慶応4年1月6日 八幡橋本・楠葉
八幡橋本は丘陵と淀川の間の隘路で、守りやすい所でした。しかも、橋本を射程におさめる楠葉と対岸山崎にはカノン砲4門常備の 幕府砲台がある要害でした。新選組は、橋本宿と八幡山に布陣し、ここでも最前線です。 6日朝から戦闘が始まりました。しかし、昼頃、突如山崎の高浜砲台の砲撃が旧幕軍に向けられます。津藩の裏切りでした。 全軍敗走の中で、新選組は、退却戦のしんがりをつとめています。