日本包茎研究所包茎用語集


6 世界包茎事情



6−0 日本包茎史(2001/10/13・改2002/01/06)

 日本人は包茎が多いと言われます。黄色人種は多いといわれているらしく、唐沢俊一氏の「裏モノウェブ情報見聞録」でも以下のように紹介されています。

 黄色人種は、成長してからも亀頭が包皮で覆われたままのことが多い。これは、黄色人種が、白色人種または黒色人種が幼児形態のまま成人した、いわゆるネオテニー(幼児成熟)なのではないか、という生物学上の説の、ひとつの証明になっているということだが、コムズカシイ話は似合わないのでここではしないでおこう。
 黄色人種中でも特に日本人にはこの例が多く、ある統計では3人に2人が、この皮かむり、いわゆる包茎であるという報告がなされている。

 このようにポピュラーな包茎だけにいろいろな形で親しまれて(?)いる。しばらく前秋田書店「教科書にない」という漫画を読んでいたら、主人公が仮性包茎で「仮性人」として悩むくだりが出ていました。前出の「裏モノウェブ情報見聞録」でも、『マーズ・アタック!』公開記念深夜パーティで、「火星人のコスプレをしている方」と「火星人の方」と「仮性包茎の方」の三種が参加費無料とされたそうです。しかし、あまり良い形ではないと思うのは私だけではないのではないでしょうか。

 翻って江戸時代を見てみます。遊郭で遊んだ男性は、性病感染を予防するために包皮口をつかんでふたをし、その中に尿を満たして洗うという方法がとられていたと、落語の本の解説に書いてありました。これはかなり有名な話らしく、前管理人とかつての常連にして強力な協力者でもあったJさんとの私信でも話題になっていたようです。

 これを「ふくろしょんべん」と言い、江戸期の町人の多くが包茎で、それをあたりまえと考えていた証拠であろうと思われます。

 この方法は、現在でも有効です。1998/09/09の匿名さんの投稿です。

包茎包皮内を清潔に保つための簡単な方法
「おしっこうがい」
皮を完全に被せた状態で包皮の先端をつまみ、尿の出所を塞いだ状態で排尿します。
やがて包皮内部が風船のように尿で膨らんできますので、あまり我慢しないで適当なところで手を放し、尿を排出します。 これを一日2〜3回なり行います。
これを行うと包皮内部が尿で流水洗浄されて垢などが驚くほど簡単に洗い流せるので清潔に保てますし、たいへんさっぱりした感じになります。また、軽い包皮の癒着なら数回で解消することもあります。
尿は飲尿療法などの健康法もあるぐらい成分として安全なものですから害はいっさいありませし、なにより小便のついでに手軽に出来るのでお勧めです。
このようにして普段から清潔にしておけば、勃起時に痛みを感じるなどの特別なケースを除いて手術等で包茎を解消する必要は全くないと考えております(たとえ真性包茎と診断されるようなケースでも)。みなさん、悪徳クリニックにぼろ儲けさせるようなことはきっぱり止めにいたしましょう。

 また、昔の包茎の名称については唐沢俊一氏の「裏モノウェブ情報見聞録」でも詳しく紹介されています。

 日本人にいかに包茎が多い皮、失礼、多いかは、その状態を指し示す言葉が非常に豊富であるということが何よりの証拠と言えよう。越前マラというのは、江戸時代、越前福井藩の槍には熊の皮の毛皮がかぶせてあり、“越前の皮かむり槍”として有名であったことから、皮かむりの代名詞となったものであるという。その他、お包み、きつね、きぬかつぎ、虚無僧、こもかぶり、さといも、すっぽん、すぼけ、どてら珍宝、頬かぶり、みのむし、目無し棒、らっきょうなどなどといった語彙にいとまがない。とはいえ、包茎が愛されていた、とはやはり言えないようで、昔もいまも皮かむりは馬鹿にされ、それをコンプレックスとしていた者も多いようである。(後略)

