アメリカン・ポエトリーコラムー  2   野坂政司 

マイケル・マックルーアの声

『gui』26号(1988年12月):89-97頁


今年(1988年)の7月9日に、初期のビート・ムーヴメントやサンフランシスコ・ルネッサンスに加わっていた詩人、劇作家、マイケル・マックルーアがレイ・マンザレックのピアノと共に詩を朗読した。レイ・マンザレックといえば、ドアーズのキーボード奏者だったあのかれのことかと思い出すひとも少なからずいることだろう。このデュオによるパフォーマンスは、その2週間前の6月24日に、マサチューセッツのローウェルで催されたジャック・ケルーアックを追悼する会でもおこなわれている。マイケル・マックルーアのホームグラウンドであるサンフランシスコでは、オファレル通りにあるザ・グレート・アメリカン・ミュージック・ホールが会場となった。ここは小規模のホールながら、ライヴレコーディングにも時々使われている非常に雰囲気の良いところである。

この夜は、もう一組の詩とピアノのデュオが出演したのだが、それがグレートフル・デッドのロバート・ハンターの詩の朗読に、ピアノがトム・スタンテンという組合せだった。1958年に、マイケル・マックルーアが「ペヨーテ・ポエム」という作品を書いていることや、詩集『新たな書/拷問の書』(1961年)に付けられた著者の注(1967年3月)で、この詩集が多くの幻覚剤を用いて書かれたものであることを自ら記していることなどを思うと、この夜のラインナップによって、50年代から60年代へと続いた幻視者、幻覚派たちの系譜の一部が、80年代末の現在において緊密に連携していることが示されていて実に味わい深いものだった。聴衆の方にもこのラインナップに共振する者たちが紛れ込んでおり、最前列の中央のテーブルを占めていたグループは小さなパイプを回しながらグラスとおぼしきものを喫煙していて、これは明らかに朗読会というよりもロックコンサートの雰囲気に近い。

わたしはマイケル・マックルーアの朗読を今年の春からこの時までに二度聞いている。一度目は、今年の5月20日。サンフランシスコ市内の19番街とスロート・ブールバードが交差するところにあるスコティッシュ・ライト・テンプルを会場に、「壊れた声、癒す声、深淵を測る」をテーマとして開かれたイヴェントである。ユング派の心理学者、ジェイムズ・ヒルマンの話と、役者で声の訓練のワークショップを主宰したりしているエンリーケ・パルドのパフォーマンス、それにマイケル・マックルーアの朗読、これらが人間の声の範囲と力をめぐってそれぞれの立場から上記のテーマに迫る一夜であった。

エンリーケ・パルドは、20分程続けたソロパフォーマンスで、ことばではなく声そのものの姿の幅と奥行きを、声を響かせる身体の部位(腹、胸、喉、口腔部の高低、前後)を微細に変え続けることによって、危機的状態の様々な声と叫びの姿、すなわち、窒息ぎりぎりの状態、失意の状態、怒りの状態、不安の状態などを見事に統御してみせた。この壊れた声の差異を示すパフォーマンスに対して、マイケル・マックルーアが示したのは、声が生の力を吹き込まれたことばとして、印刷された原稿から起き上がり、そしてかれの肉を通過して生成し出現する過程としての詩であった。 

二度目は、6月3日。所はサンフランシスコ市内のパレス・オヴ・ファイン・アーツ。日本からやってきたさかきななお氏を迎えて開催された集会で、沖縄、石垣島の白保に進行中の飛行場建設計画により危機に瀕している珊瑚礁を救おうという主旨のものである。ピーター・コヨーテが司会をつとめ、アピールの採択や白保の珊瑚礁の現状を示すスライド上映を織り込みながら、さかきななおと、かれを迎え入れたアメリカ側の詩人たち、アレン・ギンズバーグ、ジョアーン・カイガー、マイケル・マックルーア、ゲイリー・シュナイダーが、それぞれ詩を朗読した。

