アメリカンポエトリーコラム 3 野坂政司

〈結び合わせる〉声

『gui』27号(1989年3月):77-84頁

 1988年の5月、わたしはビッグサーにあるエサレン研究所を半日ではあったが、訪れる機会があった。そこはサンフランシスコとロスアンジェルスの中間にあって、わたしは三人の知人と共に、その雄大な景観で知られる海岸線に沿って景色のよい自動車1号線(部分的にフリーウエイとなることがある)をサンフランシスコから南下し、スタインベックにちなむ港町モンタナ、クリント・イーストウッドが市長を務めたことでも知られる綺麗な町カーメルを通りすぎて、ビッグサーに向かった。

実は、ビッグサーという地名は、ブローティガンの小説の題で知っていた程度で、ほとんど何も知らなかった。わたしにとってのビッグサーは、バークレーのFMラジオ局で、聴取者の寄付で運営されているKPFAが、亡くなって聞もない神話学者ジョゼフ・キャンベルを追悼する10時間ぶっ通しの特別プログラムを1988年2月に放送したときに、寄付の呼掛けに応えることでもらうことができたキャンベルの講演テープから始まる。テープと共にそのテープの制作発行元からテープリストも届き、そのなかに数多くの興味深い名前を目にした。例えば、エサレンと深く結びついていたキャンベルは勿論のこと、その他に、グレゴリー・ベイトソン、フリッチョフ・カプラ、ババ・ラム・ダス、ジョージ・レオナード、アラン・ワッツ、バックミンスター・フラー、コリン・ウィルソン、ティモシー・リアリー等々。この独特な個性を持つ連中がいったいどのような関連によってまとめられることになったのかと不思議な気分にさせられてリストを眺めていると、これはエサレン研究所の初期の60年代の講演から現在のものに至るまで収録されているシリーズで、そのレーベル名が〈ドルフィン・テープス〉というものであることがわかった。哲学、神話学、宗教、心理学、ニュー・サイエンスなどの分野がある傾向によって結びつけられているなかに、詩人としてはただ一人ロバート・ブライの名前を見つけた時は、奇妙な印象を持った。エサレン研究所の背景については、フリッチョフ・カプラが『非常の知』(工作舎、1988)の中で、次のように書いている。

マイケル・マーフィーとリチャード・プライスによって、マーフィー家の所有するすばらしい土地に設立された。エサレン・インディアンが死者を葬り、聖なる儀式を執りおこなった峡谷をはさんで、海岸に面した大きた台地が、木立の並ぶテラスを形成し、海を臨む崖の岩から、温泉が湧き出ている。マーフィーの祖父は1910年にこの魅惑的な土地を買い取り、今日、エサレン共同体で愛情を込めてビッグハウスと呼ばれている大きな家を建てた。マーフィーは60年代初頭にその土地を譲り受け、プライスとともに異分野の人々が集い、意見の交流をはかるセンターを開始した。アブラハム・マズロー、ロロ・メイ、フリッツ・パールズ、カール・ロジャーズなど、数多くの人間性心理学の先駆者たちが「ワークショップ」をおこない、まもなくエサレンはヒューマン・ポテンシャル・ムーヴメントの有力なセンターとなり、その後今日まで格式ばらない美しい場所で、心を開いた人たちが考えを交流するフォーラムを提供してきた。

 カプラはこの本のなかで、1980年7月までの最晩年の二年間をエサレンで過した。グレゴリー・ベイトソンとここで交わした刺激的な対話が「システム論的生命観」というかれの考えをまとめあげるのに大きな力となった、と書いている。カプラが注目したのは、生命世界に見られるような組織化原理が本質的に心的なものであり、精神が生命のあらゆるレベルで物質に内在していることを見抜いたベイトソンにとって、その鍵をなす概念であった「メタファー(精神をもつ相互連結の織物全体をつなぐもの)」であり、「カニをエビと結び合わせ、ランをサクラソウと結び合わせ、これら四つの生き物をわたし自身と結び合わせ、そのわたしをあなたと結び合わせるパターン」という視界である。

