ゾナー5糎 f:1.5
あゝゾナア、輝ける太陽を其の名に戴く魅惑のレンヅは昭和の始めにツアイスの天才ベルテレ博士により發明された。其の名は遙か獨逸ゾントホウフエン市に由來を持つともいふ。
今日におひてライカ判は、數次に渡るバアド少將の南極探檢やピカール博士の成層圈研究に貢獻した如く萬能カメラとして其の位置を確固たるものとしてゐるのであります。
然し、如何なる萬能カメラと言へども夜の闇を征服する事はツアイスの偉大なる科學力を結集したこのゾナーなしには出來ないのです。
現在からすると驚くべきことにこの當時はASA25(DIN10-15)程度が超迅速度級フイルムであつたのです。
其の明るさは闇を照らし新たなる冩眞の可能性を開いたやうに思はれます。
有名なライカ・コンタツクス論爭を招いたK・K・Kなる人物(月刊ライカ等のアルス出版で記事を書いてゐた佐和九朗氏と言はれる)が其のアサヒカメラの比較記事に併載した道頓堀の夜の情景冩眞は此のゾナーf1.5、1/10秒にて撮影されてあり其の大口徑の明るさの威力を誇示してゐる。
此の度、筆者は東京の某氏の快諾助力により帝都線青山驛近傍におひて此の高名なる焦點距離5サンチf1.5ゾナーの二つの型を試すことが出來た。
かういふ機會を得た事は熱烈なるツアイスの愛好者としては望外の喜びと言へやう。
クロオムコンタツクスの圓を削つたクロムの堅牢なるボデーは以前の黒ラツクのボデーに負けず、F・L・ラヰト氏の帝國ホテルのやうな新時代のモダーンな輝きを祕めて見へる。
然し乍ら強力なる電氣の助けを失ひ全てマニヤルにて行なふ操作は大變なものといふことを再認識させ、筆者を少なからず當惑させたのであります。
若し筆者に智識あらば、後ろ蓋が開くといふ形式や鏡玉との精密なる聯繋裝置あるひは其の迅速交換裝置を學術的に詳述すれば相當大部の本が出來るであらふし、興味深い事であります。然し紙面の關係もあり、こゝでは單に其の冩眞を掲載するに留めておきませう。
記事に戰前型とあるのはツアイス分斷前の生産、戰後型とあるのはツアイス分斷後の西側生産によるものであります。戰後型はTコート(單層の反射防止加工)されてゐます。フイルムは天然色と白黒の其れぞれに最新最高のプロビヤF(RDPIII)とネオパンアクロス(ACR)を使用してゐます。
其の冩りを見るに筆者は改めて驚歎の念を禁じへないのであります。
特に戰後型に於ては現在のレンヅに決して劣るものではなく、戰前型に於いても其の高次の收差補正は驚くに値するものと言へませう。また戰前型は發色にやや濁りが見られますが、戰後型は可也發色も良いです。
逆に言へば現在の進歩したフイルム技術の故にようやく現在に至つて其の性能を全て引き出すことが出來たものと言へるかもしれません。
發賣當時としては當に劃期的な性能であり、其の開放での柔らかな冩りやしつとりとした質感表現は現在のレンヅでは失なはれたものであり逆に新しさゝえ感じます。
其の發見をこゝに讀者諸氏に報告する次第であります。
二千一年八月 記
追記:推奬背景音樂
新世紀への運河/ゲルニカ(戸川純、上野耕路)
民族の祭典/巻上公一
|