99年2月23日(火曜日)


 例えば、今、私は自転車をこいでいる。これはここでは定義だが事象であるとも言える。そこで、何故私は自転車をこいでいるのかを考える。これは問いかけであり、すなわち疑問である。そして、それに対して、「アルバイトに行くためである」という説明が可能である場合、それがこの問いかけに対する答え、すなわち理由になる。
 つまり、事象があればそこから必ず疑問を発想することが可能であり、疑問があればそこに必ず理由を導くことが可能なのである。
 ところで、理由が一つの事象でもあることを吟味すれば、このような組み合わせはいくらでも数珠繋ぎに連ねていくことが可能であることに気がつく。例えば今回の場合、「アルバイトに行くため」という理由から「アルバイトに行くために自転車をこいでいる」という事象の存在を導くことが出来、それに対してさらに、何故、「アルバイトに行くために自転車をこいでいる」のか、という疑問を生ずることが出来る。そして、その理由として、「交通費を浮かせるためである」「歩いていける距離ではない」などを定義することが可能なわけである。
 そして、そのどちらを選んだ場合でも、例えば前者なら「交通費を浮かせている」という事象から「何故交通費を浮かせているのか」という疑問を、後者なら「歩いていける距離ではないところでアルバイトをしている」という事象から「何故歩いてではいけないようなところでアルバイトをしているのか」という疑問を、それぞれ生成することが出来てしまうのである。
 こうして考えに考えを巡らせていけば、場合によっては堂々巡りになってしまうこともあり得ようが、たいていの場合、理由の見つからない疑問に行き当たるか、あるいはその単純とも言える作業に飽きて眠ってしまうかのどちらかなのである。そしてもしも幸運にも、あるいは不幸にも、理由の見つからない疑問に行き当たるようなことになれば、それが、今を生きるあなたの、テーマなのです。

 眠れない夜を過ごすあなた、あるいはどうしようもなく退屈な日々を過ごすあなた、是非、お試しあれ。


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 自転車

ジャンル:実話
危険度:中

 私の生活における主立った交通手段は、未だに自転車だったりします。

 つい先日までは、交通費のちゃんとでるアルバイトなので定期を買って電車でアルバイトには通っていたのですが、最近は運動不足を少しでも解消するため、そして少しでもたくさんのお金を貯めるために自転車で通うようになりました。最寄り駅で言えば駅4区間分の距離ですから(それも田舎路線の4区間)、相当な距離を毎日往復していることになります(実際普通に飛ばして片道40分はかかります)。
 近いので大学にも当然の事ながら自転車です(近いと言ってもこちらも片道30分)。買い物に行くのでも、そんなに遠出するのでもなければ大抵は自転車を使います。

 何故、自転車にこだわるのか。理由はいくつかあります。

 一番の理由は、自転車の場合注意力が多少散漫であっても事故を起こさない程度に自我を保って走ることが出来る、ということにあります。それはつまりどういうことかというと、常に新しいメロディーを口ずさみながら、あるいはくだらない考え事などをしながらでも、運転し、移動することが可能なのです。しかも常に軽い運動をしているので、脳波は常に新鮮な(?)α波で保たれます。つまり、普段座ってウーンと唸っているよりもより斬新で生きのいいメロディーが浮かんできたり、あるいは考え事で頭がいっぱいの時でも自転車一発でキレーサッパリ自己解決してしまったり出来てしまうのです。
 クリエイティブ思考の私の秘密の一つが、この自転車にあった訳なんですね(笑)。

 二番目の理由は、現実問題としてお金がないということが挙げられます。もし、私に十分なお金があったならば、多少の時間を割いて普通車の免許を取りに教習所へ通うでしょう。
 もっとも、原付免許を取って原付二輪を買うぐらいのお金なら持っているし、それも何度か考えましたが、どうせ取るなら普通車免許が良いなぁと思うのです。だって原チャリって冬は寒そうだし、夏は虫とかぶつかって痛そうだし(笑)。
 ちなみに私は実家暮らしの学生ですが、両親は車の免許を取るための費用までは出してくれません。当の私もまぁそれで良いんじゃないかなぁと思っているのでそれで良いのです。

 と、まぁ、諸処の事情があって、私は自転車を使っています。

 ところで私が今使っている自転車、実はなかなかのイワク付きの代物だったりします。
 高校2年の、確か2学期、つまり秋頃から使っているのですが、何故そうなったのかというと、それ以前に使っていた自転車が盗まれてしまったからなのです。
 そして、今使っている自転車は、それ以前に使っていた私の自転車を盗んだ人の家の人に、弁償させて手に入れた自転車です。

