ビクター・ヘルナンデス・クルスのアレイト

アメリカン・ポエトリー・コラム 13
 
『gui』41号(1994年3月):135-145頁
 
野坂政司


 フアン・ルイス・ゲーラとクアトロ・クアレンタのCD『アレイト』は、メレンゲという音楽の分野に現れた、コロンブスに象徴される侵略と征服の犠牲となったタイノ文化への鎮魂曲だった。このようなコンセプトに貫かれたCDがカリブ海域の歴史を真撃に振り返るものでありながら、同時に華やいだ魅力を帯びたものであることは、現在のカリブ海域ポッブ音楽の力強さの証拠であるといってよいだろう。そうはいうものの、すべてのカリビアン・ポップ音楽が鋭敏な歴史意識を生真面目に曲づくりに反映させているわけでない。むしろ、クアトロ・クアレンタが突出しているのだと考えるのが正しいと思う。このように歴史意識の先鋭なものから甘く軽快なものまで、多彩で良質の曲がどんどんカリプ海域から生まれてきているということが、メレンゲというボップ音楽の現実なのだ。

 さて、ここで音楽から詩へと視線を転じたい。政治・経済的枠組で言えば、カナダ、アメリカ合衆国、メキシコが北米自由貿易協定を形成していこうとする現在の動きの中で、メスティーソ(メスティーサ)文化の背後にインディオ文化を想像すると、メキシコを媒介としてヒスパニック系の存在が今後ますます大きな意味を持つだろうと考えられる。そのような情勢を踏まえて、詩についても、カリブ海域と北アメリカとの文化的混交、より広く言えば、中南米と北米との文化的越境の相を見たいのである。そのためには、アメリカ現代詩の現在の多彩な局面をそのままに考える必要があるだろうし、詩の世界で彼らの声が響き合い混じり合うところに耳を傾けなければならないだろう。そのためには、アメリカ現代詩の現在の多彩な局面をそのままに考える必要があるだろうし、詩の世界で彼らの声が響き合い混じり合うところに耳を傾けなければならないだろう。

 合衆国におけるヒスパニック系人口の増加のことについては、前にジェーン・コーテスについて書いたときに言及したが、あらためてもう一度確認しておきたい。ここで参照したいと思うのは、浅井信雄氏による『民族世界地図』(新潮社、1993)である。これは小さいがとても良い本である。浅井氏は、この本で、「民族を客観的に定義することは不可能だし、政治的に民族の条件を設定することもまた、同様に不毛に近い作業である。にもかかわらず、民族の諸紛争について私たちはあまりにも気軽に論じあっている」(15頁)という認識から出発して、世界の各地で生じている「離合集散」の諸相を検証している。その「ヒスパニックの爆発」という章には、次のような記述がある。

 商務省統計局の国勢調査(九〇年)の結果では、公式のヒスパニック人口は二二四〇万人で、十年前より五三%増えている。移民のエネルギーを活力に発展してきた米国ではあるが、八○年代になると密入国移民が激増して、新たに治安と人権の問題を投げかけた。
 密入国移民の数字はつかみようがないが、約五〇〇万人とも推定されている。正規の許可を得た移民数が年間五、六〇万だから、大変な規模の密入国である。 その七七%が中南米からのヒスパニックで、メキシコ系だけで五五%もしめる。正規移民と密入国移民を合わせたヒスパニック人ロは、したがって、約二七〇〇万となる。彼らが信仰するカトリックが避妊を禁じているため、人口増加率も高く、ロサンゼルスの公立病院の新生児の大半はヒスパニックだという。  密入国は東西三千キロにおよぶ米国・メキシコ国境ルートが最も活発で、六五年に年間四万人だった逮捕者が、二十一年後の八六年には四〇倍の一六〇万人となっている。逮捕されずに入国した者も、年々増えているとみられる。国境のリオ・グランデ川を渡れば米国であり、彼らを阻む金アミも文字通り穴だらけである。 (96−7頁)

