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この石製品は正面ヶ原A遺跡から出土した「第二の道具」
と呼ばれるものです。石棒、石冠、岩板など使用方法が解明されない不思議な道具たちは、縄文人の
精神的なよりどころとなるものだったと思われます。
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新潟県では旧石器時代の遺跡が36箇所ほどいられていますが
その内の25箇所が津南、中里地区に集中しています。その中でも津南町は県内でも珍しい2万8千年前の
石器がまとまって発見された所です。この他にも神山遺跡の資料など石器好きには見逃せない資料が
たくさんあります。
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縄文人はとてもオシャレだったようです。
耳たぶに穴をあけて、始めは小さな耳飾からだんだんと大きな耳飾が入るように耳たぶの
あなを広げました。大きなものは直径5cmくらいあります。またこの地にもヒスイなど
多くの交易品が多数見つかっています。
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壊された土偶は一つ一つが芸術品のようだ、
体に刻まれた文様を見るとアイヌの民族衣装を思い出す、津南町と北海道、そしてシベリヤとの
つながりも興味深い。
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30cm位もある大きな中空土偶です。
初めて見たときは痛く感動しました、絵の素材に悩んでいた時に、初めてこの土偶を見て縄文の虜に
なりました。腹部が割れているところから、安産や出産の儀式に用いられたのか?
それとも産声をあげずになくなった胎児を埋葬するための棺だったのか?(上野遺跡)
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右の深鉢は1万前の隆起線文土器、中央が8千年前の絡条体圧痕文土器、
左が有尾式土器いずれも干溝遺跡から出土した。この津南、中里地域では世界でも最も古い土器が出土している、
歴史を塗り替える大発見が近いうちにあるかもしれない。
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同じく干溝遺跡から出土した弥生式土器、津南でも弥生時代
の遺跡は数が少ない、したがって土器も少ない。なぜなんだろう?大きな異変でも起きたのだろうか?
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中里村総合センターではホールと1階大広間で土器が展示
されている。また他にも多くの貴重な資料が貸し出され、各地で展示されてるという。いずれ合同で展示
されることを望む声も多い。