2000年6月22日(木曜日)


 先々週は何人かの方々にご心配をおかけして本当に申し訳ありませんでした。らしくもなく結構反省しちゃったりなんかしています。特にS君、かなり本気で心配してくれてありがとう。とても嬉しかった。それからK君、元気の出るラーメン屋を教えてくれてありがとう。まだ行ってみてないんだけどね(^_^;)。そのうち機会があったら寄ってみるよ。それからT君、あれが私の文章に対する君なりのレスであったとはまったく気付かなかったけれど(^_^;)、実は結構本気で心配してくれていたみたいで本当に申し訳ないです。
 それから、先週は突然休んでしまって本当に申し訳ありませんでした。すべてはPCコンテストのせいです(笑)。

 ところでいま私は、15歳の倉橋のぞみに見つめられながら、ブランデーを煽りつつこの文章を書いています(^_^;)。「倉橋のぞみ24歳」に手が出せないでいるのは写真家が彩紋洋美じゃないからであって彼女に魅力を感じないわけではないのです。ってそんなことはどうでもよくって(((((;^^)、結局なんだか先々週の状況とそんなに変わっていないような気もしなくもないのですが(^_^;)、でも実はかなり違うところもあります。
 呑んでいるのは、Hennessy VSOP 世界共通ボトル。3,300円のコニャック。
 いやー、一度でいいからヘネシーが部屋にある状態と言うのを体験してみたかった(笑)。ただそんだけで買っちゃったんですけどね(^_^;)。しかしこいつが美味いのなんのって。もぅ。こいつにだったら呑まれちゃってもいいやとかってかなり本気で思えるからね(*^-^*)


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 ノンリニア

ジャンル:コラム
危険度:小

 YAMAHA XGのメールニュースのコラムに面白いネタが書いてあった。メーカー系のメールニュースで面白いと思ったのは実に久しい。
 転用は控えさせていただきますが、内容的にはオーディオの非破壊編集について愚痴ったもので、こいつのおかげで仕事の終わりが見えてこなくなった、楽しい打ち上げが出来なくなった、と言うものだ。

 なるほど、確かに最近は一発録りしたものをそのままアルバム化して、なんていう作品はほとんど見かけなくなって(椎名林檎は信じているけど)、音痴なボーカルを補正してみたり、あとから音を加えなおしたりバランス整えなおしたり、そういう作品がほとんどになってしまったような気がする。何をカリスマ性って言うのかわからないけれど、マスコミ受けさえすれば歌手は売れる時代になってしまった。
 映像に関してはよくわからないけれど、アクション映画やCMにCGが使われるようになってから、何をやられてもあんまり驚かなくなった、というのも寂しい現象だと思う。

