99年4月27日(火曜日)


 バイトのシフトが変わった関係で、こいつの更新がますます難しくなってしまいました。
 少ない時間を最大限に生かして、何とか執筆を続けていきたいと思っています。

 最近は電車の中でQY70を出してもそんなに恥ずかしくはなくなってきたので(慣れってコワイ^_^;)、BGM程度のものなら少しずつ作って載せていけるかもしれません。そちらの方も程々に期待していて下さい(相変わらず弱気)。


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 秘匿性

ジャンル:フリートーク
危険度:小

 名を隠し、顔をかくし、個人情報を隠すこと。自分が誰であるのかが、他人には分からないようにすること。あるいは分からない状態のこと。

 ネットワーク上での秘匿性の扱いは、まず悪いことが出来ないようにするため、ホストに自分の個人情報の多くを明らかにする。そして自分がネットワークでのやり取りをしやすいように、一般には自分の個人情報を極力流さないようつとめ、名前も実名ではなくハンドル名を使用する。
 ネットワークに繋がれたホストコンピューターの多くはログを取って保管しているため、何かしら悪いことをしでかせば自分の繋いでいるホストに足跡が残る。もちろん、それをさけるためにプロキシ・サーバーなどを間に挟んでアクセスする方法もあるが、プロキシとてログを取っていることに代わりはなく、何度と無く同じプロキシを経由してアクセスを続けていればいずれツラが割れる可能性も十分にあるわけだ。
 いくらでも巧妙な手口は考えられる。でもそれは、他人の家に侵入して盗みを働く空き巣にしたって同じこと。何もネットワークに限った問題ではないはずだ。

 ネット犯罪に於いて、その秘匿性はそれほど大きな問題ではあり得ない。

 ただ、ネットワークにおける秘匿性が、それではまったく問題を生じないモノであるかといえばそうとも言えない。一番トラブルが起こりやすい問題は、ネットワークに於いてコミュニケーションを取った相手の性別が分からない、ということだ。
 例えば、とある掲示板があって、そこでやり取りをしていた仲間同士集まって、OFF会を開こう、ということになったとする。で、例えば自分は女で、やり取りをしていたみなさんの中にも女は結構何人かいそうな雰囲気だったとする。
 で、実際行ってみたら、来る人来る人みんな男ばっかり男だらけ、女はぽつんと自分一人だけだったとする。  まぁ私は男なのでこの逆のシチュエーションを想像しても(吹奏楽部時代で慣れているだけに)そんなに悪い気はしないのだが(それでも結構寂しいと思う)、このシチュエーションというのは彼女にしてみればとんでもなく恐ろしい事態であることは易々と想像できる。

 で、特に悪質なのは、実際は男でありながらネットワーク上では女性を演じているケースだ。
 OFF会では、大ひんしゅくもいいところだ。
 男どもからは反感を買うし、女性だって煙たがるに違いない。

 そこで、ネットワーク・コミュニケーションに於いては、性別公開は最低限のマナーであると考える。

 もちろん、この意見に関しては、異論も多いことであろうと思う。何しろアニメやゲームの女の子キャラの名前をそのままハンドルにして使いたがる男どもはネットワーク上には腐るほどいるからね(笑)。それに実際の性別と内面の性別にギャップがある人間はとかくネットワーク上ではその内面の性別の方でコミュニケートを図りたいのであろうとも思う。
 だから、コミュニケーションする中で逆の性別を演じるのは構わない。構わないが、ちゃんと事前に断っていて欲しい。例えば単に趣味でやっているのなら自己紹介の段階で本当の性別をしっかり明言しておくべきだし、内面の性別とのギャップに悩むみなさんはそういう事情があることをしっかり明言するか、そうでなくとも「私は男だけどここでは女でいたいんです」とか一言書いておいて欲しいっス。

 ちなみにみなさんハンドル名をよく使いますが、みんなもちろん趣味でそんなモノを使っているんですよね?まさか本気で「本名が知れたらイヤだから」なんて言って使っている人なんていないですよね?
 もしも後者みたいな人がいて、でも本当は本名で堂々と渡り歩いていきたいんだよなぁーなんて考えている人がいたら迷わず本名を公開しちゃいなさい。例えば私の名前は「村山 俊之」だけど、この名前をみてピンと来る人なんて、私のことを知っている人だけでしょ。私のことを知らない人がこの名前を見たところで、「ふーん、村山俊之って言う人はロリコンなんだぁ」とか思うだけでそのことが私に対して被られる損害なんてありはしないんだから。
 これは旅先で何だかとんでもなく恥ずかしいことをして、でも周りに私のことを知っている人なんていないからまぁいいかーとか思ってしまうのと同じことです。そんなもんですよ。秘匿性なんて。


