99年1月26日(火曜日)


 そろそろネタがつきてきました(爆)。

 うーん、あまりにも早すぎる展開(笑)。
 毎週ロリネタ・パソコンネタ・政治ネタ・変態フィクションじゃあ読む方もつらいよなぁ(^_^;)
 「秘密のネタ帳」ってくらいなんだから、本当はいろんな秘密を暴露するようなこともして行かなきゃいけないはずなんですけどね〜。でも私の過去のことを書いてもいまいち面白くないような気もするし(っていうか絶対面白くないし)。
 デジカメでも買えばそれなりにネタも拾ってこれるんだろうけどなぁ。こんなコーナーの為だけにデジカメ買うのも癪だしなぁ(笑)。


日付け別indexに戻る

最初のページに戻る

まるのみに戻る



 登校拒否

ジャンル:実話
危険度:小

 最近はいじめもそんなに騒がれなくなりましたねぇ。それ以上にイヤンな感じの事件が立て続けに起こったからなのか、実際に自殺する中学生が減ってきているからなのか、はたまた自殺すること自体珍しいことではなくなったのか。
 自殺した少年達を褒めるわけでも軽蔑するわけでも皮肉を言うわけでもないけど、「自殺ラッシュ」で死んでいった彼らのおかげで、やっと社会に「いじめ」の現状が伝わったことは確かですよね。あのころ僕はまだ高校生で、これから受験が控えてますって時期だったから、「今の子供は受験だなんだで忙しいから余裕がなくて、ストレスが溜まっていじめに走るんでしょうねぇ」なんていい加減なことを報道されると、そんなに悩んで苦しんでまで無駄な努力をするほど、一流大学って行く価値のある場所なのか? などと子供ながらにも疑問を抱いてしまうわけで、あのときもうちょっとやる気を出して勉強していれば今頃こんなへっぽこ大学、、、ってまぁそれはどうでもよいのです。

 このころから社会の登校拒否生に対する見解が柔らかくなってきたのも事実かも知れないですね。

 もっとも、私はやっぱり登校拒否というのは義務教育の中ではあってはならないことだと思うし、それが出てくるのはひとえに学校側の責任だと思うし、それが容認されるくらいならはじめから義務教育なんてやめればいいとも思うのですが、相変わらず文部省及び教育庁の登校拒否に対する理解は屈折していて面白い限りなのでございます。

 たとえば私が中学生だった頃、学校側の登校拒否生に対する見解は、「心に病気を持つ生徒」でした。
 当時拒否生やっていた皆さーん、読んでますか? 私が覚えているだけでも少なくとも2人か3人はいたはずです。
 先生はあなた達がいない教室で、はっきりとこう言っていたんですよ。

「彼らは心が病気だから、学校には行けなくなってしまったんです。だから昔みたいに無理矢理学校に連れ出すようなことはしないで、それが治るまでお休みさせることにしているんです」

 危うくだまされる所でしたよ。いかにも「私達は正論を述べている」って顔と声で説明するんだモンね。まぁ彼ら教師も間違った教育方針に洗脳されていたのかも知れないけど。
 今考えてみればあのころから教育の在り方も見る見るおかしくなっていっていたからね。教師が忙しくてやっていられないから、と言う理由が正当化されて部活がどんどん潰されたり、授業以外のイベントががんがん減らされたり、「子供達の体力が例年なくなってきている」などと言う根拠のない理由を挙げて体育祭の激しい競技や難しい組体操の技がじゃんじゃん廃止されたり。あ、高校受験で各高校の偏差値(の表示だけ)が廃止されたのもこのころだっけ。
 まさに、「学校教育とは教師や学校が都合よく運営できるためにあるものである」ってな感じですね。「サラリーマン教師」なんてバカにされ始めたのもこのころからじゃなかったかな。
 当時の登校拒否生に対する「心が病気」って言う見解も、昔みたいに拒否生を無理矢理学校に引っ張ってこれるような元気のいい教師が少なくなってきたからか、あるいは「いろいろと忙しくて拒否生どころじゃない」からなのか。忙しい? そりゃあ昔の教師だって変わらなかったはずですよ? まぁ別にいいけど。とにかく教師にとって都合のいい見解でしかないと言うことは一目瞭然ですよね。よーするに『病人扱いしてほったらかし』だったわけですから。

 今でも登校拒否生を「心の病人」扱いしている先生がいたら、もう一度考え直して欲しいな。
 彼らは、「病気」なんかじゃないんだよ。
 登校拒否をするのは、それなりのれっきとした理由があるからだ。
 もちろんその理由が必ずしも学校にあるとは限らない。そしてそれを家庭や時が必ずしも解決してくれないケースだってある。
 だから、それをほったらかしにするような人間に、教育をする権利はないんだ。

 子供が接することのできる大人の人間なんて、家族と先生しかいないんですからね。


 パソコン通信

ジャンル:論文・独り言
危険度:小
(大は時期が来るまで取っておきましょう)