 データが要領よく整理されているので、アメリカ合衆国におけるヒスパニックの影響の深まりがよくわかる。また、ここで言及されている密入国の状況を知るには、テッド・コノヴァーによる『コヨーテたち』(弘文堂、1989)がとても参考になる。87年に原著が出版されたこの本は、「越境するヒスパニック・アメリカ」という副題が示すように、密入国者たちの生活の臭いまでも描かれた貴重な体験記である。ここでは、このような資料から知ることができるヒスパニックの人々の生活者としての声の倍音のレベルに、あるいは彼らの集合的な無意識を方向づける言語化された生の姿の基調音のレベルに、彼らの詩の声がどう響いているのかを聴きとろうというわけである。

 社会が激しく動揺するなかでアフロ・アメリカンやネイティヴ・アメリカンが自らの声をあげ始めた60年代のアメリカ合衆国では、小数であるがヒスパニック系詩人たちもまた、聴衆を前にして朗読したり、作品をコピーで印刷して発表したり、という活動を開始していた。その後、80年代にヒスパニック系移民が急増するとともに、彼らに続く次の世代の文学的活動が活気を示すようになった。このような動向がどのような詩的言語として結実したかを知るには、前に言及した本であるが、レイ・ゴンサレスが編集した『アフター・アストラン 90年代のラティーノ詩人たち』(デヴィッド・R・ゴーディン、1992)という詩選集が非常に役に立つ。チカーノ(チカーナ)の詩人たちとプエルト・リコ系の詩人たちの作品を集めたこの本の序文で、ゴンサレスは、90年代のヒスパニック系詩人が、生まれてきた背景を振り返って、60年代の詩人たちが伝説から現代に蘇らせたアストランに触れ、こう書いている。


 これらの初期の作家たちは、また、アステカ神話から採られた理想の楽園であるアストランという概念の形成と定義づけに貢献し、この土地に生まれた人々が活躍し、自分たち自身の文化と文学を実現することができる、侵略のない北アメリカ大陸を想像できるようにしたのであった。このアストランという理想国家の探究は70年代初期に頂点に達した。


 アストランとは、『ラテン・アメリカを知る事典』(平凡社)の中のアステカ文化についての記述に「アステカとは彼らの伝説上の起源の地、〈アストラン〉の人を意味する」(23頁)とあるように、本来はスベイン人による征服以前のメキシコ中央部に栄えたアステカ文化の伝説上の起源の場所であった。それを記憶の底から呼び起こし、現代に再生しようとしたわけである。現代の合衆国内でのアストラン探究の動きについてはあまり資料が見つからないが、越智道雄氏は、『英語の通じないアメリカ』(平凡社、1990)で、文化多元主義と英語公用語化運動の葛藤を考察しながら、これをアストラン探究と反アストラン感情の対立と読み替えることができる視点を示唆している。越智氏は、英語公用語化運動の先頭に立つ意味論学者のS・I・ハヤカワの言葉を紹介し、それに対する自分の立場を次のように明快に表明する。


 彼はカナダのケベック分離主義者のように、ヒスパニックにもアメリカからの分離主義者がいると考えているらしい。「シカゴにいるヒスパニック運動家が、アメリカ南西部とメキシコ北部にアズトランというスペイン語州を作ろうとしている」という。
 アメリカはきたるべき「地球国家」の予行演習として世界史のなかにリザーブされてきた。オーストラリアとカナダも小型の演習場になりつつある。地球国家の最大の特性は多様性で、その国民はそれに耐えるのではなく、それを自由と同じように享受できることが前提だ。多様性の基本は言語生活の「バベルの塔化」にある。アズトラン州は南西部だけではなく、アメリカの至る所にできたほうがいい。アズトランは分離ではなく、言語的多様性への参加をめざす象徴になるべきだ。(161頁)


 これは、現代の合衆国にアストラン(越智氏によればアズトラン)を復興することを夢みるヒスパニックがおり、一方で彼らの運動を退けようとする英語保守主義者たちがいるという図式である。ゴンサレスは、歓迎されない土地に「理想の楽園」を求めた先行者たちの運動が、社会的・政治的なものであるだけでなく、まさに文学的なものであったことを指摘したのである。彼は、このような60年代の詩人たちと、それから20年以上経った今日のラティーノ(ラティーナ)詩人たちを、次のように対比している。