この二度の機会のいずれもが、音楽を伴わない普通の朗読であった。マイケル・マックルーアの朗読には、その声にゆったりとした奥深い響きがあり、音節と音節とを結び付けあるいは引き離す声の間の自在な流れから意味の単位としての語が生成してくるという得難い喜びがある。

詩の朗読と音楽の組み合わせが秘める可能性には容易に汲み尽くせないものがあるということができるが、実はいつでも刺激的な体験ができるわけではないし、それほど頻繁に行われているわけでもない。一般的に言えば、80年代後半のアメリカで開かれている詩の朗読会では、詩の朗読に音楽の演奏がともなう形式のものは少ないといってよいのである。それは当然都市によって違うのであるが、ニューヨークで朗読会全体の2割に達するかどうかというところで、サンフランシスコでは1割以下だろう。

表現のジャンルを越境する試みは、50年代から60年代にかけて、その組み合せのパターンがほぼ尽くされたということもできるから、詩と音楽なんて何をいまさら問題にする意味があるのかと片付けてしまうことがあるかもしれない。しかも、現代は音声言語の書字に対する優位をギリシャに遡って覆そうとするディコンストラクションの波が白面の連中を揺るがしている時代である。

 この文脈において、80年代のアメリカ詩の動向を考える際に、東海岸と西海岸を結んで精力的に活動をつづけているランゲージ派と言われるグループ(ロン・シリマン、チャールズ・バーンスタインなど)を考慮に入れないわけにはいかないだろう。このグループに関係している詩人たちはそれぞれ固有の言語空間を開拓しようとしているから、かれらを一つのグループとして成り立たせているものが何であるかを特定するのは易しいことではない。とはいえ、かれらに共通している態度として、言語の自己言及性を軸に言語の可能性を掘り起こそうとしていることを指摘することができるだろう。いまのところ、かれらの努力は言語の統語的位相と意味の位相においての可能性探求に向けられる傾向にある。言語に対する態度においてこのグループの先駆者とみなされ、現在もかれらと深いつながりを持っているジャクソン・マックロウが、視覚に訴える印刷効果の種々の実験ばかりではなく、ことばの音を微細に分解し、テープによるコラージュ、チャンス・オペレーション、楽器演奏、声明のような響きを持つ集団による唱和などを通して、それを再構築する実験的パフォーマンスを1975年頃に繰り返していたことをその背景に考えれば、このグループが音の位相を切り捨てているということはできず、言語の可能性を問題とする際の焦点が音の位相から移動してきているのだと思われる。しかし少ないとはいえ、詩と音楽の組み合わせはある。幾つかの異なったタイプについて触れておきたい。

詩と音楽が融合した形の一つであるラップは、その性質が音楽と詩の境界から音楽の方に少し入り込んだ位置に根ざしているように考えられる。ラップは、黒人文化における口承の伝統を母胎とする〈語られる詩(詩となったしゃべくり)〉が、手軽に持ち運びできるラジカセやリズムマシーン、その他のオーディオ機器を気軽に利用することができる時代に出会うことによって、ラップとしての誕生を促されたのではないだろうか。その商品としての流通経路を考えると、ラップは独自のジャンルとして音楽産業の一部分を占めている。つまり、ラップはテープという形でレコードショップで販売されたり、テレビの深夜番組に人気者が登場したりはするものの、書店の文学作品の朗読テープのコーナーには入り込んでいないし、ニューヨークの『NYC・ポエトリー・カレンダー』やサンフランシスコの『ポエトリー・フラッシュ』などに詩の朗読に混じってラップの予告が掲載されることは滅多にない。わたしがサンフランシスコに滞在していた1987年8月から1988年8月までの間に、『ポエトリー・フラッシュ』に載ったラップの予告はたった一度、1988年の2月から読んでいる『NYC・ポエトリー・カレンダー』では無し、というのが現状である。このような状況に現れているように、現在、ラップに出会えるメディアは詩の朗読に出会えるメディアとは異なっている。

