99年5月4日(火曜日)


 綺麗なものをより綺麗に見せるために、敢えて周りに汚いものを散りばめることでその綺麗さを目立たせる、という手法がありますが、私はこれはあまり好きではありません。
 もちろん、これに頼ってしまうから表現に説得力が無くなってしまうのでしょうが、例えば肥溜めに浮かんでいるダイヤモンドが本当に美しく輝いて見えるでしょうか? もちろん肥溜めの中でもわずかな光を屈折させて輝くダイヤモンドは美しいかも知れません。でもそれはあくまで肥溜めの中「でも」美しい、のであって、決して正しい演出ではないはずです。
 キャラクターとして、とある少女の「優しさ」を演出するために、周りに小憎たらしくてすさんだ陰湿な心の少年少女ばかりのクラスにぶち込まれたらどうなるでしょう? それでも作者は少女の「優しさ」のみを強調した物語作りに励もうとするでしょう。でも現実にそんなことになったら真っ先にいじめに遭い、自殺だってしかねません。

 無理な設定で土台を組み上げれば、必ず「不自然」という隙間が作品を不安定にしてしまいます。

 宝石でリングを作るのに、そのリングの部分に膠(にかわ)や竹を使うデザイナーはいません。金やプラチナなどの高価な金属を素材にすることで宝石との美しさのバランスを保つことが出来、さらにそれを身につける女性の美しさによって、全体のさらなるバランスを取ることが出来るのではないでしょうか。
 物事には何につけても、適材適所というものがあるのです。


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 モバイル考

ジャンル:フリートーク
危険度:小

 まず断っておきたいのは、私は何も全世界の人間に冷静に考えて生きることを求めるようなことをするつもりはない、ということです。誰にだって人生の楽しみ方というのはあると思うのです。それがたとえ、どんなに無駄なことであっても、基本的に当人がそれでよいと思っているのであればそれでよいのです。

 さて、モバイルです。携帯じょーほー端末です。
 そもそもなんでこんなものが必要になったのでしょう。答は簡単です。非第3世界の人口の多くが資本主義・自由競争主義者であること、そして周りが使うからです。つまり、モバイルだなんて概念を誰も思いつかない時代であればまったく必要なかったんです。そこに情報の格差は生まれないからね。
 そう考えれば、世の社会人たちのモバイルを持つ動機なんていうのは実に消極的です。誰もがこんなものを持たなくても別に問題のない時代に生きていたかったと思うことでしょう。

 情報の格差だけではありません。最近は一つの情報端末に、まぁ携帯電話であれ、ポケベルであれ、いろんな機能やサービスを付加することで他の製品との差別化を図る動きが出てきております。あれだってその多くは、世の社会人のゆとりの無さを反映するものでしかありません。
 例えばポケベルのニュースメール。まぁ休憩時間の暇つぶしにはもってこいかも知れません。しかし世間のニュースに即時性を求める人間なんてどこにおりましょう? 電波に乗ってやってくるニュースはどれもあとで新聞やテレビで残らず報道されるような内容です。テレビを見るゆとりも新聞を読む隙もない人生を送りながらそれでも世間の動きが気になる人には便利かも知れませんが、それだって、何だか消極的な動機ですよね。
 携帯電話から銀行振り込みやチケットの予約が出来る、ということですが、これだって生活にゆとりのある人間からすれば「必要あるのか?」っていう感じですよね。逆に携帯持っている人はすぐにチケットの予約が出来ちゃうから、携帯持ってない人は人気のあるチケットがとれなくなって、「チケットを取るために」携帯を買い換える。だって「とれなくなったから」。やっぱり消極的ですよね。

 例えば世界中をしょっちゅう飛び回るような仕事をしている人にとって、PDAはかけがえのない道具になるのかも知れません。たとえ迅速ではなくても、確実に会社に情報を送る手段が用意されているということは仕事をする上での強みになります。しかし、会社に行って帰るだけの生活をしている人にとって、メール機能を持ち歩くということが本当に意味のあることなのでしょうか? 休暇で買い物途中にポケベルで捕まえられたら、相手が誰であっても無視したくなるのが普通だと思うのです。それだったら始めからそれを持ち歩いている意味はあるのか?
 PDAといえば今ならSHARPのザウルスか、WindowsCEマシン、ということになるのでしょう。それからPDAではありませんが、最近はノートパソコンでもCASIOのFiva(だっけ?)のような非常に身軽なものも出てきています。
 いずれにせよ、機能としては文書作成、スケジュールの管理、メールの送受信、さらにはデジカメから画像を取り込んで表示・編集、それから暇つぶしのための簡単なゲームが入っていて、ものによってはカメラがついていて動画が取り込めたり、プロジェクターに繋いでプレゼンに使えたりするんですか?
 CE機やWindowsマシンならあとからソフトを導入して機能追加も可能なわけだ。実際CEマシンにGAME BOYエミュレーターを入れて使っている人もいるみたいだし。まぁ、やりたい放題ですよね。
 こうなるともう、PDAもパソコンと同じで、「何でも出来る夢のマシン」のように勘違いされがちだけど、まぁ家に置いて使うパソコンまではそれは許せるとして、持ち歩いて使うPDAにまで同じキャッチを許してしまって良いのでしょうか? という気分なのだ。
 例えば、人の趣味というのは何も1つとは限りませんが、移動中に出来ることなんて言うのは1つぐらいのものでしょう。ゲームをやったり写真を加工したり音楽を作ったり、、、なんていろいろやってる余裕はないはずです。帰りの電車だってそんなに空いているわけではないんですから。そうなれば結局は一つのことにしか使われなくなってくるもの。暇つぶしのゲームのためならGAME BOYを買えばいいし、曲作りたいならハンディミュージくんかQY70でも買えばいい。前者はその方が全然ソフトもそろっているし、後者は音質も操作性も段違いだ。ましてや写真の加工なんて外ではデジカメで録るだけに控えて、本格的な加工は家でやるべきだ。
 そうなれば1台で7,8万円もするPDAを買う意義なんてほとんどなくなってくるのではないだろうか? だいたい何でもかんでも外で持ち歩いてやりたいと思うのは、家でしっかり時間を作ってなにかの作業に取り組もうとする余裕がない証であって、何度も書いているけど本当に消極的な買い物だ。

 周りの人間を見ていると通勤・通学時間の暇つぶしのためにPDAを買ったりノートパソコンを買ったり携帯ゲーム機を買ったりしているけど、そんなのにお金をかけるくらいなら文庫本を買って読んだらどうだといいたくなる。本は本当に読んだ方がよいですよ。想像力が豊かになる。ってなんだか話がそれてしまいましたが。