幕末維新大坂散歩 第2部  大塩が往く  経済という視界

               
                                               
                大坂からは各地の惨状がリアルに見えたでしょう。
                 経済は優れた視界です。  
                 大塩たちの身を捨てた異議申し立ては封建社会を大きく揺さぶりました。
                激動の幕末が始まります。
                

                                                                   

      1 大塩の乱ゆかりの地を訪ねて
         

         @ 天保8年2月19日早朝、困窮する人々の救済、幕政の刷新を求めて武装蜂起。
           洗心洞は大塩の学塾名で役宅。蜂起の地でもある。
                 
                
          
       

          洗心洞跡 北区天満1 造幣局宿舎北1号館あたり

          えんじゅ跡 北区天満1造幣局北門 砲撃を受けたという古木のあった所

             
 川崎東照宮跡 北区天満1滝川小学校 乱で焼失し、その後再建。
           ※ 鳥羽伏見戦争に際して、旧幕府軍の大坂退却後大坂に入った長州軍が本営をおきました。

         A 難波橋 蜂起勢はこの橋をわたって船場方面に進撃。

             
       
          ←は進撃方向

         ここから市中に進み、西町奉行所近く(現中央区淡路町1あたり)まで南下したところで、幕府軍と交戦になり敗退。わずか半日の戦いでした・・・・
           
鎮圧軍は、東西町奉行が砲撃の音でそろって落馬するなど醜態をみせましたが、鎮圧に成功。
            ※ 現在 中之島の突端は天神橋にありますが、この当時は難波橋でした。図で確認できます。
                             

      
 2 草莽のエネルギーの組織化 


         大塩勢において軍事面で指導的役割を果たしたのは武士でしたが、農民などそれ以外の階層も多数参加。
         そのための檄文配布でもあったでしょう。

         幕末維新の軍事的特色のひとつに草莽のエネルギーの台頭があります。
         軍事面においては草莽のエネルギーに依拠した流れが拡大していきます。新選組もそのひとつですが、幕府のフランス式
        訓練を受けた伝習歩兵、砲兵隊などの構成員の中心は武士以外の階層出身者であり、長州藩の軍事的優勢の象徴ともなる
        奇兵隊も同様でした。
         武士たらんとした新選組も在野のエネルギー台頭の一例になるでしょう。
         幕末動乱の時代は、このような時代でもありました。

         長州奇兵隊はさまざまな階層の人々で構成された軍隊でした。長州藩士高杉晋作の呼びかけ「その出身を論ぜず、老幼を
        問わず、一片殉国の志ありと思わん者は来り投ぜよ」に呼応して多くの人々が加わります。以来、長州奇兵隊は、長州軍の中
        心として倒幕軍最強の歴戦部隊に発展していくことになります。
           鳥羽伏見の戦い(部分)奮戦する長州軍    
         
         大塩平八郎もまた、大坂市中で騒動が起こった場合かけつけてほしい、軍役にも使いたいという趣旨を含む檄文を配布して
        います。しかし、軍役を果たすためには一定の訓練が必要で、大塩勢にはそれが欠けていました。寄せ集めのままでしたから
        幕府軍の反撃が始まると簡単に四散する事態を迎えます。しかし、草莽のエネルギーに依拠したいという大塩の思いは、やが
         て一世を風靡することになる草莽のエネルギーの軍事的組織化のさきがけという要素を含んでいます。
                 
                    

     
乱の参加者に対して幕府は苛酷な弾圧を行い、とらわれた中心メンバーの大半が獄中死という惨烈きわまりない状況でした。
         しかし、先にも記しましたが、大塩の決起は大坂という物流中心地での出来事だけに全国に広くつたわり、大きな影響を残す
         ことになりました。 

         
          草莽のエネルギーの組織
           大坂でも文久の時代になると、治安対策などで在野のエネルギーに依拠せざるをえなくなります。
           そして、新選組を含めて、さまざまな草莽のエネルギーが活躍する時代が到来し、やがて新しい社会を生み出します。
           大塩の決起をそうした時代のさきがけというように考えてみました。
           なお、この視点をさらに掘り下げて、守口・門真における草莽のエネルギーの台頭を描写する予定をしています。    
          
            
                        
          

           交通と観察のポイント
          
          ●洗心洞跡・えんじゅ跡など 大阪市北区天満1 造幣局内及び周辺地域
            与力の屋敷町跡が明治以来日本の貨幣づくりの地になりました。貨幣の博物館もあわせて見学されると良いでしょう。
            交通 京阪線天満橋駅歩10分(天満橋をわたって川沿いに造幣局まで散策できます)  
          
          ●難波橋
            大阪市立東洋陶磁美術館など中之島公園散策を楽しめます。     
            交通 京阪線、地下鉄線北浜駅すぐ

          ●大阪市立すまいのミュージアム 北区天神橋6
            天保の時代の建物、町並みが復元されています。大塩の時代をイメージするのに役立つかもしれません。  
            交通 大阪市営地下鉄線 天神橋6丁目駅すぐ 
   
          ※関連史跡  @大塩平八郎墓所 北区末広町1 成正寺   
                   A東西奉行所(新選組関連のページ掲載)