 で、話を何につなげるのかというと、先日行って来た我が母校の吹奏楽部の定期演奏会だ。

 なんだか最近いまいち音楽のほうが作業が進まない私。初心に返るためにも、と思い、青春を謳歌しているのであろう高校生たちの演奏を観に行ってきました。
 何もかもが生の世界。それが舞台というもので。うんちゃらかんちゃらのライブ〜とかいってステージの両脇にでっかいスピーカーがあってミキサー通してそこから音流してるのーとかいうんでもなくて、音だって生の音がそのままホールの構造だけで膨らまされて聴こえてくる。それが舞台であって、本番というものであって。  傍観者としてそういうステージを目の当たりにするようになって、そのたびに感じるのが、DTMという発想の限界だったりする。
 DTMに感じる限界、もちろんそれはノンリニア編集に感じる限界でもあるんだけれど、それは、演奏者が自分のそのときの気持ちを表情に表す顔というものを、持っていないという事だと思う。それは特に、生演奏で演奏者がとちったときに見せる、あの苦い顔を見つけるたびに思うことだ。
 演奏者が人間なら、失敗する可能性は常に付きまとう。失敗とはいえない範囲内で演奏がなされたとしても、危なっかしいところがあったり、失敗だと気付かせない工夫があったりする。でもそんな時きまって演奏者は、少し口元をにやけさせてしまったり、眉をしかめてみてしまったり、不自然なほどポーカーフェイスを装ったりする。そういう瞬間を見つけてしまうととても嬉しくなって、不謹慎ながら、もっとやれ、もっとその顔を見せてくれ、とか思ってしまったりする(笑)。
 実は先日の定期演奏会でも決定的な「失敗の瞬間」があって、それは本当は後から考えるととても笑えるものではないんだけれど、見つけてしまったときはただただ笑うしかないな、と思ってしまって、本当に笑ってしまった。
 あの高校の演奏会は、毎年恒例で1年生が先輩たちの演奏に合わせて踊りを踊るのだけれど、今年のダンスではとんでもないハプニングがあったのだ。それは、踊っていたうちの一人の女の子が、衣装のスカートを結んでいた紐がほどけてしまって、それを落ちないように必死で抑えながら、何とか元通りに紐を結び直そうとしながら、それでも健気に足だけはステップを続けながらという、なんとも切ない状況になってしまったのだ。
 その後の演奏の中でその子は涙をあふれさせていたのか、時折目をこすったりするしぐさが見て取れて、それがなんとも居たたまれなかったのだけれど、この悲しい経験がそのうち笑い話のネタになるくらい、これからもガンバって音楽続けて欲しいな、とか願ってみたりもするのです。
 で、そんな姿を見ていたら、私の同期のトロンボーン奏者である某Y氏が3年の定期演奏会で楽器のスライドを投げ飛ばしてしまったことや、3年最後のコンクールで私が課題曲のスネアでとちってしまったことなんかを思い出して、なんだか本当に懐かしい気分になってきたりもしたのです。

 結局、完璧な演奏を永久保存してくれるデジタルメディアなんていうのは、流行で流されて振り返られることもないまま永眠してしまう作品を増やすばかりで、あのメルマガの言葉を借りるなら「不老不死の人生みたいでつまらない」、ということなのかもしれません。実はとり返しのつかない思い出だからこそ本物なのであって、取り返しのつかない記録だからこそ本物なのであって。不完全な完璧主義者に人間っぽさを感じたり、粗探しばっかりして見せる割には一番楽しんでいるのは自分だったり。そういう部分に作品の「味」っていうものは出てくるんじゃないかな、なんて感じたりもするのだ。しかもそれを、わざと演出するのではなくて(だから打ち込みを否定するわけでもないのよ、じつわ)

 考えてみれば私が今まで作ってきた作品、どこかでコードが怪しかったり、楽器の使い方がおかしかったりする曲ばかりなのだ。そしてそういう部分を指摘されてきた作品も実は少なくない(っていうかほとんどそう)。でも私はそれを敢えて手直ししようとしなかった(一度公開してしまってから手直しした作品って、「前進あるのみ!」と「驀進!仮装行列」ぐらいしかない)
 あのころの私がそういうスタンスで曲作りをしていたのは事実で、もしかしたら何らかの作品の添付ドキュメントの中にもそんなことを書いているものがあったかもしれない。そういう気持ちが、先日の定期演奏会を見に行って、しばらくしてからようやく思い出せたような気がして、そうか、ジャンルや形式に対してまったくといっていいほど節操のない自分がそれでもそんなポリシーを持って曲作りに挑んでいたんだな、なんてつくづく感心してしまったのだ。

 私はこれからも、自分の好きだと思える媚びのない曲を書きつづけるだろうし、そのたびにこの場を借りて何人かの人たちに聴いてもらったりするのだろうと思う。そう思わせてくれた我が母校の後輩たちの、ちっともノンリニアじゃないステージに、本当に感謝感謝なのでございます。。。


