<芦野・遊行柳>
(あしの・ゆぎょうやなぎ)栃木県那須郡那須町

旅行日'97/7

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 江戸時代、芦野は旗本芦野氏三千石の城下であり、奥州街道の宿場町でした。が、明治になり開通した鉄道も国道もこの地を通らず、宿場は没落。今は平凡で静かな田舎町です。
 JR黒田原駅からのバス便は1日に4本。私は往路は1時間強かけて歩いてゆきました。クルマでバッと行ってしまえば、わけないのでしょうけれど。
(私のポリシーが許さないとか ^^;)


 芦野の中心部から歩いて10分ほど。田んぼの真ん中に遊行柳(ゆぎょうやなぎ)はあります。写真で右後方は陸奥へと通じる道。
 芭蕉の崇敬する西行(さいぎょう)法師が、この柳を歌枕に詠んだ(とおもわれていた)歌。

道のべに 清水流るる 柳陰(やなぎかげ) しばしとてこそ 立ちどまりつれ
 


 西行(1118-1190)は平安時代末、鎌倉時代初頭の歌人。若くして出家したのち草庵をむすんで修行につとめるとともに、漂泊の旅を繰り返し、1144年と1186年には陸奥を訪れています(伝説めいたところも多分にあるようですが)。このあとで紹介させていただく白河の関、武隈の松、松島、象潟なども西行ゆかりの地。
 芭蕉の西行に対する敬慕は深く、旅から旅へとさすらった西行への強いあこがれが芭蕉を『奥の細道』の旅へと駆り立てたことは、想像するに難くありません。


続いて、芭蕉の句(↓)へ。



<芭蕉の句>

 田一枚 植て立去 柳かな

(たいちまい うえてたちさる やなぎかな)


<句意>
(西行法師が立ち止まったゆかりの柳の陰に私も立ち止まって、早乙女たちが)田を一枚植え終わるのを待って、(私は)柳のもとを立ち去った。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より



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