99年4月20日(火曜日)


 かつて話題になったあのインド映画がレンタルビデオやさんの店頭に並んでいて、非常に興味があるのではありますが、ケースをまじまじと見てみますと再生時間が160分なんて書いてあったりして、よくよく考えたらそんなすてきな時間家にいて隙でビデオが再生できるような余裕なんて無いなぁなどと現実を振り返ってしまいますと、どうにも借りるのを躊躇してしまい結局代わりにレジにエロビデオを持っていってしまうようなそんな状況なのでございます。

 エロビデオといえば某有名超大作映画のパロディーモノで「パイパニック」(洋名:バイタニック)なるモノがありまして、これもある意味非常に気になるといえばまぁ気になるのでございますが、なにぶん自分の管轄外である洋モノAVでございまして、こちらもまっこと躊躇している次第なのでございます。


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 マリー・アントワネット

ジャンル:史実
危険度:大

「パンがないのなら、お菓子を食べればいいじゃない。」

 あまりにも有名なセリフですが、彼女を語るにおいてはこの一言であらかた済んでしまうのも事実であります。

 ブルボン王朝最後の女王。嘘。女王ではありません。でもいいんです、ベル薔薇の中でははっきりと「マリー・アントワネットは、フランスの女王なのですから」と言わしめているんだから(笑)。
 本当はルイ16世の妃だったのですが、あくまでルイ16世とは政略結婚であり、彼自身はちっとも愛されていなかったというのは非常に有名な話。スウェーデンのフェルゼン伯爵と愛人関係にあったという、あの宝塚歌劇(もちろん原作はマンガ)「ベルサイユの薔薇」(原作:池田理代子)においても描かれていたエピソードは、本当に実話であったんだそうです。

 宝石やらなんやらの高い買い物をして国家財政を破綻させたり先に挙げたような問題発言をしたり、あからさまに浮気をしたりする様は、要するに彼女がまったく大人になりきれていない女性であったことを示しています。よーするに彼女は無邪気で頭が悪かったんですね。そう考えてみると、現代の日本の若い世代にも一部で通じるところがある人は結構いるように見えてなかなか興味深いところでもあります(問題発言)。

 ところで、マリー・アントワネットが、自分の息子であるルイ17世を8歳にして男にしてしまった、というエピソードを知っている人はどのくらいいるでしょうか。
 マリー・アントワネットは1793年10月に処刑されていますが、その死刑を決める裁判においてこの事実は明らかにされました。どういうことかというと、ルイ17世の証言によれば、彼女は時々彼と添い寝して、性的ないたずらをしていた、というのです。つまり近親相姦をしていた、ということなんですね。
 私達日本人にしてみればこれはたとえマリー・アントワネットでなくてもいささか信じられないことですが、広い世の中そういうこともあるんだなぁなどとしみじみ思ってしまいます。しかもそれが事もあろうに世の権力者がこれですからね。まるでマンガみたいな世界です。
 彼女は7歳の時に、当時6歳だった音楽の神童モーツアルトにプロポーズをされています。結局身分がかけ離れていたために果たされることの無かった恋だったわけですが、彼女は自分の実の息子に、思い出の少年の面影をみてしまったのかもしれません。

 ナポレオンの失脚後、王党派によって王政復古の悲願は達成されましたが、その時盟主となったのはルイ16世の弟に当たるルイ18世でした。ルイ17世は1795年に病死したとされていますが、王党派が密かに脱出させたとする説もあるそうです。しかしそれでも王政復古の時にルイ17世が出てこなかったのは、この裁判による近親相姦のスキャンダルがあったためである、とも言われています。

参考文献:「スキャンダル!世界史」(早見正臣/KAWADE夢文庫)