詩とジャズという形式は、周知のごとく、50年代のビートの時期から行われていたものだ。アメリカの他の都市に比べてサンフランシスコは芸術活動の盛んな都市であるが、流行のあわただしい変遷という現象がサンフランシスコには存在しない。新しいものの流行がそれ以前のものを駆逐しないのである。こうした雰囲気の街に生活していると、他の人間の思惑を気にすることなく自分のやりたいことにじっくり取り組むことが出来る。それが問題なのだという人もいるけれども。

サンフランシスコ・ベイエリアでは、黒人詩人のQR・ハンドが詩とジャズの組み合わせで朗読を行っている。QR・ハンドの作品はいくつかの雑誌やアンソロジーで読むことができる。この詩人の朗読は身振り手振りが楽しい。指を鳴らし、腕を振り、身を捩って詩を読むのだ。現在はアルトサックスのルイス・ジョーダンと組んでいる。そのルイス・ジョーダンとマーク・イズとのデュオによる『禅バプテストの旅』というテープ、これは朗読ではなくジャズのテープなのだが、それが昨年暮れにRPMというところから発売されている。

詩や小説の朗読をテープやレコードに録音して市販することは従来から行われていた。例えば、イェーツ、エリオット、パウンド、オーデン、ディラン・トマス、EE・カミングズなどの肉声を聴くことが出来るカドモンはその代表的なレーベルである。他には大きなレーベルとしてスポークン・アーツやフォークウェイズなどがある。

わたしが最近知ったレーベルに、ワシントンDCのウォーターシェッド・テープというのがある。ここから出ているヌトザケ・シャンゲの『アイ・リヴ・イン・ミュージック』(1984)というテープをわたしはサンフランシスコのミッション地区にあるスモール・プレス・トラフィックという書店で偶然手にいれた。この書店では、普通の書店では入手できないような小出版杜から発行されている雑誌、詩集を販売しており、一ケ月に二・三回のペースで詩の朗読会を開催している。

ヌトザケ・シャンゲといえば、日本語に訳された『死ぬことを考えた黒い女たちのために』(1977、邦訳1982)によって知られるようになった黒人女性詩人、作家であって、この作品に登場する若い娘たちの音楽体験の吐露において言及されるミュージシャンたち、たとえば、スモーキー・ロビンスン、アーチー・シェップ、チャーリー・ミンガス、サン・ラなどの名前から、ヌトザケ・シャンゲ自身が親しんできた音楽の傾向がよく感じとれたものだった。

この『アイ・リヴ・イン・ミュージック』では、A面が音楽付きで、B面は音楽無しとなっている。音楽を演奏しているのはウィリアム・ゴフィガン・アンサンブルで、パーカッション、キーボード、ベースのトリオである。サウンドの雰囲気は、やはり黒人女性詩人のニキ・ジオヴァンニによる音楽を伴う朗読のLP『ザ・ウェイ・アイ・フィール』(1975)の雰囲気に近い。このバンドは本質的にジャズバンドなのだといってよいだろう。というのは、ヌトザケ・シャンゲが、「自分がボブ・マーレーと結婚して17年になる/前はスモーキー・ロビンソンだったけれども今はボブ・マーレー…」という詩句を含むボブ・マーレーにあてたラヴソングである「立ち上がれ、倒れた戦士たちよ」を読んでいるときに、このバンドがレゲーになっていないレゲーを演奏しているからなのだが、そこがとてもおもしろい。タイトルに使われている「アイ・リヴ・イン・ミュージック」という詩は、ことばと音楽との組み合わせがよくできている。その詩はこんな風に始まる、

わたしは音楽の中に住んでいる
ここはあなたの住んでいるところ?
わたしは、ここ、音楽の中に住んでいる
わたしはCシャープ・ストリートに住んでいる
わたしの友だちはBフラット・アヴェニューに住んでいる
あなたは音楽の中に住んでいる?……」

ヌトザケ・シャンゲは音楽が好きなのだ。

ヌトザケ・シャンゲとは全く異なるタイプであるミネソタの詩人、ロバート・ブライについてほんの少しだけ触れておきたいことがある。ポリグロットのロバート・ブライはロルカ、ヒメネス、マチャード、ネルーダ、ヘルダーリン、ノヴァーリス、リルケ、ポンジュ、トランストロマーなどの作品を英語に訳していることでも知られているが、かれの仕事の中には15世紀のインドの宗教家、詩人、カビールの詩の英訳もある。ブライの訳による『カビールの書』(1977)には、44篇の短い詩が収録されている。例えば、その35番はこうである。

