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2004.08.05 (Thu) フニクリ フニクラ

□えーと
山に来てしまった。ちょっと、降りられないんですけど(14:30)。

station □朝
迎えに来た友人の車に乗って1時間ほど走り、ロープウェイ駅に到着。いろいろと用意してもらったおかげで、こっちはバックパックとタオル・着替えなんかを用意するだけだ。同行するのは友人と今年大学生になった弟君、その母上。
山麓の駐車場で借り物のトレッキングシューズを履いて帽子をかぶる。モンベルのウェアを着こんでロープウェイに乗車。これから登山が始まることにぜんぜんリアリティを感じない。

□ロープウェイ
ropeway ダブルデッカー!(公式
雲が近づいてくる。あれが××岳であっちが○○岳だと窓外を指差されるけど、どれがどれだかさっぱりわからない。彼方に尖がった三角形の山があってあれが槍ヶ岳だということは辛うじてわかった。
陽射しはまぶしいのに空気は涼しくて、気持ちより先に体が今山に来ていることを実感する。
ロープウェイができたおかげで西穂に行くのがずいぶん楽になったんだそうだ。「フニクリ・フニクラ」の歌詞みたいだ。「登山電車ができたので 誰でも登れる」。なるほど、まあ楽しいからいいじゃないですか。
真下を過ぎ去っていく急坂や樹林を見ていると、たしかにしなくていい苦労はしないほうがいいと思う。
鉄塔を通過するたびにゴンドラが大きく揺れて歓声が上がった。楽しいな。

□山歩き
山歩き ロープウェイ駅から登山道を1時間ほど歩いて穂高山荘に向かう。ここから先は登山客のみが進入を許可されている。
山歩きのコツは、つま先やかかとで歩くのではなく、足裏全体に体重を乗せて歩くことだと教わる。ところが(というかやはりというか)運動不足の身にとってこの登山道が結構つらい。アップダウンが激しいうえに途中借り物のトレッキングシューズのソールがべろりと剥がれ、左右の足の重さがアンバランスになったりしまい苦労して進む羽目になった。ソールはやがてもう片方も剥がれはじめ、とりあえず歩行には問題ないだろうということで両方剥ぎ取ってしまう。とたんにズックっぽい履き心地になった。すこし不安ではあったが足元が軽くなり身軽になったと強がってみたりした。この応急措置は2時間後思わぬ恐怖を招くことになる。

□西穂山荘 西穂山荘 昼頃、西穂山荘に到着。
とたんに景色が開けて、北アルプスの眺望が広がった。連峰の頂上は雲に覆われているが、山稜と谷が入り組んでひとつひとつの峰を形作っているのがはっきりわかる。あれが××岳であっちが○○岳だと指差されるけど、あいかわらずよくわからない。上高地の大正池はわかった。池だし。いちばん近い峰は、現在も活動中といわれる焼岳で、山肌をむき出しにした姿でそびえ立っている。緑の大地をつき破って途方もない大岩が露出しているようだった。あっちはさすがにヤバそうですね、登ると死にますね、と友人の母上に言うと、登山は可能だという。結構人気の観光地らしい。

□森林限界
ところでここまで登山道を歩いてきて、確かに絶景っぽい眺めもあったのだけど、いっこうに標高2000メートル超の実感が湧いてこないのが少し不満であった。西穂高と聞いて「山岳」を期待していたのだが、その趣が感じられないのはいかがなものか。山岳といえばやっぱ岩がゴロゴロしていてナキウサギとかが跳ねてて黄色い花つけた高山植物が生えてるイメージじゃないですか。ザイルとかヒュッテとかガレ場とかそういう世界を期待しているわけですよ。マナスル登山隊ですよ、リーフェンシュタールの山岳映画ですよ。
これじゃハードなピクニックやんか、などと声には出さずにボヤいていたら、会話の中にふと「針葉森林限界」という言葉がよぎって思わず耳を立てた。つまりマツやスギなどの常緑針葉樹林どもにはこれ以上標高が高くなると生えることができないという上限があって、その針葉森林限界というのがこのあたりの高度らしい。なるほど突然景色が開けたのは山荘が建っているからではなくて、視界を遮る高木が森林限界のために姿を消したからなのか。歩くのに夢中で気がつかなかったけど、ここまでに立っていた木の種類もずいぶん変わってまばらになっていたのだろう。山岳と山間、その結節点にこの山荘が建っている。
となると、いよいよここからそれらしい山道が始まると期待してよさそうだ。