 閑話休題、それではいつ頃から包茎は問題視されるようになってきたのでしょうか。 1999/7/26のあららさんの投稿です。

古い事典[昭和九年]には仮性包茎はのっていませんでした。包茎は真性包茎の事でした。何時から、仮性包茎と言うようになったのでしょうか?。

 1999/7/27のおよよさんの投稿です。

うちの親父が、学生のころ(1970年代)には既にこの商売、確立してたみたいっす。
雑誌で言えば、平凡パンチとか。

 しかし、江戸期から包茎を蔑視する意識があったとする人がいます。 2001/10/11のとーますさんの投稿です。

ただ、美容外科の陰謀については私は疑問を持っております。
火のないところに煙はたたないではありませんが、昔から仮性包茎への引け目という意識があって、それに美容外科が火に油を注いでいるように思います。
というのは、江戸時代には包茎を蔑視する意識があったことがあるからです。
また、私が知りうる限り30年以上前から包茎を悩むという通念があったからです。
例えば雑誌の思春期の悩み相談のようなところに記事があるなどです。
現在ほどは美容外科の宣伝がなかったと思うのですが、それなのに包茎の相談記事があるというのは、 少なからず包茎を気にしている人がいたことを示しているのではないでしょうか。

 2001/10/11のokudaさんの投稿です。

某国立大学と某私立大学の泌尿器科の教授の御二方と私が直接メールでやり取りした内容を要約すると、包茎を問題視するようになったのは、性病とのからみであって、包茎は性病になりやすいと言う俗説が江戸時代初期の本に書かれているそうです。
しかしこれは『立っても剥けない』真性包茎の事を指していると言う事でした。
現在のように仮性包茎に不要な劣等感をもつ傾向が出始めたのは、徴兵検査が始まってからで、徴兵検査の際に身体検査で性病をチェックする目的で、検査医が包皮を剥いて亀頭の状態を調べていたそうで、この検査を特に“M検”と呼ばれていたそうです。この時に真性包茎だと包皮が剥けないので、非常に恥ずかしい思いをする、と言う事があって、この話が広まって、仮性包茎も真性包茎も区別なく“包茎は恥ずかしい”と言う風潮が広まったと言う事ですが、だからと言って戦前に仮性包茎で包茎の手術を受ける人は殆ど居なかったそうです。
戦後になって、泌尿器科と言う診療科目が皮膚科から独立するのが一般的になってから、その当時は男性の9割近くが赤ん坊の時に割礼を受けていたアメリカの影響で、小児の仮性包茎や成人の仮性包茎もも基本的には手術した方が良いと言う考え方が泌尿器科医師の間にも流行し、仮性包茎の手術もあまり珍しいものではなくなって来たました。昭和40年代になって、週刊誌上に美容外科が、『包茎・早漏・短小は女性に嫌われる』式の包茎手術を誘う宣伝を大々的に載せ始めてから、一般の仮性包茎に対する劣等視があたかも常識のようになり、定着してしまったそうです。また仮性包茎は、早漏や短小の原因と言う俗説もこの宣伝広告が発生源と言う事でした。
長くなりましたが、比較的入手しやすい参考書に
 『まちがいだらけの包茎知識』青弓社、飛波玄馬・岩室紳也・山本直英 著
 と言う良本があります。
大学図書館で入手した学術文献には最近のもので、
 中本貴久等 臨床泌尿器科 54巻4号 163-166頁
 包茎、亀頭包皮炎、嵌頓包茎
がお勧めです。他に大学病院の泌尿器科で仮性包茎の手術適応に関して解説している所が20カ所くらいあり、そのうち1/4くらいは、メールの質問にも気軽に応じてくれました。
テキスト保存していて、今となってはURLまではわかりませんが、 ご自分で調べてみてはどうでしょう?
諸外国の事情に関しては、そんな風潮が無いと言う事が解っているだけで、無い事は『あるよ』と言う事の反証としてしか証明出来ないのでは?

