池田屋事件考察1 古高俊太郎という存在

                    
≪新選組の情報活動と土方歳三≫

 祇園祭りをひかえ、あわただしい京の町の深部で、幕府治安機関と攘夷派の対峙はしだいに緊張の度合いを高めつつありました。
 流れる風聞。攘夷派の活動を裏書する幕府と攘夷浪士の衝突と捕縛。
 このような局面で、古高俊太郎の捕縛が起こります。

              桝屋
                 桝屋喜右衛門(古高俊太郎)宅
2005年
         

  
≪1≫ 局面の劇的転換
        

 
 桝屋喜右衛門(古高俊太郎)宅で新選組が発見したのは武器などの貯蔵でした。

 @ 武器の収蔵管理をまかされていたという事実は、この日捕縛した浪士の相対的重要性を示すものでした。

 A 攘夷派の活動を裏付ける拠点の存在が確認されたと判断して良い状況でしょう。

 B 攘夷派の活動が武器貯蔵、残されていた書状などから裏書されたようです。

 などにより、新選組は、これまでとは質的に異なる状況把握を迫られることになりました。
  
 さらにこの日、封印された武器が何者かによって奪還されました。これは、事態が新しい段階に入ったことを告げるものでした。つまり、現実に奪取した武器をもって組織的行動を準備する勢力が至近に存在するという事態です。


 会津藩などへの緊急の連絡と出動の要請は当然の行動ということになるでしょう。

 @ 奪取された武器の捜索

 A 武器を保持して何らかの目的に使用しようとしている勢力の捜索


 古高の自白を待つまでもなく、これは緊急事態であり、捜索活動が急務でした。局面の劇的ともいえる転換でした。幕府治安機関と攘夷派の対峙は新しい段階にいっきに踏み込んだといえるようです。
 


   
≪2≫ 古高問題の土方問題への転化
     

 古高俊太郎は捕縛された浪士の中で相対的に重要な存在でした。要するに大物なのです。したがって、尋問の結果は政治的社会的にも大きな影響をもつ可能性があります。
 しかし、先に述べましたように、封印された武器が何者かによって奪還されたことにより、武器を保持し、目的をもって決起を準備する勢力の至近の存在が確認されました。

 古高自白を待つまでもなく幕府側にとって緊急の探索が必要でした。古高自白が急務であるとしたら、そのような集団の所在、そしてその動向でしたでしょう。探索に必要なことだからです。しかし、この点で古高自白が役にたっていないであろうことは、その後の新選組の行動で推察できます。つまり、捜索活動の結節点は池田屋になりましたが、それはしらみつぶしに行われた緊急捜索活動の結果といえるものでした。



     1 クローズアップされる拷問

  周知のように、古高俊太郎の捕縛と池田屋事件でクローズアップされることになるのは、自白内容そのものより、土方歳三が行ったとされる凄惨な拷問のようすです。極めてリアルに伝わっています。これは異例のケースのように私には思われます。尋問は、結果がポイントなので、普通どのような拷問を行ったかなどということは隠しておくか、あるいはふれたくない問題でしょう。後日、悪役新選組キャンペーンに材料を提供することになることからもこのことが微妙な問題を内包していることがわかります。

  また、早朝の捕縛、昼頃からはやくも新選組の緊急出動態勢がスタートし、その日の晩には池田屋の御用改めによる争闘の生起です。極めて速い展開というべきでしょう。池田屋での争闘が生起した時点で古高の存在はその性格を変えたと考えても良いでしょう。つまり、事態が尋問より速く進んでしまったといえるかもしれないからです。凄惨な拷問の結果の自白が真実だとしても、攘夷派の会合場所を特定することはできなかったわけで、このことから古高は池田屋での会合を知らなかった、などという判断がなされているようですが、古高が知らなかったというよりも知っていた可能性のほうが高い、とある根拠から私は考えています。
 
 このように考えてきますと、拷問がことさらにクローズアップされる理由があるのではないか、というように考えてみたくなります。

    


    2 古高問題の土方問題への転化
      

 古高問題は、池田屋事件における政治的衝突面として、ふたつの意味で土方問題に転化していくと考えることができるでしょう。
 
 
@ 古高問題は池田屋事件を正当化する幕府側の反攘夷派キャンペーンとして展開

  とくに京都焼き討ちを防いだのが池田屋事件というところでしょう。
  この政治的目的のために、あえて、そして意図的に拷問のようすをリーク。なぜならば、なかなか屈しなかった大物浪士古高が、ついに自白したという迫真性で自白の真実を感性にうったえる役割を与えられたのでしょう。つまり、攘夷派弾圧の大義名分の確保です。

 
A 時勢の反転後、目的のためには手段を選ばない殺し屋集団新選組のイメージ宣伝の材料として凄まじい拷問のようすが一人歩きしだした。

  大坂西町奉行所与力暗殺事件と共通する性格が見え隠れします。
    
  このようにして、古高俊太郎問題は、土方歳三問題に転化していくことになります。
 


    
3 古高自白とは何     

 古高問題、実は土方問題である、という見方をすると、先にも述べましたが、何を自白したかということも大事ですが、古高の自白そのものが重要になります。
 つまり、古高という大物が「京都焼き討ち」という目的を隠しとおしてきたが、ついにたえきれずに自白したということになれば、すでに捕縛された浪士の供述よりも宣伝効果が高くなります。ましてや、武器貯蔵、そして商人として京都町中に存在という異色性もありましたから、政治的効果は少なくないと考えられたでしょう。
 古高が供述したとされる内容が他の浪士の供述とそれほど違いがなく、当面の探索に必要な情報も得られなかったことを考慮すると、古高自白そのものの発表が土方による凄惨な拷問の問題と同様適当に行われた可能性すら考えられるでしょう。

 池田屋事件において土方歳三は、古高自白問題を軸にして、もう少し洗練された政治的性格を帯びた情報宣伝戦を進めていたと考えてみました。
 
このようなレベルにおける闘争が池田屋事件の舞台裏に存在するために、むしろ、悪役新選組と志士の受難という単純なパターンに事件が封印された、というような推測も可能であるかもしれません。
       
                                           2005年5月12日

        
                     

  

 ちょっと休憩

土方歳三の実像と虚像
古高問題と土方歳三の凄惨な拷問。一人歩きしてきたのではないでしょうか。
悪役新選組と志士の受難というパターンの中で、土方歳三の虚像がクローズアップされている一例と
私には思われます。