説明できないボキャブラリーのない団体なのかは知りません。しかしこの文章を読破しろというのはよっぽど暗号文の解読に長けた名探偵や推理小説家でも恐らく不可能に近いのではないでしょうか。
 そんな状態なので実はこのチラシをネタにするというのはとても難しいことではあるのですが、ひとつ、若干興味深い事柄について、このチラシから汲み取れた範囲内で書いてみたいと思うのです。

 このチラシから汲み取れる限りでは、彼らは最終的な理想郷として「神の王国」というのを掲げています。彼らのいうところでは、「終わりの日」というのがもう時期やってきて、地上の「王国」(今の世界に王制国家なんてどれくらいあるのでしょう?少なくとも先進国家向けの翻訳とは思えませんが)を打ち砕き、天の神が決して滅びることのない一つの王国を経て、それが1,000年間地上を支配するのだそうです。決して滅びることのない王国がどうして1,000年という限定された期間だけ地上を支配するのかといった矛盾点への指摘は避けて通るにしても、それが始まるのがあくまで「まもなく」という曖昧な表現でしかかかれていない辺りに、オウムのような典型的カルト教団とは一味違った弱腰さが垣間見れてなかなかに微笑ましい限りではあるのですが。
 で、その「神の王国」とやらが繰り広げる世界というのがこれまた愉快痛快で、それがどんな世界なのかのさわりだけがちろっとだけこのチラシの中でも紹介されているのですが、それをとりあえず原文のまま以下に引用して掲載して見ますんで、心してじっくりと読んでみて頂きたいと思うのであります。

(前略)…その輝かしい千年紀に全人類の生活状態がどのように改善されるのか、ほんの幾つかの面を取り上げてみましょう。

 経済。「彼らは必ず家を建てて住み、必ずぶどう園を設けてその実を食べる。彼らが建てて、誰かほかの者が住むことはない。彼らが植えて、誰かほかの者が食べることはない」。−イザヤ 65:21, 22。

 健康。「そのとき、盲人の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳も開けられる。その時、足のなえた者は雄鹿のように登って行き、口のきけない者の舌はうれしさの余り叫びを上げる」。「『私は病気だ』と言う居住者はいない」。−イザヤ 33:24; 35:5, 6。

 環境。神は「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」。−啓示 11:18。

 人間関係。「それらは私の聖なる山のどこにおいても、害することも損なうこともしない。……地は必ずエホバについての知識で満ちるからである」。−イザヤ 11:9。

 えー。圧倒されている場合ではありませんよ(笑)。
 まず経済。現状の人口増加を明らかに無視した設定はしかしある意味夢を与えてくれそうで悪くはないと思うのですが(特にこの日本という国ではね)、よりによって何故、ぶどう園なのでしょう?
 いや、もちろんぶどう園というのは物の例えなのかもしれません。しかし常軌を逸しているのはその後、他者の介在によってそれらの財産が侵害されることはない、という意味でかかれているのだ、と言いたいのだとは思うのですが、捉えようによっては、譲り合うことも、遠路はるばる訪問することもない世の中、ともいえるような気がしてしまうのは私だけでしょうか?
 一番最後の人間関係にも関係することなのですが、まるでエホバのいう理想郷、「神の王国」においては、人々は皆、独立した家庭を築き、お互いが干渉し合うことはありえない、と言っているように聞こえます。しかし家庭を隔てて干渉のまったくない世界というのはどうでしょう? 私は、世紀末的とも言われる現在の状況こそ、まさにこれに当てはまるのではないかという気さえします。集合住宅に詰め込まれた沢山の家庭が、ほとんど干渉しあうことなく独立した家庭生活を演じている。。。あまり想像したくない世界ですが、むしろ現状はそんな世界に近い気もします。
 そして極めつけは健康。これ、あからさまに、世界中の心身障害者を敵に回している文章です。なんて挑戦的なものの言いようでしょう! 声に出して笑い飛ばしてしまいましたよ。またその表現豊かな情景描写も笑えます。まるでカートゥーンのアニメ番組を見ているようです。

 そんな訳で、結論としては、相変わらずエホバの刊行物は笑いでいっぱい、と言ったところなのですが(そうだったのか!?)、しかし彼らは大きな目だった事件を起こしている訳でもない人畜無害な存在。幼少の頃の思い出に傷をつけるような存在でもなかったし、私は彼らに対して半ば差別的に偏見をもって接することはしないつもりです。もちろんこれからも。
 だから、例え休日のまだ眠っている時間に突然呼び鈴がなって、寝ぼけナマコのまま扉を開けたら親子連れのエホバの勧誘だった、ということがあっても、あからさまに怒鳴りつけて追い返すようなことはしません。多分、一方的にまくし立てるありがたいお話を適当に聞き流した末、満面の笑顔で「いりません(*^-^*)。」と言って扉を閉めることでしょう。