6−1 割礼(2000/07/08・独立2001/02/05・改訂2001/10/07)

 包茎手術が医学的(?)見地から行われてきた反面、宗教的なものとして行われてきたものに「割礼」があります。

 割礼はユダヤ教徒・イスラム教徒をはじめ世界各地にある「文化」です。これには、砂漠地帯に生活する民族が陰茎を清潔に保つために編み出した風土的なものであるとの説もあるようです。

  土屋さんの第8話によると、

割礼と言うのは、性器の一部をカットすることで、現代風に言えば、包茎手術のこと。 イスラム教徒にとっては重要な儀式です。この儀式は古代エジプトの壁画にも残っているくらいですから、相当昔から行なわれていたものと思われます。今日でも、ユダヤ社会、イスラム社会、その他世界各地の原住民の一部の間で行なわれています。ユダヤ教では、生後8日目に行なわれますが、イスラム教では生後1週間から12歳くらいまでの間、通常7歳ぐらいで行なわれます。この手術は昔は、刃物を取り扱う床屋や専門の施術師(女児の場合は産婆)が行っていましたが、現在では外科医が担当しているようです。
小生が始めて割礼を知ったのは、サウジアラビアの病院でした。事故に備えて救急病院に指定した現場近くのクリスチャン系の大きな病院へ打ち合わせに行き、その内部を見せてもらった時、生後数ヶ月、やっと座れるようになったばかりの赤ちゃん、7,8人が、可愛らしいオチンチンを出したままベッドにずらり並べられていました。神聖なイスラム教の儀式ですから、もちろん麻酔などはかけずに手術をすると聞かされて、随分残酷な、と眉をひそめたものです。しかし、赤ちゃんたちの親にとっては、イスラム教徒としての洗礼を受ける最大のお祝いとのことで、イスラムは厳しい宗教だなと感じました。
同じイスラム圏のインドネシアでも、イスラム教に入信する男の子は、全てこの手術を受けます。数年前までは部落の長老がこの儀式を仕切り、その一週間前から集団で仮設小屋に住んで宗教的な教えを受けます。当日は、早朝、冷たい水の入ったオケに下半身をしたし、半ば麻痺させた状態で施術師の手術を受ける。終わった後は、部落民全員から盛大な祝福を受けるそうですが、「神の祝福うを受けるのだから泣くのは恥」と言われているので、6,7歳のいたいけな子供たちがみな歯を食いしばり、涙を流しながらも泣き声は決して出さないのだそうです。最近はこの国でも、病院を利用する傾向が強くなっていますが、田舎ではまだ昔ながらの原始的なやり方が行われているそうです。
昔、まだ韓国が発展途上にあった頃の話ですが、カタール製鉄所の工事で、下請けに使った韓国業者の韓国人労務者の間で、「モスレムになればカタールの国籍が取れる」というまことしやかな噂が広がり、十数人の労務者が割礼を受け、毎週金曜日(イスラム教の休みは金曜日)には揃ってモスク参りを繰り返し、一生懸命イスラム教の勉強をしました。カタールは小国ながら、石油や天然ガスのおかげで、当時でも相当生活レベルの高かった国、その国籍が取得できるとあれば、と大いに期待したのでしょうが、どう考えても無理な話、結局彼らは、ただ痛い目にあっただけの空振りに終わったようです。
