99年12月9日(木曜日)


 ブラウザの「ソースの表示」を選択してみてください。雛型を変えずに使っているので着工開始日時がちょうど去年の昨日の日付になっているのがわかると思います。
 こんなことをはじめるようになってから、もう丸1年が経つんですね。時のたつのは早いものです。

 しかし、早いもの、と書きつつも、この1年間を振り返ると、その圧倒的なほどの長さにも驚かされるものがあります。周りの、世間の皆さんが、「就職活動しなくっちゃ」で動くようになって、そんな気風に素直につられることのできなかった私。一番大切?な時期に無気力症候群になって、何をするでもうまくいかないと思い込むようになった日々。そんな折、ちょっとしたきっかけで、自分はもっと勉強がしたいんだ、と思い込むようになり、挑むことになった大学院受験。しかしその挑戦も余りにも遅すぎて。そして、実は研究生の道を進みたいわけではなかった自分に気付くのにも余りにも遅すぎて。だけど、終わってみれば助け舟は意外にもあっさりと私を救ってくれて。そして今は、新たなる研究課題の発見に目を輝かせ、毎日毎日、研究室のパソコンに向かって格闘の日々を送っております。

 もしかしたら、自分の人生の中で、2番目ぐらいに充実した日々を、今、送っているのかもしれません。1番は誰がなんと言おうと高校時代の青春の日々。そして、普段うんずに向かって音楽を作っているよりかは、どちらかと言うと勝っているかな、ぐらいではあるけれど。

 今、私は、とても充実しています。


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 違法コピー

ジャンル:コラム
危険度:大

 私もよくやる概念本来許されてはいけない。
 大学院受験でもこれについて聞かれて、そのとき本当はX680x0シリーズの市場が消えた理由と絡めてコメントするつもりだったんだけれど、おそらく純粋にうんずユーザーだった頃なら言えたであろうそのコメントも、今となってはたくさんの前科を抱えてしまった私にはとてもえらそうにコメントできることじゃないなぁと卑屈になってしまい、結局「違法コピーはよくないことですしそれをめぐってDVDなんかの規格の設定が遅れてしまうのは仕方のないことだとは思いますけれどもそれを憂慮する余りにせっかくの技術の進歩もなかなか市場に反映されないのはとても悲しいことでありまして本当にこればっかりは難しい問題ですよねぇーうんぬんかんぬん」などとなけなしの世間話しかできなかったという悲しいいきさつがあったりするのでございましていとあはれ(;_;)/

 市販ソフトの使用範囲規定は本来かなり厳しくて、たとえば団体で1つのソフトを1つのソフト分の金だけを払って共有するような使い方もたいていの場合は違法である。その団体が1つの端末しか使わないのであれば話は別だけど、「共同出資って言うことにしてぇ、みんなで少しずつお金を出し合おうよぉ。マスターはRで焼いて回すからさぁ」などというのは当然のことながらご法度なのである。

 みんな結構ふつーにそういうことやってるけどね。

 私だって違法コピーは結構しょっちゅうやっている。現に今手元には、ちょっとバイト先から借りてきた、FMVのアプリケーションCDが転がっていたりする。年賀状作成はなんといっても富士ソフトABCの「筆ぐるめ」だ。これから私が入社する会社だし、勝手に使わせて頂いている以上宣伝ぐらいしておかないと申し訳が立たないですからね(さいてい)。
 ゲームなんかもRでコピってもらってきたものがやっぱり多い。ぷろGoodとかLuvWaveとか、ちゃんと買ったソフトも結構あるにはあるんだけど、ちょっと話題になったからやってみようかな、ぐらいの動機ではもらってくることの方が多い。で、やってみてから、こんなもんかぁーこんなんでよくあれだけ話題になったよなぁーなんて思うのは、実際あんまり面白くないから、というよりは、むしろお金をかけていない分愛情も薄いからなんだと思う。同じようなことが音楽CDにも言えて、やっぱり自分で買ったCDの方が、コピらせてもらったCDよりも好きな音楽が多い。

 しかしそうはわかっていても。やっぱりコピーしちゃうのだ。

 私にもポリシーはある。一つだけ決めごとをしていることがある。
 それは、作品を作るときだけは、ちゃんと買ったソフトか、フリーソフトだけを使うことにしよう、ということだ。そして、そのソフトを走らせるOSも、実はアップグレード版だったりと多少はズルをしてはいるものの、ちゃんと買ったものを使っている。

 なぜそうするのか。それは、作った作品をネットを介して公開しているからだ。

 あるいはこうやって、ホームページの素材としておおっぴらにお見せしているからだ。

 盗んだお金で買ってくれたプレゼントを受け取っても、あまり嬉しくない。盗んだ画材でどんなに素晴らしい絵画を描いても、それが知れれば人はおそらく感動しないだろう。これはあんまり良い例えではないけれど、そういうことと似ているような気がする。
 対価を支払わずに使っているツールで、最高のものなど作れる気がしないのだ。その点フリーソフトはその多くが最低限のことしかできないように作られていることが多いので、自分がそれを使って発揮できる実力の限界を心得ながら制作に励めることがむしろ刺激になってくれている気がするのだ(感覚的には落ち葉や砂などの自然素材を絵画に利用しようとする試みに近い)
 それに私は作品の添付ドキュメントに自分の作品の著作権を主張している。著作権を主張する人間が、それを作る段階で著作権を無視していたのでは示しがつかないではないか、という考え方も当然ながら共有しているのである。

 パソコン屋の店員などということをやっていると、ときどきお客さんにCD-Rドライブを指差され、「これさえあればソフトはいくらでもコピーできちゃうんですよね」なんて興奮しながら聞いてきたりするのに応じていると、ああ、またヲレみたいなのが増えていくのかと、なんとも言えない焦燥感に駆られてしまうのである。