99年6月29日(火曜日)


 充電期間準備号(何じゃそりゃ^_^;)だというのに、相変わらずアップロード直前で執筆を始めているむらちにございます。みなさまお元気でやっていらっしゃるでしょうか。
 私の方はというとまぁ、なんと言いますか、近況報告をするのも面倒くさいような状況になっております次第にございまして。まぁ私の近況何てぇものを挨拶にしたところでつまらないものになること請け合いなのでそちらはまた別のところで欠かせていただくことにいたしやす。

 ちなみになんで充電期間なんてものを持ってきたのかともうしますと、まぁ要するに本当にネタが切れてしまったと言うことなのでございまして(^_^;)。もちろんネタが切れるという現象が起こるにはそれなりの理由といいますか詰まるところ生活に余裕が無くなってきている証拠と言うことではあるのですが。しかも今月は何かと出費がかさんで懐にも余裕がないといいますか。まぁまったくいいこと無し続きで今日はおまけにおなかも痛かったりして、しかも明日は輪講で英語のレポート提出日なのにちっとも終わってなくって本当はそっちをやらなきゃいけないのに何やってんだろ私ゃってな感じでごぜーやして。
 それもこれも時間管理のなっていない不摂生な生活態度がいけないんでしょうかねぇ。まったく。ダメ人間ばんざいっ!(やけくそ)


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 団体

ジャンル:実話
危険度:大、なのかなぁ

 確か中学2年の時からのハズなのだが、あのころの時間がものすごく長く感じてしまうためにどうしても中学1年の頃から始めていたような気がしてしまうのは、あのメンバーの中では私だけだろうか。ついでに言うと中学3年の時にクラス替えは確かにあったはずなのにその記憶もいまいちはっきりしないのだ。きっとどこかで時間の感覚がずれてしまっているだけなのだと思う。
 あんまり書くとボロが出るような気がするのであんまり書きたくないのだが、しかし中1の時はまだPC-8001mkUでBASICもまともに書けなかったと記憶しているので(っていうかあの頃に何だか本格的にいじるようになったんだよな)、多分間違いはないと思うのだが、まぁそんなことはどうでもいい。
 とにかくそのころ、某阿久悠もとい悪友の誘いでエロビデオ鑑賞会をした席に同席していた今の佐野倉瑞希と手を組んで結成されたのが、嘘っぱち営利団体プログラミング株式会社、その名も「タヌメディア」なのである。
 嘘っぱち、とは書いているが、営利目的のつもりでいたのは大部分が冗談のちょびっとだけ本気ってな感じで、後にえぬじ、HOLSTEINなどといった濃いメンバーがひとしきりそろってきてから「倒産だー」とか言い出してその存在意義を正式に非営利団体プログラミングサークル・タヌメディアとしたときにも、やっぱりふざけてはいたもののでもちょっぴり惜しいかななんて気持ちもなくはなかったのは内緒だ(笑)。

 さてここまでノリノリで書いているが、なんで今更こんなことを蒸し返しているのかというと、つい先日私が密かに続けている草の根BBSである「ERK」の呑み会OFFに、「元」タヌメディアのメンバーのほとんどが参加し、久しぶりのご対面を果たすことが出来た感動による反動によるものなのである。ついでに個人名は本名ではさすがに出せないのでとりあえずネット上で使っているハンドルネームを使わせて頂くが、これらの使用について彼らからの許可はいっさいもらっていないこともここに付記しておこう。
 今私は「元」タヌメディア、と書いたが、そう、タヌメディアはもう、すでに終わってしまった「団体」なのである。

 中学を卒業し、バラバラの高校に進学したこの7人の団体は、当番制で新聞を郵送により発行するというギリギリの連絡体制を敷きつつも、本業のゲーム作りについてはほとんど休業、という状態であった。新聞というのはタヌメディアがまだ株式会社だった頃からほぼ定期的に団体内部で発行し配布していた「タヌメディア新聞」というものであり、今でも私のクロークに山積みにされている荷物の中のどこかにこいつのバックナンバーが腐っていたような気もする。そういえば最初はあれ、社内報って呼んでいたんだよね。
 高校3年になって瑞希を中心にパソコン通信を始めるようになり、新聞も廃止になった。私を含め3人ほどがこのパソコン通信には参加できないでいたので、その分のログをえぬじが印刷して配布する形になり、そのころからえぬじ一人の負担の大きさを問われる声も出てくるようになった。そういえばタヌメディアは会費も集めており、新聞発行などの経費に充てていた。新聞廃止後も必然的にログの印刷代に回る形になった。