日本にもモスレムが全くいないわけではありません。昭和10年日本最初のモスクが神戸に、更に昭和13年には渋谷区代々木大山町の東京モスクがオープンしています。東京モスクは昭和61年、老朽の為解体されましたが、その後、日本イスラム協会が、当時アラブで業務を展開していた日本の企業から寄付を集め、再建されています。当時信者は2,000人くらいと聞きましたが、イスラム教の場合、聖典コーランがアラビア語で唱えられ、その教えがほぼ完全に守られているなどの理由から、この宗教は日本人の間ではあまり定着していないようです。それでも、日本人信者が異様なまでに増加した時期があります。アジアに大東亜共栄圏を確立しようと進出していた大戦前夜の軍国時代と、戦後の二度に渡るオイルショックに揺れた時です。こうした時期に、多くの軍関係者やビジネスマンたちが、割礼を受け、イスラム教に改宗して現地へ出かけていったものの、激変と危機の時代が終わると、彼らはたちまち雲散霧消してしまい、現在はどこにいるのかさえわからないそうです。(田沢拓也著「ムスリム・ニッポン」小学館発行参照)
山崎豊子著「沈まぬ太陽」(二)アフリカ編の中でも、この割礼が出てきます。
”助手のオレ・サンカンを車に乗せ、午後の巡回診療に廻っている途中、牛の糞で塗り固められたマサイ族の小屋の屋根に、一軒だけ明かり取りの穴が開けられているのが目についた。その家の娘の割礼が早朝、取り行なわれたことのしるしであった。
 「あそこの娘も、もうそんな年頃になったのか」兵庫が言うと、オレ・サンカンは厳粛な表情で頷いた。
マサイ族の少年が一人前の男となる為には、割礼を受けなければならないことは、以前から知っていた。かって兵庫はオレ・サンカンの息子の割礼に招かれたことがあった。村の長老、青年組みの見守る中で、少年は家の囲いの出入り口に敷かれた牛皮の上に両膝を広げて座り、背後から長老が少年の身体を支えた。メスを持った施術師がしゃがみ込んで、包皮をめくり上げ、メスで切り込みを入れながら伸ばし、亀頭の上の包皮を浅く切ると、そこから亀頭の先が外に出る。出血がひどく、痛みも激しいが、少年は叫び声を上げようものなら、本人はもとより一族の恥になる。
 だが、少女たちにも、そうした儀式があることは、マジモトに来てから知ったのだった。少女の場合は香りのいい香木の小枝を敷いた寝床で、女たちだけで行なわれる。牛糞で塗り固められた家は真っ暗な為、屋根の一部が壊され、そこから入る朝の光の中で、クリトリスの一部が切り取られる。男子の割礼は、性交をスムースに行うと同時に、性病の予防になると信じられており、女子の場合は安産のためと同時に、性交の快楽を失わせるためと信じられている。一日中、家畜の放牧に出ている男たちにとって、妻が他の男と交わり、快楽を得るようなことがあってはならないということであった。
私がアラブで聞いたのも、ほぼこれと同じですが、最近のアラブでは、男子の割礼は病院で行なわれ、女子の割礼はほとんど行なわれていないと言うことでした。