 今日詩を書いているラティーナ詩人たちはその六〇年代の教訓を学んだのであり、芸術家として、レトリックもポーズもなしに自分の方向を決める。彼らが社会的不正について書くのは、願望による思考からではなく、力の立場からなのである。これは、依然として行われる必要があることと、前途に横たわるものの両方を期待する声によって語られる、最も力強い類の詩である。これはアストラン後の詩である。つまりこれは、こうした詩人たちの社会的、個人的神話が紛れもない生存本能から生じる強力な力であるために、政治的言説も及ばないことを成し遂げつつ、詩人の個人的ヴィジョンと民衆との葛藤を伝えるという詩なのである。


 ゴンサレスが言いたいのは、今日のラティーノ(ラティーナ)詩人たちは決して伝説上の理想の楽園の夢を見続けているのではなく、生活に根ざした力の立場から詩を書いている、ということである。すると、ハヤカワのような英語公用化運動家が抱く恐れの感覚がどのようなものなのか、よくわかるように思う。それは、言語という制度の基層がもうひとつの言語に侵食されることにより、身近な生活空間がさまざまな局面で異化し始めていることに気づいた保守主義者の恐怖である。したがって、彼らの詩を読むということは、見かけは爛熟した消費社会の一角にあって生活者の生存そのものが切実に問われる場所で響いている声に注意深く耳を傾けることになるだろう。

 さて、『アフター・アストラン』には全部で34人の詩人から一人につき数篇の作品が収録されているが、それぞれの詩人によって、主題、イメージ、トーンなどが実に多彩であることがわかる。そのことは、合衆国に住んで英語で詩を書くヒスパニック系詩人がおかれている環境の幅の広さを反映しているとも言えるだろ う。

 この詩選集に選ばれている詩人の一人にビクター・ヘルナンデス・クルスがいる。プエルト・リコ出身のクルスの詩については、きわめて断片的にではあるが、前に紹介してある。この本には彼の詩が4篇収録されている。そのなかの「トリニティ・コロナの地理学」という詩は特に注目すべき作品である。というのは、英語に時折スペイン語が挟み込まれるという二言語混交の表現上の構造に、スベイン、中近東、アフリカ、カリブ海の島々などの種々の言語、民族、宗教への言及が折り重なることによって、奥深い越境的感覚が生み出されているからである。しかも、クアトロ・クアレンタがメレンゲのリズムに乗せて呼び起こしたタイノ人や彼らの踊りアレイトヘの言及が、キューバヘの西アフリカ文化の影響を示すヨルバ人やルクーミヘの言及と共に、この作品の中にまったく自然に取り込まれているのである。

 当然のことながら、詩人が主題とする対象はそれぞれによって異なる。34人の詩人の作品が収録されているこの本でもそれは同じことであり、タイノ人に言及した作品が収録されているのは、クルスの他にはマルティン・エスパーダという若い詩人が一人いるだけである。エスパーダについてはここで触れないことにして、わたしはクルスの詩に焦点を合わせて考えてみたい。クルスの詩とその位置を文化的遠近法から考えようとする時に、タイノ人やアレイトヘの言及は絶好の糸口になる。そして、このことを考えるのに「トリニティ・コロナの地理学」よりもはるかによい例が彼自身の詩集にある。できすぎのような気がしないでもないが、実は、クルスの詩と散文を集めた『レッド・ビーンズ(赤い豆)(コーヒー・ハウス・プレス、1991)のなかに、まさに「アレイト」という題の作品があるのだ。それ以外にもタイノ族やアレイトヘの言及が2篇の他の作品に見られるが、ここで取り上げるには及ばないだろう。これは難しいところもあり、少々長い作品でもあるが、訳出しておきたい。



「アレイト」


私の華麗な帝国
緑の衣装の山々は
天に通じる街路
生の中心につくられる
踊り手たちの蛇の輪
そこから
声がわれわれの歴史の
賛美歌を触れまわる
だから
これがアメリカのアレイト
これがアメリカのアレイト


都市では空飛ぶ金属の
車と消費者の廃品の山々
進歩の
地平線上に度胸が積み重なる
.内側のあの囁き
ミロ 見ろ
見ろ ミロ 内側のあの囁きは
時を刻む昔のカレンダー
アレイトはいまでもまわっている
神々は言ってくれた われわれを
連れ戻して 開放してくれると
豪華な新発明のメディアから
騒音と労働の緊張から
みせかけの嘘の言葉の
教科書から
英語の反対側の川が
メッセージを運んでいる
ユキユはまだおまえを見捨ててはいない
ケツァール(きぬばねどり)
いまでも飛んでいる
ケツァルコアトルは電話中
落ち着け ロベルトとホセ
カルメンとマリア
アレイトの
輪に入るように水平になれぱよい
流れがおまえを運ぶだろう