 高校を卒業後、私や他の何人かが大学への進学を決め、何人かが浪人生活に入り、若干1名がフリーターとしての生活を始めることになる。家庭の承諾を得る形で私もパソコン通信に参加することになり、ホストも私の家に移された。何故わざわざホストが移されたのかというと表向きの理由は私がタヌメディアの会長だから、ということなのだが、実際の所は瑞希の家庭が悲鳴を上げたから、ということもやはりあったようだ。
 当然のことながらその悲鳴は我が家でも起こることになり(当然だ、深夜に突然ベルが鳴ったりして、取ったら無言電話だった、なんてことが続けば誰だって悲鳴を上げたくなる)、その翌年には専用の回線を設けて本格的に24時間体制で開業することになる。それが現在のERK、電撃快速京葉線である(もともとこーいうなまえだったけど)。もっともこいつを今でも活用してくれるのは私の高校以来の親友である@DRKだけになってしまったが。

 ところで肝心のゲーム作りの方はというと、高卒後、最初の1年目は浪人生が多かったこともあってあまり本格的に取り組むことは出来なかったが、2年目に入ってERKが運営を本格化させた頃から「何か1つでも良い、作品を残したい!」という気風が高まり、やっと本格的に活動が行われるようになった。
 それまで何かと凝ったものを作ろうという話ばかりをだしながら、何一つ実現できないでいた私達は、とりあえず簡単なものを作って、それをどんどん発展させよう、という方向性で固まった。その「簡単なもの」というのが、迷路である。
 当時、LSI-C86試食版というMS-DOSの世界ではものすごく有名なDOS汎用Cコンパイラーを使ってESCシーケンスコードを使ったテキスト操作術(笑)を会得していた私は、乱数的に迷路を作りそれを右回りの法則でゴールまでたどり着くというデモプログラムを作り、そのアルゴリズム部分の関数をそのまま使ってもっとグラフィカルでしっかりした出来のものを作ろう、ということで話を進めていた。
 しかし当時メインプログラマーという位置に着かされていたえぬじ氏は結局最後までC言語を会得することが出来ず、最終的には私のアルゴリズムをえぬじが解読してVisualBASICに書き直すという荒技をこなし、彼の絵によるキャラクターと私のBGMを組み合わせ、更に彼のアイディアで迷路中に散らばる番号のパネルを順番通りに探し当ててそのタイムを競うという形にまで熟成した、という時点でこのプロジェクトは中断してしまった。
 ここまでに至るまでに、タヌメディア会員の間にはさまざまな紆余曲折がありドラマがあった。意見の対立と言うこともあったがそれ以上に性格の不一致から衝突することがあったのが私には深く印象に残った。そしてネットワークという相手の顔の見えない空間にはさまれて、そんなメンバーをまとめきれないでいる会長としての私の姿がそこにはあった。

 まことに悔しいことではある。
 タヌメディアは私の夢だった。
 タヌメディアはメンバーが皆社会に出て忙しくなってもゲームを作り続け、作品を発表し続けるようなそんな団体であり続けていて欲しいと私は思っていた。そしてゆくゆくは独立して会社にしてしまうことすら考えていなくもなかった。
 もっとも、反面心のどこかでそれはそれで迷惑な話だなぁとも思っていたし、このメンバーでそれを永遠にやり続けるのは無理なんじゃないかなぁとも思っていた。そして、タヌメディアで作った、といいきれるような、これといった作品が作れないでいたという、ジレンマばかりが募っていた。
 ERKが本格操業を始めて1年。タヌメディアの解散を私に提案してきたのは、当時えぬじと気まずい関係であったシゲさんという人だった。

 「仲良しグループになっても、それはそれでいいのかな? とか思ってしまうこともあります」

 もう一度確認しておこう。
 私が今回、今更になってこんなことを書く気になったのは、つい先日のERK呑み会OFFで元・タヌメディアのメンバーたちのほとんどが勢揃いしたからだ。もちろん、あの日もうタヌメディアは終わりにしないか、と言ってきたシゲさんも、そして、いつだったかERKのネット上で、上のように発言しているえぬじも。
 私は、この呑み会OFFで再確認した。それは、あのときのえぬじの発言が正しかったと言うことだ。あのとき私が真っ向から反対し、そしてタヌメディア解散の決断が迫られたときに再び思い返したその発言が。
 なんだよこいつら。団体なんか解散させたって、ちゃんと集まってくるじゃねーか。って。
 呑みは浅かったしその後の2次会のカラオケもいまいち歌い足りなかったけど、私はみんなが集まってくれて本当に嬉しかったのだ。

 タヌメディア解散以来、ERKは私の自己経費負担になるやらERKに参加する人間は減って行くやら自分の創作活動はへこみっぱなしになるやらマッドな趣味は増えるやら手首は痛くなる一方やらでまったく良いことが無く(後ろ2つはあまり関係ないが^_^;)、更に時を同じくして大学のジャズサークルの連中とも関わり合いになりたくなくなってきてしまい、とかく名前を持つ「団体」というものに対してアレルギーを持つようになってしまった。
 やっぱり友達づきあいに、会費だとか経費だとか、そういうのを持ち込んだり、っていうのは良くないものなのかなぁなんて、経験的に思ってしまったりするのは、こういう経緯があるからなのでございます。
 こんな感じの絞め方で、許していただけるでしょうか。<m(_ _)m>