□丸山
軽い食事を摂って西穂高方面に向かう。
お花畑 道の始まりはハイマツが生い茂って造園された築山のようにみえた。その間を踏み固められた小径をえいこらと登っていくのだが、道は急坂で岩が遠慮なく顔を出している。ちょっと難易度の高いアスレチックコースみたいだ。踏みあがるストロークが大きくなり、いきなり息が上がってくる。休憩中に聞いた話によると、このあたりは「お花畑」と呼ばれているらしい。他の難所に比べて全然歩きやすいってことなんだろうな。ナメられてるなあ。
(↑これはちょっと卑屈になりすぎ。美しい高山植物の花が咲いているので文字通りお花畑なのだそうだ。気がつかなかった)

ハイマツの茂みはなかなか途切れない。道は茂みの中をゆるやかに蛇行していて、ときどき三途の河原みたいなケルンが積み上げてあるのにぶつかる(人物は友人の母上)。見晴らしがいい場所は少し広くなっている。そこで休憩をしたり眺望を楽しんだりできるのだけど、道とは反対側の足元は容赦ない急斜面になっていて、自己責任がぽっかりと口をあけていた。小さな墓標も見てしまった。山荘からほど近いこの場所で落雷が発生していっぺんに15人が死んだそうだ。山の雷は横や下からも「落ちて」くるらしい。うーん。
このへんを「丸山」と呼ぶ。お花畑といい、丸山といいのどかなネーミングが、登山者の安堵を表しているようだ。
一休みして先に進む尾根を見上げると景色は一変していた。黒い岩肌が斜面をなして青く霞み、頂に向かって苔むすように背の低い草が茂っている。そのありさまはいかにも山岳らしくイヤが応にも胸が高鳴るが、同行者は山頂を覆いはじめた雲が気がかりだという。独標まで行けるかどうか…なんてことも言っている。
「ドッピョウって何ですか」と聞くと、この先にそういう地点があるのだという。あの頂上の台形の部分、と指差されるがよくわからない。なんとなくあのあたりなのだろう(どこ?)。
独標。荒涼とした字面、とりつくしまのない響きがいかにも山岳っぽい。すばらしい。本当に別世界に来ているのだと嬉しくなる。
とりあえず行けるところまで行き、無理ならあきらめて引き返そうということを確認して歩みを再開した。この割り切りのよさも山岳ならではだ。

丸の山 やがて足元の状態が変わってきた。石が道に沿ってうなるほど敷き詰められている
もちろん人工的に敷かれたわけではなく、上から転がってきたのだろうけども、こんな標高でどの石も角が丸いのが不思議だ。聞いてみると、この道は雪解け水が沢となって流れるところで、その水に洗われるうちに丸くなったんだそうだ。なるほど。
考えてみれば豪雨とか落雷とか吹雪とか、およそ起こりうる自然現象は当たり前のように起きているのだ。そんな人間がとても寄りつけないようなとき、この場所はものすごいことになっているわけで、運悪くそんな状況に立ち会ってしまったときのことを想像すると身がすくむ。たぶんそういう状況に巻き込まれる遭難もあるのだろう。
勾配がきつくなり始めて、落石にはじゅうぶん気をつけるように注意される。誤って転がしてしまったときには下に向かって大声で注意を喚起しなければいけないらしい。「ファー」とか言えばいいのかな。

ちぎれ雲みたいなガスが目の前をかすめるようになった。雲なのか霧なのかよくわからない。時計を確認すると2時。変わりやすいと言われている山の天気が本当に変わりだして、またしても嬉しくなってしまう。
てっぺんまで見えていた独標のあたりも雲が覆いはじめている。上からは下りてくる人の姿もちらほら見え始め、なんとなく下山ムードが漂い始めた。同行者もどうしようかと思案している。こういうときは経験豊富な人間の判断に従うのが正解なんだろうけど、ハンパな場所で引き返すのも嫌なのでいちおう上までは行きたいと言ってみる。これだから素人は…とケイベツされるかなと覚悟していたら、まあそんなに危険じゃないから一人で行ってらっしゃいとあっさり許可が出た。ええっ?