 どういうことなのかというと(^_^;)、休日の部活動の間に私の自転車だったものを盗んでいった人は、とある同じ部活の目撃者の人の話から察するにどうやら正門ではない方の門からでていったらしく、そこからもしかしたらその盗人はちょっと遠目の最寄り駅Bに向かったのではないかと私は推理したのです。ちなみに盗まれたとき私はうっかり自転車の鍵を外すのを忘れていたので手元に鍵が無く、それだけに落胆もかなり大きなものでした。
 ところがバスでその最寄り駅Bに行き、その付近の自転車置き場を捜索したところ、いともあっさりと、鍵の外された私の自転車が放置されていたのです。しかも妙に用心深いことに、どういう訳か隣に置いてあった自転車に、見たことのないチェーン鍵でしっかり結ばれていて持ち帰れない状態になっていたのです。
 しかしくだらないことに関しては抜け目のない私はそこで、自分の自転車にもとより常備されていた暗証番号式チェーン鍵に目を付けます。それで私は何をしたか。簡単なことです。隣の自転車と結びつけられていた先述のチェーン鍵と、まったく同じようにつないでやったのです。これで、盗んだ人は私の自転車を、そしておそらくいたであろう共犯者もその人自身の自転車を使えなくなったわけです。単純に考えてね。

 翌日の朝、まだ2台の自転車がそこに残っていることを確認し、私の自転車だった方のかごの中に手紙を入れておきました。私は教室にいるからいつでもうち明けに来てくれ、という内容の簡単な手紙です。私としてもこう言うことを公にしてオオゴトにしたくはなかったからです。
 しかしそれから1週間後にそこに行ったときにはもう、自転車は2台とも無くなっていました。
 仕方なく私は、学校の生徒指導部にこの時点で初めてこのことをうち明けました。生徒指導部は私の証言を元に各部活動の顧問にこの件について部員に聞いてみるよう伝えました。そして、それから数日後、やっと私のいる教室に、私の自転車だったものを盗んだ人がうち明けに来てくれたのです。

 その人は私より1つ後輩で、とある体育会系の部活に所属していました。その部活の顧問の先生は生徒の間から「ボス猿」などと呼ばれるほどガラの悪そうな先生なのですが、根はとてもいい人で、彼と一緒に私のもとへ来て、あんまり部活動の方にも影響させたくはないし、このことについては内々のうちに済ませたい、と私に提案しました。もちろん私はもとよりオオゴトにはしたくありませんでしたから、その提案を快諾し、結果的には新しい自転車で弁償してもらう、という形で解決した訳なのであります。

 しかし私は事が解決したあとも、いくつか疑問に残る部分はありました。
 まず、何故、新しい自転車を弁償してくれたのか。普通に考えれば、盗んでいった自転車そのものを返してくれればよかったものを、何故、新しい自転車なのか。
 どこかに乗り捨てて紛失してしまった、という可能性がないわけではないのですが、そうするとそれでは何故あのとき、わざわざ隣の自転車にチェーンで繋いでまでして大事にする必要があったのか、という部分で矛盾がでてしまうのです。それに、どこかに自転車を乗り捨てておいて、あとになって正直に私のもとに謝りに来たりなどするでしょうか?(まぁそこが人間の心理の面白いところではあるのですが)
 それから、共犯者はいなかったのか。
 絶対にいたはずなのです。そうでなかったら、見ず知らずの人の自転車に勝手にチェーンでくくりつけていた、ということなのでしょうか? そうだとしたら、私も非常に申し訳ないことをしてしまったことになります。
 しかし共犯者がいたのだとすれば、そいつはかなり肝の太てぇ野郎ですね。まさに許すまじ存在です。まったく。

 まぁ何はともあれ、そんなわけで自分で取り戻した自転車な訳ですから、相当に思い入れも激しい訳なのであります。もしかしたら今でも自転車にこだわり続ける最大の理由が、ここにあるのかも知れません。


 圧縮

ジャンル:言葉の意味
危険度:無

 そろそろ部屋が脱ぎ捨てた服でいっぱいになってきたのでひとしきり拾い上げてみたものの意外に量が多くてコインランドリーに運ぶのも大変なのでとりあえず無理矢理カバンの中に押し込んでみたらあれだけ量があった衣類が何とか全部しまいきれて運べる状態になったようなそんな理念。
 この場合、しわは寄るけど洗濯してアイロンかければとりあえず元に戻るので、可逆圧縮と言うことになる。
 それに対して、衣類の生地の糸を間引いたりして実質的に体積を減らしてさらにしまい込みやすくするような方法を不可逆圧縮といいます。まぁ実際にそんなことをする人はほとんどいないでしょうが、データをある程度劣化させることによって圧縮をしやすくする、という考え方は、データの電送技術が生まれた当初より長年使われてきた技術だったりするのです。
 インタネではJPEGなんかが代表的な例と言えるでしょうが、もっと身近な例もあります。カラーテレビです。
 現在のアナログカラーテレビジョンは、受像した映像を色相、彩度、明るさの3つの要素に分け、それらを差分を取って多重化し、一本の電波に乗せて発信しています。日本の場合秒間24コマ、走査線の数はおよそ500ですが、走査線一本おきに間引きをし、半分ずつ交互に走査することで、半分の12コマ分のデータ量で自然な映像を実現しているのです。

