2000年2月10日(木曜日)


 「よくかんで」を新設した関係で、こちらの方はほとんどおサボり進行です。「よくかんで」のたうんずノートネタはまだ途中ですがなかなか読み応えのあるものになりつつあります。今後ともごひいきにお願いいたしまする。

 ところで先日ニュースを見ていたら、小学校6年生の男子が同じく小学生の女子をナイフで脅し、体を弄繰り回した上、現金360円を強奪すると言う事件が報じられていました。これって、わざわざ夜のニュースでまことしやかに報じられなければならないほど大変な事件なんですかね? 事件性を匂わせるのはナイフで脅したというくらいで、なんだか都心の界隈では日常茶飯事のように起こっているような事件のようにも思えてしまったのは私だけでしょうか?
 それとも「エロ本を見て思いついた」と自供していたあたりを見ると、ナイフ突きつけて脅しながら両手を後ろに縛ってそのまま服を切り刻みプレイでもしていたのでしょうか? 局所only剥き出しプレイとか。それだったら確かに事件性は高いですね。ていうか、小学生の癖に生意気ですね。大人の私たちが天に代わってシバキ直してあげないといけませんね(-_-)......*~●


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 監禁

ジャンル:フィクション
危険度:大

 少女を一人、監禁してみた。

 職場では仕事のできる好青年で通っていた。毎日出社時間より30分早く出勤し、その日のノルマをたいてい退社時間より1時間早く、遅くても定時までにはこなしていた。社内でもその気さくな性格がそれなりに人気を保たせていた。友人と呼べる人間も決して少なくはないと思っている。
 そんな俺が、本来ならまだ赤いランドセルを背負って学校に通っているはずの、9歳の少女を監禁した。監禁などと言う、陰湿な言葉がまったく似合わないはずの俺が。

 なぜそんなことをしてしまったのか。それは正直俺にもよくわからなかった。理由などない。道を歩いている少女を見かけて、単純に欲しいと思った。恋に理由などないというのと似ているのかもしれない。理由付けが必要な犯罪ではなかったことだけは、確かだ。

 少女をお菓子で手なずけて、部屋に引き入れた俺は、とりあえず用意していた包帯で両手足を縛り付け、口にガムテープを貼って黙らせた。もがき暴れる少女に果物ナイフを突きつけ、現実味を実感させるために左の頬に少しだけ傷を入れて刃物の味を覚えさせ、恐怖を植え付けた。
 食事を与えないままその晩を明かし、泣き疲れている少女を横目に、黙って出勤した。帰ってきたときには精根尽きたようにぐったりとしていた。拘束を解かぬままガムテープをゆっくり放し、「よく我慢した。わめくんじゃないぞ」と言って笑みを見せてやった。そして、暖かいコーンポタージュをスプーンで与えた。

 3日目にして彼女が初めて発した言葉は、「何でこんなことするの?」だった。その日から5日間ぐらいは「おうちに帰りたい」しか言わなかった少女だが、やがて会話を交わすようになった。それも最初は俺が聞いたしつもんに対して相槌を打つだけであったが、徐々に少女の方からたずねてきたりもするようになった。
 監禁1ヶ月にして初めて拘束が解かれた。少女の体を洗ってやるためだ。その日まで彼女はずっと縛られていたから、体に匂いがついてしまったのだ。もっとも、排尿排便は非常に効率のよい方法で処理していた。縛り付けていたのにどうしていたのかって? そんなことも考えて、縛り付ける場所にトイレを選んでやったんだ。下半身を丸出しにして。自分の排尿はかまわず彼女の座っている隙間に器用に注いでいた。引っ掛けてしまえば雑巾でぬぐってやった。俺は少女に対して性的な感情は抱かなかったが、少女は俺が排尿する様を見ながらどう思っていただろう。ちなみに俺の排便は会社か駅でしかしなかったからまったく問題はない。

