98年12月15日(火曜日)


 前回ゴキブリの話を掲載しましたが、よくよく考えてみたらあれは思いっきり季節はずれのネタだったような気もします(^_^;)。まぁ私的には全く気にしていないのですが、「冬にまでやつのことを思い出させないでくれ」と言うほどゴキブリが嫌いな人にはちょっと申し訳ないです(^^;
 ただ、個人的にはああいった、「もしも自分が●●だったら」というネタは結構好きで、あの手のフィクションはこのコーナーでもたびたび出てくることと思います。あーいうことばっかり考えているとねぇ、結構頭強くなるよ、本当。

 ところで、12/12,13と、家族でスキーに行って来ました。あ、いや、執筆現在はまだ行く前日なのですが(^_^;)、スキーウェアもグッズも買いそろえたし、練習もしたしで、きっと準備万端! 今年こそは、今年こそは行きましょうねぇ、春スキーp(T^T)>電撃なみなさん。


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 オウム

ジャンル:フィクション
危険度:大

 たまには運動をしなければいけない、と思う。

 でもまぁ、こんな狭いかごの中で暴れ回ってみたところで、どうせ羽に傷を付けてしまうだけだろうし。誰も外には出してくれないだろうからまぁ別にいいんだ。ここは居心地は悪くないからね。毎日必ずちゃんと食料も一定の量にまで増えているし、水も新鮮な物に換えられている。そう、僕は幸せ者なんだ。きっと。

 誰かが家に帰ってきたみたいだ。

「キューちゃん、ただいま」
「オカエリ。オカエリ」ばたばたばた、、、

 この家の子供だ。いたずら好きのやんちゃ坊主だけど、いろんな言葉をたくさん教えてくれるいいやつだ。ただ、僕はオウムだというのに、なぜか僕のことを「キューちゃん」と呼んでいる。まぁ、どうでもいいことだけど。

「キューちゃん、いいかい、お母さんが帰ってきたら、こう言うんだよ」
「オカアサン、カエッテキタ、ソレイウ」
「そう。『大根足、直せ』てね」
「ダイコ、アヒ、アオ、、、セ?」
「『大根足、直せ』『大根足、直せ』『大根足、直せ』」
「ダイコン、アシ、ナオセ?」
「うんいいよ。その調子」
「ダイコン、アシ、ナオセ、ダイ、コンアシ、ナオセ、ダイコンアシ、ナオセ」
「よし。絶対お母さん帰ってきたらそれ言ってね」
「オカアサン、カエッテキタ、ダイコンアシ、ナオセ、イウ」

 ダイコンアシ、って何だろう。それを言うとどうなるんだろう。なんだかとても楽しみだ。
 彼のおかげで僕は、楽しみがつきない。だからこうやって、狭いかごの中でもじっとして生きていられる。そんな気がする。

 子供がまた遊びに行って、日が沈んで、部屋が暗くなった頃、ぱっと白い明かりがついて、お母さんが帰ってきた。
「オカアサン、オカエリ、オカアサン、オカエリ」
 まず必ずこれを言う僕。ところで、オカエリ、ってなんだ?
「ただいま〜キューちゃん。寂しかったぁ?」
 パートで疲れた顔が隠しきれないまま、僕になついてくる。言うなら今だ。
「ダイコン」
「ん?何?」
「、、、アシ、ナオセ」
「へ?」
「ダイコン、アシ、ナオセ、ダイコンアシ、ナオセ」ばたばたばた、、、
「………………」
 もう一息か?
「ダイコンアシ、ナオセ、ダイ、コンアシ、ナオセ、ダイコンアシ……」ばたばた、、、

 やがて子供が帰ってきて、いつも通り部屋中明かりが満たされて、親子は食事をはじめた。
 僕はこの時間が一番大好きだ。部屋は適度に暖かくて、二人の会話と笑い声が聞こえる。二人の会話から、僕はまた新しい言葉を覚える。
「お母さん、いつもよりご飯の量、少なくない?」
「あんたがそうしろって言わせたんでしょ?」
「え? 何のことかなぁ〜」
 今日もそんなことを話して笑っている。ダイコンアシ、と、ゴハンノリョウ、スクナイ。試しに言ってみようか。
「オカアサン、ダイコンアシ、ゴハンノリョウ、スクナイ」ばたばたばた、、、
「また変な言葉を覚えさせて」
「だってこいつ、3回繰り返すだけでしっかり身についちゃうんだもん」

 カーテンが閉められていて、窓の外は見えないけど、今の僕には何でもわかるような気がする。
 外の寒い夜とは縁のない生活。
 それでも、あの親子と一緒にいられれば、この狭いかごの中でも、僕は幸せに生きている。


 危険度大なのですが、意味、わかるでしょうか?