聞きなさい、友よ、
このからだはかれのダルシマ
かれは弦をぴんと張り、そしてそこから内宇宙の音楽がでてくる
もし、その弦が切れ、駒が倒れると、この塵のダルシマは塵に帰る。
カビールは言う、聖なるものはそれから音楽を引き出せる唯一のものなり

カビールの詩は、肉体の愉楽と秘儀を直截的にそして平易に語る声によって、生の内奥の次元を照射する。これもまた偶然のことなのだが、バークレーのシャタック・アヴェニューにあるブラック・オーク・ブックス(この書店は、詩や散文の朗読会を盛んに開催しており、同じバークレーのテレグラフ通りにあるコーディーズと並んで、文学関係のイヴェントの内容の豊かさと書籍の在庫の質と量において優れている書店である)で、ロバート・ブライがカビールの詩を朗読したテープ、『カビールの詩』(1988)を手に入れた。このテープは、南サンフランシスコのレーベルであるオーディオ・リテラチャーから発売されているものである。この朗読には、デイヴィッド・ウェットストーンのシタールとマーカス・ワイズのタブラの演奏が随伴していて、いかにもインド風という雰囲気に溢れている。この二人のミュージシャンは1975年以来ロバート・ブライの朗読と共に演奏しているという。
実は、このマーカス・ワイズというタブラ奏者は、この4月に、ミネネソタで催された奥成達氏のパフォーマンス、タカサゴ・イン・ブルー、でタブラを叩いていた人である。このつながりもおもしろい。

さて他の例はこれくらいにして、マイケル・マックルーアである。これは少々難しい。マイケル・マックルーアは人間を哺乳動物の水準で捉え、ことばを、詩を、肉体との関係において考えるのだが、その視点はかなり独特なもののようである。かれの書く批評的な文章の中から、かれの声の秘密を明かしてくれそうなところを拾い上げてみたい。

扁形動物で喜劇なのは腹と口がからだに属することだ、つまり、口がからだにあって、頭にはないのである。進化の過程で口はここから頭へと移動し、そして口と頭は共に他の全てを支配するただ一つの精神の存在を仮定する。頭と口が扁形動物後の進化において腹を支配する。しかし反抗の古いからだの精神が哺乳動物の中でさえ小さな声として残っているのだ。(「反抗」1961) 

生物の進化の過程という文脈で、口の位置を扁形動物と比較するこの視点。ウィリアム・ギブスンによって描かれているような近未来のサイバーパンクの電脳化杜会においては、もはや肉としての口はその機能のかなりの部分を消滅させてしまうのかもしれないが、高度に機械化され、電子化されている現在の社会においても、人間の精神は肉体から切り離して考えられるばかりではなく、精神と機械が境界を失いかけている脅威を覚える場面もある。そんな状況のなかで、哺乳動物にからだの精神としての声が残存しているのであれば、その声はひとつの希望となる。他者の耳を求めて進む波であり、振動である声としてのことばの物質性を整えるのは韻律学や修辞学の役割ではない。マイケル・マックルーアにとって、それは肉や筋肉の役割なのである。

ひとの唇から飛び出ることばはかれの一部なのだ。ことばはかれの現実の肉の唇と喉からつくられ、ことばを前に送り出す精神のかれの現実の肉体の手によって信号とされる。ことばは、唇、目元の皺、頬と顎の肉付きや痩けかたなど、かれの顔つきで整えられる。(「ファイ、ユプシロン、カッパ」1962)

詩は肉について、肉によって、肉から創られるものである、つまり詩は経験とわたりあう筋肉の産物である、とわたしは確信した。(「エネルギーの形」1982)