 さて、画像の不可逆圧縮ですが、方法としてはいくつか考えられます。
 もっとも手っ取り早い方法は、使える色の数を制限することです。例えば、24bits(1,670万色)で取り込んだ写真画像を16bits(6万5千色)に減色します。そうすれば色のパターンは最大でも6万5千に絞られるわけですから、単純にデータ量が減ります。
 不可逆圧縮が厭だから256色に減色してGIFで表示するというやり方も、十分に不可逆圧縮なんですね。
 ちなみに減色にもいろんな方法があって、アナログの場合は全体的に明るさを減らすことによってデータ量を半減する方法が一般的です。表示の際に信号をアンプ(増幅器)にかけてコントラストをつけてそれっぽくしているわけですね。ラジオの場合、送信の際に劣化しやすい高音域の振幅を敢えて大きめにして送信し、受信の際にバランスを整え直してからアンプに信号を渡します。
 CGの減色の場合、例えばさっきのような例の場合ではグラデーションになっている部分が不自然にならないように自動的にディザ(ピクセル単位で色をまばらに配置することで中間色を表現する手法)を掛けるアルゴリズムも存在します。また、フルカラーからパレット付き16色への減色などと言った場合、ツールによっては雰囲気を重視するか(写真画像向け)輪郭を重視するか(セル画調CG、図面向け)配色を重視するか(イラスト、アート目的の減色向け)などが選べるようになっているものもあるようです。
 写真画像をツールで2値に減色すると、意外にかっこよかったりしてなかなか楽しめます。ってそれはまぁいいか。
 JPEGの場合もテレビと同じように、明るさの段階を減らすことで圧縮を実現しています。単純に色数が減らせる上に、一番人の目を誤魔化しやすい方法だからです。
 また、JPEGの場合さらに、画像をいくつかの細かいブロックに分けてデータを間引きしています。実はここら辺の詳しいアルゴリズムに関してはあんまりよく知らないのですが、まぁ要するにブロックごとに番号をつけて、似たようなブロックは同じにして重ねてしまうことでデータ量を減らしてしまおうと言うことなのです(たぶん)。
 こうしてみると考えるのは結構簡単なことですが、問題はこういった圧縮処理を、いかに迅速に、かつ効率よく行うか、という辺りが非常に難しいことなのであります。
 展開はそんなに難しくないのです。圧縮データの指示通りに展開していけば良いんだから。問題は圧縮するときのアルゴリズムなのです。
 まず、データを一通り見渡して、どのくらいの圧縮が可能なのか、どういった手順でデータの劣化を行うかなどを予測します。この場合の予測というのは人間が天気を予測するような曖昧なものではなく、絶対に圧縮が成功するようにするための足がかりを作ることです。そして、見当がついたら、もっともデータが不自然にならないような形でデータの劣化を行い、劣化をしながらデータを圧縮していきます。先に予測という表現を使ったのは、より迅速に圧縮処理を終わらせるために劣化と圧縮を同時進行で行うためです。従って、圧縮の度合いを見誤ると、圧縮のために用意した番号の桁数が足りなくて圧縮をし直す羽目になったり、逆に桁数を多く見積もりすぎてあんまり圧縮されなかったりします。そこで、そんなことがないように、どの程度圧縮出来そうかをある程度「予測」しておくわけです。
 また、画像の劣化における解釈もツールによって(もっと言えばライブラリーによって)まちまちで、同じ圧縮率で圧縮したはずなのに、あのツールよりもこっちのツールの方がきれいに且つ小さく圧縮される、ということもあるのです(JPEGの場合は展開するツールによっても画質が多少左右されたりもする……非常にややこしい)。
 そう考えると、いくら規格として定められてマニュアルまで配布されている方式であるとはいえ、その圧縮技術のライブラリーコードを一から組み立てているプログラマーというのは大したもんだなぁなどと思ってしまうのであります。まさに、データの「整理整頓」スペシャリスト、というわけですね。

 、、、何だか珍しく真面目なレクチャーになってしまった。