アメリカあのベタンセス
ホセ・マルティ
あのオストス われわれ皆が
揃ってひとつであってほしいと思う
赤が黒と
そして黒が白と混じり合うのを見て
バスコンセロスは
ラサ・コスミカ(宇宙人種)と言った
歴史のなかで統一され結婚したリズム
これはこの大地が提供すべき
最大の風味


マリンバ タンゴ サンバ
ダンサ マンボ ボレロ


リンダ・アメリカ 立ち上がって
服を脱げばよい
おまえはずいぶん歳とっているから
巨人たちが木から現われる
煙草の煙が
自分に声になれと命じながら
風の写真を撮る
そこでは塩の小石が
グアグアンコーを踊る
それが見事だから それは
脚の青写真になった 脚が
正確に動いて アレイトの中で
一万本が一つに見えたほどだった
アレイトではドラムが聞こえる
膝と脚が二つの星の間の
範囲を描いているから
農業のギターの古い火が
北に広がって
トリオ・ロス・ディアマンテス
日の出が
ゆったりとした熱帯の風に乗り
絹を通り抜けていく
サン・フアンのジョニー・アルビノ・ト リオが
音のエスカレーターを
おまえの心の中につくる
心に羽が生え
砂漠にむかって飛んで
イベリアの香水の賛美歌の侵入に入り込 み
ジプシーとマヤ人の肩に着地する
扇風機がグラナダから冷やす
われわれアメリカ原住民の
恋の特徴を
恋として通用している
ものから生まれた恋の特徴を
アメリカはわれわれの胴
われわれの精神の腹
われわれは植物から成長した
それはわれわれが誰か知っている
リンダ・アメリカ あのベタンセス
ホセ・マルティ われわれオストスに
一つ(フアン)の団結万歳


南 アメリカ
北 アメリカ
フアン アメリカ 
ニつのアメリカ フアン
フアン アメリカ ワン
それから アメリカ 混じり合う
考え方に
調和して静かな平和のルーツを
与える
シそしてイエス 胸と心の蛇が
ケツァルの羽を生やして
アレイトの輪の外へと
飛んでいくことは可能だ
アレイトの輪
アレイトの踊り


可能であることが可能だ
全体が一つになることが
可能だ
たくさんの魚が食べられ
果物が出てくる国が
あることが可能だ
惰性という妨害を相手に
闘うことは可能だ
血液神経系に潜む
征服者たちの願いを相手に
犬どもが
美しい踊りのそばにきて吠える
そんな恐ろしい悪夢を相手に
闘うことは可能だ
汚れのない清水の川
があることは可能だ
われわれは
自由に歌う鳥


アレイト
マラカ グイロ そして太鼓
キチャーロ マラカ 太鼓
リズムと歌のなかに
印刷されるわれわれは誰だろう


アレイト 南
アレイト 北
二つのアメリカ フアン
一つのアメリカ ワン
アメリカあのボリーバル
ベタンセス
ホセ・マルティに われわれに
オストスに 
われわれが一つの団結であることを
望んでいた


アレイト グイロ そして太鼓
キチャーロ マラカ 太鼓


アレイト 歌
アレイト 歌
アレイト


 どうだろうか。ヒスパニックではない読者には謎めいて聞こえる表現や固有名詞が多くあるので、作品空間に入りきれない戸惑いを覚えるかも知れない。しかもクルスは、他のヒスパニック系詩人たちにも見られることなのだが、英語の流れの中にスベイン語を混在させて書いている。このような書き方は、スペイン語に暗いわたしのような読者や、ハヤカワに象徴されるような英語保守主義者を落ちつかない気分にさせてしまうかもしれないものだ。正直なところ、「ユキユ」、「ベタンセス」、「オストス」などの語が何を指しているかはわたしもよくわからない。しかし、この二言語混交の世界に読者が進んで越境して行けば、その落ちつかない気分はある程度消えてしまうと思う。

