2000年7月6日(木曜日)


 たとえばピーマンが嫌いだとして、スパゲティー・ナポリタンの中にさりげなく混じっている小さく刻まれてよく炒められたピーマンであっても(しかもそのナポリタンにはとろけるチーズが芳醇に絡められていても)、そしてナポリタンのパスタといっしょに口の中に頬張ったのだとしても(圧倒的にパスタのほうが多いにもかかわらず)、ついついその、嫌いなはずのピーマンの味を一生懸命口の中で探し出して、やっぱりこの味嫌いだ、ということを再認識してしまうものなんですよね。
 まるで、集団の中に嫌いな人間がいて、相手にしたくないつもりでも、気付かぬうちについそいつのことを目で追ってしまうように。

 いつかピーマン抜きのナポリタンが物足りないと感じるように、嫌いなはずのあいつが集団の中にいなかったりすると、なんだかその場にいる気がしなかったりする。気のいい友達とも実のあるおしゃべりが出来なかったりして。

 でも、嫌いなピーマンの入ったナポリタンを口に頬張る前に、ピーマンだけ探し出して皿の上で分けていたのでは、いつまでたってもピーマンは嫌いなまま。一生ピーマンの食べられない、ピーマン分だけつまらない人生になってしまう。
 まるで、肌の黒い人間は不気味だからと言って人種差別を虐げてきた西欧の歴史や、農民を納得させるため、罪人を手際よく処分するために身分差別を虐げてきた日本の歴史、そして、さまざまな憶測や偏見の存在する、現代社会のように。


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 そうめん

ジャンル:フィクション
危険度:小

 仕事がないからというわけではないのだが、ここ最近の職場での私はまさに「腑抜け」であった。
 正面の席に座っている及川氏が吉岡さんとB社の橋田氏を近くに座らせてなにやらせわしなく書類片手に話し合っていた。その右側で中尾リーダーが何かの見積もりを作っているらしく、真剣な表情のまま無言で画面に向かいキーボードを打ち鳴らしていた。右少し後ろのほうから真行寺課長と武田主任が客先のS社のことで話に花を咲かせ、後方で横山主任が電話口でなにやらどやしつけていた。それでも私には仕事がなかった。
 金融関係の雑誌をひたすら読んでいた。何もすることがないから、知識を蓄えるという目的をもって行動する必要があった。銀行や証券会社が客先ということも少なくはないが、金融に関する知識は皆無に等しかった。
 金融リーテイル戦略。改正SPC法。先物・オプション取り引き制度。オルタナティブ投資。PB。介護保険。まさに眠くなる単語の羅列だった。しかしそれだけが原因ではないようだった。とにかく、周囲のあわただしさとは裏腹に、私の脳味噌だけが、100%濃縮果汁還元のオレンジジュースのパックのふちに付着した沈殿物のように朦朧としていた。

 不意に昼休みを告げるチャイムが鳴った。私ははっとし、一瞬外界の視野が広がった。が、休み時間に入ったということで安心した私は、この眠気を拭い去るために、倒れこむように机に突っ伏し、そのままぐぅぐぅと眠ってしまった。

 あっという間に午後の業務を再開するチャイムがなり、私は顔を起こした。そして先ほどの雑誌を広げた。が、もう読む場所がなくなっていた。というより、その雑誌が自分にとってもうすでに読む価値を失っていた。
 私は自分の机の引き出しから、分厚いSQLの参考書を取り出し、それとなく広げてみた。自分のマシンから通信ソフトを使ってSQLサーバーに接続し、テーブルを作り始めた。
 が、いきなり作り始めても目的がいまいち見えてこないので、いったん作ってしまったテーブルを全て削除し、裏紙を一枚取ってそこに図を書き始めた。DFTで証券会社が消費者に生命保険を売りつける様子をモデル化してみた。UMLでも書いてみたが、用件定義なのであまりにも漠然としすぎていて、これだけではよくわからない。
 さらに顧客から得られる情報を細分化し、顧客が出す要求を別に細分化し、証券会社が用意している保険商品の内容を細分化し、そしてそれらが必要とする項目を割り出してみた。そうするうちに、作るべきテーブルの項目やつながりがある程度見えてきた。
 そこで、データベースの設計練習などと抜かして、生保データ管理システムらしきものをでっち上げるべく、SQLを叩きまくった。正面の席に座っている及川氏は客先のT社に打ち合わせに行ってしまってもうそこにはいなかったが、中尾リーダーはひたすら画面とにらめっこし、真行寺課長は取引先との電話対応に終始し、武田主任は電話口でS社の仕事の見積もりのことで交渉し、後方で横山主任が芳川さんの詳細設計のレビューを見ている中、私は一人で自分の叩いているSQLでひっそりと盛り上がっていた。

 そうこうしているうちに、定時を告げるチャイムはあっさりと鳴り響いた。

 今日あたり新しい仕事が与えられるかもしれないという話だったが、結局今日も一日自己啓発に終始して終わった。周りが未だ慌ただしい中、一人席を立ち、軽く会釈をしながらその場を離れた。