 また、アフリカでのクリトリス除去手術(「女子割礼」または「女性性器切断」)との思想的関連を指摘する意見もあります。

 これに関しては、男性器挿入以外に性的快感を得ることのできるクリトリスや外陰部を除去してしまうというもので、女性差別、人権蹂躙であるという意見が多く言われているようです。

 小話35話 割礼には、カトリックの国であるフィリピンでも割礼が行われているそうです。熱帯地方では有効な文化のようです。

 また、AIDSの予防として有効との説もあるようです。日経サイエンス1996年5月号の、J.C.コードウエル/P.コードウエル「なぜアフリカでエイズが大流行しているか」の紹介記事には以下のように出ています。

 サハラ以南のアフリカでは,都市人口の25%近くの人がHIVに感染している地域がある。しかも,ここでのおもな感染経路は異性間感染だという。これは専門家にとってはすぐには信じられないことであった。異性間の性交渉(膣性交)で感染する危険性は,実はそんなに高くない。実際に,先進国でHIVのおもな感染経路となっているのは,男性同性愛者間の性交渉(肛門性交),汚染した注射器を使った薬物の回し打ち,汚染した血液や血液製剤の使用(いわゆる薬害エイズ)である。
 いったいなぜ,この地域では,異性間性交渉でこんなにもHIVが広まってしまったのだろうか。多くの研究者は,アフリカの衛生状態のせいにして,この問題をあまり深く追求しようとはしなかったが,この著者たちは違った。
 まず,2人はこの地域の性行動がごく普通のものであることを明らかにした。次に,結婚形態(一夫一妻か一夫多妻か)や,売春婦に対する考え方など,考えられるさまざまな要因を検討した。さらに,かつて別の2グループが指摘しながら無視され続けてきた,割礼とHIV感染の関係を再検討した。その結果,男性の割礼の習慣の有無が,アフリカでの感染率の高低を決めていることを明らかにした。割礼をしない地域や部族は感染率が高いのである。
 割礼とHIV感染率の高さをめぐっては,医学的ではない意見がめぐらされた経緯がある。しかし,当のエイズ多発地域の住民たちは,割礼とHIV感染の関係を肌で感じて,それまで習慣のなかった部族も割礼をするようになってきている。(編集部)

 割礼をしていない日本では、アフリカより大流行するかもしれないということでしょうか。

6−2 米国手術事情(2000/07/08・改2001/01/29・三訂2001/02/05・四訂2005/04/12)

 過去、米合衆国では男児出生の際に小児科医が包茎手術をするかどうか親に聞き、実に90パーセントの男児が生後まもなく手術を受けたと言います。

 近年、米国小児科医協会が包茎手術の必要性に疑問を呈し、実施率は下がっていると言います。米国全体では60パーセント、カリフォルニア州では30パーセントまで 下がったという事です。

 いずれにせよ、キリスト教世界でこのように包茎手術が多いのは異例な事です。

 kazu (22才)さんの投稿によれば、

割礼が盛んだった米国では、今では割礼しない人が増え (割礼【包茎手術】は性機能を低下させるという、研究が盛んになり始めているため) 映画にでも、「割礼してしまうぞ!」とか「彼は割礼していましたか」などとでてくる。 (Byプライベートライアン、ディアブロス。どちらも最新の映画) それだけ手術をしている人を皮肉っている。過去の物になろうとしている。

とのことです。

 okatchさんの投稿によると、

生後すぐの割礼が盛んな米国にいますが、包茎の人も結構見受けます。
こちらでは中学から毎回体育の授業の後に集団でシャワーを浴びる習慣があり、皆隠さずに堂々としているのです。
ヨーロッパや南米では割礼は稀らしく、米国外生まれに包茎が多いと思われます。
最近米国内でも割礼が不必要との事で保険の負担外になる場合があり、割礼率も減ってきているようです。
元々米国の割礼の習慣の始まりは戦争時に兵士達が不衛生でいたためで、ユダヤ教やイスラム教のような宗教的な理由からではないようです。

 一方、「マスターベーション(自慰)」を減らすという理由で包茎手術が普及したのではないかとの説があります。デリケートな包皮部分を切除することによりマスターベーションを減らす意図だそうです。

 マスターベーションは生殖に関わりないためキリスト教的な考え方とは相容れず、加えて、そんなにエネルギーがあるならもっと良いことに使えということだったようです。

 それでも、前掲okatchさんの投稿によると、

英語では包茎をUncut/Uncircumcised(切られている・割礼されてない)と呼び、悪い印象は一切ありません。

ということです。

 同じokatchさんの投稿によると、60年代もしくは70年代に米国でKinseyが行なった大々的な性に関する調査の結果では、

テーブル81
どのくらい亀頭を包皮が被っていますか?(割礼されていない人に質問)

白人(大学) 白人(大学外)黒人(大学)
全く被っていない11.2%14.8%16.7%
半分ほど被っている16.5%17.9%21.9%
殆ど被っている17.6%14.1%12.5%
完全に被っている48.4%49.1%43.8%
包皮が亀頭を越える6.4%4.1%5.2%

となっているそうです。

 ただし、1.4で引用した日浅産婦人科医院の先生は、私との往復書簡で、

ハワイとイギリスの病院はそうであったし、本にもそう書いてある。私は確かめている。ユダヤ人は割礼をおこない、キリスト教の人々は強制はしていないが、情報を与え、希望者には割礼を行っている。

