〜 面影の巻 〜

 「だって..宵風さまはあの子に似ているんですもの..。」
イツ花は台所で一人になると、ため息をついた。

 イツ花の脳裏にあるのは岩黒王の面影だ。
大きなごつい体、ぎょろりと剥いた目玉、きわめつけは額からにょっきりと生えた2本の角。
気の弱い者なら逃げ出したくなるような恐ろしい風貌だが、イツ花にはそれがいとおしかった。
大きな体をして、割れ鐘のような大きな地声で、自分の背丈の半分もない小柄なイツ花にあれこれとわがままを言っては甘えていた、イツ花の「坊っちゃま」。

 岩黒王の最期を看取ったのはイツ花一人だった。もうそれも、昔仕えていた家での事、遠い思い出だ。
あれからあの家で、何人もの子を持つ親となったが、あんなに愛しいと思った息子は他にいなかった。

 宵風は、体が大きいという以外、特にどこが岩黒王と似ているわけでもない。職業も違う。
確かに宵風も口は悪いが、性格は全然違う。岩黒王よりずっと大人で、世の中を斜めに見ているような、大胆不敵な笑みをいつも唇の端に浮べている。もちろんイツ花の子ではないし、イツ花に特に心を許した風でもない。
 だが、なぜかイツ花は宵風の顔を見るたび、ドキドキしてしまうのだった。





 「なっ、だからよ、気の流れをこう、ヘソ下にためてよ、一呼吸置いてから発するんだよ、わかるか?」
廊下の向こうから宵風の声がする。
弟分の雷珠と連れだって夢中で話しながら歩いて来る宵風は、イツ花に気付きもしないで通り過ぎる。
左目の下にもみじの形の青いアザがある。ハンサムな顔だ。唇を片側にちょっとつり上げた、皮肉っぽい笑みが、その整った顔を不良っぽく見せている。実際、奔放な戦いぶりを見せる壊し屋の宵風は、紅后家一の「ワル」だった。
 一方、雷珠の方はいたって真面目そうな秀才タイプだ。申し分のない素質に恵まれた彼は、父の後を継いで当主になる事が決まっている。対照的な2人だが、実の兄弟以上に仲が良い。雷珠が実力をつけた時、この2人のコンビネーションは、紅后家の頼もしい主戦力となる事だろう。

 「あぁ、..なんでこう、ドキドキするんだろう...なんで坊っちゃまの事、思い出すんだろう。」





 「あぁ、当主がいねぇとせいせいするなぁ。お前の親父だからあんまり悪く言っちゃなんだけどよ、堅苦しいんだよなぁ。」
戦勝点をより多く雷珠に回すため当主は家に残っている。雷珠と二人きりの遠征で、宵風はのびのびと羽根を伸ばしていた。
「いいか、少人数で戦う時のコツってのをよく教えてやる。」
おっとりしたお坊っちゃんタイプの雷珠だが、筋はいい。宵風は、弟分の実力をこの遠征で出来る限り伸ばしてやるつもりだった。

 「さぁて、メシにしようぜ。」
弁当の包みをガサガサと開け始めた宵風だが、ふと隣りの雷珠の弁当を見ていぶかしげな顔になった。
「あんだぁ??..なんでこんなに違うんだ???俺の方がやたら豪華じゃねぇか。」
「兄さんの方がよく食べるからだよきっと。それに僕はまだ修業中だから、弁当に差がついてても仕方ないんじゃない。」
「なぁに言ってんだ、お前の方が伸び盛りだってのによ、ほら、やるよ、食え食え。」

 宵風は、サッサとおかずを雷珠の方へやって、ご飯をがつがつとかき込み始める。雷珠も、素直に分け前を口に運ぶ。
 もちろん、豪華なおかずに囲まれたご飯の上に、可愛らしいハートが海苔で型どってあったのなど、宵風は気付きもしなかった。





 「いいか、味方の人数が少ない時は、戦う相手をよく選べ。雑魚は全滅させたところでどうせ大した戦勝点になりゃぁしない、首領だけを狙って倒せ。戦闘を長引かせるな。」
宵風の言葉を雷珠は緊張の面持ちでじっと聞いている。

「だが、高い点数を稼げそうな奴が中に混じってたら、そいつは先に倒しておけ。..そらっ、あいつだ。」
宵風は狙いをつけた敵を大槌の一撃で倒し、すかさず雷珠に指示を出す。
「散弾に変えろ!お前の力ならもう全滅出来る!」
雷珠は言われた通りに散弾を構え、引き金を引く。的確な銃さばきだ。
宵風の厳しい、だがよく考え抜かれた戦法に鍛えられ、雷珠はみるみるうちに力をつけていった。

