6月29日、午前2時に起床。当然頭まで起きてない、ふらつく頭でトイレや洗顔を済ませ、早速朝ごはん。これも当然入らない、でも今日の貴重な燃料になると思うとそんなこと言っておられず、無理やり口に突っ込んでいく。テレビをつけるとちょうどフジで24時間TVがやっていて、あとで問題になった鶴瓶の丸出し映像をリアルで見てしまった。周りは引いていたが自分だけ大笑い。やっぱりやってくれるなあ、鶴瓶えらい!なんて思っちゃう自分は不謹慎ですかね? 3時にスタートまでの送迎バスが到着。バスは参加者でいっぱいだったが、みんな眠いのかだれもしゃべる人はいなく静かにバスは運行していく。自分は遊佐さんのMDを聴きながらリラックス。いつの間にか寝ていたようで、気づいたらもう到着寸前、あたりもかなり明るくなっていた。ただ雨がしとしと降っていて、しばらくは降り続く様子。 4時ちょうどにスタート地区に到着。しばらくしてトイレに向かうがこれが少なく、かなりの待ち行列が並ぶ、「参加者はスタート15分前までにスタート地区に集まってください」なんて放送が入っているが、とても間に合いそうもない。でもここで済ませておかないと先はあまりに長いし、途中ですんなりトイレに入れるとも限らない。何とか済ませて、荷物を預けてようやく準備完了したときはすでにスタート1分前。ここに至ってもスタートに並んでいない人は多い、そんなもんかと思いながらスタートを待つ。 午前5時、いよいよスタート。参加者は2100人ぐらいだから渋滞することはない。結構後ろのほうにいたが、1分後にはスタートラインを通過できた。そこで後ろからポンポンと肩をたたかれる。振り返ると女性が「走り屋?」と声をかけてくれた(自分はロングのTシャツの上に走り屋のランシャツを着ていた)。どうやら走り屋メンバー(tomojiさん)とお知り合いのようで、2言3言話をして、彼女は先に走っていった。 最初の5km、32:53で通過、まずまずのペース。いつかはひざが痛み出すからそれまでいかに距離をかせげるか、それにかかっていると思っていた。竜宮台の折り返しでゴンさん、タイガさんが並走しているのを確認。順調そのものといった感じ。将ちゃんは見えなかった(自分より後ろを走っていたみたい)。25kmぐらいまでほぼイーブンペースで走ってこれた。25kmの通過時間は2:37:22である。 25kmを過ぎて、だんだん体が重くなってきた。「まだ4分の1なのに・・・」ひざは多少痛むものの小康状態といった感じで走りに影響のない範囲に収まっていた。それよりも体全体が重く、太ももの筋肉が痛い。先は長いので、多少のタイムロスは目をつむり、時折歩きを交えながらゆっくりと進む方針で行くことにした。ここからは5kmごとのスピリットは35〜40分で推移していく。エイドではバナナ、梅干といった燃料補給は欠かさず。あとストレッチも行って筋肉が固まらないように心がけた。それでもボディーブローのように疲労が蓄積していくのがわかった。 話はとんで、54km地点のレストステーション。ここまで6時間10分ぐらい、もはや疲労はピークをとっくに過ぎていたが、ここまでたどり着けたことが精神的に元気を与えてくれていた。着替えをして、栄養補給も忘れず、いざ再スタート。しかし直後のだらだら坂に全く対応できず、ほとんど歩き通し。50kmからは1kmおきに距離掲示がされるが、その間隔のあまりの長さに疲労も倍増である。やっと下りに入ってもスピードを上げようとしたら足が攣りそうになってしまうので、結局スピードが上がらない。そんなこんなでキムネアップの岬を過ぎて63kmを通過。ここのエイドステーションで一休みして走ろうとしたときに、とうとう体が言うことを利かなくなってしまったのに気づいた。太ももの筋肉痛がひどくて足が上がらない、歩くことはできるが、走れない。走れない。どうしても走ることができなかった。気力だけではどうしようもない、体の限界を感じてしまった。同時にここでレース完走への意欲も無くなってしまった。70kmの制限時間(8時間45分)を69km地点で経過したのを確認、レースも後1kmとなった。そこにちょうどエイドがあって、「どうされますか(ここで止めるって意味)?」と係員の人が聞いてきた。「とりあえず70kmまでは行きます」と一言言ってエイドを後にして、そのまま1km歩いて70kmに到着。RCチップに記録を埋め込んだところで競技終了となった。 (レース当日の状況A+翌日に続く) |