 この詩では、二つの言語は、混交してはいるものの、決して対立していない。それは「南 アメリカ/北 アメリカ/フアン アメリカ/二つのアメ リカ フアン/フアン アメリカ ワン/そ れから アメリカ 混じり合う」という詩行に具体的に示されている。都市名のサン・フアンの「フアン」(ありふれた人名でもあるが、プエルト・リコに一時期滞在していたフアン・ラモン・ヒメネスにも連想が及ぷ)と「ひとつ」を意味する英語の「ワン」とが音のレベルで遊戯的に結びつけられている。これは、言語としては互いに独立していながら音が共振し合うという関係を構造化しているわけで、ひとつに統合されたアメリカを想像しているこの箇所の意味のレベルにぴったりと重なり合う。

 クルスはアングロ・アメリカンの英語をそのままに大切に守ろうなどという考えを全然持っておらず、彼の詩の中の二言語混交は意図的なものだ。この『赤い豆』の中に収録されている彼の散文「北の山脈 アメリカ合衆国のヒスパニック文学」の中で、クルスはスペイン語と英語の両方の世界を生きる自分の感覚を次のように述べている。


…ある言語(スペイン語)からもうひとつの言語(英語)へという軌跡の中でそれを曇りのない目で見てみよう。われわれは何を失い何を得たのか。あきらかに、あの偉大なるロマンス語の美しい抒情、押韻、混成語が存在し、機械の操作についての本を読んでいても、そのような主題にもかかわらずやはり言葉は朗々と響くのだ。英語の単語で身をつつんでいても情熱で香りを満たす内部の花は存在するだろうか。わたしはそれが合衆国のヒスパニック文学の多くに生じていると思う。英語の統語が変えられつつあるのだ。(88 頁)


 彼は、英語の単語に外来語が加わるのではなく、「英語の統語が変えられつつある」と言っているのだから、これは言語の純血主義者が読めば嘆きの声を漏らしそうな発言である。同じ文章の中から次の箇所を引けば、その種の人は、嘆きではなく、怒りの声をあげるのではないだろうか。彼はこう明言する。


…もちろんわれわれは、できるだけ大勢の人に理解される言葉、標準的で普遍的な英語を求めなければならない。しかし、どうしてその過程でスペイン語を失わなければならないのか。われわれは英語を変えるべきだし、それにスペイン語特有の流動性というスパイスをふりかけるべきだ。読者がアングロでもラティーノでも、これは理解される枠の中でできることだ。(89頁)


 「アレイト」の英語にかけられたスペイン語のスパイスの味と香りは、わたしの日本語訳の中に少しでも残っているだろうか。ともあれ、二重の言語を、すなわち二重の文化を創造的に生きるには、クルスのような積極的な姿勢が欠かせないのかもしれない。こうした生き方の対極に、安定した文化の中で生まれ、その土地に育ち、そこで死んでいくという生き方を想像すると、生という多彩な運動を測定するひとつの定点としての独特な魅力をそれには感じさせられるのであるが、そのような生の形でさえも他の人々との関係において異文化の波打ち際で常に揺れているものであることは否定できないだろう。だからクルスの言葉から、われわれが生きていくということが二重の言語(あるいは複合的言語)を対象化し、他者との遭遇を絶えず意識していくことに他ならないのだ、ということをわたしは感じてしまうのである。

 この「アレイト」では、歴史も地理もかなりの距離が飛び越えられ、離れたイメージが結び会わされている。アレイトは祝祭空間として現代に蘇り、その踊りの輪の中では「脚が/正確に動いてアレイトの中で/一万本が一つに見えたほど」であり、南北アメリカの人々がひとつに統合されるのである。「電話中」の古代メキシコの神のケツァルコアトル、ベネスエラ生まれのラテン・アメリカ独立の最大の英雄シモン・ボリーバル、キューバの詩人、思想家、革命家ホセ・マルティなどへの言及が、この作品の地理的空間を中米、カリブ海、南米北部の範囲に広げ、歴史的遠近感も奥行きあるものにしている。ケツァルコアトルのような神話的素材を取り上げていることについては、二カラグアの詩人エルネスト・カルデナルが『ケツァルコアトル』という詩集を出版しているので、別の機会を求めて一緒に考えることにしたい。