 アパートに帰って私は、まず風呂に入り、そしてボトルでウーロン茶をがぶ飲みしながら、鍋で湯を沸かし、そうめんを茹でた。鶏肉を解凍し、ごぼうを刻み、鶏肉を一口サイズに切り、砂糖醤油で甘く煮詰めて一味を振っておかずにした。そうめんやなんかの茹で汁は油汚れを落とす効果があるのでいつも全部は捨てずに少しだけ残しておくのだが、その日は油を使わなかったのにやっぱり同じように茹で汁を残してしまった。
 食べてしまうと食器を洗うのが面倒になってしまった。冷蔵庫にスイカが残っていたのを思い出し、少しだけ切り取って食べた。それでますます満足して、何をする気力もなくなってしまった。結局その日はメールの確認だけしてさっさと眠ってしまった。

 翌日、ついに新しい仕事が与えられた。及川氏と共にS社に行くことになった。S社は事業所からはそう遠くはなかったが、アパートからはだいぶ遠くなった。作業用の端末は向こうで用意してくれるということで、私と及川氏はその日のうちに客先へ向かった。
 私は作りかけのデータベースのことを思い出し、それが少し気がかりではあったが、もはやどうでもいいことであった。

 新しく与えられた仕事はなかなか充実した内容で、さすがにもう腑抜けでいられるほど暇人ではなくなってしまった。私は午前中はどうしても腑抜けになりがちなのだが、新しい生活というものには順応するもので、早くも朝から腑抜けにならない新しい癖が植え付けられようとしていた。

 ところで、この仕事が与えられる前夜以来、鍋でそうめんを茹でる機会がまったくなくなってしまった。それどころか、あの日洗わずに玄関先にほったらかしにしていた鍋は、その後も底にそうめんの茹で汁がうっすらと、成分を沈殿させながらも残っていた。夏だったからということもあり、やがて小さな羽虫がたかるようになり、2週間ほどしてはっきりとわかるほど白いカビの絨毯を生やし始めた。
 しかし私はそんなものに目もくれる暇もなく、忙しい日々を送りつづけた。
 そうめんの茹で汁が育てるカビは意外な方向へと育ち始めた。カビは胞子特有の刺激臭を放ちながら、なぜか空気しかない上へ上へと成長を続けた。

 仕事が始まって1ヶ月ほどたった。その日の時点でカビは私のひざぐらいの高さにまで成長していた。実は先週の日曜日もとりあえずOFFで、体力的にも余裕がなくはなかったので、こいつを処分してしまうことも出来なくはなかったのだが、心のどこかで私はこいつの生長を毎日楽しんで見るようになっていた。
 その日は最近成長の度合いが悪くなってきたカビのことを気にかけて、中華なべで無理やりそうめんを茹で、その茹で汁をよく覚ましたものを、カビの生えている鍋にそっと流し込んでやった。それから、冷蔵庫の中で腐っていた、いつぞやのスイカも潰して入れてやろうかと思ったが、そうめんの茹で汁以外のものを入れてしまったら別のものになってしまうような気もしたので、やめた。

 それからさらに2ヶ月ぐらい、忙しい日々が続いた。この2ヶ月の間、まともにアパートに帰れた日はなかった。そう、この2ヶ月、ほとんど客先の会社のビルで寝泊まりするか、客先側で紹介してくれたホテルで一夜を明かしていたのだ。そして、やっと仕事が一段落つき、久しぶりに自分のアパートに帰れる日が来たのである。
 私は及川氏と共に事業所に戻り、仕事が人段落ついたことを真行寺課長に報告した。そして、特に用事があるわけでもないのだが、私はもともとの自分の席に座ってみた。私の席はマシンと共に特に使われる充てもないまま、そのままの状態で保存されていた。私は、いつか作りかけたデータベースのことを思い出して、SQLサーバーにつないでみた。が、かつて自分が作ったデータは全て消えてしまっていた。もともと別のプロジェクトに使われていたサーバーで、メンテナンスのたびに必要なテーブルのみをバックアップをとり、一通りのデータを削除した上でバックアップデータを展開するように設定されていたことを思い出した。メンテナンスは月1回行われるのだから、消えていて当然だったのだ。
 私は少し切ない気持ちになって、事業所のオフィスを後にした。
 しかしアパートに帰ってその想いは一気に晴れ上がった。

 いつぞやのカビは、立派な巨大きのこに成長したのである。

 みてくれがみてくれなのでとても食べられるきのことは思えなかったし、鍋の中のものだけではやはり養分が足りなかったようで、痛んで朽ちてしまっている部分もあったが、腰の高さほどある、立派なきのこだった。
 こんなに嬉しいことは、とても久しぶりだった。
 デジカメのタイマー機能を使って、きのこと記念撮影をした。

 その日撮ったきのこと私の写真は、いつぞやかの夏の思い出として、今でも大切にバックアップディスクの中に閉じられている。