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ツァイスを愛した写真家たち
もし世界的に有名な写真家を2人あげよ、と言われたらアンセル・アダムスとロバート・キャパを挙げる人は多いだろう。
それは世界でもっとも美しい場所を描いた写真家と世界でもっとも残酷な瞬間を写し取った写真家である。
そして彼らに共通するカメラは - コンタックスであった。
アダムスは1902年にサンフランシスコに生まれ、アメリカの西部一帯の大地と人を愛した。
かれは音楽家を志したこともあり、その「ネガは楽譜でプリントは演奏である」ということばは広く知られている。
大型カメラで撮ったファインプリント*1で知られるアンセル・アダムスとコンタックスは一見縁遠そうにみえる。しかし彼の作品展に行ったことのある人はポートレイトの一部が35ミリカメラで撮られているのに気づくだろう。それはコンタックスRFで撮られたものだ。
一方ツァイスとアダムスは容易に結びつけることが出来る。それは彼がハッセルブラッドを好んだということがよく知られているからである。
しかし、ハッセルは写真史の上では比較的新しい戦後のカメラであり戦前から続いていた彼の活動においてハッセルが活躍した時期というのはさほど長くはないのである。それでも後年の彼はツァイスの描写を好み代表作のいくつかをハッセルで撮っている。
たとえば昨年(1999)日本各地で開催されたアンセルアダムス展の宣材写真としてポスターを飾った作品、「月とハーフドーム(1960)」を知っている人は多いだろう。これはアダムスの代表作の一つといえるがハッセルブラッドとゾナー250ミリで撮られたものである。
「 - 当時私はハッセルブラッドを自由に使いこなせるようになっていた。このころから私の最高の作品の数多くをこの優れたカメラで撮っている
(作例集より)」
そして彼はディスタゴン50で、プラナー80で、大地と人を撮った。
大型カメラの使用が多かった彼をハッセルに惹きつけたものの一つにツァイスレンズの魅力があったことは想像に難くない。そのさきがけとなったのが戦前のコンタックスでのツァイスの使用体験であったのかもしれない。それはツアイス社のアメリカ代表がアダムスに譲ったものだそうだ。当時アダムスは有望な若手の写真家だったのである。
アダムスはライカよりコンタックスの操作性を好み、技術者でなく写真家のために良く練られた操作系だと書いている。コンタックスに関してはIからIIIまですべて使用したそうである。
アダムスは写真表現の可能性について非常に意欲的に取り組んでいて、デジタルの可能性についても期待していると書き残している。
そんな彼が当時手にした新しい可能性の一つが発達途上の35ミリカメラ
- コンタックスだったのだろう。

アダムスが美しいアメリカ西部の自然を撮っていた時期、ロバート・キャパはコンタックスを手に戦場を駆けていた
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- 以下次回
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*1
ファインプリントとは普通印画紙の再現範囲をいっぱいに使いシャドーからハイライトまで再現したプリントのことをいう。
その達成のための技術的な手法(というか考え方)の一つがゾーンシステム。
参考文献と推奨図書
アンセルアダムスの作例集
岩崎美術社
アンセルアダムスの写真術3部作の別冊
アダムス自身が作品について語っている
クラシックイメージ
岩崎美術社
アダムス代表作の写真集
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