20年の時が経過する間に、肉に対する確信が強まっている。世界の内に棲みついているこの肉とは何だろうか。肉体といい、身体といい、ひとはそれをただの物としても、観念としても語ることができる。しかし「詩は経験とわたりあう筋肉の産物である」とマイケル・マックルーアがいう時、その肉あるいは筋肉は、多次元的で不定形な現実が単一の姿に凝固し、固定化しようとする慣性的傾向に抵抗する力の源となる。生が逆エントロピーの増大であるなら、まさに死とのせめぎあいの現場である肉そのものをくぐり抜けることでことばは新陳代謝を促され、洗われるのである。

わたしたちはヴィジョンの中に生きている、しかし経験だけがほんとうの生なのだ。ひとが自分の精神を完全なものにするためには、自分自身のヴィジョンの縁が凍りつき変化しないものになる前に、かれはその条件を粉砕しなければならない。わたしたちが語りそしておこなうことが自分のからだのほんとうの現実を創るのだ。わたしたちの肉がそれを求める。(「ファイ、ユプシロン、カッパ」)

これは単純な肉の礼賛ではない。ひとの生に伴うヴィジョンがひとの精神を幽閉する氷の檻になろうとする前に、「その条件を粉砕しなければならない」とかれは言うのだが、その条件下でかれがしようとすることは肉にそしてからだに耳を傾けることである。さらにかれは肉の潜勢力を解放しようとするのだが、それは緻密な手順による実験なのである。

錬金術や生化学には実験があるという意味で、詩はどの作品も一つの実験でなければならない。わたしは自分のはかない肉のからだをまるでハープであるかのように奏でるのだ。全ての存在が、生きているものの大きなうねりである1つの宇宙の1本の指あるいは触手なのである、と私は見なす。(『9月のブラックベリー』1974)

マイケル・マックルーアにおける「ハープとしての肉のからだ」は、カビール=ロバート・ブライにおける「ダルシマとしてのからだ」に照応する。そして、マックルーアにおいては、実験である詩が肉のからだの演奏である。これは形而上学に抗しながらも宇宙と一点で連続しているという立場である。かれはこの立場を明快に示している。

形而上学は、その悪い意味に於いて、目、胃、耳そして鼻によってわたしたちに伝えられることの否定である。(「反抗」)

哲学におけるグルーチョ・マルクスであるディオゲネスはこう言った、「わたしはプラトンのいうカップやテーブルは見たことがあるが、かれがいうカップ性やテーブル性は見たことがない。」

カップやテーブル、そしてからだを、見る時期だった。こころをからだから切り離すことはできないのだが、これまであまりにもおおくのエネルギーが(良い形をしていてもいなくても)詩のこころに注目することに費やされ、からだにはそれほど注目してこなかった。同様に、詩の構造は(明確ではなかったけれども)しばしば注目されてきていたが、このような構造は決して生理学の延長として注目されたことはなかった。確かにそれは系統発生学の延長である生理学の見地から見られたことはなかった。(「エネルギーの形」)

そしてマイケル・マックルーアは、原料としての肉のからだから、変容の秘儀的過程を経て、黄金として誕生する詩を夢想するのである。

一篇の詩が一つの生きた生錬金術的有機体(バイオ・アルケミカル・オーガニズム)とさえなりうるだろうということをわたしはふと思いついた。(「エネルギーの形」)

生錬金術的有機体としての詩はその生成過程から捉えたものである。では、その生成過程ではなく、その現在、「肉について、肉によって、肉から創られるもの」である詩の現在はどのような姿で立ち現れるか。それが息なのだ。

詩は全体が一息であるか息の集まりかである。(形をとりつつある)詩行は一つの引き伸ばせる操作であり、それ自体として感じられなければならない。美学が問題なのではない!韻律学というものはない。音節は正確に一つの音節であり、一つの音節、一つのどっしりとしたメロディーとして読まれるべきものである。文字は厳密に一つの文字である。(「エネルギーの形」)

詩を息として、生錬金術的有機体として捉え、凍り付くヴィジョンに抵抗するからだの声を響かせるマイケル・マックルーア。かれの詩はもっと読まれてよい。彼の声はもっと聞かれてよい。


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