独標へ □独標へ
そういうわけで一人で歩くことになりました。いいのかな。
単独行が許されたかわりに3つほど念を押される。雷鳴が聞こえたり雨が降ってきたら急いで引き返すこと。独標から先には絶対行かないこと。そして何かあったらケータイで連絡すること。そう、ここまで来てもアンテナは3本立っているのだ!(山の携帯エリア情報
バテてきたのか不安のせいか、ここにきてやけにしんどい。体の内側に吊り下がっている内臓がどっしり重く、岩を踏むだけで膝が笑う。入山前にダイエット気分でVAAMなど飲んだのがよくなかったのかな。脂肪は確かに減っただろうがちょっと効率よく燃え過ぎてしまったかもしれない。そういえば、病人に与える水分として脂肪燃焼系やアミノ系飲料はよくないという話を聞いたが、登山で摂る水分も同じなのではないかという気がしてきた。
だんだんガスが濃くなってきた。道はいっそう険しくなってくるが足は前に進みたがっている。さっさと登ってさっさと降りてこようという心積もりだったが、こういう焦りはどれくらい危険なのだろうと思うと歩みが妙に慎重になったりする。そもそもさっさと進むような足取りではない。しかし独標までどれくらいかかるのだろうか。

丸い岩は次第に減り、かわりに角の立った殺傷力の高そうな岩が増えてきた。ゴロゴロと足元で重い音を立てる。山荘までの道でソールを剥ぎ取ったせいで、岩の角が足の裏に食い込んできて痛い。靴底に残ったウレタンの層が、衝撃をある程度和らげてくれてたんだけど、次第に削れて薄くなってきているらしい。ヤバい気がしてきた。
足元の岩石には「」や「×」や矢印がペンキで書かれている。これらは安全なルートを示す案内標識らしい。道以外のところはガケか空なんだからこんなもん書かなくてもわかりそうな気もするが、山で濃いガスに包まれると足元以外何も見えなくなってしまうので標識は絶対必要らしい。このとおり順路も示してくれる。この上が独標だ。
ちなみに山で遭難したとき、下に進むのはタブーらしい。麓に降りようして下に行くとかえって滑落や消耗の危険があるので、逆に尾根のほうに向かって登り、そこでルートを再確認するのが正解とのことだ。

あたりを見回すと誰も見えない。見えないんじゃなくて、たぶん本当にいない。自分ひとり、営業終了後のプールでいつまでも泳いでいるような心持になる。溺れても誰も助けてくれない心細さ。
ともかく下山の体力は残しておかなければいけないし、初心者が無理して怪我なんかしたらひどい迷惑だから、引き返すことも考えておいたほうがいいのかもしれない。ということは分かっていてもあの頂上にはやっぱりちょっと登ってみたい。だなんて、こんな割り切りのなさがいかにも初心者だなと思いながらも、もはや石垣のようになった道を手は岩を掴んで体を持ち上げる。もうみんな山荘に降りたんだろうか。素人ひとりがこんな場所にいて許されるんだろうか。でもこうやって登っていけばてっぺんにたどり着きそうじゃないですか、なんか。

とうとうまで出てきました。
レンズの向きは水平じゃなくて、山頂に向かって見上げてます。ここって一般コースなんじゃないのか。これは完全にアスレチックだなーと鎖を握り締めて、この鎖、根本からポロっといかんやろうなと不安になる。テレビとかで登山家が岩にハーケンをかつーんかつーんと打ち込んでるのをみると、あれ絶対ウソやって思うからな。木じゃないんだからそんなもん打ち込んだら岩割れるでしょ。ポロっといくでしょ。
疑っても始まらないので、ほんとに大丈夫なのやろなともう一度鎖の手触りを確かめて、よいしょとしがみつく。うわ、思いっきりぶら下がってるし。こんなとこで何をやってんだと思わず独り言が漏れる。
子供のころ、ふとんの中で1000まで数えた夜を思い出した。800を越えたあたりからもう引き返せない気持ちがよみがえってくる。1000を唱えたとき世界が終わるような気すらした。岩はいよいよ険しく、上を見ると視界はひたすら白い。そろそろ990ぐらいだろうか。991、992…。

独標 □独標
独標到着。標高2701m。
何しにこんなとこまで来たのかと思うほど、岩しかない。呆然としてしまった。感慨というものがまるでない。同行者がいればなにかしらの喜びを共有できるのだけど、独りでいると一時的に目的を失ってしまう。
ああ、独標。1001、1002、1003…。
ちなみに行くなといわれた独標の先はこんな感じ。ここから下りて、ピラミッドピークに続く。画面下に足元の岩が見えてますね。写真はちょっと明るいんだけど、険しい岩肌からはものすごい雰囲気が漂っていた。あたかも遊泳禁止ブイの向こう側といった趣。足が底に届かない恐怖。行けといわれてもちょっと行けない。だいたい何しに行くんだ。