ベイトソンがとるのは機械論でも超自然論でもないような総合を問うポジションであって、そのポジションからは詩における表現の多層を成す複合的組織を次のような文脈におくことができるだろう。

そこでは、遠い関係にあったものが「結び合わせるパターン」に縒り合わせられることによって論理階梯の上位に移動することになり、様々な表現システムの外側に通じることによって、内と外とを区別する境界を飛び越え、そこに移動し続ける視点が生まれ、様々な表現システム相互間の比率を見ることができるようになるだろう。これをメタファーが生きている世界、つまり詩が生きている世界であると言い換えることもできるだろう。

もはやこれは、なじみの世界についての言説である。だから、さらに詩のことばに近いところに飛んで、こう言うこともできるだろう。歌い、語り、叫び、うめく、というような差異からなる表現システムを「結び合わせる」もののひとつが〈声〉であるなら、そのような意味での声こそが問題化すべき声なのであって、それは総合する声である。それは、からだをゆすり、耳に響くものだ。この声は意識というよりは、エロチックな肉のメタファーである。

前に言及したマイケル・マックルーアにおける「肉について、肉によって、肉から創られるもの」である詩の他に、肉と結びつく詩を捜してみよう。

ロバート.ブライが編者となった『10篇の恋愛詩』に採られている、サッフォーの「神々に匹敵する」という作品には肉の奥に隠れた声が息を殺している。これは、シンガーであり、詩人であるエド・サンダースが訳したものである。

「神々に匹敵する」

神々に匹敵するのが
この男のひと
ぴったりと寄りかかりながら
あなたの前に座って
そしてあなたが優しく話すのを聞いている
あなたの唇からでる笑いが欲望をなぶるので
わたしの心臓が動悸を打ってしまう

ブローチー、あなたを見ると
わたしの声は
すこしも出てこない
わたしの舌は
うごかない
すぐに
わたしの肌のすぐ内側を
ほのかな火が走る

目眩がして
なにも見えない
耳は
がんがんと鳴っている
汗がわたしに流れ落ちる
手足と腰が
ふるえて
止まらない
わたしは草よりも青く
もうすぐ死んでしまいそう

 声を隠すのは、思考でもなく、意識でもなく、肉である。肉が隠すために、その声は見えないけれども喉や筋肉を通じて伝わってくる。この隠れる声はその肉とのつながりによって、アルトーを思い起こさせる。アントナン・アルトーは、声が記号となって身体から抽象へとはみ出すことを批判して、声から叫びへの通路を示す。かれはことばを話すことしかできない俳優をこのように攻撃する。フロレンス・ド・メールディエが「思考は記号を発し、身体は音を発す」『トラヴェルス/3 声』(リブロポート、1988)という論考の中で引用したアルトーの言葉を孫引きする。

もはや話すことしかできない人々、舞台に一つの肉体を所有していることを忘れてしまった人々は、自分の喉を使用することを忘れてしまったのだ。異常状態に欝かれた喉は、一つの器官でさえなくなり、話をする怪物的な抽象観念になってしまっている。フランスの俳優達はもう、話すことしかできない。

 アルトーにおいては喉は肉体と同じである。ここでアルトーがロバート・ブライに結び合わされる。「精神の進化の部分」と題されたインタビュー(1971年)でブライはアレン・ギンズバーグのチャンティングと瞑想に関して応答しながら、からだの中の詩の位置を三つに分け、かれはそれを頭の詩、喉の詩、腹の詩と呼ぶ。

頭から下がってからだへ降りる。それもまたチャンティングの目的です。アメリカの詩においても同じこと。それは……アメリカの詩はイギリスの詩の頭から下に降りようと努めていて、一九五〇年代には喉に降りようとし、ついには腹に降りようとしているのです。(『トーキング・オール・モーニング』ミシガン大学出版、1980)