 掛け橋

ジャンル:SF
危険度:小

 高くそびえ立ち海を遮る硬い鉄壁の堤防、その真ん中にぽっかりと開けている口。この島国ではそんな光景をよく見かける。
 通常の航海術が公害によってまったく通用しなくなり、このような交通手段が一般的になった。掛け橋の中はたいてい真っ暗で薄気味悪いものがほとんどだが、中には防弾耐火耐圧強化ガラスを張り巡らせて海の中を一望できる神秘的なものもある。が、そんな掛け橋から望む海中は神秘的というよりはむしろ現実的で、光のほとんど届かない海底はどんよりと薄暗く、走光性の不気味な海の蟲どもがびっしりと張り巡らされていたりしてとても見れたものではなかったりする。しかもその蟲というのが放射能汚染でやられてしまった新種や亜種ばかりで、表裏がひっくり返ったサカサヒドラ、にわか人の顔にそっくりのアニキウミウシ、からをかぶらない藤壺(あれを藤壺であると発見した科学者はたいしたものだとつくづく感心させられる)、イボヒトデ、ダラムシ、ウボロ、足貝などである。特に足貝の気色悪さといったらなく、人の足が両端にくっついたような形をした全長20cm程度の生物で、普段は両の足の裏をガラスにしっかりと吸着させ、足の指の股から赤い瘴気のようなものを常にゆらゆらと放出しつづけるのである。そしてその正気に触れて弱ったダラムシやアニキウミウシなどを、両の足の裏で挟みつけるようにして襲い掛かり、体の真ん中にある口からかじるようにべちゃべちゃと捕食するのである。その光景を見つけてしまうとまさにこの世の終わりを実感して嫌な気分になるのだが、見ているうちにだんだんと病み付きになってしまい、ついには食べ終わるまでその光景を見つづけてしまったりしてしまうのだ。

 私はまだそのようなガラス張りの掛け橋に関わったことはないが、こういった掛け橋や巨大堤防を建造・修復する仕事に従事している。

 カンナ暦3703年に勃発したクィーム戦争は海の天候を利用した生物兵器が大量に使われ、それが災いして世界中の海が強い酸を発するようになってしまった。それ以来この国では酸性雨に悩まされつづけた。酸性雨は3日降りつづければ町じゅうの舗装された道路が人も歩けないような状態にまでぼろぼろになり、ビルの外装はあられもない状態になった。実際酸性雨のために倒壊した建物も少なくはない。
 しかし酸性雨に対する対処は比較的各地で素早く行われた。酸性雨を降らせる雨雲が基準量を上回ったときに、自動的に塩基中和剤爆弾を上空に発射し、酸をアルカリで中和させた安全な雨をわざと降らせる装置を設置することでこの問題は意外にもあっさりとごく自然な解決を遂げたのである。
 むしろ深刻だったのは海岸近隣の地域での潮風による災害であった。酸をたくさん含んだ潮風は建物を風化させ、なにより人間その他の生き物の皮膚をただれさせた。もはや海岸近隣の地域は人の生活できる場所ではなくなってしまったのである。

 われわれが堤防や掛け橋に採用している素材は硬化樹脂をさらに応用したようなもので、全長20mのハダカイワクジラが体当たりしてもびくともしない強度を誇り、またそういった強度の高い素材の中でも抜きに出て耐酸性の高い素材である。しかしそれでも完全に酸を受け付けない素材であるというわけではなく、月に一度の単位で部分的な改築、増築は常に行われる。海がこのような状態でありつづける限り仕事がなくなるということは永遠にありえないことだろう。
 問題はこの素材に使われる樹脂が国内だけでは生産が追いつかないことだ。外交は途絶えてはいないが運搬が非常に難しいのである。なにしろ通常の船舶が行き来できるような海ではなくなってしまった上、そのような船が開発されたところでそれを受け入れられるような港を持つ国などなくなってしまった(無論、この島国とて例外ではない)。したがって材料は空輸によって運搬されるが、当然これでは一度に運搬できる量は限られてしまう。運搬用の空母は確かに巨大で物理的な許容量は確かに大きいが、それを飛ばすのにかかる費用もまた莫大なのだ。

 <続きはまた別の機会に…(^_^;)