 白雪姫

ジャンル:感想
危険度:中

 ロリコンオヤジ・王の寵愛を受け、母の嫉妬を招いて殺されかけ、山奥では小人に助けられたはいいけどやっぱり犯され、毒リンゴで半死の状態でガラスの棺に入れられていたところを隣国の死体愛好症の王子に引き取られ、そこの小間使いのどじのおかげで咽に詰まらせていた毒リンゴがはずれて息を吹き返した白雪姫が、それまでさんざん自分を殺そうと計らった母・王妃をはめて魔女狩りの拷問にかけて殺し、めでたしめでたし。と言うお話。

 参考出展はもちろん、「本当は恐ろしいグリム童話」より。

 まぁそこは白人の考えるところ、特に中世ヨーロッパともなれば、童話といえどもそれなりに凄絶で残酷な表現が含まれているのは納得がいくところではありますが、何よりも目を見張るのは、やれ近親相姦あり、ロリコンあり、死体趣味ありと、性的に露骨な表現が数多く盛り込まれている点でしょう。
 グリム兄弟は、本気でこの大人の世界のどろどろしたのを親が子に読ませることを想定して書いていたのでしょうか。だとすれば、彼らはあまりにも素晴らしすぎるモラルの持ち主です。

 同書によるとグリム兄弟は自分たちの書いた童話集を、版を重ねるたびに書き直していたそうです。もちろん、その内容のモラルの程度からたくさんの批判を受けて、と言うのがその理由であり、白雪姫においても性的な触りの描写や当時のモラリズムにそぐわない内容についてはグリム兄弟の手による段階ですでに書き換えられていました。
 もちろん、王がまだ「胸の膨らみかけた」「下肢に毛の生えていない」少女である自分の娘を犯してしまうシーンの描写は、「童話」としてはあまりにも刺激が強すぎるだけでなく決して必要とも言えない部分でもあります。従って初期の段階でカットされるのも然るべきことでしょう。姫がノームの夜伽をする、と言う触りも同様。
 しかし、この「改訂」の段階で、物語の内容自体に影響する変更が加えられてしまったのも事実のようです。その最たるものが、王妃が「母」ではなく「継母」にされてしまったことでしょう。実の母がその娘を、いかなる理由を持ってしても、その手に掛けるというシチュエーションは親が子に聞かせる童話の内容としてはあまりにもモラルがなさすぎます。しかし、かといって王妃を「継母」ということにしてしまうと、彼女が白雪姫を殺す動機が単なる虚栄心に成り下がってしまいます。

 王妃はまだとても若い頃にこのロリコン趣味の王のもとに嫁ぎました。しかし王妃のことをとても気に入ってくれていたはずの王は遠征の時を境におばさんになってきてしまった王妃を相手にしなくなってきてしまったのです。そこで王妃は子供が産まれれば王はまた自分の方に振り向いてくれると考え、子供が産まれることを祈りました。王妃の願いは叶い、雪のように白い肌の可愛らしい女の子が産まれました。それが、白雪姫です。
 王妃ははじめ姫をかわいがりましたが、やがて成長すると、王は実の娘である姫を、親が子を見る目ではなく、男が女を見る目に変わってきました。そして、王と白雪姫とのラブシーンの目撃。
 そしてその日を境に王はどこへ行くでも白雪姫を連れて歩くようになり、白雪姫のわがままはどんなことでも応じるようになりました。白雪姫は子供のままの無邪気さで言いたい放題言い、そのたびに言われた家臣は王の権力のもとにクビにされたりむち打ちにされたり。このままでは王室がめちゃくちゃにされてしまう、と思った王妃は、身を切る思いと嫉妬に燃え上がる気持ちをまぜこぜにした複雑な気持ちで白雪姫を殺そうとしたわけです。
 魔法の鏡は出てきますが、これが果たした役割は王妃を行動に移させる引き金を引いたこと、そして王妃が白雪姫の生死を確認するために使ったというだけです。
 ところがこれが、王妃が「継母」ということになると、ここまでの経緯はすべて意味のないものになってしまいます。殺しの動機も、それこそ魔法の鏡が原因、と言うことになってしまい、とたんに中身の薄っぺらい、内容のないお話に成り下がってしまうのです。

 しかし、童話というジャンルに対してドラマ性を持たせることが果たして重要なのかといえば、これは疑問符をつけざるを得ないでしょう。童話の目的・存在理由についてここで議論するつもりは毛頭ありませんが、グリム兄弟が施さざるを得なかった改訂について一方的に残念がるのは不毛な考え方なのかも知れません。
 とはいえ、今こうして披露された「初版」グリム童話は物語として非常に筋の通ったものが多く、大人が改めて読み返す分には、この「初版」の再版は非常に興味深いものであると思います。