 またブライはこの発言のすぐ前で、息とからだについてマイケル・マックルーアと非常に近いことも言っている。

結局、息はわたしたちのからだの中にあって、鰐やそのほかのあらゆる生き物と共通しているひとつのものです。……息を止めることはできません。従って、わたしたちのからだの中の他のどれよりも深い進化のつながりがあるのです。……とにかく、瞑想をしている時には、動物の全種族の過去を遡る動きがあるのです。(同書)

ブライにおけるこのような詩と肉との関係を考えるには、かれが精力的に翻訳.紹介しているスペインの詩やラテン・アメリカの詩の系譜との結びつきではなく、東洋の詩との結びつき、ととりわけ、カビール、ミラバイ、ルーミーという悦惚の系譜との結びつきを見ることが欠かせない。ブライ訳によるカビールの詩については前に一篇だけ紹介したが、『カビールの書』(ビーコン・プレス、1977)から他の作品をここに訳してみよう。

きみはわたしを捜しているのか
わたしはとなりの席にいる
肩がきみの肩に
もたれ掛かっている
わたしは見つからない
仏舎利搭のなかにも、
インドの聖堂の部屋にも、
礼拝堂にも伽藍のなかにも
読誦のなかにも
キールターナのなかにも
自分の首に巻き付けた両足にも
野菜しか食べないことにも
きみが本当にわたしを捜すと
わたしに会えるだろう
即座に……
きみは時の極微の館で
わたしを見つけることだろう

カビールが言う
弟子よ、言ってみなさい。
神とは何か
神は息のなかの息

作品中の「キールターナ」というのは、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』によれば、ヴィシュヌ神を崇拝するベンガルの宗派で行なわれる歌や踊りをともなう集団的儀式のことである。ここでは、カビール=ブライが書いている「神は息のなかの息」とする視点は、マイケル・マックルーアが詩と息の結びつきを「詩は全体が一息であるか息の集まりかである」と書いた視点とは若干の差異を示している。マイケル・マックルーアが生錬金術的有機体(バイオ・アルケミカル・オーガニズム)というように詩を肉と神秘学を総合した生成と変容の過程としてとらえるところから、一つの全体をなすものとして息を考えているのに対し、カビール=ブライにおいては、不在の顕勢化と実在の潜勢化が微分された時という場で反転することになり、表層と深層とが重層化されていながら固定したものではないというダイナミックな構造の枠組みの中で息をとらえている。

ブライは生き物に、出来事に深層を見るのであり、この態度はかれの詩学に深く染み込んだものである。かれの「頭の詩、喉の詩、腹の詩」という詩の分類にもそれを知ることができるのだが、かれはこころの働きの深層にも注意を向ける。かれによれば、エズラ・パウンド、WC・ウィリアムズ、チャールズ・オルソンという系譜によって形成された詩的態度、つまり観念ではなく〈もの〉に焦点を合わせるという態度が、二十世紀のアメリカ詩において間違った展開をさせた、というのである。その間違いは、詩から無意識を追放したことだというのである。ブライには、表層を生気づける深層、こころに血をかよわせる無意識が欠かせない。

ここで、ブライの訳による、ミラバイの詩を読んでみよう。ミラバイは、16世紀の北インドの女性で、夫を戦争でなくした後に宗教的生活に入って詩を書き、曲を作り、ダンスを踊った人であるという。ブライは『ミラバイ・ヴァージョンズ』(レッド・オウズィヤー・プレス、1984)という薄い本で6篇の作品を訳している。その中には次のような作品がある。

「わたしがしていたのはただ呼吸することだけ」

何かが伸びてきて
わたしの目の輝きを吸い込んだ
あこがれるのです、かれのからだを
あの黒いからだの毛のすべてを
わたしがしていたのは
ただそこにいるということだけ
そして〈踊るエネルギー〉が
わたしの家にやって来ました
その顔は奇妙に
月に似ています
微笑みながら
わたしは横から顔を見たのです
家族の者が
「二度とかれを見てはいけません」
と言い、低い声で
含みをほのめかします
でもわたしの目には自らの生命があり
目が慣わしを笑うのです
そして
自分が誰のものなのか
知っています
あなたがわたしについて
どんなことを言っても
きっと
わたしは自分の両肩で支えられます
ミラが言う
山を持ち上げるエネルギーが無くって
どうしてわたしが生きていけるでしょう

