幻の「新宝島


 焼け跡の大阪。昭和22年。酒井七馬、手塚治虫、赤本出版を舞台としたふたりの漫画家の出会い。ここから、戦後ストーリー漫画の誕生として、「すべてがここから始まる」というほどに高く評価される作品が生まれる。「新宝島」の出版である。「すべてがここから始まる」という「新宝島」に対する評価は、大阪のある有名漫画古書店で目にしたものだが、「すべて・・・」という評価は明らかに言い過ぎだが、日本漫画史の中で、「新宝島」の出版が画期的な役割を果たしたことは事実だろう。しかし、注意しなければならないのは、「新宝島」の成功の理由を作品それ自体のみに帰することである。「新宝島」は、明らかに時を得た出版であった。「すべてが・・・」という思いが過ぎた評価は、昭和22年という時代に対しても、同時に、与えなければならないだろう。新しいものの胎動にこれほど寛容であった時代は少ないからである。
 戦前の赤本漫画の研究を進める宮本大人氏は、「マンガ史は、今まであまりに戦前、戦中の子どもマンガ、とくに赤本マンガに目を向けずにきた〔誕生手塚治虫 朝日ソノラマ 霜月たかなか編 宮本大人「マンガと乗り物」1998〕」とし、戦前戦中の出版統制によって消されたマンガ史の存在、氏の言葉では「忘れられた遺産」を明らかにすることで、「もっと豊かなマンガ史」を描くことができると指摘する。つまり、宮本氏は、「忘れられた遺産を無視することで「新宝島」の孤独な栄光を際立たせることを、われわれは望まない。」とし、「新宝島」のより確かな歴史的評価の必要を指摘する。同感である。
 さて、歴史的な役割を果たした昭和22年版「新宝島」を読むことは現在大変難しい。現物はもちろん復刻版として大阪で出版されたものがあるが、これの入手も容易でない。話題になる割には、現物を確かめることが難しいという皮肉は、どこから生じたものだろうか。ご承知のことと思うが、手塚治虫全集〔講談社〕の「新宝島」は、昭和22年版「新宝島」そのものではない。
 昭和22年版「新宝島」は、手塚治虫、酒井七馬ふたりの手を経た合作であり、当時の読者に大きな感動を与えることで歴史的存在となった「新宝島」である。歴史には「やり直し」がない。
しかし、手塚治虫全集は、酒井七馬の存在が消えた形の「新宝島」を世に送りだすことで、「歴史のやり直し」を試みることになったのではないか。このいきさつは、全集版「新宝島」のあとがきでふれられている。手塚治虫氏は、「新宝島」を全集に入れることに否定的だったという事実も明記されている。結果的に、私たちは、歴史的存在となった「新宝島」そのものを楽しむことが難しい、という状況におかれることになった。昭和22年版「新宝島」は幻の存在となったわけである。この現象の、おそらく関連する現象と私には思われるのだが、合作者「酒井七馬」に対する低い評価がつきまとう。 


                     時代的背景としての近現代史資料
 1945年の敗戦後、戦時下で埋もれていたさまざまなエネルギーが噴出した。週刊誌の表紙が「華やかな女性一色」となるのは凄まじく速いが、週刊誌の表紙に限らず、時代と社会そのものが急激に変化した。急激な変化の局面は、新しいものの胎動と誕生の局面でもあった。
 出版における変化に大阪を中心にした赤本漫画の隆盛を加えることができるだろう。赤本漫画は亡国の危機をからくも脱した人々の生きる喜びを投影して、自由なエネルギーを解き放った。これがこの当時の漫画の人間的、文化的骨格たりえた。「新宝島」誕生の社会的背景である。かくして自由な漫画表現が戦後漫画発展の橋頭堡を築いていくことになる。俗悪の批判の復活は、しばらく後のことである。この当時、マンガは有害で俗悪であり、亡国につながるなどのことを言っても全く迫力を欠いたであろう。
 しかし、やがて批判の足音が高くなり、赤本出版を手がけていた人々の多くは第二次赤本と称される「貸本」漫画出版に移行し、批判をかわすことになる。「貸本の時代」は貸本屋が存在するだけでなく、貸本専門の出版社が存在した時代でもあるのだが、赤本漫画出版からの移行というように考えるとわかりやすいであろう。貸本漫画と漫画出版が深く結びついていた時代である。
 貸本と出版の結びつきは江戸時代(貸本屋に扮した密偵が漫画「るろうに剣心」に登場している)からあり、長い歴史を持つシステムでもある。経済的合理性があるのは否めないであろう。時代的背景はこの部分に最も深く関係するのではないか。読みたいが本を買えない人々に本を読んでもらえるという需要の拡大は経済的合理性のひとつであるとともに、出版の状況、生活水準などがかかわる問題でもある。これらの問題は、時代背景を物語る各種資料で描写することになるだろう。貸本と出版の連合体という古い出版システムが最後にしたことが、女性漫画家の育成という戦後社会形成に深くかかわる仕事である。
 さて、「幻の新宝島」において、赤本漫画「新宝島」の運命とひとりの漫画家の処遇にふれた。赤本「新宝島」が幻になる過程は、貸本の時代を経て、社会が経済的繁栄を謳歌し、漫画も急激に拡大展開する流れに重なる。「もはや戦後ではない」ということばがはやったことがある。戦後的な生活・貧困の終焉と重なりながら、赤本「新宝島」の影もしだいに風化するかのように希薄になっていくということなのである。「貸本の時代」の終焉も似たようなもので風化である。
 新しい常設展示「貸本の時代」のテーマは時代と社会ということになるだろう。(2003年5月15日)