@  戦記マンガにおける少女マンガという舞台

 

  戦前の代表的戦争関連マンガ「のらくろ」をはじめとして、戦争関連マンガは少年マンガを土壌に生まれている。

 戦争ごっこ、戦争マンガが描かれたメンコや日光写真の種紙、すべては少年たちの世界である。ところが、昭和にお

ける現実の戦争は、少年に象徴される男性の独占舞台でなく、すべての人々を巻き込んで展開する過酷な舞台である

ことを鮮やかに示すことになった。現実がマンガを追い抜いたといえるだろう。とりわけ、満州、広島・長崎、沖縄、マリアナ、そして特攻作戦の現実は悲劇的であった。

 しかし、戦後到来した戦記ものブームは、戦場体験談に傾斜し、主役は男性で舞台は局地的戦場であった。ブーム

のマンガへの波及は、貸本マンガから始まるのだが、戦場をロマン豊かに描く様相すら呈することになった。現実の

戦争の局部的描写という手法でロマンを維持することができたといえよう。しかし、無理があるために、描かれた戦

場は、空の戦い、そして主役は戦闘機パイロットというパターンが圧倒的に多く、テーマの偏在は現在まで続く戦記

マンガの流れになっている。

 戦記マンガの世界を拡大、つまり、現実の戦争をマンガに反映させるという役割をになうことになったのは、「貸本

少女マンガ」であった。悲劇的戦場のひとつである広島長崎で被爆した少女の薄幸の人生を描くことで、空間的時間

的に広がる戦争を描写することで、鮮やかにその役割を果たしている。

 とりわけ、終戦だからといって、都合よく戦争にピリオドが打たれるわけではない、という問題のクローズアップ

の意味は大きい。被爆した少女にとって生涯続くことになる戦争である。

 戦記マンガの世界をより広く、より深くするうえで、つまり、戦争の現実をマンガという表現領域にできるだけ反

映させるという意味で、少女マンガという舞台は欠くべからざる役割を果たしたといえる。

 広島長崎に続いて、沖縄、満州、特攻が少女マンガを舞台に比較的よく描かれ、定番といえる状況も生まれている

のだが、現実のより良い投影という意味で、少女マンガという舞台は欠くべからざる存在といえるだろう。

                                           (2002・5・26)

  

 A  戦争に役立たないマンガの行方

             

戦時下のマンガは、「戦争に役立つ」という役割を目イッパイ背負い込んだものでした。たとえば、鬼畜米英と

いうスローガンを背景にすると、チャーチル(英国首相)やルーズベルト(米国大統領)に角や、尾をつけて描くこ

とになりました。アメリカでも事情は同じで、日本軍の兵士は銃を持った猿として描かれるなどしていました。戦

時プロパガンダは、多かれ少なかれ、描写の類型化によって相手をおとしめる役割をになうことになりました。
         
週刊朝日昭和17年  戦時マンガ

 ところで、同じ戦時下で、「戦争に役立たないマンガ」の行方はどうなったでしょうか。

日本の場合、戦争に役立たないマンガは、出版など社会的発表の道が閉ざされるだけでなく、「この非常時にマン

ガなど描きやがって・・」というように私的なレベルまで実質的に規制されるものでした。 手塚治虫氏の一連の

作品(「紙の砦」や「ゴッドファーザーのむすこ」等)には、戦争に役立たないマンガが置かれた戦時下の息のつま

るようすが描かれています。戦時下のマンガをとらえる最も大事な視点は、戦争に役立たないマンガの行方といえ

るのではないでしょうか。

 このような時代が長く続いたわけで、戦争に役立たないマンガ、創作の意欲・エネルギーは、長い雌伏の時代を

経験することになりました。

 敗戦は、戦争に役立つマンガという次元だけでなく、「○○に役立つ」という既存の価値観を崩壊させることで、

表現に対する規制を全面的に崩壊させることになりました。俗悪のレッテルを貼られて、雌伏を余儀なくされて

きたエネルギーが、走り出すのはごく自然な成り行きといえるでしょう。

 描写したいものを描写する、表現したいものを表現するということが、マンガの可能性を広げ、深める土台であ

ることを、敗戦後のマンガ史がリアルに語っています。

 「赤本マンガ」から「新宝島」が生まれ、「貸本マンガ」がストーリーマンガを女性の表現領域として育てるう

えで欠くべからざる役割を果たしたというようなことは、不自然なことではなく、むしろ自然な流れといえるもの

でした。

戦時プロパガンダ時代の功績は、過酷・長期な規制によりマンガの可能性をむしろ蓄積させ、敗戦後の質的飛躍

の舞台をつくりだしたことになるかもしれません。(2002・3・3)