 ここには「わたし」の変容が〈踊るエネルギー〉との接触によって生じたことが示されている。それは、世の「慣わし」に包囲され、「ただ呼吸をするだけ」、「ただそこにいるということだけ」の状態から、「わたしの目には自らの生命があり、目が慣わしを笑う」、そして何を言われても「きっとわたしは自分の両肩で支えられます」という状態への変容である。はじめに世俗の慣わしと渡り合う「わたし」には、表層と深層が階梯をなし、息は生気を抜き去られた状態にあった。踊るエネルギーによって後に変容が生ずるにしても、その変容前の息は、カビール=ブライにおける、深層を持たない単一の構造、つまり神のいない息、となるだろう。ブライにおける表層と深層の二重構造という見方は、かれが訳したルーミーの詩にさらにはっきりと示されている。表題それ自体に変容が肘包されている詩集『葡萄がワインに変わるとき』(イエロー・ムーン・プレス、1986)から一つ選んでみよう。

「名」

あなたは
〈聖なるもの〉がものに当てた名を
聞こうとしなければならない
「〈聖なるもの〉がかれに名を教えた」
という言い回しには何かがある
わたしたちはどんなものにも
その脚の数によって名をつける
その他のものは内側にあるものによって名をつける
モーゼは木の枝を振り
それが「鞭」だと思った
しかし内側では
その名は「巨大な蛇」であった
ウマルの名は
「神に逆らう扇動家」だと
わたしたちは思った
しかし永遠のなかでは
かれの名は「信ずるもの」であった
わたしたちの
最後の息が吐き出されるまで
わたしたちは誰も自分の名を知らない

 ここでは、表層と深層を分かつ界面は「名」であるが、その界面を越える通路は「名」によって見いだすことはできないのであり、ただ〈聖なるもの〉に教えられることによって可能となるのである。ルーミー=ブライは、しかし、このような幻影の中に漂う生だけを語るのではない。詩とからだとこころが結び合う総合のイメージをも語る。同じ詩集から別の詩を選んでみよう。 

「詩を食べる」

わたしの詩はエジプトのパンに似ている
一夜が過ぎる、するともう食べることができない 

だから呑込んでしまいなさい
まだできたてのうちに
この世の塵がつくまえに 

詩が所属するのはここ
むねのぬくもりのなか
世に出ると寒さで死んでしまう 

さかなを見ましたね
乾いた土のうえにおくと二・三分ふるえ、もう動かない
 
そしてわたしの詩を
まだできたてのうちに食べたとしても
きみはたくさんのイメージを
自分で前に連れてこなければならない

実際、友よ、きみが食べているのは
きみ自身の想像力なのだ
これはたんなる昔のことわざではない

 詩とエジプトのパンの結びつきが、次々と異なるイメージを結びつけるように自己増殖していくさまは、重さに想像力の生成過程に立ち会うようである。このイメージは、いくつかの要素に分節化された構造体のようなものではなく、多焦点でありながら相依的に結び合わされた織物のようなものである。ここでは「ものや物質ではなく出来事として見えてくる」(カプラ)

 ロバート・ブライの仕事については、翻訳においても、詩論においても言及すべきことが多い。特に、息やからだに焦点を合わせた文脈においては、ブライとチャールズ・オルスンとを並行して語る必要がある。しかし今回は、遠い関係にあるものを結び合わせる具体化としての「詩を食べる」という詩にとどまらず、ブライ自身もまた、時間においても文明圏域においても遠い関係にある詩のことばを〈結び合わせる〉声なのだ、と言うだけにとどめておこう。


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