 ちなみに、信者のみなさん。僕の家に押し掛けたり僕を洗脳しようとしたり、すれ違いざまにVXガスを噴出したりしないで下さい。僕はあなた達を敵に回すようなことをするつもりはありません(;_;)/


 PL法

ジャンル:論文
危険度:小

 たとえば、レトルト食品のパッケージを見ていただければわかると思います。これらはたいてい、電子レンジで2〜3分温めるか、沸騰した鍋の中に5〜6分入れて温めるか、といった調理法が記されているはずです。
 つまり、電子レンジで2〜3分温めるのは、沸騰した鍋の中に5〜6分入れておくのと同じことなのです。

 料理の経験がない人でも、食べ物を温めるのに人肌のぬくもり程度の熱量では足りないと言うことぐらい、少し考えればすぐに気がつくことでしょう。そう考えれば、食べ物を温めるための機器が、それだけ強い熱量を発する物であることぐらい、簡単に想像がつくはずです。
 これは、たとえば電子レンジが電磁波を飛ばして物を温める物であり、従って金属を入れるとその金属が飛んでくる電子をすべて吸い込んでコンデンサが過電流を起こすのと同じ原理で爆発を起こす危険がある、といったような、科学的な知識を要する物ではないはずです。ちょっとした経験則、否、そんな経験などなくても、ちょっと考えてみるだけで、誰でもが気づくはずの、そういうたぐいの物であるはずなのです。

 この法律は、その、ちょっと考えればわかるはずのことすら気づくこともできない頭の弱い人に、ただ闇雲にメーカーに頭を下げさせ弁償させ、そして頭の悪そうな注意書きをシールにして商品にはらせる、そんな法律です。

 今やアメリカといえば、言論が勝利する国であり、弁護士が絶対の権力を握る国でもあります。
 PL法も、そんな弁護士社会が生み出した産物であり、そう考えると非常に興味深い物であることに気づきます。
 つまりアメリカの民事裁判とは、いかに相手を言い負かすことができるか、それが審議のポイントである、ということなのです。そしてその風潮は義務教育の中にも現れます。アメリカの学校では早くから、ディスカッションの演習を行っているのです。

 しかし、今でも銃社会が定着しているアメリカ、というわりには、このPL法はそんな銃社会としてのアメリカの思想に矛盾する部分もかいま見られます。
 たとえば外出先でどこかにおいておいた物が盗まれた、といった場合、アメリカ的思想に基づいて言えば、「盗まれた方が悪い」と言うことになります。ベンチの上にカバンを置きっぱなしにしてトイレに行って、戻ってきたらなくなっていた、とか、自転車の鍵をかけずに店に入って、買い物終わって出てきたら自転車がなくなっていた、といった場合ですね。この考え方はアメリカ的思想の中では数少ない、私の好きな考え方の一つに含まれるのですが、このような考え方がPL法にはちっとも含まれていない気がするのです。
 つまり、目的意識もなく買い物をしたり、本来の使い方とは別の使い方をしたりして、失敗する人間を、アメリカ的思想に基づいて言えば単なる「救いようのないバカ」で、「次からは気をつけろよ」ですむ問題を、その失敗の責任を、商品を作り販売するメーカーに押しつけることによっていたずらに援護しようとする考え方。虚弱者金銭的救済、責任転嫁。悪知恵を働かせるチャンスの寄与。どう見てもこれはアメリカ的と言うより、悪い意味での日本人的思想がたっぷり盛り込まれている、日本人好みの法律のような気がしてならないのです。

 もしも日本でこのPL法が悪用されることがあるとすれば、その矛先は何に向けられるでしょうか?
 たとえば、刃渡り6cm未満のナイフ、なんて言うのはどうでしょう? 銃刀法の許容範囲内ですが殺傷能力は十二分にあるはずです。
 これによって起こされた少年犯罪の裁判で、少年側の弁護士が「ナイフには殺傷能力がある、といった注意書きはされていなかった。これはメーカーの責任と、銃刀法に問題がある」などと言い出せば、PL法が適用され、銃刀法や青少年ナンタラ法が見直され、少年とその被害者にはなぜかメーカーからの賠償金が下りてめでたしめでたし、、、っていくら何でもそれはないか(^_^;)