 相手が旧知の親友であっても、乱暴な口調のメッセージを書かれると無性に腹が立つような空間。
 相手の顔が見えないことをいいことに、何を言っても平気だぜーへへーンだ、という勘違い野郎と、相手の顔が見えないだけに滅多なことは書けないよーヘコヘコ、という卑屈人間の両極端に別れる。大抵のネットにはその規約に「誹謗中傷は禁止!」と書かれているのが実に興味深い。ネット初心者の皆さーん、「ひぼうちゅうしょう」と読むんですよ(笑)。大丈夫おいらも最初は読めなかったから(笑)。
 妙に難しい単語、滅多に使われることがないはずの漢字、妙に堅苦しい文体。そして、その文章が冗談であることを示す唯一の手がかりである、「(笑)」や顔文字の羅列。
 やってない人に説明すると交換日記のようなものを想像するらしいけど、実際その中身はまさに議論白昼の討論会場。相手の記述の言葉尻に揚げ足を取って、「矛盾している」の言い合いっこ。横やり入ってきた人のおかげでレスは網の目状に増え、挙げ句の果てには何について話していたのかよく分からなくなっていたりするのは、よーするに「自分はこんなにすばらしい考えを持っている」と言うことをアピールすることに快感を求めているだけだったりする人種の集まりだったりするからなんでしょうね。

 草の根BBSでのやりとりのおかげで、仲が悪くなってしまったという人達もいるくらいで……。

 実は私は大手のパソコン通信ネットには加入していません。大手というのはたとえばNIFTYやPC-VANなんかのことで、そういった意味では一応ASAHI-NETもその一つではあるんだけど、実際ASAHI-NETのパソコン通信サービスには読みにも書き込みにも言っていないので加入しているとは正直言えないでしょう。
 私のパソコン通信歴は、自分が開いている草の根BBSである「電撃快速京葉線」(以下、ERK)と、私の友達の高校の学友が開いていた某草の根BBSの2カ所しかありません。
 つまり、私の知っているパソコン通信というのは、名前も顔も知れている人間同士が仮の名前を使って遊んでいる「パソコン通信ごっこ」にすぎないのかも知れません。
 しかし、そんな、知れた仲同士のやりとりであっても、コミュニケーションの形態が違うだけで、つきあい方も性格もみんな変わってしまうと言うことに気がついたとき、正直私は人間の本性の恐ろしさをかいま見たような気がしました。

 上の記述だけでは、パソコン通信未経験者の方にはいまいち実感がわかないかも知れません。

 具体例を挙げてしまうにはまだ時期が早すぎるような気がするので、あくまで例え話で続けてみることにします。

 たとえば、普段の会話の中で「死ね」という言葉を軽く使ってしまうと言うことはよくあることと思います。友達とふざけ合っているときとか、嫌いな人の陰口を言い合っているときとか。そんなときに、笑いながら特に意識なく使ってしまう、「死ね」という言葉。
 もしこれを、パソコン通信のやりとりの中で使ってしまった、あるいは誰かが使った時を想像してみて下さい。もちろん、顔文字無しで。

>> え、就職活動、まだなんにもやっていないんですか?
> あははー、だってさー、やる気わかないんだよねー(笑)。
> 何十社と会社訪問してさー、どこ行っても「何故うちを選んだのですか?」って
>聞かれるんだよ(笑)。おまえんとこなんかえらんどらんっちゅーに。

 ってゆーかおまえ、死ね。
 この不況でただでさえ就職厳しくなってるっちゅーに、危機感なさ過ぎや。(-_-;)

 パソコン通信は相手の顔が見えないので言いたいことが書きやすい、という人がいます。
 発言しやすいから、書きたいことを書いてしまう。
 発言しやすいから、つい、感情的な文章になってしまう。

 私は、パソコン通信の恐ろしさは、むしろ、そこにあるような気がするのです。

 人は、会話をする上で、話し相手が話す言葉からだけではなく、表情や、身振り、声色に至るまで、いろんなメディアから情報を取り出しています。たとえば同じ名前を呼ばれるのでも、両拳で机をたたき、険しい顔で野太い声をあらげて叫ばれたのであれば、たいていの人は怒っているんだなということが一発で理解できるはずです。
 しかし、文字でのやりとりともなればそういう訳にはいきません。
 表情は顔文字で表せても、身振りや声色までは伝えられませんし(「!」や「?」でイントネーションを表現することはできますが)、何より「取りこぼす」可能性があります(笑顔のまままじめなことを注意して、あとで思い出して慌てて険しい顔にする、なんて器用なまねのできる人、そうはいない)。

 もっと分かりやすい例を挙げてみましょうか。

 たとえば、可愛らしい少女に涙目で何かを訴えられたとき、あなたはその少女に対して、正直な意見を感情的に訴え返すことなどできますか?
 大抵のことであれば、私だったらおそらく何も言い返せないどころか、ついつい謝ってしまうことでしょう。
 では、同じ事がパソコン通信において起こったら?
 あなたには、相手の顔が見えません。
 その文章は、とても可愛らしい少女が、目に涙をいっぱいあふれさせながら書いたかも知れない。
 でも、その文面が、あなたにとって小憎たらしい戯言にしか映らなければ?
 たとえその人に会ったことがあって、その人が可愛らしい少女であるということを知っていても、あなたは言い返してしまうのではないでしょうか?

 もちろん、可愛らしい涙目の少女に自分の意見を感情的にぶちまけてディベートに押し勝つことが悪いことであるとは言いません。
 しかし、似たような経験をしたことがある方なら分かるでしょう。ネット上のディベートで相手をただ言い負かしたところで、いい気持ちなど一つも残らないと言うことを。相手を傷つけてしまったかも知れないこと、これからはやり取りがしづらいかも知れないこと、みんなに敬遠されてしまったかも知れないこと、そんなことを考えてしまったりもするでしょう。しないですか?

 私は、結局仲違いしたままのあの二人のことを思うと、今でも悔しくて仕方がありません。