慶応4年1月5日 淀城
軍事的敗北に加えた政治的敗北は、戦場の兵士に過酷でした。 敗退した旧幕兵の前で淀城の城門が無情にも閉じられました。寝返りでした。 淀藩主稲葉正邦は老中でしたから江戸在勤中で、家臣の決断でした。 新選組にとってもまさかの動きでしたでしょう。やむなく、八幡橋本に退き追撃に備えることになります。