つーか、怖っ
傾斜した岩の面にがんばって足を踏ん張らせてはいるものの、水平な場所も体を凭せかける岩もない。高所恐怖の気はないと思っていたのに、体の奥が小さく震えているのがわかる。こんなところで目をつぶって両腕を広げたりなんかすると体がゆっくりと後ろに傾いて、いつの間にか頭が下になってたりして、そのままヒューッとまっさかさまに落ちていくんだろうな。いや変な想像はやめよう。
眼下に遥けく小さい下界は、霞みもにじみもせずクッキリと望むことができる。この超高解像度のパノラマに比べて、岩の上に立つ二本の足のなんと頼りないことよ。いや景色と人体をいきなり比べるのは変かもしれないけど、目の眩むような眺望を前に肉体のリアリティが失われつつあるのは確かで、このまま平衡感覚も失調してしまいそうでちょっと危険な感じがする。ここに自分が立っていることも忘れて、ただまんじりとあたりを眺める。となりのピラミッドピークを真っ白な雲がかすめていく。雲が頂を包み込んでも岩の輪郭は冷やかに保たれたままだ。世界にはソフトフォーカスなど存在しない。

ところで、あとどれくらい立っていれば、ここに来たことになるのだろう。
そうだ証拠写真だと気がついて、あたりの景色をケータイカメラに収める。岩しかないけど。標識や下界を何枚か撮影すると急いで帰ることにした。
帰りはもと来た道を引き返すだけだけど、いままでよじ登ってきた岩は、梯子を降りていくような格好で下っていかなければいけない。前へ前へとバックするわけだから、進行方向への視界は不自由になり足先の感覚に頼ることになる。いきおい動きも慎重になる。
ちょうどテーブルくらいの大きさの傾斜している岩に乗っかったとき、突然足の裏がズルズルズルッ!と滑った。
慌てて岩にしがみついて、体勢を整える。超びびった。何事かと靴底を見るとソールを剥がしたあとのウレタンがポロポロになっている。体重をかけたら、岩との摩擦でウレタンが消しゴムのカスのようになって削れていくのだ。ちょっとしたローラーブレード状態というか。もっぺん傾斜に乗ってみる。ズル…ズル…と滑ってあわてて尻餅をつく。
ちょっと、降りられないんですけど。

□山荘〜駅
視界15m以下 雲はぐんぐん下がってきて、山荘からロープウェイ駅までの間でとうとう雨が降り始めた。傘を取り出して差すことにする。登山装備に折り畳み傘なんてナンセンスだと思っていたが、雨の降らない空間が一時的に作り出せるのがなんともありがたい。レインコートでは体温が下がってしまう。
問題の靴はつま先から裂け始め、とうとう泥水を吸い始めた。岩場で靴底がズルズル滑ったときは本当にどうしようかと思ったが、その場で靴底を岩にこすりつけウレタンをぜんぶ落とすことでなんとかクリアした。そのかわり地面の衝撃がダイレクトに伝わってきて、登山靴の機能と意味を身をもって痛感した。次来るときは、ちゃんと自前の靴を用意しないとな。靴こわしちゃってごめんなさい。

□下山
ロープウェイ乗り場はすっかり雲につつまれている。
ちょうど出発時間にさしかかっていたのでそのまま乗車、出発。
ゴンドラにゆられながら、大気中にはソフトフォーカスなんてないのだともう一度思った。雲の中から突然姿を現す鉄塔も、細部までくっきりと形を保ったまま現れて、ふたたび雲の中に消えていく。「霧の中からぼんやり姿を現わす」なんてイメージはウソなんだな。あるいは水中とごっちゃになっているのか。
鉄塔を通過するとゴンドラが揺れる。歓声が上がった。
行きは11:30、帰りは16:30だから5時間を山で過してきたことになる。初めてならこんなもんね、と友人の母上が言う。そんなもんか。独標から向こうは行かなかったし。ほんのちょっと。さわりだけ。


山荘から独標まで約1.5km。西穂高頂上までさらに1.5km。もちろんこれは直線距離で、実際の距離はもっと長い。標準到達時間は往復で5時間といわれている。天候によって到着時間はいくらでも延びる。独標の向こうは急峻でやせた尾根の登下降が連続して西穂高、さらに奥穂高、槍ヶ岳と続く。行ってみようと思う勇気はまだないけど、たぶんそのうち行きたくなるに違いない。
いくつもの山頂を稜線づたいに歩くことを縦走という。何泊も費やす縦走にも少し憧れる。朝起きたら山で、寝るときも相変わらず山岳地帯にいるというのはちょっとすごい体験かもしれない。その間ずっと岩場を歩き続けるのだ。明け方、遠くに望んだ目標を日暮れ前にクリアする。まるで何かの比喩みたいではないか。なんの比喩だろう。わからないけど登って確かめるのがいちばんだろうな。

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