 そんな日々生活が続いて、1年の月日が流れた。

 少女と俺はすっかり打ち解けていた。いつのまにか俺は少女を拘束することはしなくなったし、少女も俺の下を離れようとはしなかった。都合のよいことに、少女は外出することを恐れるようになった。俺に連れ去られてきた日のトラウマか、それとも俺と生活するに連れ、他の人間の方がむしろ信用できない人間であると思うようになったか、あるいは単に外に出ることに慣れていない為か、はたまた、人目に触れることを極度に恐れた俺が、執拗に少女を外出しないよう脅したためか。
 少女は俺が作る食事をよろこんで食べてくれた。好き嫌いはほとんどなく、なんでも大体残さず食べた。だから俺は食事を作るのが楽しくなって、最近では料理は俺の趣味の領域にまで達している。

 それからさらに4年が経った。14歳になる日、彼女は遅い初潮を迎えた。

 そしてさらに2年が経った。少女は病気を患った。少女は監禁されてからこの日まで、1度も外に出ていなかった。1度もだ。室内でできる運動はさせていたし太らない体質でもあったようで太るということはなかったが、白子のように真っ白い肌の裏には青い静脈の筋が何本も見えたし、決して健康的であるとはいえない状態になっていた。いつどんな病気を患ってもおかしくない状態だったのだ。
 そして俺はといえば、実際のところ気が狂いそうだった。俺は7年間も会社にも親にも世間に対しても秘密を守ってきたし、そして何より年を重ねるごとにとても健康な人間とは思えないような容姿になっていく少女を操に手を出すこともなく見守りつづけてきたのだ。
 しかし、そんな彼女が明らかに異常な様子を見せ、血を吐き、胸を抑えて倒れこんだのを目の当たりにしても、俺は彼女を抱きかかえ、彼女の体を暖め、彼女を励まし、そして彼女が落ち着くのを待って寝かしつけてやることしかできなかった。
 病院に連れてゆく……。それはできなかった。彼女の身分を証明するものがない。当然俺の保険証に彼女の名前が登録されているはずがなかった。仮に診てもらえたとして、それは俺の犯罪を証明する事でもあった。いや、むしろそのことが俺にとって、重くのしかかってきたのだ。

 自分の保身のために、すでに愛すべき存在にさえなってしまった少女を病院に連れて行ってやる事もできない人間がここにいる。俺の事だ。俺は頭を抱えた。ここに来て、俺が弱っていく少女を見るたびに抱いていた焦燥感の理由がはっきりわかった。罪悪感。嫌悪感。ここに来て初めて自分と言う人間が、エゴの塊で、醜いものであると言う認識が、俺の中に芽生え始めた。

 俺は医学に関連する本を買いあさった。「家庭の医学」を始め、薬用植物や、漢方薬の本にも手を出した。「家庭の医学」から、少女の患った病気がおそらく肺結核であると考えた。そして、肺結核を治すにはそのための抗生物質が必要であることもわかった。
 しかし、その薬は手に入れるのはまず無理だろうと俺は思った。抗生物質は完全に行政が取り仕切っている。医師の処方箋がなければ、それを買うことはできないと思ったのだ。
 仕方なく、あまりあてにはならなそうな、薬用植物や漢方薬の線で攻めるしかなかった。さんざん探した挙句、結局見つかったのは、胸の痛みを和らげるとされる漢方薬だけだった。中国ではかつて実際に結核患者の延命に用いられた薬で、胸の痛みを一時的に和らげる効果があるものの、結核そのものを治療するような能力までは持っていなかった。しかし比較的手に入りやすい材料で作ることができるので、とりあえず作って与えてやることにした。

 しかしそれでもやはり、彼女の容態は酷さを増していく一方だった。
 そして、少女は最期までやわらかい笑みを崩さぬまま、静かに眠りについた。

 それから何日もたたないうちに、俺も少女と同じ病気で死ぬことになる。彼女の人生を奪った俺が、彼女の命を奪った病気から、自分だけ助かるわけには行かなかったのだ。
 二人の男女の奇妙な病死体が街のとあるアパートで発見されたのは、それからさらに2週間もたったある日のことであった。