とおっしゃっています。

 また、2001/10/12のとーますさんの投稿によると、

シドニー・シェルダンの小説で邦題が「真夜中は別の顔」というのがあります。作中の前半部分です。ある女性が、期待していた新婚初夜で、新郎が包茎(多分仮性)であることが判明し大いに幻滅するという描写があります。ポルノでない通常の推理小説です。新郎は包茎のみならず短小で精力も弱いという、通俗的な性の判断基準で言えば低レベルにある人物で、包茎だけを取り上げているのではありませんが包茎であることをマイナスのイメージで捉えているところに注目されます。また、この女性は下品な俗物の一般庶民として描かれています。そのような環境下において仮性包茎は「粗チン」の構成要件となっているのだと思います。尚、英語の原書でも読みましたので、恐らく間違いないはずです。

ということです。原書にあたっているそうなので、いわゆる「超訳」によるものではなさそうですね。

 シドニーシェルダンは何歳ぐらいなのか分かりませんが、包茎手術華やかなころに青春を過ごされた年代なのでしょうか。

 また、とーますさんは補足として2001/10/14にはこう投稿されています。

例の小説について言えば、phomosisという表現ではありませんでした。(すみません、その本は図書館で借りたので今持ってないので引用できません)。初夜を迎えて、その女性は「私をやさしく抱いてベッドに運んでくれるわ。ペニスはすっかり天を向いていて、、、」というような空想をしていたら、ペニスは萎えたままで、おまけに皮をかぶっていた、、、というような情景だったように覚えています。その後、毎晩いやがる夫に挑みかかり、皮をむいて女性上位で性交に及んだ、、、というように話は続きます。粗チンの弱い男を表現するにあたっての道具立てとして、短小+仮性包茎を使っているという感じです。さえない中年男を表現する際に通俗的観念としてデブと短足を使うというのと同様と考えます。人権的にけしからんとは思いますが、残念ながらデブとか短足というのが記号として使われているのですよね。

 本当に残念なことです。「ちび、でぶ、はげ、短足お断り」とか言う女性もいますが、大抵はムードで言っていますよね。困ったものです。私も今後は「胸が小さい」だの「年増」だの「デブ」だの「ダイエットしろ」だの言わないように心がけようと思います。

 2001/10/13のokudaさんの投稿によれば、

日本で包茎と言えば、真性包茎及び仮性包茎を指すのに対して、英語で“phimosis”と言う場合は、泌尿器科専門医を対象とした論文等を別にすれば、真性包茎と包皮輪狭窄を指し、容易に亀頭を出す事が出来る仮性包茎は含めません。包皮が非常に余っていることを含める事もあるようですが、通常は真性包茎の事を指しています。この事は仮性包茎を英米では問題視していない間接的な証拠のひとつだと思います。
英文に御堪能のようなので、普通に言う“phimosis”がどう説明されているか、手元にある英文資料からランダムに引用しておきます。御調べになればわかると思いますが、上に除外したような専門家を対象としたものでなければ、この説明は大同小異です。
i) Phimosis is tightness of the prepuce (foreskin) of the penis that prevents the retraction of the foreskin over the glans.
ii) Note that the foreskin (prepuce) will not retract off of the glans during erection. This is called "phimosis".
iii) Excessive tightness of the foreskin of the penis.
iv) Phimosis is the inability to retract the prepuce (foreskin) of penis over the shaft due to a narrow opening.
ということのようです。ちなみに私は英文にご堪能ではありません。私の助手(翻訳の王様:米系日本人)が翻訳をしてくれますので。。。

6−3 欧州包茎事情(2001/01/05・改2002/01/06)