 「お前、強くなったじゃないか。」
宵風は自分の事のように喜んだ。
「さぁてと、単発の強力な銃に持ち変えておけ。..そろそろ、べっぴんの所へ連れってってやる。」
「えっ?」
「人魚ちゃんだよ。..最初の津波をやり過ごす体力があれば、後は怖くない。お前の体力が充分高くなるのを待っていたんだ。でもあのアマ、可愛い顔して手強いからな、気をつけろよ。」
「は、はい。」
にやり、と凄味のある笑顔を見せる宵風に、雷珠は気後れしたようにあいづちを打つばかりだ。
「女を痛めつけるのは趣味じゃねぇんだけどよ、戦って倒すとよ、運がいいと解放出来るらしいんだ。そしたら、あぁいう女をよぉ、交神の相手にしてみたいもんだぜ。」






 「おっ、お帰りなさいませ...」
汗をかきながら下を向いてもじもじとしているイツ花などには目もくれず、遠征から帰った宵風は家に上がるとずかずかと歩き出す。
「あっ、あの、お風呂..」

「おうっ、当主サマよ、あんたの息子は強くなったぜ!」
「あぁ、宵風、無事で何よりだ。雷珠を鍛えてくれたようだな。」
「あたぼうよ、もう何の心配もいらない一人前の戦士だぜ。なっ雷珠。」

 遠征の成功を祝っての宴も一段落した頃、当主は宵風に切り出した。
「宵風、凱旋の夜にさっそくの話でせわしないのだが、お前、少し早いが交神に行ってはもらえまいか。」

 イツ花は酒を運びながら、思わず聞き耳をたてる。
当主が宵風の相手に誰を予定しているのか、相談を受けたイツ花はもちろん知っている。だが、宵風がどんな反応をするだろうか...。

「そうかぁ。そうだな、当主サマ、あんたももうすぐお迎えだもんな。」
失礼千万な物言いに、当主は苦い顔をするが、黙って話を先へ進める。
「それで、お相手だが..」
「俺、本当は敦賀の真名姫を倒してからよぉ、真名姫とやりてぇんだけど、どうせ駄目って言うんだろ?」
(そっ、そんな..。)
イツ花の胸は痛んだ。

いたたまれなくて、イツ花は台所に逃げ込む。
(あぁぁ、聞かなければ良かった。) (宵風さまは、あんな小娘がお好みなんだ..) (昔お仕えした家の、白珠さまがそうだったように、矛先を交え戦ううちに、情がお移りになったんだ。)

「..どうしたの?イツ花。」
はっと振り向くと、雷珠が心配そうに戸口に立ってのぞき込んでいた。
「雷珠さま..。」
「ね、どうしたの?..泣いてるの??」
「いえ、..いいえ、イツ花はおっちょこちょいなんで、熱いおナベを素手で触っちゃったんですよぅ。雷珠さま、心配して下さってありがとうございます、..お酒が足りないからとお父上に言われたのでしょうか?すぐお持ちしますとお伝え下さいね、さぁさ、すぐ参りますよ。」
あわてて、涙をぬぐい言いつくろう。
「うん、持ってきてね。」
にっこりすると、雷珠は戻って行った。
(雷珠さまの素直でお優しいこと。...宵風さまはイツ花が泣いていたってきっと気付きもしない。)
新たな涙が湧いてきそうなのを振り払い、イツ花は酒の用意に専念した。





 「よろしく、お願いします。」
「あぁ、よろしくな。昼子さんよ、紅后家もようやくあんたを指名するくらいには強くなったんだぜ。ま、強い子を頼むぜ。」
(こんな時までワルぶって、宵風さまったら。)
初めて触れる、宵風の肌だ。
(真名姫でなくてゴメンなさいね。)
ちくり、と胸が痛む。
それでも、このひととき、宵風は自分一人のものなのだ。
「宵風さま、いつもお慕いしていました。」
「なぁに言ってんだよ、初めて会ったばかりなのに..。」
宵風は不思議そうな顔をしたが、それ以上何も言わず、黙って昼子を抱き寄せてくれた。

(坊っちゃま、..あぁ、やっぱりどうしてか宵風さまは坊っちゃまに似ている。...あたし、本当は坊っちゃまとこうしたかったのかしら..実の息子のあなたと。..わからない。..わからないわ...)
目を閉じると、とうの昔に失った最愛の息子の面影が、優しく笑ったようだった。    

















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