 ここでは「バスコンセロスは/ラサ・コスミカ(宇 宙人種)と言った」という箇所に少し目を向けてみよう。ホセ・バスコンセロス(1881―1959)はメキシコの政治家、思想家で あり、シケイロスらを起用して壁画運動を起こしメキシコの民族運動を押し進めた人である。彼の「ラサ・コスミカ」という概念に関して、〈民族の世界史第13巻〉『民族交錯のアメリカ大陸』(山川出版、1984)には、次のような記述がある。


「宇宙人種」という理念は、メキシコの哲学者ホセ・バスコンセロスが1925年の同名の著書において展開した思想で、ラテン・アメリカの各地できわめて大規模な形で展開している混血の現象から思索的に構想したものであった。それは多様な各人種の美点のみを取り集めて総合した、人類の究極の人種型として想定されていた。ハワイにも類似の発想があって、「ゴールデン・ピープル」と呼ばれる。(478頁)


 宇宙人種という理念を媒介として、混血という現象を、民族の差異を越える現実的な力であると見る視点は、人種差別を乗り越える認識の基点を提供するものであろう。また、この理念は性差別を越えていく思想とも無縁ではない。チカーナの作家・詩人グローリア・アンサルドゥーアは、『現代思想 特集越境するアメリカ』(青土杜、1991年9月号)に邦訳が掲載された「メスティーサの自覚」という力強い美しい批評文の冒頭で「わたしと同じ人種の女の人のために魂は語りかけるでしょう」と前置きをしてから、「メキシコの哲学者ホセ・バスコンセロスは、混血人種、人種の混合、有色人種―地球最初の統合人種の出現を予言し、これを世界の四大人種を包み込む五番目の人種、宇宙人種と呼んだ」と書き始めていた(63頁)。 彼女はその前置きの言葉に自注をつけ、「これは、ホセ・バスコンセロスの思想に基づくわたしの「離陸」である」と説明している(75頁)。アンサルドゥーアは「離陸」したと述べて いるから、バスコンセロスにあまり近寄せて考えてはいけないかもしれない。とはいえ、クルスの詩行に含まれたバスコンセロスヘの言及は、彼と同時代のチカーナ作家の発言に架橋される共通要素となっている。この「アレイト」は異種交配の祝祭空間なのだ。これまで見たことに示されているように、まわり続ける踊りの輪にはヒスパニック文化の多彩な声が反響しているのだ。わたしは、意味のレベルでの多彩な言及が生み出すこの作品のイメージの厚みが、二言語混交の音韻構造としてどのように朗読されるのか聴いてみたいと思う。いま思えば非常に残念なことに、わたしは不発に終わったクルスの朗読会に足を運んでいたのだった。サンフランシスコでポエトリー・リーディングの調査をしていた時期のことである。その頃のノートを確認してみた。88年1月24日にサンフランシスコのヴァレンシア通りにあるニュー・カレッジでの朗読会。快晴の日曜日の午後。ニューヨークからやってきたクルスの他に主催者が二名、聴衆が二名(そのひとりがわたし)しかおらず、詩人と主催者との 長い話し合いの結果、彼の朗読がエネルギーを要するもので二名の聴衆では読めない、という理由でキャンセルになった、とある。「アレイト」がまだ書かれていなかったと思うが、すでにクルスの名前は一部で知られていたのだ。主催者の方に問題があったのだろうが、ヒスパニック系詩人の位置を見せつけられた出来事だったように思う。

 そのような現実を生き抜くためには、しなやかな想像力が必要だし、さらに、それを力強い声に出していかなければならないのだろう。『赤い豆』所収のもうひとつの散文「アメリカ発見500年を前にしての若干の考察」から、クルスが生まれたプエルト・リコのアグアス・ブエナスに向けられた彼の想像力と感覚が時間を越えて息づく瞬間を伝える文章を引いておこう。


…カリブ海の土着の人々が絶滅したことは人類の悲劇のひとつだ。こうした人類学的知識にもかかわらず、わたしのホームタウンのアグアス・ブエナスでは、タイノ人の情緒と印象がわたしの感覚のすべてを膨張させ、わたしの少年時代の小路が永遠のものになる瞬間が存在する。(135頁)


「文学批評空間」の ページに戻る