 割礼に関連した話として、普及版『歴史概論』-第1章に以下のように出ています。

 イエスの象徴みたいな「腰布」も、後世のヨーロッパ人の想像、というか捏造である。というのもユダヤ男子は生まれてすぐ割礼をされるため、いわゆる包茎は一人もいない。つまりイエスの大事な部分を見せると、イエスがユダヤ人であることを否定するのに都合が悪い。ヨーロッパでユダヤ人が嫌われていた時代、自分たちの宗教の始祖がユダヤ人であることを隠すために、イエスのアソコをも隠してしまった、とこういう経緯らしい。

 現在でも、イタリア人などは仮性包茎で堂々としているようです。現在のことが分からなくても、ダビデ像を見ればイタリア人のメンタリティは窺い知れるのではないでしょうか。

 ドイツ在住10年のNobuki TAGAさんの投稿によれば、

ヨーロッパの男たちはみんな仮性包茎ですが,それで悩んでる人なんて殆どいないようです.

あるギリシャ人の友達なんか,しっかり皮が被っていますが,女にもてて,もててしょうがない.

 kazu (22才)さんの投稿によれば、

仮性包茎はヨーロッパでは普通であり、恥ずかしい事でない。なぜならギリシャ彫刻など、すべて包茎で、それを小さい時から見ているヨーロッパ人はそれが大人の普通モノという概念を持っている。

ということです。

 ハメド氏は、真性包茎の害の例として、次のような説話を紹介しています。

かつてのフランス国王ルイ16世は真性包茎のため、王妃マリーアントワネットとの初夜を性交時の激痛のため迎えることが出来ませんでした。
そのため、王妃マリーは寂しい夜を一人過ごすことになりました。
このことは、やがて外交問題にまで発展し、様々な政治的圧力もありルイ16世は、やむなく包茎手術を受けることになったそうです。
そして、めでたく2人は子づくりにはげめるようになりました。
ちなみに、マリー・アントワネットの夜遊び癖はこのことにも一因があると言われています。
 また、同様の説話が唐沢俊一氏の「裏モノウェブ情報見聞録」でも詳しく紹介されています。

 彼とアントワネットの結婚はフランスとオーストリアの間の政略結婚であったが、結婚したのはいいがいつまでたっても世継ぎが出来ない。どうもこの二人はセックスをしていないらしい。調べてみるとこの未来のフランス国王は真性包茎であって、勃起時の痛みに対する恐怖から、精神的インポテンツになってしまっていたという。
 この問題に関して幾度となく会議が開かれ、フランスとオーストリア両国の大使・外務大臣との間には秘密暗号通信文が往復し、スパイが暗躍し、刺客が跳梁し、何人もの人間が殺されて闇に葬られた。いや、大ゲサと思うかもしれないが、この二人の間に世継ぎが生まれなければ、せっかく二国間に続いていた争いをおさめるために仕組まれた政略結婚が無駄になり、再び戦争が勃発する危険性があったのである。ヨーロッパの平和は皇太子の包茎手術にかかっていたのである。
 ところが当の皇太子が手術を怖がって拒否し、さらにカトリック教会までがこれに反対した。未来のフランス国王がユダヤ人のように皮を切るとはけしからん、という意見だったようだ。ついに親戚にあたるドイツ国王が調停に乗り出して皇太子を説得、手術を決意させ、皮が除去されたときには国民の間から大歓声があがったとか。(後略)

 米国の新生児割礼(正確には、包茎手術ではなくて割礼だそうです)について、2004年4月に包茎医療掲示板3に投稿がありました。わんさんが紹介してくださった統計資料の中の参考文献が分かりやすいようです。

その図では、新生児割礼のピークは1980年頃で約85%。その後約60%まで低下しています。
しかしそのピークの世代はいま約25歳。
新生児割礼率が今後ますます低下しても、アメリカ社会全体の割礼率が大きく下がるには半世紀ぐらいかかりそうです。(2005/04/11のHNさんの投稿)

 日本語での記事は、こちらも分かりやすいようです(当サイトは、包皮再生を推奨するわけではありません)。



日本包茎研究所包茎用語集